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苦手な方はご注意ください。

異世界転生・恋愛【短編】

一途な将軍は滅亡を予言した神子に永遠の恋を誓う

作者: 燈子



扉を開けると、恋人が死んでいた。




「リュシル、さま……」


息を切らせて駆け込んできたオスカーは、恋人の名を呼んだきり絶句した。

そのままずるずるとその場に座り込み、両手で顔を覆って呻く。


「……あれほど、早まらないでくれと、言ったのに」


豪奢なテーブルにうつ伏せるように死んでいるのは、オスカーが十年以上恋い焦がれた人だ。

よろよろと立ち上がり、既に魂の離れた恋人に近づけば、テーブルに溢れた葡萄酒からは思考を狂わせるような甘い匂いがする。

生まれと立場の貴さゆえに常に身の危険に晒されていた彼女が、何事かあれば穢される前に自死しようと、常備していた毒薬だろう。

彼女は毒を煽って死んだのだ。

オスカーのいない場所で、ひとりで。


「リュシル様……なぜ、私を信じて下さらなかったのですか……!」


血を吐くような声で慟哭し、オスカーは冷たい骸を力の限り抱きしめた。




***




三日前の夜、大神殿の予言者が言った。


『三つの夜を越し、四つめの太陽が登る前。

大きな流星がこの地に衝突し、生き物は皆死に絶える。

四つめの朝は訪れない』


「なっ、馬鹿な!?」


予言の場は、さながら地獄のような有様だった。

予言を聞くや否や、悲鳴を上げて一心不乱に神に祈り出した神官達。

片手で顔を覆い、低くうめき声をあげて、異母妹である予言者を小さく罵った王。

そして、神のお告げを代弁した後で、事切れたかのように崩折れた美しく儚い予言者。


予言の場に同席していた王は狼狽しながら馬を駆って城に帰り、真夜中から会議を開いた。

国中が半狂乱になるだろうと予測されたが、王の独断で握り潰すわけにはいかなかった。

予言の内容は、全ての人間が等しく知る権利があるのだから。


「……明朝、国中に触れを出そう」

「はい。仰せのままに……」


苦渋に満ちた声で王が決断した。

会議に招集されていた大神殿長は、感情を押し殺した声で答え、静かにその場を辞した。


翌朝、大神殿の予言は、神器を通して各地の神殿へ伝えられた。

そして予測通り、世界の滅亡を予言する言葉に、国中が大混乱に陥ったのだ。




大神殿の予言者の言葉は絶対だ。

太陽の光のような白金の髪と瞳を持つ今代の予言者は、先代の王と王姉を父母に持つ、この世で最も貴い血筋の神子だった。

神子の予言は全て的中した。

北の政変、東の暴動、南の飢饉、西の疫病。

予測されていた事態に、国も人も、皆あらかじめ準備を整えることが出来た。

だからこそ、小国であっても、あらゆる苦難に対応することができたのだ。

けれど。


「天の果てから落ちてくる流星など、どうすればいいのだ!?」


人々は嘆き、恐れ、絶望し、そして怒り、憎んだ。

騒ぐなと言うばかりで、民を守ろうともしない王城を。

もはや何も出来ぬとばかりに神に祈り、民へも神に祈れと言うだけの神殿を。

あまりにも恐ろしい予言をした予言者を。

そして、人を救ってくれぬ神を。


王城には「頑丈な城を解放して俺たちを入れろ」「自分たちだけ助かる気なのか」と叫ぶ者が押し寄せ、神殿には「神官が腐敗しているから神の怒りを買ったのだ」「出鱈目を言う罰当たりな予言者を殺せ」と迫る者が押し掛けた。

厭世に囚われた者達は次々と自殺し、片付けが間に合わないほどに、あちらこちらで死体が転がっている。

自棄になった者達による略奪、暴行、強姦など、あらゆる犯罪が激増し、街には怒号と悲鳴と怨嗟の声が満ちた。






「ったく、ロクでもない……ッ」


吐き捨てながら、オスカーは朝から晩まで王都の中を馬で駆け回っていた。

王城で近衛将軍の地位を賜っているオスカーは、本来は王族を守るべく王城内にいるはずなのだ。

しかし、王都で立て続けに事件が起こるために人手が足りなかったことに加え、遠い地方に家族を残して来た若者達を父母の元へ帰すために、自ら仕事を買って出て、王城を飛び出したのだった。


