四十五話
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洞窟内は光源になるものはなく、先頭を歩くアーリィが手に持っている松明だけが頼りだ。
光に包まれて次に意識が戻ったときには、手に松明を持ってこちらを見おろすアーリィの顔があった。
気分は悪くないかと聞かれ、特に異常はないと答えるとアーリィは「頑丈だな」と鼻で笑っていた。
「アンタがトーラスを助けてくれたのか?」
「うん?」
「あの虫みたいなものに襲われて、気がついたときにはトーラスだけがいなかったから心配してたんだ」
「ああ。私が到着したときにはすでにあいつしかいなくてな。助けたときはだいぶ錯乱してたが、完全に浸食される前に見つけられたからか、すぐに正気に戻ったよ。それで私と一緒にお前たちの元に向かったというわけだ」
もしアーリィが助け出してくれなければ、トーラスはどうなっていたのかわからない。
助け出してくれたことにラウルは素直に感謝した。
「私がトーラスになにがあってもミーシャの前に飛び出すなと言ったんだ」
わずかな沈黙の後にアーリィが唐突にそんなことを口走った。
「あいつは怖くて足が動かなかったと言っていたが、私に念を押されたのも影響しているんだと思う」
意外だった。アーリィがトーラスを庇うようなことを言うなんて想像できなかったから、面食らってしまった。
こちらの戸惑いが伝わったのか、立ち止まりこちらを首だけで振り返って補足する。
「お前たちが揉めようがどうでもいいが、事実ははっきりとさせておかなきゃならないだろう。人間関係はちょっとしたことで拗れやすい。もし私の一言が原因であったとしたら、それは正さなければならない」
「そうか。ありがとう」
ラウルのお礼にアーリィはなにも答えずに再び歩き始める。
トーラスはアーリィに残るように命じられていたことを言いわけとして使わなかった。
言われた通りにしただけだと言えば、きっと怒りの矛先はアーリィに向かっていっただろう。しかし、そうしなかった。
きっとトーラスにはアーリィを庇う意識はなかったはずだ。トーラスにとって重要だったのは、自分が怖気ついてしまったという事実だけだったのだ。
「なあ、目的地まではどれくらいかかるんだ?」
「まだ少しかかるが?」
「なら、聞いてもいいか? アンタの話に出てきたアシュマンっていう存在のこと」
アーリィは少し間を置いてから、「それも必要なことか」と呟く。
「この星には人間の住む世界とアシュマンたちが住む世界の二つが同時に存在している。人間は自分たちの世界でしか生きることができないが、アシュマンたちはアヌウンと人間の世界の二つを行き来することができる。アシュマンは簡単に言ってしまえば、感情の塊だ。アシュマンは人間の世界で強い想いを残した存在が、肉体、あるいは、物質が朽ちてしまった後にアヌウンに反転することでアシュマンとして生れ落ちる。基本的に彼らは自らの想いに素直だ。存在する理由になった想いによって生まれるわけだから、アシュマンとして存在している間は、その想いを成就させるためだけに生きることになる。生まれたてのアシュマンは人間の赤子のように、弱く脆くて、思考も鈍い。だが、年月を重ねることによって徐々に成長し、言葉を話すようになり、多面的な思考も可能になる。ただ、それらが可能になるには途方もない時間が必要になるがな」
「へえ。そんな世界があったんだな。じゃあ、ミーシャを襲ったその魔人? 竜? とかっていうのもアシュマンなのか?」
「いいや。魔人は人やアシュマンとは全く別の存在だ。天空の使者大鷲。森の王である大猪。荒野の猛者オオカミ。海を支配する海龍。大地を砕く地震。全てを天に還す竜巻。大岩を砕く大男。他にも大剣や槍など生命に限定せず、様々な生物や物質が魔人だったとされてきた。ただ、どんな文献にも魔人の本質は記されていない。そもそも生き物なのか、人の手で殺せるのか、どうしてこの世に存在しているのか、意思を持っているのか、行動原理はなんなのか。正直な話、私も知っていることはほとんどないんだ」
「今その魔人はどこにいるんだ」
「さあな。ミーシャを飲み込んだ後、急に静かになったと思ったらとこかへ飛んでいったよ。ただまだ気配はあるから、モデールから外へ行ってはいないとは思うが」
「そうなのか……。なら、早いところミーシャを救い出さなきゃだな」
「私もお前に聞いてみたいことがあったんだ」
「なんだ?」
「お前は私とミーシャが関わりを持つことを嫌がっていただろう。始めは犯罪者と関わりを持たせたくないからだと思っていたんだが、どうにもずっと引っかかっていることがあった。お前とミーシャと始めて森で出会ったときに、お前は『また壊すのか』と言った。あれはどういう意味だったんだ?」
