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ルグリと魔人  作者: 雨山木一
第二章
6/71

六話

06

 夜の帳が降りたころ、モデール森林監督署では緊急会議が行われていた。

 集まっているのは全監督署員二十四名。一室だけある会議室では全員は入りきらないので、倉庫兼資料室を緊急会議室として使用することになった。

 新雪のように被った埃を払いのけ、備品の入った木箱を寄せ集め、その上にモーデル森林公園の全体地図を乗せている。

 地図には赤い丸印が四つ。そのうち一つに黒のペンでバツ印が記されている。

 

「アーリィ・リアトリスに接触したのはここだ。聴取しようとしたが拒絶され戦闘になった」


 ラウルは忌々しそうに地図の黒いバツ印を指で叩く。周りを囲んでいる保護官たちは皆、真剣な面持ちだ。


「それで、その後は?」


 髪を短く刈り上げた老齢の保護官が訪ねる。


「……あっという間だった。抵抗する間もなく打ちのめされて、それからミーシャは……」


 誰かの息を飲む音が聞こえた。


「……ミーシャは連れ去られた」


 ラウルは皆の視線から逃れるように視線を地図に落としたまま言った。重い沈黙が室内を支配する。

 沈黙を押しのけるように女性保護官が口を開いた。


「生きているわ。絶対に」


 それは彼女の希望と皆に向けた激励が込められたものだった。その思いを感じとって賛同するように次々と声があがる。


「そうね。あの子気が強いところあるし、意外と腕っぷしも強いのよ。そんな簡単にやられるわけない」


「そうだ。ラウルさんみたいに馬鹿に体力もあるから、もしかしたら今頃は逃げ出して俺たちのところに帰ろうとしているかもしれない」


 各々が言い聞かせるように繰り出す。重い空気がわずかだが緩和され、ミーシャ生存の可能性に希望を見出そうとしている。

 次々とあがる声に、ラウルはもどかしさと罪悪感に苛んでいた。

 言えるわけがない。本当はミーシャが自ら望んで追いかけ、自分はそれを止めることができなかったとは。


「しかし、何故ミーシャを(さら)ったりしたんだ? こう言っちゃなんだが、攫うならラウルの方が利用価値があるんじゃないか」


 先ほどの老齢の保護官は、不思議そうな顔をしてラウルに尋ねる。


「それは……わからない。単純に小さいミーシャの方が攫いやすかったのかもしれないし、他になにか目的があるのかもしれない。理由なんて俺には……」


「それは議論しても仕方がないでしょう。今はあの子の救出に専念しましょう」


「そうだな。すまん」


 女性保護官に諭され老齢の保護官は頭を掻きながら言った。

 そうだ。今はあれこれ答えの出ない問題に思考を割いている時間はない。

 ミーシャを救出する。それだけを考えて行動すればいい。

 ラウルが気持ちを切り替えて話を進めようと視線をあげたとき、一つ気になったことがあった。


「そういえば、トーラスはどうした。なんでこの場にいないんだ」


 ラウルの問いに答えたのは、正面にいる中年の保護官だった。


「トーラスは今日夜勤ですけど、姿は見ていません。確か、出勤簿にもチェックはありませんでしたから、まだ家で寝ているんじゃないですかね」


「あいつ……こんなときに!」


 ラウルが怒りを込めて机を叩こうとした瞬間、背後で扉の開く音がした。


「あれぇ、なんでこんな埃臭いとこ集まってんですか。こんな時間から大掃除?」


 現れたのは、ついさっきまで寝ていましたと言わんばかりのぼさぼさな金髪頭をした青年。


「俺、埃まみれになるのは嫌なんですけど」


 周りの咎める視線にも全く動じず、心底面倒くさそうに溜息を吐く。


「おいトーラス! お前今までなにしてた」


「少し遅刻したぐらいで怒んないでくださいよ。こっちは今日の朝まで働いてたんですから」


 ラウルの怒声を受けても動じない男の名はトーラス・ウィンター。

 ズボンのウエストからはみ出したシャツは皺だらけ。長い金色の髪は束ねることもせず、寝ぐせのついたままだ。ブーツの靴紐も片方解けかかっているところを見るに、着替えもせずに寝てそのまま出勤してきたのだろう。