「あぁ、ちくしょうっ、キリがないな」


問題ばかり起こす国民たちに忌々しく舌打ちしながら、オスカーは息つく暇もなく事態の収拾に明け暮れた。

王の護衛として予言の場にも同席していたオスカーは、予言の夜から一睡もしていない。

余裕のない胸の中では焦燥が渦巻き、切羽詰まった脳裏には恋しい面影がちらつく。


「……はやく、お会いしたい」


部下達を解放して自ら業務に当たっていたオスカーには、今この瞬間、なんとしても逢いたい人間がいた。


初めてあった日から十年以上、恋い焦がれている相手が。

その人のためならば命も、魂すらも惜しくないと思える相手が。


冷静な顔の下に隠した激しい恋情は、死ぬまで胸に秘めておくつもりだった。

オスカーが恋した人は、あまりにも貴い身であったから。


けれど。


「……リュシル様」


どうせ二人とも死ぬのならば。

どうせこの世が滅ぶのならば。

どうか。


「どうか、この想いを」


切ない恋情を胸に、オスカーは無理やり全ての仕事を切り上げ、恋しい人の元に駆けつけた。


神殿の最奥で、己の予言に恐怖している哀れな少女のもとへ。

子供のように震える、愛らしい神子のもとへ。







「リュシル様、どうか扉を開けてくださいませんか」


固く閉ざされた扉の前に跪き、オスカーは切々と訴えた。


「近衛将軍のオスカーにございます。私はあなた様をお守りするために参りました。どうか扉を開けて下さいませ」


予言から、一晩がたっていた。

王の護衛として予言の場に立ち会っていたオスカーは、リュシルが気を失った瞬間を目撃している。

神憑りの状態から正気に帰り、己の口が発した恐ろしい予言に青ざめ、意識を手放した瞬間を。


「リュシル様……」


昨夜からリュシルは神殿の奥の自室に閉じこもり、誰一人として部屋に入れていないと聞く。

びくりともしない重い扉は、まるでリュシルの閉ざされた心のようだった。


「昨夜から何も口にしていらっしゃらないと伺いました……お好きな果実をお持ちいたしました。どうか少しでも食べて下さいませんか」


扉の外から根気よく話しかけ続けていると、かたり、と室内から物音がした。

扉のすぐ向こうに、人の気配がする。

この世の誰よりも清廉で澄み切った、神子の気配が。


『……オスカー殿』

「はっ」


扉の向こうから聞こえて来た声に、オスカーは歓喜しながらも畏まった返答をする。

リュシルは、王族の中でも最も高貴な血を引く神子。

オスカーが敬愛し、守護すべき者だ。


『国は、どうなりますか……民は……』


震える声が尋ねるのは、彼女の愛するこの国と民のこと。

彼女が守って来た、か弱い者達のことだ。

今や、彼女を憎悪し、怨嗟の声をあげ、殺そうとしている、身勝手で醜悪な者たち。


「……リュシル様、どうかご安心ください」


傷つきながらも民草をいたわり、慈しもうとする健気な神子に真実を告げることは不適切だと、オスカーは判断した。


「民は皆、冷静です。愛しい者たちの元へ駆けつけ、最後の時を惜しんでいます。城に集められていた若い騎士達も親元へ返しました。きっと満たされた時を過ごしていることでしょう」

『……ふ、ふふふ』


精一杯喜ばしそうに、朗らかな口調で語ったオスカーに、扉の向こうでリュシルは笑った。


『オスカー殿は、ほんとうに、お優しい……』

「え?」


リュシルの悲しげな独り言じみた言葉に困惑していると、ギィ、と音がして扉が開く。


「お入り下さいませ、オスカー殿。……あなたのことは、信じられますから」






「私は、今の国中の状況を知っております。……予言者ですからね」

「えっ」


椅子を勧められ、腰をかけた途端に告白された内容に、オスカーは目を見開いて固まる。

リュシルの肌は透き通るように美しいが、目の下には内面の疲弊を表すように濃い隈ができていた。


「苛立ちのままに暴力を振るう者、余裕をなくして愛した者とさえ喧嘩をしてしまう者、発狂して谷へ飛び込んだ者、子供達と妻をまとめて殺し心中を図った者……数え切れないほどの悲劇がこの国中で起きていることを、知っています。()()()()()()()()()から」


涙すら忘れたような顔で悲しげに微笑んで、リュシルは目を伏せた。


「私を憎み、神に怒り、この場へ乗り込んでこようとしている者たちがいることも知っています。あなたが彼らを退けてくれたことも。……礼を言います。ありがとうございました、オスカー殿」