細砂を踏みしめる感触を確かめながら歩みを進める。松明一本あるとはいえ、不足している光量ではほとんど目隠しをして歩いているようなものなのにアーリィはまるで夜目の効くフクロウのように一度も立ち止まることなく進んでいく。
「グリフィスさんがいなくなってモデール森林監督署は大打撃を受けた。署長兼班長という席が空白であるのは問題だと、すぐに後任として俺が就くことになった。そして、俺は班員に事の次第を説明した。だが、グリフィスさんを慕っている班員からすれば、失踪したという話は到底受け入れられるものじゃなかった。そのせいか、色々噂や陰謀論的なことも囁かれた。モデールには人を食らう狼がいて、グリフィスさんはその狼に食われてしまったんだとか、うえに行きたがったラウルがグリフィスを疎ましく思って、秘密裏に殺して森に埋めたんだとかな」
「どこにだって噂を吹聴するやつはいるものだからな」
「ああ。ただ、そういう類の話ってのは人を介す度に肉づけがされて行くもんだ。ほんの少しの間に監督署の班員は疑心暗鬼になっていた。間もなく一人が辞めて、それに続くように二人辞めていった。一度限界まで膨れあがった猜疑心ってのは、決壊しちまうと誰にも止められない。ひと月もしないうちに退職者が相次いだ監督署は運営不可になっちまう状況になった。グリフィスさんに支えられて監督署は成り立っていたんだ。大黒柱がすっぽりなくなれば瓦解するのは時間の問題だった」
当時を思い出し、ラウルは重いため息を吐く。
信頼していた仲間から向けられる疑いの眼差しを真正面から受け止めつつ、託された仕事、託された想い、全てを守り維持していくのは新米班長のラウルにはとても難しいことだった。
「俺は次期班長としてグリフィスさんからある程度の仕事は教えられていた。ちょっとした事務作業や、調査や治療に必要な物資の補給申請なんかはなんとかこなせた。でも、問題は人だ。部下を率いる立場に一番必要なことは信頼を勝ち得ることだ。だが、俺は全ての班員から信頼を勝ち得ることはできなかった。人はどんどん辞めていって、最終的にはトーラスと他にはグリフィスさんよりも古株の人間が数名残るだけになってしまった。これでは監督署を運営していくことなんて到底不可能だ。俺もやれることはやったよ。求人を出したり、都に現状を知らせる書簡を送ったりな。休日なんてものは当時の俺にはなかった。あったとしても、アーレイでビラ配りと勧誘活動に消える。睡眠もろくに摂れない、食事も喉を通らない日が何日も続いた」
「誰も助けてはくれなかったのか?」
「いや、残ってくれた班員は尽力してくれた。だが、彼らも俺と似たような状況だったよ。うちの財政は常にひっ迫していてな。おまけに薄給だし。休日に仕事をしても給料なんて出してやれない。それでも、誰も愚痴も言わずに俺を支えてくれた。後にも先にも仕事で泣いたのはあのときだけだ。そうやって皆で馬車馬のように働いていたとき、ある人が手を差し伸べてくれた。ミーシャの母親のクレアさんだ」
「クレアがミーシャの母親の名か……」
「彼女はミーシャを抱えて女手一つ生きていかなきゃならないのに、自分の仕事が終わってから、俺たちの手伝いをしてくれたんだ。町に配るビラ作りから監督署の雑務まで率先して手伝ってくれた。労働の対価は給料だが、正式な職員でないクレアさんには給料を支払うことができない。モデール森林公園の財政は都が全て管理しているからな。俺が勝手に支払うということはできないんだ。それにミーシャを一人にするのも忍びない。だから、俺は申し訳なくて何度も断ろうとしたんだが、クレアさんは頑なに俺を突っぱねた。そして、いつも笑ってこう言った。『夫が大切に守ってきた人たちと森が危機に陥っている。そんなこと妻として見すごすことはできないの。娘も大人になってモデールで働くようになればきっとわかってくれる』ってな」
それから九年後、ミーシャが働き口を探して監督署の面接を受けていると聞いて、恩を返すときがきたと思った。
ミーシャ本人は知らないだろうが、モデールで働けるように裏で手を回したのはラウルだった。
「ミーシャはグリフィスさんのように真っすぐで、クレアさんのように思慮深く、困っている人に手を差し伸べることができる子だ。本当にいい子に育った。まだ幼くて親の愛に飢えている時期に父親を失い、母親との時間もろくにすごせなかったのに、素直で優しく、それでいて強い意志を持った子にな。でも、時折考えるんだ。あの子はそうなるしかなかったんじゃなかったのかって。寂しいときに抱きしめてくれる人もなく、嬉しいときに頭を撫でて褒めてくれる人もいない。悩みがあっても相談をするという発想が生まれてこない。だからこそあいつはグリフィスさんのことを自分だけで抱え込んで、自分だけで解決しなければならないと思ったのでは? 誰よりも愛に飢え、優しさに飢えた経験が今も尾を引いているからこそ、ああならざるを得なかったんじゃないかってな」
