二十話
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「あたしはモデール森林公園とアーレイの間にあるトルという村で生まれました。父はモデール森林監督署で働き、母は村の農業や工芸品を作る手伝いをしていて、貧しくはありましたけど、でも毎日幸せにすごしていました」
記憶のなかの父と母の姿を思い浮かべる。そこはいつだって誰にも邪魔されることのない幸せの空間だった。
「でも、あたしが五歳のころ父が仕事の最中に行方不明になったんです」
火が迫ってくる。幸せの空間が無慈悲な業火に焼かれて灰に変わっていく。その様子をなにもせずに傍観する。
抵抗したところで無駄なことをこの十年で嫌というほど思い知らされた。いくら火を消そうとしても無駄。燃え尽きた灰を必死にかき集めても、形を失ってしまったものを元に戻すことなどできはしない。
「行方不明になった朝もいつもと変わらない一日だったと思います。あたしもいつも通りにすごして夜になると、食卓の椅子に座って父の帰宅を待っていました。帰ってきた父を出迎えるのはあたしの仕事だったから。でも、いつまで経っても父は帰ってこないんです。たまに仕事で遅くなることはありましたが、それでもあたしが寝る時間の前には必ず帰ってきてくれていて、今日もそうなんだろうな、と思っていたんです。でも父はあたしが寝る時間になっても帰ってこなかった。母が寝かしつけようとしてベッドで絵本を読んでくれましたが、父がいない夜は始めてだったので怖くてなかなか寝つけませんでした」
当時のことは鮮明に覚えている。幸せだけが詰まった家が始めて怖いと思った。母が隣にいてくれるのに、寒くて暗くて、いつもより家が大きく感じた。
「夜も更けて空が白み始めたころに、家の玄関のドアが叩かれる音で目が覚めました。いつの間にか眠ってしまっていたんです。ベッドから出て行く母の後を追おうとしたら母に待ていなさいと言われました。でも、あたしは父が帰ってきたんだって思ったからこっそりベッドを抜け出して、様子を伺ってみることにしたんです。期待は裏切られました。そこには見たことのない男の人と、俯く母しかいなかったんです」
その瞬間から、全てが始まってしまった。
「後から知ったことなんですけど、やってきたのはモデール監督署の職員だったそうです。そこでどんな会話があったのかはわかりません。でも、母はドアを閉めると、覗いていたあたしに気がついて、言いました。お父さんがどこかにいったまま見つからないんだって、と」
できるだけ不安を与えないようにと、母の声は普段と変わらず穏やかだった。
それが怖くて気持ちが悪かった。だって、それはきっと悪いことなのだと咄嗟に理解したから。
「そこからは本当に毎日が怒涛のようにすぎていきました。その日のうちに監督署が中心になってモデール森林公園の捜索が行われました。当日の父は朝から森の巡回を行う予定だったそうです。本来なら森へ入る際にはペアでの行動が義務つけられていましたが、その当時は人員不足で父は職員に一声かけてから一人で森へ入ったそうです。捜索は二月に渡って行われましたが、その間に父の消息に関する情報や足取りを掴めるようなものは見つかることはなく、父があたしたち元に戻ってくることはありませんでした」
「……お父様は失踪する前になにか言っていなかったのかな。例えば、森で不審者を見かけたとか」
「さあ……あたしにはわかりません。父はあたしに仕事の具体的なことは話しませんでした。話すのは監督署の仲間のこととか、森の言い伝えのこととか、そういったことばかりで。母はもしかしたら聞かされていたのかもしれませんが、でも父の発見に繋がるような話はなかったんじゃないかと思います」
「そうか。その後は……」
「それからのあたしたちは本当に大変でした。経済的にも精神的にも父の果たしていた役割は大きく、その全てを一身に背負わなくてはならなくなった母はみるみるうちにやつれていきました。朝から夕方まで村の畑仕事に、夕方からどこかへ出かけて帰ってくるのは夜中になることが多くなりました。まだ小さかったあたしは隣のおばさんの家に預けられていたので、寂しい思いをすることはありませんでしたが、いつも疲れた顔をした母を見るのが辛かったです。そんな生活が長く続いて十四を迎えたときに、あたしはモデール森林公園の監督署が職員を募集していると知って家を出て、住み込みでお世話になることになりました」
「そうだったんだね。辛い思いをたくさんしただろう」
「……はい」
「村を出るという選択肢はなかったのか?」
アーリィが質問を挟む。
「母もそれは考えたと思います。安定した収入の仕事を探すのだったら、大きな町の方が見つけやすいですから。でも、母はその選択はしませんでした。離れたくなかったんだと思います。思い出のたくさん詰まった家だったし、それにもし父が帰ってきたときに家族がいなかったら、迎えてあげることができないじゃないですか。母は父のことを本当に大切に思っていたからこそ、村に残る決断をしたんだと思います」
その結果、多くの苦労をすることになってもその決意は変わることはなかった。