「い、え。私の職務でございますので」


リュシルの千里眼じみた力に戸惑いながら、オスカーは首を振る。

そして、意を決して顔を上げた。

直視するには眩いほどの美貌をまっすぐに見据えて、しっかりと告げる。


「どれほど荒れ狂う民だとしても、私がいる限り、あなたの元へ辿り着くことはありません。何者が襲って来たとしても、私が必ずや倒してみせましょう。……たとえ人ならざる、神であろうとも、あなたを傷つけることは許しません」


神への誓言にも似た厳粛な空気を漂わせて、オスカーは静謐な表情にかすかな笑みを乗せた。


「ですから、恐れるものは何もありません。あなたは私が守ります、リュシル様」

「オスカー殿……?」


ただの臣下の言葉としては不似合いな、神聖とも言える誓い。

リュシルは理解できないとでも言いたげな顔で、目を見開いてオスカーを見つめた。


「オスカー殿、……なぜ、そこまで……」


唇を震わせて、言葉に詰まったリュシルに、オスカーは綺麗に微笑んだ。


「あなたを……愛しているからです」

「……ッ」


血の気をなくして、リュシルがよろりと揺らめく。

神子は、純潔でなければならない。

色恋沙汰は禁忌だ。

神の子である神子を穢そうとした者は、神殿から破門され、神の国へ往く権利を奪われる。

そして邪悪な魔物として心の臓を破魔の剣で刺し貫かれ、永遠に輪廻を巡り、償わねばならない。


「オスカー……どの……それ、は、」


空気を求めて喘ぐように、リュシルは切れ切れに言葉を絞り出した。

神子の立場を、あるべき姿を、誰よりも理解しているからこそ、オスカーの言葉にリュシルは蒼白になるほど動揺したのだ。

誰かに聞かれれば、オスカーの首はあっという間に胴と離れ、未来永劫輪廻の中で苦しみ続けなければならないのだから。

けれどその動揺は、そのままオスカーへの感情の大きさでもある。


「リュシル様、あなたの信頼を裏切ってしまって、申し訳ありません。……けれど、私は」


十年の間に積み上げた信頼と友愛を、失うかもしれない。

そう思っていても、オスカーは、伝えずにはいられなかった。

たとえ永遠に苦しむとしても、後悔などしないと信じられた。


椅子から立ち上がり、リュシルの前に跪く。

ただの男が、愛する者に愛を乞うかのように、熱い眼差しで目の前の愛する者を見つめる。

そして、澄み切った気持ちのまま、禁忌の愛を口にした。


「初めてお目にかかった時から、私はあなたを愛しています」







まだ十代半ばの頃。

近衛騎士になったばかりのオスカーが、王太子であった現王とともに初めて神殿に上がった日。

清らかな雪がはらはらと降る朝に、神殿の静謐な湖で、リュシルは禊をしていた。

それは、たとえ王であっても侵してはならない聖域であり、邪魔してはならない神事だった。


屈強な男であっても凍えて震えてしまうほど冷たい湖の中で、ほんの十歳にも足らぬ年頃の少女が水を浴びていた。

そして禊を終えると、神を讃える歌を歌いながら、透明な水と戯れるように軽やかに舞った。


「アレが、我が国の要……我が妹にして、この国の神子。そして、次代の予言者だ」


どこか羨望の混じった声でポツリと王太子が告げた言葉に、オスカーはひとつ息を呑み、そして言葉もなく頷いた。


この世のものとは思えないような清らかさ、透明さ、静謐さ。

あまりにも美しすぎるリュシルに、一瞬でオスカーは恋をしたのだ。




「あなたを守る剣になりたくて、あなたを守る盾でありたくて、私は近衛騎士として務めておりました。王でもなく、国でもなく、あなたのために」


精一杯柔らかな声で告げながら、オスカーは内面の激情を押し隠していた。

近衛騎士として栄達を求めたのは、少しでも上に登って、王の側に居たかったからだ。

異母妹を気にかけている現王は、月に何度か護衛たちを伴って神殿に足を運ぶ。

けれど、リュシルの住まう神殿の奥まで伴う事ができる護衛は、一人だけだ。

『王の騎士』と呼ばれる、そのただ一人の護衛は、近衛騎士の中で最も能力が高く、最も王から信頼された者が選ばれる。

王の騎士としての立場を得るために、オスカーは必死になって努力したのだ。

リュシルに会うためだけに。




「この想いを受け入れられたいなど、身の程知らずな望みは抱いておりません。ただ、お伝えしたかったのです。この世界が滅んでしまう前に」


満ち足りた気持ちで告げれば、リュシルは白金の美しい眼球がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。


