第二章 目覚めからの会話 その3
十分後。
修助が冷蔵庫から持ってきた烏龍茶で喉をうるおした巴は、飲み干したコップを勢いよくテーブルに置いた。
置く、と表現するには少々、高く硬質な音が響く。
巴はその勢いで目の前の二人を下から見上げるように睨みつける。
オーバーアクションで動いたせいか、後ろの方向に流している頭頂部の髪が顔を隠すように前へと流れた。
顔を隠すように流れた髪とその隙間から見える瞳。
往年のホラー映画の如く、巴は普通に怖かった。
(フフ、どうかしら。学園祭の時、クラスの出し物でお化け屋敷をやったときに入った客、入った客を軒並み恐怖の坩堝に落とした私の眼光は!)
ちなみに、その時得たあだ名は”恐怖の女王”だ。
そのまま恐怖の女王と呼ばれる事が多いが、文化系の部活である漫研やアニ研の一部では”レディ・アンゴルモア”と呼ばれる事もあった。
その”恐怖の眼光”であるアンゴルモア・アイを受けた修助とアルマの二人は。
「茶がうめえな」
「インスタントですが」
「そこまで舌は肥えちゃいねえからな。こんなもんで十分だ」
アルマはどうなんだよ? と烏龍茶を飲みながら視線で訪ねる修助。
「好き嫌いはしない性質なので」
へー、と修助は気の抜けた返事を返した。
当然、巴の方など見向きもしない。
(なっ、なんて事。まさか私の”恐怖の眼光”が効かないなんて……。世界は広いわね)
内心で無駄に打ち震えながら巴は自分が井の中の蛙である事を実感していた。
果てしなく意味もない事柄だが。
「んじゃ、脱線はこの辺りにして……」
話を戻そうとして、
く~。
と言う可愛らしい音を聞いた修助は苦笑しながら、
「メシにするか」
別方向に話を脱線させた。
そんな言葉に巴は顔を赤く染めながら、テーブルに顔を突っ伏していた。
「もういやぁ…………」
心からの呟きだった。
○ ○ ○
「……ん、こんなもんか」
そう言って修助はうどんを丼に移していく。その後、汁を丼に入れ、白菜、牛肉をその上に乗っけていく。
そして、
「完成。適当うどん」
その調理過程を見ていた二人曰く、
「……随分と手慣れているわね」
「修助さんはわたくしの知り合いの中でも一番料理が上手ですから」
などと話し合っていた。
そんなこんなで、流しに使用した鍋やお玉を突っ込んで、水に浸し、残った食材を冷蔵庫に仕舞った。
「出来たぞー」
そう言いながら修助はお盆に三つの器を乗せながらテーブルにへと戻って来た。
「味は麺つゆで、うどんは柔らかめだ。……ほれ」
「あ、有り難う」
「お箸はコレを使って下さい」
「あ、どうも」
「じゃあ……」
修助が両手を合わせる。それを見てアルマが自然と手を合わせ、巴が少し慌てながらも二人に追随した。
「頂きます」
「頂きます」
「い、頂きます」
食事が始まった。
○ ○ ○
巴はまず、麺に箸をつけた。修助が言った通り少々柔らかめのうどん。それを数本程、箸で摘み、啜る。
程よく麺つゆが染みたうどんはここ数日、ろくな物を食べてなかった巴は空腹も手伝ってか、
「……美味しい」
殊の外、美味いと感じていた。
そして、今まで認識出来なかった空腹が分かるようになると、かなりの勢いで食べ始めた。
勢いはまさに怒涛だ。
麺を摘まむ、口に付ける、啜る。その工程を数度、繰り返した後、巴はおもむろに丼を両手で抱え、汁を飲み始めた。二度三度と汁を飲み、満足したところで、丼を置く。
その後に手を付けたのは、白菜だ。白菜は麺つゆが染みこんでいて縁が若干、茶色い。
巴は二、三枚程摘まむと、それを一口。数度、咀嚼するとそれを飲み込み、ほふ、と言うため息を吐いた。