「それはお前がだらだら仕事をしているからだろう! そんなことはどうでもいいんだ。こっちにこい!」


 ラウルが自分のすぐ横を指差す。トーラスは面倒そうに顔をしかめながら、気だるそうに隣にやってきた。


「なんなんすか、一体」


「はあ……」


 一人能天気なトーラスにどっと疲れが押し寄せる。正直今の精神状態でこの男の相手をするだけの余裕はない。だが、だからといって無視して会議を進めるわけにはいかない。 

 何故ならこのトーラスはラウルに次いでモデールの森に詳しい保護官なのだから。

 ラウルは要点をかいつまんで今日起きた出来事をトーラスに説明した。初めは眠そうに欠伸をしながら聞いていたトーラスも、状況を理解すると緊張感のある表情を見せた。


「ミーシャが……それで、どうすんですか。もちろん探しに行くんすよね」


「当然だ。だが、今すぐは無理だ」


 ラウルの返答にトーラスが目を見開いて噛みつく。


「なんでですか!」


「もう夜なんだぞ。いくら俺たちでも夜の森は危険すぎる」


「その危険な森にあいつは一人でいるんだろうが!」


「落ち着け。そんなことはわかっている。あいつも夜の森の危険さは重々承知しているはずだ。下手な行動は起こさない。そう教育したのはお前だろう」


「……っ」


「心配しているのはお前だけじゃない。ここで考えなしに動けば、二次被害の可能性も出てくる。そうなればあいつの捜索どころじゃなくなる。今は策を練って準備を整えるのが先決だ」


 ラウルの正論にトーラスは口を噤んだが、その顔にはありありと不満が張りついている。

 室内に剣呑とした空気が流れ始めたとき、老齢の保護官が前に出てきてトーラスに優しく語りかけた。


「トーラスちゃんよ、周りをよく見てみなさい。皆どんな顔をしているかな。面倒そうにしているかな? 諦めているかな? 違うだろう。皆、ミーシャちゃんを助けたいと真剣に願っているんだ。そしてそれはトーラスちゃんも同じだろう? であれば、ここは気持ちを一つにする必要があるよ。大切な荷を運ぶときは馬にたっぷりの干し草を与え、心を通わせよ。これは僕の生まれ故郷でよく使われる言葉なんだ。目的のためには共に歩む相棒と一心同体でありなさいって意味なんだけど、今の僕たちにぴったりの言葉だと思わないかい?」


 トーラスは言い返そうと口を開いたが、老齢の保護官の言葉に思うことがあったのか、空気と一緒にそれを飲み込んだ。


「僕らは自然を前にあまりにも無力だ。人は戦う牙も爪もない。その代わり、言葉と知恵がある。今こそ、その力を存分に発揮するときじゃないかと僕は思うんだ。だから、トーラスちゃんももう一度深呼吸をして考えてみてくれないかい? 僕らはきっと心を一つにして最善の答えを見出すことができるはずだよ」


 老齢の保護官の言葉は、頭ごなしに押さえつけるようなものではなく、冷静さを欠いたトーラスに考える時間を与え、仲間に向き合うきっかけを与えるものだった。

 普段トーラスを頭ごなしに説教しているラウルにはできない説得の仕方だ。


「じいさん……わかった。悪かった」


 トーラスは目を閉じて何度か頷いた後、皆を見渡してから頭をさげた。

 なんとかなったようだ。

 ラウルはわからないように短く嘆息すると、改めて話を進める。


「……いいか。時間も人員もあまり多くない。効率よくいこう」


 それからラウルは今後の対応を話した。予定では今夜は夜勤を五名で行うはずだったが、二名を帰宅させ三名態勢で行う。今集まっている者は一旦帰宅。翌朝日勤組から三人を選んで、帰宅させた夜勤組二人、日勤組三人にトーラスを加えた六人編成で捜索に向かうことになった。