「……酷い方だ」


春の陽光のような輝く瞳に透明な涙を溢れさせ、幼子のように顔を歪めて、リュシルはオスカーを詰った。


「ご自分の心だけ、楽にして、そして、死を待とう、だなんて……随分と、身勝手ですね」

「リュシル様……?」


ポロポロと大粒の涙を零しながら、金色の瞳でオスカーを射抜くように見つめているのは、いつも俗世とは隔絶されたような静謐な空気を纏わせている、高潔で美しい神子ではなかった。

そこにいるのは、年相応に悲しみに打ちひしがれる、哀れな少女だった。


「オスカー殿……私も……、私は」


意を決したように、リュシルが強い意志の籠もった眼差しでオスカーを見つめた。


「いつもこの国と民のために剣を振るい、守ってくださったあなたを、……そして、あらゆる悲しみから私を守ろうとして下さるあなたを、ずっと、……ずっと、お慕いしておりました」

「っな、そんな、ばかな……」


止まってしまいそうなほど、どくんと跳ねた心臓が、ドクドクと高速で拍を叩く。

高揚に痛む胸を押さえて、オスカーは呻くように呟いた。


「そんな……奇跡、が」

「奇跡でも、なんでもありません。現実です」


信じられないとばかりに首を振るオスカーに、リュシルが苦笑して近寄ってきた。

床に跪いたままのオスカーの前にそっと膝をつき、視線を合わせる。


「私も、あなたを愛しております。オスカー殿」

「っ、あぁ、神よ!」


堪らず、オスカーはリュシルの華奢な体を思い切り抱きしめた。

神をも恐れぬ禁忌を犯しながらも、神の名を呼ぶ矛盾を意識することもなく、ただ腕の中の温かい体温に心を奪われた。

軽い体をそのまま抱き上げ、オスカーは立ち上がる。


「愛しています。ずっとずっと、あなたに焦がれてきた!あなたに触れたくて仕方なかった!」

「……っ、私も、ずっとあなたに触れられることを、夢見ておりました。こんな日が、来るなんて……っ」


耳元で囁けば、感極まったような震える声が絞り出された。

オスカーの心をかき乱す甘い声が、どうしようもなく愛おしい言葉を紡ぎ出すのだ。

もう、どうしようもなかった。


「どうか、私のものになってください」

「オスカー殿……ッ」


オスカーの情けない懇願に、リュシルはぐしゃりと顔を歪めた。透き通る瞳からぼろぼろと美しい涙が溢れ落ちていく。


「あぁ……あぁ、あぁっ!」


ぎりりと奥歯を噛み締めながら、リュシルが苦しげに胸を押さえて叫んだ。


「私は神子失格なのです。神の慈悲よりもあなたの愛を求めてしまう……あなたの熱を欲してしまう……!」

「リュシル様ッ」


その言葉に歓喜し、オスカーは足早に奥の寝室へと足を進め、柔らかな寝台の上へ細い体を横たえた。


「それを言うのならば、神子を穢そうとする私は、神をも恐れぬ大罪人でしょう。……けれど、神の怒りも怖くないほどに、愛しています。私の神子」

「オスカー殿……」


押さえきれない激情に、オスカーの視界が潤み、リュシルの無垢な瞳が揺らぐ。

懇願の眼差しでリュシルを見つめるオスカーの震えを止めようとするように、リュシルはそっと両手をオスカーの頬に添えた。

リュシルは一度恥ずかしげに目を伏せた後、これ以上ないほど幸せそうに微笑んだ。


「……あなたの手はきっと温かくて、あなたの胸はきっと大きいのだろうと、ずっと想像しておりました」


頬に触れていた両手をオスカーの首に回し、リュシルは躊躇いがちに抱きつく。

そして頬を赤く染めながら、夢を見ているかように呟いた。


「こんな幸せが、この世にはあったのですね」

「リュシル、さま」


寄せられた体から伝わる熱に、オスカーの腹の奥がどくりと脈打つ。

オスカーはリュシルの小さな体を思いのままに抱き寄せ、背骨を折りそうなほどに強く強く抱きしめた。

そして、尋ねた。


「神からあなたを奪っても、よろしいでしょうか?」


清らかな神の御子には、決して相応しくない問いかけを。けれど。


「ふふっ」


リュシルは幸せそうに笑いを漏らし、オスカーの耳元で甘い声で熱く乞うた。


「どうか、私をあなたのものにして下さい。……神のものではなく、あなたのものに」








十年分の思いの丈をぶつけるように、オスカーとリュシルは何度も何度も情熱的に抱き合った。


「愛しています、リュシル様。どうか、私のものになって下さい。……神ではなく、私のものに」