次に手を付けたのは肉だ。何の下ごしらえもしていない肉だが、麺つゆが若干染みこんでいる以外は普通の牛肉だ。しかも、少々煮過ぎたのか、一寸ばかし固いと言ってもいい肉だ。
しかし、それが美味しかった。まるで、日曜の昼食時に母が出してきた手抜き料理の様で。
「……ず」
巴は鼻を啜り、ジャージの袖でまた溢れそうになった涙をぬぐった。
ジャージの繊維が少し痛かったが巴は無視した。
「…………」
「…………」
修助とアルマは何も言わない。ただ淡々と自分のうどんを食べている。
巴はそれがとても有難かった。
とても有難かった。
○ ○
数日ほど何も食べていないに等しい巴だったが、ぺろりと食べ尽くしていた。
はぁ、と溜め息を一つ付き、器と箸を置いた。
そして、両手を合わせて、
「ごちそうさまでした」
そう言って、身体を緩ませ、椅子に体重を預けた。
「お粗末さまだ」
だらんと力を抜いている巴を見て、苦笑しながら修助は巴の丼と箸をお盆に乗せる。
「はい」
「おう、ありがと」
そう言って、アルマが差し出してきた丼と箸を受け取る修助。
丼は二つとも汁まで綺麗に飲み干されていた。
「綺麗に食べたなぁ」
「それは貴方もですよ、修助」
「…………」
アルマの言葉に肩をすくめる修助。
否定はしない。実際に、修助の丼も汁まで綺麗に飲み干されていた。
○ ○ ○
「さてっと。……んじゃ、どうするかねぇ」
話に区切りを付けた修助はそう、周りに問いかけるように言った。
「彼女を守るのでしたら、やはりここに匿うのはどうでしょうか?」
「それじゃジリ貧だろう。それにずっと閉じこめておくのか? それこそストレスが溜まるぜ」
「あの……、少しくらいなら私は大丈夫だけど」
「「却下」」
巴の進言は、にべもなく拒否された。
修助とアルマの二人に。
「え? 何でよ!? と言うかアルマさんまで反対なのは納得がいかない!」
「納得がいかなくても却下です。と言うか、わたくしもその辺りは考慮外でした」
すみません、とアルマは言葉とともに修助に向かって頭を下げた。
巴はますます分けが分からない、という表情を露わにして修助を睨み付ける。
曰く、説明しろ。
その視線を受けた修助は後頭部を軽く掻きながら、溜め息をついて、巴の方に顔を向ける。
「少しくらいって事ならもう十分だろう」
「……?」
「……心身ともに、もう必要以上にストレスを受けてるんだから、これ以上のストレスはかけるつもりもないし」
一呼吸の間。
そして巴の眼を見据え、
「かけさせたくもないんだよ。俺的には……な」
そう言った。
○ ○ ○
一秒が立ち、十秒をへて、三十秒に達した頃。
巴の思考が修助の言葉の意味を理解したところで、
「…………っ!」
巴の顔が朱に染まった。
「~~~~」
何も言えなくなった巴は、そのままそっぽを向いた。
そうしなければ際限なく顔が赤くなっていきそうだったからだ。
○ ○ ○
「さてっと、基本方針が決まったところでだ」
修助は部屋を見渡すようにしながら二人を見る。
「学校に行っているあいだ、巴はどうしようか?」
「やはり、わたくしかそちら、どちらかへと連れていくしかないのでは?」
「いえ、私はここに置いてもらえれば、それで……」
「やっぱりそれしかないかなー」
無視かよ、と巴は呟くが二人は聞こえててあえてその言葉を無視した。
「大学……は、流石に無理すぎるからやっぱうちの高校かなー」
「そうなりますね。大学はその性質上、部外者だとしても校内に入りやすいですから。……閉鎖的な場所である高校でしたら部外者の侵入の心配は少ないですし、別の手段を取れば気づかない貴方ではないでしょう?」
問いかけながらアルマは、薄く笑みを浮かべ、横に座る修助を流し見た。
そして巴は、
「無視された! 話の中心は私の筈なのに無視された!!」