「でも、どうしてわざわざお父様と同じ仕事に就こうと思ったんだい? こう言ってはなんだけど、モデールはミーシャちゃんにとってあまりいい思い出の場所ではないでしょう。家族を引き裂くきっかけなんだから」
「……知りたかったんです。父がどうしてモデールで働き続けたのか。だって働くってすごい大変じゃないですか。楽しいことより辛いことの方が圧倒的に多いですし。それでも父がどうして人生の大部分を占める仕事に森林保護官を選んだのか知りたかった。だから、自分の目で見て、肌で感じて、父と同じ環境に飛び込んで理解しようと思ったんです。正直に言えば悩みました。でも、だからこそ行くべきだと思いました。そうしなければあたしは一生、父と会話することができない」
それがミーシャの人生で最初の大きな決断だった。
「それにモデールで働いていればもしかしたら父の痕跡を見つけられるかもしれないとも思ったんです。もう十年も前のことだけど、もしかしたらまだなにかしら父に繋がるものが残されているかもしれない。だから仕事の合間に探したりしていたんです。といっても、森林保護官の仕事は激務だから、あんまり時間とれないんですけど」
「それで、見つけることはできたかい?」
「はい」
懐からとり出したハンカチをテーブルに置いて開く。キャスウェルの目が大きく見開かれた。
「どうしてこの金貨をミーシャちゃんが持っているんだい? これは誰でも持てるようなものではないんだよ」
「元々父の家系に伝わるものらしいんです。父の曾祖母がこの森で妖精と出会って、そのときに渡されたものだとか。あたしが子供のころはよくこの金貨の話をしてくれたんですよ。同じ話を毎回聞かされるんでけど、それでも父が物語風に話してくれるのが嬉しくて何度もせがみました。この金貨も父が失踪したときにこの金貨も行方がわからなくなっていたんですが……」
ミーシャは隣のアーリィへ視線を送る。キャスウェルが納得したように頷いた。
「アーリィ・リアトリス殿がその金貨を持っていたということだね」
「別に私は盗んだわけじゃないぞ。たまたま川底に沈んでいるのを見つけただけだ」
「別にアーリィ・リアトリス殿が盗んだなんて言ってないじゃないですか」
「目がそう言っていた」
疑われたのが面白くないのか、唇を突き出して抗議する。
「アーリィさんはあたしが怪我をして気を失っていたところを助けてくれて……」
「アーリィ・リアトリス殿が人助け……!?」
キャスウェルが軽く仰け反りながら目を剝く。
「お前、私を悪魔かなにかだと思っていないか? 私はルグリの専門家で、仕事は依頼者の望みを叶えることだ。ということは人助けを仕事にしていると言っても過言ではない。都のなんとかって教会みたいに大勢をだまくらかしている胡散臭い宗教よりよっぽど人を救っていると思うんだがな」
それは過言だと思うが、確かにアーリィの言うことも頷ける。アーリィへ依頼をしたからこそ、こうしてキャスウェルと出会うことができたのだから。
「アーリィ・リアトリス殿に関して聞こえてくる話がなんというか……あれなんで、つい」
「ああ? あれってなんだよ。そもそも──」
苦笑いを浮かべながら、それでも人間性を疑い続けるキャスウェルに相当腹に据えかねたのか、アーリィはテーブルを叩いて抗議し始めた。
まあ、キャスウェルがそう思ってしまうのも無理はない。こうして行動を共にするようになる前は、ミーシャも似たようなものだったのだから。
ヒートアップするアーリィとなだめるキャスウェルを、紅茶をちびりと飲みながら眺める。
若干キャスウェルが嬉しそうにしているのは、会話に飢えているからか、それとも美人なアーリィにかまってもらえているからか。
前者であれば助け船を出してもいいが、後者なら面白くないのでもうしばらくそのままにしておいてもいいかもしれない。
「ミーシャちゃん? 大丈夫?」
テーブルの上のカップを見つめ、自分の性格の悪さに自嘲した薄笑いを浮かべていると、キャスウェルとアーリィが訝し気な視線を向けてきていた。
おっと危ない危ない。
「なんでもないですよ。続きいいですか」
二人が姿勢を直したのを確認してから続ける。
「怪我で動けないところを治療してもらって、それでこの金貨の持つ意味を教えてもらったんです。アヌウンとアシュマンのことについてもそのとき教えてもらいました。そして──」
ミーシャは一呼吸置き、心を落ち着かせてからゆっくりと口を開く。
「アーリィさんに依頼をしたんです。あたしの願いを叶えていくれる強い力をもったアシュマンの元へ連れて行って欲しいと」
◇◇◇
「この箱にはあるものが入っている。管理者としてミーシャちゃんのように内に秘める想いを携えてやって来た人間の願いを叶えるためにアシュマンの秘術を以て鋳造されたものが」
埃を拭われた木箱は特に装飾もなく、どこからか拾ってきた木の端材で作り上げたような粗製な作りだった。
キャスウェルはミーシャとアーリィが見えるように木箱の向きを変えて蓋を開く。埃まみれだった外側とは違い、綺麗な藍色の布が丁寧に敷き詰められ、中央に見覚えのあるものがあった
「これって妖精の金貨?」
「正確には妖精の金貨じゃない」
