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ルグリと魔人  作者: 雨山木一
第六章
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三十一話

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「ミーシャ!」


「あほか、静かにせんかい馬鹿たれ筋肉だるま」


 医務室に駆け込んだラウルに中指を立てて罵声を浴びせたのはモデールの産業医であるイーラだ。

 御年九十歳の彼女は、このモデール森林監督署で一番の古株であり、ラウルが唯一頭のあがらない人だった。

 睡眠不足の身に染みわたる罵倒に、ラウルはとっさに手で口を覆う。

 ベッドに寝かされているミーシャの顔を覗き込むと、安らかな寝顔で静かに寝息を立てていた。ラウルはその場に力なく崩れ落ちる。


「よかった……。本当によかった」


「特に怪我をしている様子もない。睡眠薬でも盛られているのかぐっすり眠っているが、そのうち目を覚ますだろう。正確な診断はアーレイの医療機関で見て貰わなきゃならんが、とりあえずは大丈夫さ」


「本当に大丈夫なんでしょうか」


「なんだい。あたしの診察に文句でもあるのかい?」


「いや、そういうわけじゃないですけど……こいつはあのアーリィ・リアトリスに攫われたんです。睡眠薬を盛られているかもしれないなら、他になにかされている可能性も……」


「詳しく検査しないとそりゃわからんが、脈も安定しているし、とりあえずは問題ないと思うよ。後はアーレイに検査入院の手続きをして──」


「それは無理なんです。アーレイは今、蜂起は起こっていてそれどころでは」


「ああ……そうだったね。仕方がない。とりあえず明日になっても目を覚まさなかったら、あたしの方でできる限りのことはしてみる。ここでできることなんてたかが知れてるけどね」


「よろしくお願いします」


 ラウルは深く頭をさげ、医務室を後にした。廊下に出ると他の職員が見つかったミーシャの様子を心配して集まっていた。

 あの子は大丈夫なの。怪我をしてるのか。私たちにできることはありますか。

 皆口々にミーシャの容態を心配していた。


「イーラさんの診断では今のところ問題なく、今は眠っているだけだそうだ。しばらく安静にして、それ以降の判断はイーラさんと相談して決める」


 ラウルの言葉にその場にいた面々は安心した様子で胸を撫でおろした。隣の職員とハイタッチする者や、ハンカチで目元を拭う者もいた。

 この監督署で働く全ての職員がミーシャを心配してくれていた。その想いに改めてラウルは感謝の意を込めて一礼した。


「皆の協力があってミーシャを連れ戻すことができた。ありがとう。感謝します」


 控えめな歓声が沸くなか、人込みをすり抜けるようにしてラウルの前に一人の人物が現れた。


「ラウルさん。あいつの様子は?」


「トーラスか。お前がミーシャを見つけてくれたんだってな。それも早朝から森に一人で入って」


「説教なら後にしてくれよ。規則違反は承知のうえでやったんだ。処罰ならちゃんと受ける」


「そうだな。規則は規則だ。お前はこれからの監督署を引っ張っていく人間だ。そんなやつが感情を優先して規則を破るのを見すごすことはできない」


 先ほどまで流れていた歓喜の空気がかき消える。二人の顔色を伺うようにして他の職員がことの成り行きを見守る。


「だが、お前が規則を破らなければ今頃ミーシャは獣に襲われていたかもしれない。朝の冷え込みに堪えられずに、低体温症に陥っていたかもしれない。ミーシャを救ったのはお前だ。その事実を変えることは誰にもできない」


 ラウルはトーラスの肩に手を置いて、しっかりとトーラスと視線を合わせた。


「ありがとう。お前の勇気にミーシャも俺も、この監督署も救われた」


 皆の高揚感が空気に伝染して伝わってくる。その空気が照れ臭かったのか、トーラスは視線を落として顎を引くように頷いた。

 わあっと歓声が沸く。少し臭い芝居になってしまったが、そうしてしまうほどラウルも高揚していた。


「こるぁぁあ! うるせーんだよ! 静かにしなガキども!」


 しかし、そんな歓声も長くは続かなかった。医務室から注射器を持ったイーラが顔を出して怒鳴り声をあげたのだ。

 今にもその手に持った注射器を投げつけてきそうな気迫に、ラウル含め、その場にいた者は蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げて行った。


 ◇◇◇


「ミーシャを発見したときのことを詳しく教えてくれ」


 昼食をすませた後、ラウルはトーラスを呼び出した。目的はミーシャ発見時の詳細を報告書にまとめるため。そして、アーリィ・リアトリスの行方を探るためだった。


「もう一度ミーシャが連れ去られた場所を探してみようと森に入ろうとしたら、毛布に包まれたミーシャを発見したんだ。場所はラウルさんがミーシャと一緒に森に入った細道の前だ。周囲にはミーシャ以外の人影はなくて、動物の気配もなかった。一点だけ気になったのは香みたいな匂いがミーシャからしていたってことぐらいかな」


