第三章 登校、あるいは暗躍の相談事 その3
校長室から出て来た修助は、その足で屋上を目指した。
授業が始まっているこの時間帯で一番人気のない場所と思ったからだ。
実際、この学校には不良やサボりと縁のある生徒は少ない。
いない分けではないが、初っ端の一限目からサボる生徒は元から学校に来ないか、遅れて来るのが常だ。
故に、
「今の時間は、屋上は――」
修助は屋上の扉を開きながら、
「――無人」
その言葉の通り、誰もいなかった。
ただ、さんさんと輝く太陽が東側にあるだけで雲一つ存在しない。
ああ、全く腹立たしいの晴天だ。
「……そう思わないか……、玲奈」
「人がいるのを前提に話しかけないでよ。それに、これであたしがいなかったら阿呆もいいところよ?」
「うるせぇよ」
そう言いながら修助は振り向き、視線を若干、上げる。
そこにいるのは純白の白衣を上半身に、真紅の緋袴を下半身で包まれ、漆黒の長髪をポニーテールに結んでいる女性――神崎玲奈がいた。
玲奈は出入り口の上に足を投げ出し、腰かけている。
「御機嫌ようだ、神崎玲奈。……相も変わらず眩しい格好だな」
「黙りなさい上代修助。というかこの格好はいわばサラリーマンのスーツ。警官の制服。医者の白衣と同義語なのよ」
だいたい、
「あたし以上に極まった人は、三十路過ぎても処女で巫女服よ」
修助は二、三度、目を瞬き、
「……マジか」
とても、信じられないという声色で告げた。
「ええ、大マジよ」
そんな修助に玲奈は神妙な面持ちで頷いた。
「世も末、というかそこまで保っちゃてると男としてはもはや、重いというか、手が出し難いな……」
「あら、手を出す気?」
「どんな人物かも知らないで、何も公言できるかよ。……それとも何だ? 紹介でもしてくれるのかよ」
「その気もないし、その暇もないでしょ。特に今の現状じゃあ」
「んじゃま、その現状の確認だ……、説明を頼むぜ?」
「はいはい」
一呼吸置き、玲奈は今までの経緯を話し始める。
「事の発端は一週間ほど前までさかのぼるわ。政府から依頼を受けていたあたしは関東近隣を虱潰しに調べていたの」
「依頼って何だよ?」
「少しは守秘義務っていう言葉を覚えなさい。まあ、話すけど」
「いっといて話すんかい」
「必要となれば情報開示の許可は得ているわ。話を戻すけど、政府からの依頼内容は“国内に侵入したと思しき上位魔族の捜索”というものよ」
「若干曖昧じゃね? つーか、そういう依頼は人海戦術が得意なお前の実家に頼むのが筋じゃねぇか?」
「あたしがいった言葉を思い出しなさい。」
「ん? ああ、思わしきだったか、つまり確証はなかった分けだ」
「その通り。実家は腐っても鯛、つまりは名家よ、不確かな情報で動かすには少し値が張り過ぎる」
「んで、木端よりは値が高いがそれでも安く腕が確かな玲奈に白羽の矢がたった分けか」
「ええ。それであたしは各市町村を調べる際にその市などにいるフリーランスの拝み屋なんかに断りを入れつつ、霊力探査を行っていたんだけど……、そこに引っかかったのがモノがあったわ」
「それが、巴か?」
「いえ、件の魔族よ。……多分ね」
「……狙いは巴か?」
「恐らく。私見としては行きがかりの犯行とは思えないわ」
「うーん、巴に狙われる理由があると思うか?」
「それさえも分からないわ。彼女が偶々、魔族の目的に合致したのか、彼女じゃなければいけなかったのか……、情報が少なすぎよ」
「それで、あれからの成果は?」
「お手上げね、何の痕跡もなし。けど、これだけ探しても何の成果もないとすると、そういう雑務に適した魔族がいると判断するべきだと思うわ。あたしが遭遇したのは前線戦うのが得意とするタイプだがら……」
「上位クラスが少なく見積もって二体……か」
全く持って度し難い、とこぼす修助。
「相手さんの最低人数が絞れただけで他は分からないに等しい……か」
溜め息をつく。
「玲奈、引き続き情報収集を頼むわ。あのお嬢さんについてはこっちに任せろ」
「了解よ。何も掴めなくても近い内にまた来るわ。……あの子の事、よろしくね」
「いわれるまでもねぇ」
そういう修助に微笑みながら玲奈は姿を消した。
○ ○
意外と時間が経っていたのか日が大分、昇っていた。
(だけど、時間の割に収穫はゼロに近い……、か)
面倒臭いと思いながらも、既に乗りかかった船だ。降りる気はない。
もし、降りるのならば――、
