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ルグリと魔人  作者: 雨山木一
第二章
7/71

七話

 

 07

「よし、こんなものでいいかな」


 日課が終わったのは、ミーシャが待ちくたびれてうとうとし始めたころだった。


「あー疲れた。ちょっと一服」


 アーリィは気だるそうに首を左右に傾げてこきこきと小気味いい音を鳴らす。肩こりがひどいのか、しばらく肩を回して唸っていた。

 ストレッチが終わると手帳をトランクにしまい、代わりにダガーナイフほどの大きさの筒と、手のひらに収まる大きさの渦巻き模様の刺繍が施された朱色の袋をとり出した。

 筒は炭を染み込ませたような黒色がベースで、中央から下部にかけて二頭の馬を従えた女性の姿が彫られている。

 筒の上側は大きさがひと回りほど小さく、とり外しができるようになっているようだ。

 アーリィは筒の上部を外し、中から鍵模様の施された藍色の細い管をとり出した。


「それなんです?」


「これは極東に伝わるキセルという喫煙道具だ。先端についている小さい窪みは火皿というんだが、ここに葉を詰めこんで火をつけて煙を吸うんだ」


 ミーシャが興味深々に見つめている横で、アーリィは朱色の袋の中から紙に包まれた少量の葉をとり出して煙管の先端の窪みに詰めて火をつけて美味そうに煙を吸いこんだ。

 心細い月明りだけの世界。焚火の揺れる明かりがアーリィの白い肌を浮き上がらせる。形の良い唇は艶やかで果実のように瑞々しい。

 唇を突き出して煙を吐く姿は、嫌に妖艶でつい視線を逸らしてしまった。


「嫌なことも体の疲れも全て煙に混ぜて吐き出すこの瞬間がたまらなく好きなんだ」


 紫煙が夜風に巻かれて暗闇に溶けていく。


「あれ……いい匂い」


 ふわりと漂ってきた香りは予想と違い良いものだった。


「そうだろう。この葉はニレイという町に住む職人が特別な製法で調合した香油を秘伝の技術で葉に染み込ませたものなんだ。普通の煙草葉と比べて香り高いのが特徴で、吸いごたえも十分に楽しめる。一日の終わりに、こうして吹かすのが私の日課の一つであり、数少ない楽しみだ」


 火皿のなかの葉がぽうと灯る。唇から煙管が離され口内の煙を深く吸い込むと、美味そうに煙を細く吐いた。風味を楽しむように閉じられた唇が、つうと弧をかく。


「そんなに見つめられるとこそばゆいよ」


 顔を傾げて薄く微笑む姿は、魔性の女という言葉がぴったり合う。

 首からうえがのぼせてしまったかのように熱くなり、心臓が痛いくらいに胸を叩いてくる。


「いや……珍しいと思って」


 見惚れてしまったなどと決して口に出すことはできないため、どうにか言い訳を捻り出したが、苦しかったか。

 そんな心中を察してくれたのか、アーリィはそういう体で話を続けてくれた。


「ふふ。女が煙草を吸うのがそんなに珍しいか?」


「そうじゃありませんけど……意外というか、なんというか」


 これは本心だった。煙草というとミーシャの村では、すでに肉体労働ができなくなった男性が、余暇を楽しむ一つの道楽として嗜んでいる印象が強い。


「まあ、珍しいといえば珍しいかもしれないな。だが、都なんかでは割とポピュラーだよ」


「そうなんですか。都なんて行ったことないから」


「まあ、ここから行こうとするとひと月くらいか。途中大きな川を渡ったり、山を越えたりしなければならないが、機会があれば一度は行ってみるのを勧めるよ。あそこは大きな商業組合が仕切る市場があるんだが、そこに世界中の珍品が集まるんだ。食、衣服、武器や工芸品に情報。田舎では得られないものに溢れている。見分を広げたいのならば、都に行くのが一番近道だ。だが、一つアドバイスをしておこう。あそこに住む人間には気を許しすぎるなよ。特に上層階に住んでいる奴らは聖人のような笑顔の下に、とんでもない獣を飼っている。牙を舐めて品定めしているから気をつけることだ」