 ということは、アーリィ・リアトリスはわざわざ森を抜けて見つけやすい場所にミーシャを運んだということか。


「それは、どんな匂いだったんだ?」


「なんていうか、甘ったるいような感じの匂いだった。女が好んで焚くやつだな。ありゃ」


「なんでそんな香りがしたんだろうな」


「知らねえよ。案外ミーシャとアーリィは意気投合して女子会でもやってたんじゃねえか」


「そんなわけないだろう。攫われてるんだぞ」


「そこなんだよな。なんでアーリィはミーシャを攫ったりしたんだ? 二人の間に接点なんてないだろうし、ミーシャが攫われたときに爺さんも言ってたが、攫うんならラウルさんの方がよっぽど利用価値がある。それなのにあえてミーシャを選んだ理由がわからねえ」


「そこに関しては俺にもわからない。アーリィ・リアトリスが現れた理由も目的もな。ミーシャの意識が戻れば話を聞きたいところだが、あいつも精神的なショックを受けただろうし、当分は休ませる。原因の追究も重要だが、今はミーシャの体のことが一番だ」


「まあ……それが妥当だな。あいつには無理をさせすぎた。気持ちを落ち着かせるためにもしばらく休養が必要だ」


「だが、このままというわけにもいかない。ミーシャが戻ってきた以上、目下の問題はアーリィ・リアトリスだ。あの女がこの森に居続ける限り、常にモデールは危険な状態にあると言っていい。他の職員も被害に合わないとも限らない。本来なら軍に協力を仰ぎたいところだが……」


 アーレイで起こったという蜂起が一体いつまで続くのかは依然不明だった。

 モデール森林監督署に出入りしている卸業者の話では、発生時ほどの混乱は見られないものの、まだ火は燻っているらしく、町や貴族と市民側で話し合いが持たれることになったという話は聞かないという。一度爆発してしまった火はそうそう消えないだろう。


 暴力で相手を従わせようとするやり方には賛同しかねるが、しかし、これまでアーレイ市民は権力という力に押さえつけられ、税の追加徴収や、軍拡のために家族を半ば人質にされた状態での過酷な労働を強要させられるという、為政者の法を盾にした権力という名の暴力を振るわれてきた。

 その不満は外部の人間には想像することもできない。

 正直なところなるべくしてなったのだ。だが、何故このタイミングなのだ、という苛立ちを覚えなくもない。


「まさか捜索するのか?」


「そうせざるを得ないだろう。このままでは通常業務に支障が出る。軍に頼れないなら、俺たちでどうにかするしかない」


「どうにかって……どうするんだよ」


「……最悪の場合」


 ラウルは静かに、だが強調するように言った。


「最悪の場合、殺害も視野に入れる」


 普段のラウルからは想像もつかない発言に、トーラスは感情をむき出しにして詰め寄る。


「おい、そりゃマジで言ってんのか? 俺たちの仕事は森を守ることだ。人を殺すことじゃねえ!」


「奴は指名手配を受ける犯罪者だ。感謝されることはあっても、批難されることはない」


「おいおい勘弁してくれよ。どうしちまったんだラウルさんよ。アンタそういうことが一番嫌いだったんじゃねえのかよ!」


「俺の感情など関係ない。仲間に危険が及ぶなら、俺はモデール監督署の責任者として、断固として自身の職責を果たす」


「その職責に人殺しは含まれてねえだろうが」


「俺の仕事はモデール森林公園の環境保全と治安維持。そして職員の安全と健康の確保だ。職員の安全が脅かされるのならば、その排除も仕事のうちだ」


「だけど──」


 ラウルの意思は固い。普段のラウルは職員の意見に耳を傾け、自身の打ち出した企画も柔軟に周りの意見を反映し、共に最善の方策を探る。だから、一般職と責任者との距離も近く、問題の洗い出しも積極的に行われる。

 だが、今のラウルはトーラスの意思を完全に拒否している。意見をぶつけることも、妥協案を探すこともない。決定事項を一方的に告げている。これは珍しいことだった。


「安心しろ。お前たちに危険は及ばないよう配慮はする」


 だから、このときラウルの意思の硬さにトーラスは悟ってしまった。自分ではこの人の意思を変えることはできないと。


「アーリィ・リアトリスは俺が仕留める。誰にもこの罪を負わせはしない。俺がこの森の責任者だ。全ての責は俺が負う」


 ◇◇◇


 夢のなかで誰かと話している。相手の顔はわからない。インクをぶちまけたように真っ黒だった。

 誰かが呼んでいる。相手の顔はわからない。泥を塗りたくられたように真っ黒だった。

 誰かの手が触れる。その手は暖かく柔らかで。

 僕はその手を払った。


 ◇◇◇


 見覚えのある天井が視界に映った。わずかな薬品の香りと、柑橘系の香水の香り。イーラ曰く、新しくできた恋人から贈り物らしい。歳は恋の障害にならない。それはミーシャだけ特別に月一回の定期検診を受けるときに、毎回聞かされた決まり文句だった。