キャスウェルに言われ金貨をよく見ると、その金貨の表面にはなにも彫られていなかった。手元にある金貨と比べるとよくわかる。のっぺりとしたその金貨は、どちらかと言うと金貨よりも琥珀のような透明感があった。
「これにはまだ契が刻まれていない。さしずめ不完全品だね」
「確かにあたし持っているものと比べると違うみたい」
「完成品と不完全品の違いは、アシュマンと人間との間で交わされた契約の有無なんだ。完成品は契約を結んだ証として金貨の表面にその契約の風景を彫り込む。そして、その金貨を人間に手渡すことで締結され、以降、叶えられた願いを享受する間は金貨を肌身離さず身につけていなければならないんだ」
「もし、手放してしまうとどうなるんですか?」
「数日手元にない程度なら問題ないけど、それ以上になると願いの効果を維持することができなくなる。契約不履行とみなされて、金貨は土くれに還り、願いで手に入れた全てを失うことになる。契約っていうは信用が一番重要なんだ。僕たちは金貨を通して人間の感情と記憶を、願いを叶える対価として少しずつ提供してもらう。だが、金貨が手元にない状態が長く続いてしまうと、対価を回収することができなくなってしまうんだ」
「え、ちょっと待ってください。アシュマンとの契約って記憶と感情が対価なんですか!?」
ミーシャが驚愕の声をあげるとキャスウェルは当惑顔でアーリィへ視線を送る。当の本人はきょとんとした顔のまま可愛らしく小首を傾げた。
「言ってなかったか?」
「言われてません!」
「まあ、先に知るか後に知るかなんて大差はないだろう。そんなに大騒ぎするようなことでもなかろうに」
「ありますよ! そもそも願いを叶えるのに対価が必要だなんて言わなかったじゃないですか」
「等価交換は世の基本だろう。慈善事業じゃないんだから」
「それは……そうですけど」
「よかったな。社会勉強ができて」
「ふざけんな!」
別に対価もなしに願いだけ叶えてもらえるなどとは思っていなかったが、それでも記憶や感情を失うなどとは考えもしていなかった。
もし願いを叶えて貰ったときに、父の帰りを喜ぶ感情も、家族の記憶もなくなってしまったとしたら意味がない。
どうしてこの人はこんな大切なことを言ってくれないのか。
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。願いを叶える対価として払ってもらう記憶や感情は微々たるものだから。契約期間中に全てを抜きとってしまうというわけではないんだ。そんなことしてしまったら、その人が人でいられなくなってしまうからね。仮にミーシャちゃんが百歳まで生きたとしたら、もしかしたら少し忘れっぽいおばあさまになってしまうかもしれないっていう程度のものさ。普段の生活にはなんの影響もないよ」
「そうなんですか……。よかった」
「でも、さっき言った通り金貨は絶対に身に着けておかなきゃならない。もし、長期間手元から離れてしまった場合はそこでお終いだ。そうなってしまえば、もう僕でもどうすることもできない。手元から逃げてしまった願いはそのまま泡沫のように弾けて消えてしまうだろう」
家族団らんの場で突然父が泡のように弾けて消える様を想像し、頬が引きつる。
「だから、絶対に忘れないでね」
「わかりました」
キャスウェルの真剣な眼差しに、ミーシャは唾を飲み込んでからゆっくりと頷いた。
「うん。ああ、それとこれは言っておかなきゃならないことなんだけど、この儀式を行えば願いが確実に叶うわけではないんだ」
「ど、どういうことですか」
「これはあくまで願いを叶える可能性をあげるというものなんだ。ミーシャちゃんの願いはお父様を見つけたいってことだよね? この場合、ミーシャちゃんとお父様の縁を結び直して、その繋がりを強くする。運命の赤い糸という話を聞いたことはあるかな。それと似たようなものと考えてくれればいい」
「じゃあ、願いを叶えて貰った瞬間に父が目の前に現れるわけじゃないんですか」
「そうだね。あくまでも絆をこれまでより強くて太いものに結び直すというニュアンスだ。効果は数日内に現れる場合もあるし、年単位になる可能性もある。でも、諦めずにいれば願いが叶う可能性はある。旅人からお父様についての情報が舞い込んでくるかもしれないし、なにかのきっかけで居所を知っている人物と交流を持つことになるかもしれない。可能性は無限大だ。だから諦めちゃダメだよ。諦めないことが願いを叶える一番の力だからね」
膨らんでいた期待が徐々に萎んでいくのがわかる。これまで見てきたアシュマンやルグリの力に変な期待を募らせすぎていたかもしれない。ただ、キャスウェルの言葉はそんな胸中を見透かしているように柔らかく、励ますようなものだった。
あり得ないわけではない。可能性はある。今まではその可能性すら見えない暗闇でもがくだけだったのだ。それから考えれば、見える景色はこれまでとは全く違うはずだ。
「わかりました。諦めません」
気をとり直し新たに決意を口にしたミーシャを見て、キャスウェルは満足そうに頷いた。
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