 アーリィは獲物を狙う獣が舌なめずりをするかのように熟れた果実のような赤い舌で唇を舐めた。


「覚えておきます……」


 背筋に薄ら寒いものを感じてそう言うと、アーリィは満足そうに二度浅く頷いて煙管の煙を吐いた。


「まあ、無駄話はここまでにしよう。それで? 話があるんだろう。金貨についての」


 声色が一段低くなり真剣みを帯びた。


「待たせてしまったからね。ここからはしっかり君に時間を割こう」


 ようやくアーリィが時間をくれたというのに、いざ話そうとすると気持ちだけが先走ってしまって思うように話すことができなかった。それでもアーリィは苛立った様子もなく、要領を得ない話に我慢強く耳を傾けてくれた。

 終始無表情でいるため、なにを考えているかは伺い知れない。だが、凪いだ水面のように感情の起伏の見られない顔を前にしているうちに、自然と昂る気持ちも落ちつき始め、たどたどしくはあるが過去の話やアーリィを追った理由を話すことができた。


「なるほど。この金貨は行方知れずの父親の持ち物だったのか。それで必死に私を追ってきたというわけ」


 アーリィは合点がいったというように頷き、深いため息を吐いた。

 指名手配犯として追われていたわけではないということを強調して話したため、安堵したのかもしれない。

 本来の目的は不法侵入者の確保だったわけで、こんな説明をしているところをラウルに見られたら大目玉を食らうところだ。

 後ろめたい気持ちがないではないが、ここは目的のために罪悪感を押し殺すことにした。


「まず最初に言っておくが、私は君の父親のことに関してはなにも知らない。会ったこともなければ、君が望む答えを持ち合わせてもいない」


「い、いや……でも意味深なことを言っていたじゃないですか。えっと……そうだ、君はまだ守られているとか。あれはあたしが父さんに守られているって意味で言ったんじゃないんですか?」


「違う。あれは置かれている状況もわかっていない子供が、上司の制止も聞かずにはしゃいでいるから窘めただけ。君、冷静じゃなかったでしょう。もし相手が私じゃなくて、質の悪い盗賊だったらあそこで上司諸共死んでたよ」


 言われてみればそうだったかもしれない。上司が危険な状況にあるにも関わらず、捕まえなければならない相手に縋りつこうとしていた。

 あのときミーシャの頭には危険という文字はなかった。あったのは、十年ぶりに見た父親の金貨と、それを持つ人物への強烈な焦慮(しょうりょ)だった。

 手がかりを見つけた喜びと、何故それが他人の手にあるのか。

 なにかが始まるような予感があった。壊れて止まってしまった時計の針が動き出すかのように。


「でも、でも……」


 だからこうしてアーリィの説明を聞いて、確かに言われてみればそうだと納得してしまう自分と、それでは困ると思っている自分がいる。

 そんなありきたりで普通すぎる理由では、なにも始まらない。


「私の忠告があらぬ誤解を生んでしまったようだが、これで納得してもらえると助かる。明日も朝早くから仕事をしなければならないんだ。できるだけ早く休みたい」


 話の終わりを匂わせ始めたアーリィになんとか食い下がろうと口を開くも、全部お前の思い違いだと言われてしまうと、なにも言えなかった。

 覆しがたい事実は、わずかな希望の糸を見つけたと確信していたミーシャには受け入れがたいものだった。

 しかし、アーリィの言葉を否定したとしても、なにかが変わるわけではない。


「泣くなよ……」


 言われて始めて涙を流しているということに気がついた。そして、自身の決意すら守れないのかと、更に情けなくなり反射的に顔を逸らした。

 父の行方がわからなくなり、母が外に働きに出るようになってから、ミーシャは人前で涙を流した記憶がない。


 母は始めこそ行方のわからなくなった父を思い出して泣き出すことがあったが、外に働きに出るようになってから涙を見せなくなった。そんな母の姿を見て、自分も泣いてはいけないと、どこかで思うようになっていた。それは母に対する遠慮でもあったし、涙を流すという行為が、父はもう戻ってこないのだという考えたくない現実を認めてしまうように感じたから。

