第三章 登校、あるいは暗躍の相談事 その2
「さてはて、何か随分と脱線したな」
「まあ、一例だとしてもギャップが激しいですからね」
「確かにな。で、えーと……、何処まで話たっけか?」
「神崎さんが貴方に柄本さんを任せた理由の予測の内、一つは聞きました」
「そうだったな。……んでだ、もう一つは……」
修助は椅子に少し納まりが悪くなった身体をズラした。
「玲奈でも手に負えない相手がいた……とか、かな?」
「それは一大事でなくても、かなり問題なのでは? 僕の記憶が確かなら……、彼女は日本でも有数の退魔師の筈ですが……?」
「ああ、間違いない。玲奈は確かにこの国有数の退魔師だよ。……………………実家はそれを認めないがな」
修助は若干の苛立ちを含みながらポロリと言わなくてもいい事をこぼした。
「何か言いましたか?」
いや、べつに。と何も言ってない様に取り繕った。
らしくない。自分の状態をそう判断した修助は、意識して気分を変えた。
「まあ、最悪を想定した場合、俺かアルマのどちらかが近くにいた方がいいっていう事になってなあ」
溜め息を一つ。
「消去法で考えなくても、二択で片方は大学生で片方は高校生だからな」
「大学なら入りやすいのでは?」
「それは向こうも入りやすいって事だろ? だから消去法で俺が近くにいる事になったんだよ」
「普段なら門戸が広いことはいい事何ですけどね」
「いい事が何時もいい結果をもたらすとは限らないだろ?」
「おや、高校生にしては中々の至言を……」
「下らない世辞は止めろよ校長。……それよりどうなんだ? やるのか? やらないのか? ……答えてくれよ千場吉郎校長」
修助は千場を真っ直ぐに見据える。
そんな修助を千場も目を逸らさずに見る。
数呼吸の間の後、先に口を開いたのは千場だった
「……出来ない……とは言わないんですね」
修助は問いに対しての答えを口にしない。
言うのは、
「こんな事くらいなら楽勝だろ?」
という一言のみだった。
その言葉を聞いた千場は、くの音を数度、連続して響かせ、とても楽しげな表情を顔に表していた。
巴が不安げに二人見ているが、あえて指摘はせずに言う。
「こちらの事情は無視で、自分の都合ばかり押し付けて……、まったく」
千場は溜め息一つ。
「いいでしょう。後はこちらに任せて下さい」
え? と言うつぶやきを二人は聞いた。
修助は驚いている巴を呆れ顔をしながら見る。
「え? って何だよ。そんなに意外かよ。校長がお前を受け入れたのが」
「だって!」
巴が身を乗り出し、叫ぶ。
「だって、いきなりよ!? いきなり転校させてくれって言って実際にしてくれると思う普通ー!」
「いえいえ、気になさらないで下さい。確かに色々複雑な事情があるのでしょうが……」
ですが、
「僕も男です。……困った女性は放っておけないんですよ」
その言葉を聞いて巴は乗り出していた身体を元の位置に戻し、更に体重をソファーに預けた。
全ての力を弛緩させるように。
何故だか、涙まで出てきそうになって、巴は慌てて右腕で目を隠すように顔へとやった。
それを見た千場は、素早く手元の電話を受話器を取り、内線でコール。二、三言葉を交わして、直ぐに受話器を元に戻した。
「巴さん、朝早くから大変でしょう。別室で少し休んでは如何でしょうか?」
巴は千場の言葉に素直に頷いた。
そして、数十秒と経たないうちに女性が校長室にやって来た。
「巴さん、こちら僕の秘書を務めてくれている狭山里香さんです。……里香さん、こちら柄本巴さん」
「どうも、狭山里香といいます」
「あ……、柄本巴です」
平坦なトーンの声色を響かせて里香は巴に挨拶をした。
それに答える形で、巴が挨拶を返す。
二人の挨拶が終えたところを見計らって千場は里香に声をかけた。
「さて、里香さん」
「何ですか校長。朝食なら先程、食べたばかりですが」
「いや、食事の事で呼んだ分けじゃあ、ないんです」
「それならば来週のPTA代表との会合と言う名の食事会の事についてですか? 全く、出たくないなんて我がまま言わないで下さいよ」
「いや、確かに出たくないけど……、と言うかあの人、香水の匂いがキツくて僕、苦手何だよね」
「香水の使用目的は本来、風呂に入らないで生じた体臭を誤魔化すための物ですから……」
「えーと、つまりはあの人は、その、人より少し体臭が……」
「代表は体臭がキツイのでしょう」
「いや、里香さん、もう少しオブラートに包んで……」
「くっさい物はくっさいんですから仕方がないです」
「里香さん!? と言うかさっき以上に物言いが直接的かつ辛辣に!」
「あの人と少し話すだけで服に臭いが移るんですよ? やってられません」
「あー、分かりましたよ。……何かしら公的な理由であの人と一緒になった場合、必要経費としてクリーニング代は許可しますよ」
「本当ですか? 有り難う御座います」
「ただし、立ち話程度では経費は発生しませんので」
「……ケチですね」
「なにか言いましたか?」
「いえ別に。……それはそうと、校長。一体どのようなご用件で?」
ん? ああ。と千場は今更ながら、彼女を呼んだ理由を思い出した。
「ちょっと、巴さんを休ませてくれませんか? 少し、疲れている様ですから」
「……そういう事は早く言って下さい」
「出鼻をくじいたのは誰ですか、一体」
「さあ、柄本さん、こちらへ」
「え? いや、その……」
漫才の様な事をしていた二人の内の一人から、いきなり声をかけられた巴は、何かを言おうとしてしどろもどろになってしまった。
助けを求める視線を修助に向けるが、当の本人は気にせずに行けというアイコンタクトを巴に発射した。
「……そ、それじゃあ……、お世話になります」
○ ○
狭山が巴を伴って校長室から退室した。
賑やかだった室内が一変して静まり返る。
次に口を開いたのは千場だった。
「さて、改めて聞きますが、彼女は何者ですか?」
「んな事は知らん」
千場の問いかけに、修助はにべもなく断じた。
その返答に千場は眉をひそめ、苦言をていする。
「知らんじゃ済まされませんよ上代君。仮にもこの学校に転校させてくるんですから」
「知らんもんは知らん。」
「じゃあ、何故神崎君は彼女に君を頼る様に言ったんですか?」
その問い掛けに修助はしばし、中を睨み、
「俺が一番近かったってのがオチじゃねえの?」
先程と同様で、一番しっくり来そうな答えを告げた。
何とも言えない空気が校長室を流れる。
「…………」
「…………」
「……先程も思いましたが、あり得そうで怖いんですが」
「知ったこっちゃねえ」
「つれませんねぇ」
肩をすくめながらこの学校の責任者はそうつぶやいた。
しかし、修助にとって神崎玲奈が巴を自分のところにやった理由はさしたる問題ではないのだ。
守る。と、そう決めたのだから。玲奈の思惑や千場の頭痛も修助にとっては、まさしく“他人事”なのである。
頭痛がしそうな頭を押さえる千場を尻目に、修助はソファーから立ち上がる。
「んじゃまあ、ちょっくら巴の事をよろしく頼むわ」
「まあ、校内で何かあったら学校のせいになりますから、ね」
どこへ行くのですか? と千場は言外に尋ねた。
「余りにも情報がなさ過ぎるからな……、何とか玲奈と連絡を取ってみようかと……」
「是非にもお願いします」
素早い返しだった。
そんな千場に苦笑しながら、修助は千場に背を向け、ひらひらと頭上の高さまで上げた手のひらを軽く振りながら退室していった。