無視された事に対して文句を言いながら、烏龍茶をおかわりをコップに注いで、グビグビと飲んでいた。
何かやぐされている雰囲気を出している巴だが、そんな彼女を二人は華麗に無視した。
別ベクトルで巴にストレスを与えているように思えるが、それはそれ、これはこれである。
「けど、巴は十四だろ。その辺りはどうすんだ?」
アルマは顎を左指で添えるようにして反対の腕で左の肘を支えるようなポーズを取り、しばし考え込んで、
「巴さん、貴方が通っていた学校は藤崎学園で間違いないですね?」
「え? えっと、確かに私が通っていた学校は藤崎学園だけど……」
でもなんで? と、どうして私が通っていた学校の事を聞くのかという疑問と、何故私の通っている学校を知っているのかという二重の意味での疑問を投げかける巴。
アルマは苦笑しながら、
「貴方の服を着替えさせたのはわたくしですよ?」
「あ、なるほど。よく知っていたわね。凄いわ」
「まあ元々、貴方の通っていた学校を知っていたわけではなく、着替えさせた後にこの辺りの学校を手当たり次第に調べただけなんですけれど」
「あれー!? 純粋に凄いと思ったのに! 返しなさいよ私の賞賛を!」
「あらあら、無料でくれた物にはクーリングオフと言う概念はないんですよ?」
「くっ、なんて盲点! いえ、無料故の難点といったところね!」
「ところね、じゃねえよ。はよ話を進めろ」
はいはい、とアルマはおなざりに修助をなだめながら話を戻す。
「ちょっと、待ってて下さい」
しかし、言ったそばからアルマは席を立ち、リビングから出ていったしまった。
「……」
「……」
「……何処に行ったのかしら?」
「……あの部屋は俺の私室だ」
無断侵入と言う言葉が巴の頭をよぎる。
「えっと、いいのかしら? 勝手に入っちゃって」
「別に構わねえよ。これがアルマ以外なら文句の一言二言は言ったかもしれねえが……、そこはアルマだしなあ」
まあ、平気だろう。と修助は本当に大丈夫だろうと言う声色と表情で言った。
そこに無理は一切なかった。
「信用しているのね」
「それもあるが、信頼もしているからな」
「……」
「ん? どうした?」
「何でもないわよ……」
そう言いながら、そっぽを向くようにしてアルマが出ていった扉を見る巴。
その頬はほんのりと赤く染まっている。
(まったく、何なのよコイツ。……よく恥ずかしげもなく言えるわね)
修助のストレートな発言に照れてしまった巴は、頬の赤みを隠すよう扉を見つめている。
それほどの時間は経っていないのだが、巴の体感では十二分に長いと言える時間が経った頃、ようやくアルマが扉を開けて戻ってきた。
「お待たせしました。……巴さん、こちらをどうぞ」
そう言ってアルマが巴に手渡したのは、複数の教科書だった。
「数学に国語。英語と世界史ね」
「少し、見て貰えませんか?」
「…………」
数学の教科書を手に取り、パラパラとめくりながら流し見る。
「どうです?」
「……うん、これくらいなら、まあ、分かるわ。多分」
「他はどうですか?」
「そうね……。国語は、まあ感性や語録の問題が大きいから……。けど、読み書きさえ出来れば後は何とかなると思うわ」
「残りの二つに関してはどうです?」
そうね。と呟きながら巴は英語と世界史の教科書を流し見る。
「英語は……、習っていないところもあるから、少し予習しなきゃ駄目だと思うけど、無理をしなきゃいけない程じゃあないと思うわ」
それで、
「世界史は、この系統は基本的に暗記系になるから、教師にもよるけど、全部暗記すれば大丈夫よ。多分……、ね」
総合的に判断すれば、
「高校一年生の教科書だし、進学校でもないから問題は……、うん、コレくらいなら問題ないわ」