 そう思うようになってから、尚更涙というものに拒絶を示すようになっていった。嫌悪していたと言っていいかもしれない。


 止まれ、止まれ、止まれ。

 思えば思うほど、栓の壊れた樽のようにとめどなくあふれ出す。まるでこの十年間分の溜まった涙を吐き出すかのように。

 不意に肩に触れるものがあった。次いでふわりと煙管の香りが漂ってくる。


「ほら、これは君に返すよ。大切なものなら、しっかりと管理しておくんだ」


 気恥ずかしさから、すぐには振り返られなかった。それでもアーリィはなにも言わずに辛抱強く待っていてくれた。

 心臓の鼓動が落ち着くまで深呼吸をし、ようやく顔をアーリィへ向ける。

 目の前に広げられた純白のハンカチのうえに、懐かしい金貨が乗せられていた。


「失くしてしまったものが返ってくることは珍しい。それはきっと持ち主との強い縁があるからこそ起きる奇跡だ」


 熱と痛みで動かしにくい腕を伸ばして金貨に手を伸ばす。アーリィはその手をハンカチごとそっと包んだ。


「ありがとう、ございます」


「ああ」


 真っ暗闇の森のなか、一夜をすごすには心もとない焚火の前で、薪が弾けて崩れる音を聞きながら空に瞬く星を眺めていた。

 横になるミーシャの隣に座り込むアーリィはとても寛いでいるように見える。

 都から指名手配を受ける程の犯罪者と共にすごしているというにも関わらず、少しも恐怖を感じない。

 怪我の手当をしてくれたからというのはもちろんあると思う。だが、それだけでは春の陽だまりで微睡んでいるときのような心地よさの説明にはならない。

 何故だろうと思考を巡らせても心当たりは思い浮かばない。怪我で頭の回りが悪くなっているのだろうか。


 そんなことを考えて、ミーシャはどうでもいいかと考えることを止めた。仮に納得のいく答えが見つかったところで、なにができるわけではないのだから。

 ただ、少しだけ彼女のことを知りたくなった。

 しかし、好奇心を満たすために根掘り葉掘り聞くというのも違う気がした。アーリィは恩人であるとはいえ、あくまでも二人の立ち位置はとり締まる側とされる側だ。

 だから、最低限の体裁を保つために尋問じみた内容になってしまった。


「この森にきたのは金貨を探すためだったんですか?」


「いいや」


 アーリィはこちらを見ることなく火が小さくなってきた焚火に、足元の小枝を二つに折って放りながら答えた。


「じゃあなんで?」


「仕事だ」


「本当に?」


「疑うほど変な回答か? 生きていくには一にも二にも金が必要だ。霞を食べて生きていけるわけではないのだからな」


「それはそうですけど……」


 嘘は言っていないが、本当のことも言っていない感じだ。


「君から見れば私のような世間からつま弾きにされたような浮浪者は碌でもない生き方をしているように見えるのかもしれないが、案外変わらないものだよ。人並みに苦労もするし、不平も募る。それでも生きるためには歯を食いしばって地に足をつけて働かなきゃならない。なにも変わらないよ」


 火から視線を外さずに語たるアーリィの横顔はなんだか疲れているように見えた。


「どんな仕事をしているのか聞いてもいいですか?」


「別に特別なものじゃないさ。依頼を受けて、仕事をして、報酬を得る。依頼内容は様々だが、一番多いのは探しものだな」


「探しものって、たとえば?」


「人から物まで色々だよ。世間には本当にたくさんの考え方を持った人間がいるものだ。特に収集家と呼ばれる奴らは偏屈で頑固者である場合が多くてね。一見してゴミにしか見えないようなものでも、欲しい人間にはとてつもない価値のあるものだったりする。それこそ、金塊よりも命よりも価値があると断言する収集家だっているんだ。私の元にくる依頼は、そういう奴らからの依頼であることが多い」


「危なかったりしないんですか? その、悪いことだったりは……」


「まあ、なくはない。だが、ニッチな需要に応えられればそれ相応の報酬が入るからな。多少のことには目を瞑れる」


 報酬、という部分を強調するように言うアーリィの瞳は、火を入れた鎌のように轟々と音を立てて燃え盛っているように見えた。金を稼ぐためには少々の危険も悪事も(いと)わない。そんな心の内を映すかのような瞳だった。