泣き出したいほどの祈りを込めて、オスカーは何度も同じ願いをリュシルの耳元で囁く。


「オスカー殿……っ、私も、あなたのものになりとうございます。私たちを救ってくれぬ神のものではなく!私を愛し、救って下さると仰った、あなたのものに」

「あぁ……リュシル様っ、リュシルさまッ……リュシルッ」


オスカーは箍が外れたように激しくリュシルをかき抱いた。熱く蕩ける体を重ね、深い口づけを交わすたび、リュシルが纏い続けていた人ならざる清らかな神気は消えていくような気がした。


「……あぁっ、わたしの、リュシル……ッ」

「オスカー……」


切れ切れに喘ぐリュシルの、快楽に溶けた瞳を覗き込み、オスカーは笑った。


「これで、私のものだ……」


清らかで高潔な神子など、もうどこにもいなかった。

オスカーの腕の中には、ただの愛おしい恋人が残ったのだ。




***




「っ、な、んで……」


生まれて初めて肌を合わせ、情を交わした、夢のように幸せな一夜だった。

二人揃って、世界が滅亡することに感謝したほどだ。

そうでなければ、互いの肌には触れられなかっただろうから。


けれど。


「ばかなひとだ」


ポツリと呟きながら、オスカーはリュシルの白い顔を見下ろす。


どうせ二人とも死ぬ。

なのに、何故。

何故、一人で先に死んでしまったのか。


昨夜、リュシルが「世界が終わるまで共にいて欲しい」と願ったのに、オスカーが一度城へ帰ると言ったからか。

必ず戻ると、すぐに戻ると言ったのに。

置いていかれたと、裏切られたと思ったのか。


「近衛将軍であり、王の騎士でもある私が、何も言わずに消えることは出来ないのです」


そう告げたオスカーが、リュシルよりも仕える王を取ったと思ったのか。

愛するリュシルよりも、リュシルを愛さないこの国を取ったと思ったのか。

あれほど、リュシルのために生きてきたのだと、伝えたのに。


「最後の日を、あなたと過ごさない訳がないじゃないか」


涙の跡の残る、青ざめた頬に口づける。

ほんのちょっぴり塩辛くて、少し前まで生きていたことが分かった。


あと、ほんの、数刻。

オスカーを信じて、待っていてくれれば。

ともに、死ぬことが出来たのに。


「予言者のくせに、なんでわからないんですか……あんなに、何もかも見通していたくせに……」


オスカーの目からも塩水が流れ落ち、恋人の青ざめた頬を濡らす。


どうして、どうして、どうして。


硬くなりつつある体を抱きしめながら、繰り返し罵って、ふと気がついた。


「……あぁ、もしかしたら」


純潔を失い、予言者としての資格を失ったから、分からなかったのだろうか。


これまで全てが見通せていたのに、急に全てが見えなくなって。

恐怖し、混乱し、そして見えないオスカーの心に絶望したのだろうか。


「……ばかな、ひとだ」


先ほどと同じ言葉を、少しだけ柔らかく呟いて、オスカーはため息をつく。


でも、たとえそうだとしても、肌を重ねたことを、後悔できやしないのだ。

あの肌に触れずにこの世が終わってしまうだなんて、触れた後の今となっては、想像もできない。

どこまでも甘い声、甘い肌、甘い汗、甘い体液。

脳を壊し、魂を侵食する、甘い甘い、リュシルの全て。

何度輪廻を繰り返しても忘れられそうにない、甘すぎる神の毒薬。


「ふぅ…」


小さくため息をついて、オスカーは最愛の恋人を抱きかかえたまま、椅子に座る。

持っていた袋から、ともに飲み干そうと準備してきた葡萄酒と毒薬を取り出して、グラスに注ぐ。


「じゃあ、リュシル様。……またいつか」


一息に飲み干して、腕の中の体に縋り付くように抱きしめる。

徐々に暗くなる視界、聞こえなくなる音。

死が近づいてくるのを意識しながらも、恋い焦がれた肌に顔を埋めて、オスカーは幸せだった。


どこぞの戦場で命を散らすよりも、よほど幸福で人間らしい死に方かもしれない、と笑う。


でも、できれば。

もっと長く一緒にいたかった。

もっとこの人に触れたかった。


「……これは、来世に期待、かな」


掠れた声で小さく呟いて、目を閉じる。

幸い、痛みも悲しみも苦しみもないという、神の国へ往く権利を剥奪されたオスカーとリュシルは、このまま永遠に輪廻を回るはずだ。

苦しみ、嘆き、もがきながら、いつまでもいつまでも。


(ははっ、そんな罰は、むしろありがたいな)