「あれ……あたし、なんでここに……?」


 視線を左右に振る。暗い室内には空のベッドが一つと、綺麗に整頓され、余計なものがなに一つない机が一つ。綺麗好きなイーラの性格がよく反映されている。

 枕元側にある窓際には最近飾られたと思しき純白の花が、窓ガラスから差し込む透き通るような月明かりを浴びて、楚々(そそ)としている。

 ここが監督署の医務室だと気がつくのに時間はかからなかった。


 重い体を起こすと、衣服はいつの間にかガウンに変わっていることに気がついた。

 イーラが着替えさせてくれたのだろうか。ベッドからおりて部屋の出入り口へ向かう。暗い室内だが、差し込む月明りのおかげで歩くには支障はない。

 部屋から出て、廊下の様子を伺う。人の気配はなかった。

 夜勤があるのは現場だけなので、監督署は夜になると施錠され無人となる。

 昼間は活気に満たされた空間も夜になると静まりかえり、まるで異界に迷い込んでしまったかのような不気味さがある。

 息をすることすら躊躇われる雰囲気が嫌で玄関に向かって歩きだす。

 外の空気が吸いたかった。籠った室内の空気よりも、新鮮な空気がいい。特に今はより新鮮な空気が必要だ。

 そんなことを思いつつ正面玄関の前にきて思い出した。施錠されているんだった。


「出れないか」


 一応玄関ドアを押してみる。静かな館内に硬質な音が響いた。

 扉一枚向こうに新鮮な空気が待っているというのに、と肩を落とす。

 諦めて医務室に戻ろうとして、玄関の横にある非常用の扉に目が向いた。普段は終日施錠されている扉で、緊急時以外は解放されることはない。

 当然鍵がかかっているだろう。そう思い、しかし念のためドアノブを回すと軋む音を立てながら開いた。

 外気が空気の籠った管内に流れ込む。冷えた空気がガウンの袖を抜け、脇を通って全身に巡る。

 外に出て深呼吸をすると、夜の冷えた空気と森から流れてくる深緑の香りを肺いっぱいに吸い込み、全身に酸素を行き渡らせた。

 生き返るようだった。心なしか重い体が軽くなったような気がする。


「そこにいるのは誰だ?」


 背後から男の声がした。振り返ると手に棍棒を持った人影が、ドアの影からこちらの様子を伺っていた。


「……ミーシャ、か?」


「……ラウルさん」


「ミーシャ!」


 佇む人物がミーシャだとわかると、ラウルは棍棒を投げ捨て、その巨体でミーシャの体を強く抱きしめた。体格の大きいミーシャはラウルの体に埋もれるように包み込まれる。


「お、お前動いても大丈夫なのか? 気分はどうだ? 痛いところはないか?」


 震える声で矢継ぎ早に質問を投げかけるラウルは、さらに腕に力を込める。苦しくてラウルの腰辺りを強く叩いて抗議する。


「ああ、すまん。息できなかったか」


「……加減してくださいよ」


 ラウルの力が弱まった隙に突き飛ばすようにして距離をとった。

 顔を見ることができない。俯いたまま、無言の時間が流れる。


「よく戻ってきたな」


「……」


「心配したんだぞ」


「……」


「ちゃんとご飯食べて──」


「ラウルさん」


 聞きたくない。その口から心配するような言葉など聞きたくはない。


「あたしの、父さんを」


 殺そうとしたの、とまでは言わなかった。

 そこまで言わずとも、ラウルの顔を見ればわかってしまった。右頬が糸で吊りあげられているかのように大きく痙攣し、見開かれたままの瞳が細かく左右に揺れている。

 わずかな変化だが、それが触れられたくはないデリケートな部分を刺激されたことによる拒絶反応だとミーシャは判断した。

 何故そのような反応を示すのかなどは考えるまでもない。

 キャスウェルの話してくれた惨劇が蘇る。

 父を殺そうとした人間。あたしたち家族を引き裂く原因を作った人間。あたしを守る振りをして、真実を覆い隠そうとした──。


「裏切り者」



ここまでお読みなってくださりありがとうございます。

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カクヨム、アルファポリスにも同作を投稿しております。

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