「金貨はその最たるものだと言っても過言ではない」


「どういう意味ですか?」


「君は金貨のことをどこまで知っている?」」


 アーリィの問いに、ミーシャはふと考える。金貨に関してミーシャが知っていることなど皆無に近い。父の話では先祖が妖精から授けられたということだが、さすがにそれを今でも信じるほど子供ではない。


「なんでしょうか……。昔に滅んでしまった国が使っていた硬貨とか?」


 ミーシャとしては、一番現実的な線を提示したつもりだったが、アーリィは首を横に振る。


「それはな、異界の存在と人間の契約の証に授けられる誓いの印。名を妖精の金貨という」


「妖精の、金貨」


「君の父親の話に出てきただろう。虹の袂で出会った妖精から金貨を受けとったと」


 それはついさっき話した父と金貨についての思い出話だ。


「それは確かに話ましたけど、あれは父があたしに信じ込ませるためについた嘘で……」


「例えばその話が嘘じゃなかったとしたら君はどうする? 妖精は実在し、君の父親の話が真実だとしたら君はそれを受け入れることができるか?」


 試されているのだろうか。それともからかって遊んでいるのか。アーリィの真意がいまいち掴めない。


「……それは、妖精がこの世に実在していて、父が話してくれたことは全て本当のことという意味でしょうか」


「オウム返しか? そうだ。私はそういう意味で言っている」


 ミーシャは戸惑いと共に沈黙してしまった。このような会話、教会の権力が強い町であれば即刻教兵に連行されて神の裁きを受けるところだ。そうでなくとも、異教徒の烙印を押され、町中の人間から侮蔑の目に晒されてしまう。妖精などいうのは子供が信じている分には微笑ましいが、大人の場合は蔑視の対象だ。

 妖精? そんな常識はずれな馬鹿な話を信じられるはずがない。


「真実はいつも自分の常識の外にある。目を背けるのは簡単だ。だが、それで得られるものは、今まで見続けてきた世界の側面だけだ。君はそれでも構わないのか」


 アーリィの主張から逃れるように、痛む体をわずかに逸らそうとした。しかし、右手をアーリィにそっと握られる。アーリィの手は氷水に浸していたのか思うほど冷たい。握られている手が痛くなる。だが、振り解くことはできなかった。まるでいつまでも心地のよい偽りの世界に浸っているのは止めろと言われているようだった。


「選択の機会を得るというのは、ある意味の恵みを受けたということだ。この世にはただ漫然と流れに身を任せることしかできない人たちがいる。真実に目を向けようとしても叶わない人たちがいる。そういった人たちからすれば、君は恵まれている。過程はどうであれ、自身の意思を以て選択肢を選ぶ権利を獲得することはできたわけだ。これは誰にでも巡ってくるものではない。なにを選ぶかは君次第だ。だが、その意味をしっかりと考えて答えを出してほしい」


 こんな状況でなければ、教師が将来に悩む生徒を諭す言葉に聞こえたかもしれない。しかし、ミーシャは違う。将来に悩む学生でもなければ、涙を流していつまでも親の帰りを待ち続ける子供でもない。

 アーリィの選択の機会を得た、という言葉が迷いを加速させる。その選択をしたせいで、監督署を裏切る結果になったばかりだ。もう監督署の皆に迷惑をかけるようなことはしたくはない。

 だが、真逆の思いもある。


「信じると言えば、父は戻ってくるんですか」


「それは約束できない。しかし、物語の始まりにはなるだろう。君が立ち止まっていた時間はとり戻すことはできないが、ゼンマイを巻いて再びときを刻ませることは可能だ。それが君のためになるかどうかの判断は君にしか下せない」


 もし選択の先に願う未来があるのならば。

 足を踏み出す価値はあるかもしれない。


「……信じます。教えてください。父のこと。金貨のこと。そして、貴方の言う常識の外にある真実をあたしに見せてください」


 アーリィはミーシャの言葉を飲み下すように頷いた。


ここまでお読みなってくださりありがとうございます。

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