(巴も連れて行かないとな)
その場合、先のないただの逃げるための逃避行になりそうだな。と修助は苦笑した。
やれやれ、分からない事が分かった。という実入りの少ない状態に溜め息を付きながら、修助は階段を下り、片手間に携帯から狭山里香にメールを送る。
内容は巴のいる場所だ。
巴が居そうな所は複数個所、予測が付くが、それを全て虱潰しに回るのは流石に無駄が多すぎる。
そう考えている間に返信が来た。相変わらず、仕事が早い。
[巴さんは宿直室で眠っています。保健室でもよかったのですが、あそこは流石に人の出入りが激しいので止めておきました。]
巴への呼称が柄本さんから巴さんになっている事に修助は若干、首を傾げたが、まあ、玲奈と話している内に仲良くなったんだろうと当たりを付けた。
狭山に礼のメールを送り、修助は足早に宿直室を目指した。
○ ○
「失礼するよ」
宿直室の前に着いた修助は、そう言って扉を開く。
扉を開けて右に見えるのは小さなシンクとガスコンロだ。シンクは若干、水垢が見えるな。この分だと他の場所も汚れてそうだな。と考え、修助はこの事を会長に言っておこうか如何か一瞬、考えたが面倒なので無視する事にした。生真面目を絵に描いた様な会長が放置しておくとは思えないので、気付いていないか生徒会の管轄から外れているかのどちらかだろう。
「と、言うかここは宿直室だから、管轄は教師か用務員だよな?」
じゃあ、仕方ないなと言って修助は歩を進める。流石に八十越えのじー様に誇りを持って何から何まで完璧に仕上げろと言うのは厳しいを超えて、もはや老人虐待の域に近いと思うからな。
靴を脱ぎながら修助は宿直室に上がる。
視界に入るのは安アパートを彷彿させる畳張りの部屋だ。窓から見えるのは中庭の様子が見て取れる。
その部屋の中心に敷かれ布団で巴は眠っていた。修助の事など気付きもせずに、スヤスヤと安らかな寝息を立てながら微動だにせずに。
修助は眠っている少女の横に座り、その寝顔を何となしに眺める。
髪と肌。黒と白のコントラスト。整った顔立ち。
一般人とはいえ、噂になってないのが不思議なくらいの中々の美しさだった。
「それに突っ込みもこなせる」
ふむ、出来る女とはこういう奴の事を言うんだな。と間違った方向に納得する修助。
「……変な相槌で何を言ってるのよ」
目を瞑ったままの少女は、目を開けずにそうつぶやいた。
「起きてたのか?」
「生憎と気配には敏感なのよ。……あれから」
巴の言葉を聞いた修助は眉をひそめ、あーやら、うーやら、呻き、最終的には、
「悪ぃな」
頭を下げた。
それを見た巴は軽く目を開き、そしたとても可笑しそうに笑った。
「随分としおらしく謝るわね」
「うるせぇよ」
クスクスと笑う巴に若干、口をへに曲げる修助。
拗ね気味だったが、巴の笑顔に陰りがないの見て、まぁいいかと思い直した。
「それで……、これから如何するの?」
「取り合えず家に帰るぞ。これからのそれからだな。飯を食うにしても、何をするにしても」
修助はそう続けていたが、家に帰るという言葉が出た時点で、巴は後半をほとんど聞いていなかった。
「どうした?」
「いえ」
ただ、
「ただ?」
「ええ……、ただ、修助さんが余りにも……、余りにも普通に家に帰るって言ったから……、貴方の中であの家は、私の帰る場所にもなっていたみたいだから……」
それが少し嬉しくて、悲しかったの。
泣くでも怒るでもなく、少女はただ静かにそう漏らした。
瞳から一滴の涙が零れた。
ただ、それだけだった。
「…………」
修助は目の前の少女を見て、何かを言おうとして、二、三度口を動かしてはすぐに閉じを繰り返して、最終的には右手で後頭部を掻き毟る様に動かした。
ここで何か口にするのは容易い。例えば自分の出来事、子供の頃とはいえ、もっとも愛おしい者が殺された時の話――、とかだ。
しかし、意味がないと思う。人の心にかかわる事は相対的な部分が占める割合が多いと修助は考える。他人には取るに足らない問題でも、自身にとっては重要かもしれないのだ。
それに、目の前の少女は強い。家族の死から、恐らくだが一週間は経ってはいないだろう。この少女の現状を見て薄情と罵る莫迦が居るのなら、そいつは俺が殴り飛ばそう。
そう考えたところで、修助はふと我に返って、内心苦笑した。
入れ込んでいる。自分の現状を正しく分析した。
何故? 似ているから?