「通常業務に関しては、申し訳ないが事務員にある程度仕事を振り分けさせてもらう。明日の捜索は六人だが、人員調整して明後日からの捜索は増員させる。俺はこの足でアーレイに向かって軍に報告と、救援要請の申請をしにいく。捜索隊の指揮はトーラスに任せる。捜索範囲は、地図に記した印を中心に行え。仮にアーリィ・リアトリスを見つけても無理な戦闘は禁止だ。相手は相当の手練れだ。銃を持っていても安心はするな。なにをしてくるかわからない相手だからな」


 ラウルの言葉に全員が無言で頷く。


「それでは解散」


 ラウルの号令の後、班員たち足早に部屋を出て行った。一人残ったラウルは、木箱の上に広げた地図に両手をついて項垂れた。

 

「ミーシャ……お前はなにを考えているんだ」


 自身の不甲斐なさとミーシャの理解不能な行動に、苛立ちと虚脱感が交互に押し寄せてくる。

 特にミーシャの様子の変化には不可解な点がある。あのとき、ミーシャはひどく取り乱していた。

 直前までミーシャに特段変わったところはなかったはずだ。俺がやられて気が動転したのか? いいや、それだけではミーシャの動揺の仕方は説明がつかないように思う。

 アーリィ・リアトリスになにかを吹き込まれたのか。それが一番妥当な線のように感じる。


「だとすると、あの発言も納得できるか……」


 アーリィ・リアトリスを追おうとしたミーシャを止めたとき、混乱のさなかに出てきたあの言葉。

 ミーシャは『父さんが生きている』と口にしていた。恐らく、吹き込まれたのはミーシャの父親に関する内容なのだろう。

 ひどいことをする。あの人が生きているはずはないのに。


 無垢なミーシャの心を弄んだことに憤りを感じた。だが、それと同時に、アーリィ・リアトリスがミーシャの父親のこと調べあげていることにうすら寒さも覚える。

 こうまでしてあの女が狙うものは一体なんなのか。


「地図、使いものにならなくなるぜ?」


 背後からかけられた声に意識が喚起された。手元を見ると、木箱の上に広げられた地図をいつの間にか握りしめていたようだ。


「ああ……すまない」


 皺を丁寧に伸ばしながら振り向く。そこには呆れ顔をしたトーラスが腕を組んでラウルを見ていた。


「備品は国民の大切な税金で購入されたものだから大切に扱えって、いつもアンタが言っていることじゃなかったか?」


「……ああ、少し考えごとをしていてな。次からは気をつける」


「……ったく、らしくないぜ」


「なんだ? なにか言ったか」


「いいや、別に」


 本当に聞こえなかったから聞き返したのだが、威圧と捉えられてしまったのか、トーラスはそれ以上答えることはなかった。

 代わりにラウルの横へやってくると、一つ溜息を零してからこう切り出した。


「アーレイには俺が行く」


「なんだと?」


「アーレイには俺が向かうって言ったんだ。アンタじゃダメだ」


 トーラスの言葉に怒りを覚えるよりも早く暗澹たる気持ちに支配され、自然と視線が落ちていく。仲間を守れずにおめおめと戻ってきた役立たずに仕事は任せられないと言われたような気がした。

 実際そう思われてしまうのも仕方ないかもしれない。アーリィ・リアトリスからミーシャを守るどころか、引き留めることすらできなかった。

 人手不足だからと言って、不法侵入者の捜索に駆り出したのは間違いだったなどと後悔しても後の祭り。

 これでは責任者としても、保護者としても失格だ。

 トーラスに失望されるのも無理はないのかもしれない。


「それは……俺が──」


「おっと、勘違いするなよ。別にアンタを責めようってんじゃない」


 予想外の言葉に視線をあげると、トーラスが顔を指差してこう言った。


「戻ってきてから鏡見たか? 今のアンタひどい顔をしてるぜ」


 そう言われて自分の頬を手で撫でてみた。やすりのようにざらざらとした髭の感触が指に伝わる。


「そんな顔してる人間にこれからアーレイに向かう体力が残ってんのか? 途中で力尽きて犬に食われても知らねえぜ。これ以上余計なトラブルは避けたいんだろ。だったらアンタはもう家に帰って休めばいいんだよ。そんで明日の捜索に全力で望むんだ。それが最適解だろ」