とても寂しいことだ。クレアもきっとできる限りの愛情を注いだはずで、ミーシャもしっかりと受けとっていたはずだ。しかし、それでもふとした瞬間に他所と自分の家を比べてしまうというのは子供の頃にはよくあることだ。
比較し、そのとき始めて理解する。ああ、自分はもしかしたら可哀そうな子なのかもしれないと。
子供は物事を考えすぎるほどにたくさん考えている。まだ黒にも灰にも染まらない純真な子供だからこそ、その考えというのは頭に溶けた鉄のようにこびりつく。
だが、子供はそれを表には出さない。特に親が自分に構っている時間がないのだと理解すると、内へ内へと本当の気持ちをしまい込み、嘘を顔に塗って親を安心させようとする。
その行為が心にどれだけの負荷をかけることになるのかを子供はまだ知らない。知らないからこそ、とり繕い、親に褒められでもすればそれでいいのだと思い込む。
そうして成長すると、誰にも頼れない、本心を明かせない人間ができあがる。大抵そういう人間は、心が弱い。そして、その弱さを見抜く力のある悪意に満ちた存在に利用されてしまう。
「ミーシャが監督署に入職するころには、監督署もだいぶ持ち直していてな。これで託された内の一つである仕事はなんとかなるかもしれないと思った。そして、幸運なことにもう一つの託されたミーシャも俺のそばで守ることができるようになった。ようやく、全てが順調に行くと心から安堵したんだ。だから、アンタが……アーリィさんが現れたときは、ようやく立て直したものたちが壊されると思ってしまったんだ。モデールは俺にとって家族同然だ。それを壊されるのだけは、どうしても嫌だった」
「あれはそういう意味だったのか」
「アーリィさんが守秘義務なんて言うもんだから、余計にそう思ってしまったというのもある」
「悪いな」
本当に悪いと思っているのか、とは追及しない。
「それだけじゃない。トーラスがグリフィスさんの失踪について調べているのは俺も知っていた。その内容をこそっと盗み見たこともある。そこでモデールの妖精の話が単なる作り話ではなく、俺には理解できない未知の存在とルグリは深い関わりがあるのではと思った。グリフィスさんからモデールの妖精や金貨のことはある程度聞いてはいたが、まさか現実にありうるとは思っていなかったんだ」
「そう言えば、トーラスの奴はグリフィスから話を聞いてるはずだと疑っていたな。お前がルグリを知っていたのは、どうしてだ?」
「ルグリに関してもグリフィスさんから聞いていた。ただ、当時はそう名乗る民族がいたということぐらいで詳しいことは知らなかった。トーラスになにも教えなかったのは、これ以上関わらせたくなかったからだ」
「まあ間違った判断ではないな」
「それから俺の方でも調べるようになって、アーリィさんがそのルグリだということを知ったんだ。まあ、それでも全てを信じたわけじゃなかったが、可能性があるのならば排除するか、できなければ徹底して守らねばならないと考えていた。だから、アーリィさんを見たとき、ミーシャには絶対に触れさせまいとしたっていうのもある。結局、なにもできなかったんだがな」
「なるほどな。嫌われるわけだ」
「ただ、本当は心のどこかで感じていたのかもしれない。もし、グリフィスさんやミーシャを本当の意味で救うことができるとすれば、それは人や妖精のような存在ではなく、ルグリなのではないかってな」
ラウルは咳払いをして深呼吸する。
「……アーリィ殿」
今までとは変わって畏まった口調に、アーリィの足が止まる。そして、肩越しにラウルへと視線を寄こす。
振り返った顔に表情と呼べるものは浮かんでいなかったが、松明の光りに揺れる灰色の瞳がラウルをしっかりと見据えた。
「これまでの無礼をどうか許して頂きたい。貴方の本心を知らず、大変なご迷惑をおかけしてしまった。また、暴力にも及んでしまったことを謝罪します。申しわけありませんでした」
腰をしっかりと折る。トーラスにしたように誠心誠意を伝えるために。
「別にそういうのには慣れているから気にしなくてもいい。これは嫌味で言っているんじゃない。本当に、気にしてない」
「それでも監督署の責任者として、一人の人間として数々の無礼があったことを謝罪します」
松明の火が小さく弾ける音だけが洞窟内に響く。
「……まあ、そこまで言うなら受けとっておくよ」
どこか照れくさそうにして言う声が、普段こうして他人から頭をさげられるのに慣れていないのだろうなと思わせる。
頭をあげてアーリィの顔に向き合う。居心地の悪そうに鼻の頭を掻いて、アーリィはまた前を向き直って歩き始めた。
その様子が年相応な若い娘のものに見えて、ラウルは胸の内で笑みを浮かべた。
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