声が出せなくなったオスカーは、心の中で笑う。

目も耳も使えなくなったけれど、恋人の匂いは鼻腔の奥で香っている。

昨夜初めて間近で嗅いだ、心を揺さぶる、甘くかぐわしい香り。

オスカーを狂わせる甘い香気は、魂の記憶に刻み込まれているだろう。


(きっと次に会った時も、俺はこの人が分かるだろう……)


オスカーには確信があった。

これは、永遠の恋だ、と。


(……あいしてる)


これが恋じゃないなら、この世にきっと恋はない。














***





「神子様かわいそう……」

「あれ、泣いちゃった?ごめんね」


小説を読み終えた妹がポロポロと涙を溢し初めたので、僕は慌てて椅子から立ち上がった。


「大丈夫、物語だから」

「なんでお兄ちゃんの物語はいつも悲恋なの?悲恋にした方が簡単なんだろうけど、なんとか踏ん張ってハッピーエンドにしてよ。そこが頑張りどころでしょ?」

「たしかに。易きに流れていたかもな」


ぐすぐすと泣く妹の涙を拭いてやりながら、僕は苦笑する。僕の一番の読者は、いつもなかなかに手厳しい。


「次はハッピーエンドにするよ」

「お願いね」


趣味で書いている小説だが、妹が楽しみにしてくれるから、僕はつい寝る間も惜しんで執筆に勤しんでしまうのだ。


「あぁ、もう眠りなさい」

「うん……まだ居てくれる?」

「面会時間の終わりまでいるから、安心して」


何年も真っ白な病室から出られない妹の髪を、優しく梳きながら寝かしつける。十七になっても妹が兄の前で泣き、兄の寝かしつけを受け入れるのは、外との交流が少なく、身内に甘やかされ慣れている生粋の病人だからだろう。


「次の外出許可は、いつかなぁ」

「さぁ……来週の検査結果次第だろうけど」

「はやくお家に帰りたいなぁ」


か細い声の願い事が、ぎゅっと胸を締め付けた。


生まれた時から体が弱く入退院を繰り返す妹に、親はよく「なんでこの子が」「前世で何か罪でも犯したのか」「これは何の報いなのだ」と嘆いていた。

それを聞くたびに、僕は自責の念に駆られるのだ。


だって、僕は覚えているから。


()()で、僕と彼女が、神に禁じられていた自殺をしてしまったことも。

僕が聖なる人を犯し、神から奪ってしまったことも。


僕ら二人の罪が、彼女に病を強いているのかもしれないと思うと、胸が潰れそうになる。僕への罰としては本当に的確だ。だって僕は、彼女が苦しむのが何よりも辛いのだから。


「可愛いかわいい、僕の……」


眠ってしまった妹の額に、そっと触れるだけの口付けを落とす。青白い顔はいつもより更に生気が無く、彼女の不調には慣れた僕でも不安を抱かずにはいられない。


最愛の人はいつだって、僕より先に逝こうとする。けれど。


「今はね、医学ってものが発達しているんだ」


妹を治すために医者を志した僕は、来年から妹の病気に関して最先端の治療を行っている病院へ就職する。

いつかは妹の病を完治させる治療法を見つけてみせると心に誓っているのだ。


前世もずっとひとりで閉じ込められていたのだ。今世では誰憚ることなく外に出て、たくさんの友人を得て、たくさんの幸せを見つけて欲しい。そして叶うならば、僕とも時々遊んでくれたら最高である。


妹の()()で幸せな人生こそが、僕の望みなのだから。

僕と結ばれなくてもいい。前世でも今世でも苦しみばかりの妹が、愛する人と幸せな生を得られるのならば。


「……まぁ、まだ先だけれどね」


まだ幼い妹の寝顔を見て、クスリと微笑む。彼女が他の男のものになる日を想像して、感傷的になるのは早すぎる。


まずは、妹の健康を手に入れる。

そして完全で幸福な、兄妹としての日常を、だ。


「だから、待っててくれ」


僕は、いつか最愛のひとと並んで、太陽の下を歩く日を夢見ている。

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