 こちらを見ようとしないのは照れ隠しなのだろうか、と考えてしまうのはうぬぼれではないだろう。


「それに……俺にも責任をとらせてほしい」


「責任……?」


「今回の件は元を辿れば俺が引き起こしちまった問題みたいなもんだろう? それなのに呑気に家で寝ているなんてできねえよ」


「違う。今回のことは監督署の責任者である俺の不甲斐なさが招いた結果だ。お前が責任を感じることじゃ……」


「あいつの教育係は俺だ。俺の教育方針は基本的に放任だけどよ、さすがに自分のせいでかわいい教え子が危険に巻き込まれたとあっちゃ、放っておくわけにもいかねえ」


 それに、とつけ加えてトーラスは早口でまくし立てるように言う。


「じっとしてられないんだよ。とにかくあいつのためになにかしたい。そうじゃねえと腹の底がムズムズして気持ち悪いんだよ。俺はこの感覚を今すぐにでも取っ払いたい。となると、死人みたいに真っ白な顔をしている上司の代わりにアーレイに向かうことが、俺にできる最良の行動ってことになるわけだ」


「しかし、俺が言えた義理じゃないが、徹夜明けでゆっくり休めていないだろう」


「俺とアンタじゃ歳が違うからな。若いうちは無理が効くんだよ」


 これはトーラスなりの気遣いなのだ。そう気がついたとき、ふっと肩の荷が少しだけ軽くなったような気がした。


「この野郎。俺はまだそんな歳じゃねえよ」


 軽く肩を小突いて言い返してやる。「痛え」と言いつつも、トーラスの口角はわかりやすくあがっていた。


「すぐ行けるのか?」


「ああ」


 ラウルの問いに、トーラスはニヒルな笑みを浮かべて答えた。


「なら、任せる」


 小さく頷き身を翻して資料室を去るトーラスの背を見送る。

 もう十年以上のつき合いになる弟分の背中は、いつの間にか一回り大きくなったように感じた。

 そんなことにすら気がつかなかったのかと、情けない気持ちがないでもない。

 だが、それ以上に弟分の成長が素直に嬉しかった。


「おい!」


 資料室から顔を出してトーラスを呼び止めたとき、その背中はすでに廊下の曲がり角を過ぎようとしていたところだった。


「すまんな」


 ふと思う。成長していく姿を見ることができるというのは幸福なものだ。人は日々の生活に慣れすぎてしまうと、正当な価値というものを失念してしまう。

 それも一つの幸せと考えることもできるだろう。わからなくなってしまうほど、そばにある幸せを享受できるというのは、誰にでも訪れる当たり前ではない。


 世界には無慈悲に蹂躙され、その生涯に渡って失くしたものの亡霊に囚われてしまう者だっている。

 だからこそ、ここでは噛みしめるべきなのだ。ありがとうと、成長を褒めてやるべきなのだ。

 それができなかったのは、きっと嫉妬してしまったからだろう。

 不器用ながらも気遣ってくれたトーラスの優しさが嬉しかった。でも、それと同じくらい面白くなかった。

 お前はいつの間にそんなことができる大人になったんだ。

 

「アンタがそんなこと言うようになるなんて、やっぱ歳を食うと気持ちも老いるんだな」


 それはトーラスなりの照れ隠しと、励ましが多分に含まれた憎まれ口だと思う。


「クソガキが。早く行け」


 廊下の先に消えていく走り去る音にしばし耳を傾けながら、ラウルは自分の矛盾する心境に溜息をつくのだった。


ここまでお読みなってくださりありがとうございます。

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