否、あの子は金髪、彼女は黒髪。瞳は黄金と漆黒。無邪気と真面目。
違いすぎる。
では何故? そう思って、再び苦笑。
「……?」
目の前の巴が不審に思っているが、修助は取り合えず無視。
そして、こう結論付けた。
即ち、
「感情を理屈で説明しようとしても意味がないな」
「は?」
何でもないよ。そう言う修助の顔には笑みが張り付いていた。
「何なのよ一体」
「いや、何ね」
一瞬、何もかも言って仕舞おうかと思ったが、それは恥ずかしいなと考えた修助は、
「家って言った事を否定してくれなくて良かった……、そう思っただけだよ」
巴が咳払いをした。頬が若干、赤く染まっている。
照れているのだ。
頬の熱を無視するように巴は早口気味で口を開いた。
「そ、それで、本当に帰るの?」
「ああ。さっきまでは学校の見学でもしようかって考えてたんだけど、大事を取る事に決めた」
「私なら大丈夫よ?」
「疲れてが出て寝ていた奴がよく言う」
それを言われると痛い。と思った巴はそれ以上の何も言わなかった。
「んじゃま、先に裏門の方に行っててくれ。俺は校長室によってから行くからよ」
○ ○
「そんなこんなで帰るわ」
「いきなり過ぎますが……、まあいいでしょう。手続きは近日中……、早ければ明日までには終わらせておきます」
「ああ、よろしく頼むわ」
それではと別れの挨拶をしようとしてふと千場は気が付いた。
「そういえば、どうやって帰るのですか?」
「行きと同じだ。つまり、ママチャリだな」
ふむ、と千場は頷き、しばし考え、そして、
「上代君、送りますのでこちらの出す車にどうぞ乗ってください」
「んあ? まあ、出してくれるんなら是非もねぇけどよ……」
煮え切らない修助に千場は若干、首を傾げ、
「何か問題でもありましたか?」
「運転は誰がすんだよ」
「それは勿論、里香君です」
「つまりはまた軽いお小言を聞く羽目になるんだな」
凄いな。という修助の言葉を聞いて、意図的に無視していた未来を知らされた千場は身体から全ての空気を吐き出すような、重い重い溜め息をついた。
「全く、あえて考えない様にしていた事をわざわざ指摘しますか?」
「現実から目を背けても仕方がないだろ?」
そんな事は分かっています。そう思いながらも溜め息しか出ない千場。
「ですが、日に何度も里香君と遣り合うは老体には少々堪えるもので……」
「……少し穿った聞き方をするとエロく聞こえるな」
千場はその言葉を脳内で反芻し、
「たしかにそう聞こえますね」
「淡白な反応だなあ……、もうちょっと、こう、何と言うか……、テンション上げて行かない?」
「だから、そういうのがキツイというのに、テンション上げて行けますか」
そうかい、と如何でもいい風に修助は答えた。
「ああ、ママチャリは如何すればいい?」
「そうですね、後で誰かに届けさせますよ」
「了解だ」
そう言って校長室から出ようとする修助。
「それでは巴さんによろしく。ついでに上代君も頑張って下さい」
「俺はついでか?」
「ええ、頑張れと言わなくても君は頑張るでしょう?」
修助は千場の言葉を聞いて肩をすくめ、そのまま部屋を出て行った。