「そうですか。それは行幸です」
巴は微かにだが、確かな自信を込めた笑みを浮かべた。
アルマもその笑みに答えるように、優しく微笑む。
そして、その二人を見ていた修助は、ジト眼で二人を見ていた。
「へーへー。確かに内の高校は門戸が広い分、偏差値も低いですからねー。進学校に通っている優等生さんには簡単な問題でしょうよ」
「何よ嫌味?」
「どちらかと言えば、醜い嫉妬だと思うよ」
自分で言うか普通と呟きながら巴はジト目で修助を軽く睨む。しかし、何処吹く風と言わんばかりに修助は無視した。
「では、巴さん。貴方は二、三日中に修助さんの教科書を使用して予習復習を行って下さい。修助さんは学校の方への偽装工作をよろしくお願いします」
「……偽装工作って、そんな簡単に出来るものなの?」
「普通は出来ねえよ」
修助の声色には自分なら出来るという色が見えた。
「つーか、うちの校長はそういう、いわゆる”裏”の事情には理解があるからな。ちゃんと説明すれば協力してくれるさ」
そうなの? と疑問を呟いた巴は次の瞬間、眉を盛大にひそめた。
「……ねぇ」
「あ? どうした?」
「まさかとは思うけど、あなたの高校ってそのいわゆる”裏”の関係者が集まる学校って事はないでしょうね?」
巴の言葉に修助は苦笑しながら、
「いや、流石にそれはねえって。……多分」
「多分て言った! この人、多分て言った!」
「絶叫ネタ多いな、お前」
半目になってジトっと見つめる修助だが、巴は容赦なく無視する。
「まあ、これ以上の要請は贅沢以外の何物でもないから……、ね。我慢するわよ」
「だったら俺はその我慢が思春期女子のダイエットレベルにならないように祈っておこう」
「畜生、攻撃が止まねぇ!」
キャラがブレてるなー、と思いながら巴を見ている修助。
(いや、まだ巴と出会ってから一日も経ってねえじゃん)
実際には出会ってからの大半を寝て過ごしていたので、巴と実際に言葉を交わしたのは、
――初対面の時の数十分と起きてからの今までの数十分。
端的に言えば一時間を経過しているかも怪しいという事になる。
(まあ、その計一時間程度の会話が相当、濃密だったてーことで)
つまり、
「濃い味系……!」
「また、意味の分からないことを」
「あ? つまりはお前のことだよ」
「一体何時味見した――!!」
「倒れたときは、まあ、香ばし系でしたよ?」
「思わぬ方向からの攻撃が――!!」
とりあえず修助とアルマは、巴の脳内プロフィールに”絶叫キャラ”と言う単語を書き加えた。
巴にとっては甚だ不本意な追加情報であった。
はあ、と巴はかなり疲れが含まれた溜息をついた。
「溜息つくと幸せが逃げていくぜ?」
殺してやろうか、と殺意を抱いた巴だったが、何とかそれを飲み込むために深呼吸をする。
二度、三度と行い、どうにか精神を安定させる。
「それは置いといて」
「無視かよ……」
「置、い、と、い、て! これからどうするのよ?」
んー、といいながら修助は天井を見上げ、よしと呟き、
「巴、俺と一緒に学校に行くぞ」
「え? 今から?」
おう、と打てば響く鐘の如く答える修助。
修助の提案にアルマはとっさに反対しようとするが、考えを改める。
「いえ、確かにいい案かもしれません。むしろ、ここで巴さん一人を置いていくよりは、余程ベストな選択です」
「そうと決まれば準備だな。……巴、お前はシャワー浴びてこい。アルマは巴の着替えを頼む」
「修助さんはどうするのですか?」
「俺か? 俺は……」
修助はコップや烏龍茶の入ったボトルを持ち、
「弁当の準備だよ。さあ、急げよ? 時間は七時だ。八時には家を出たいからな」
さあ、
「行動開始だ」
そうして、三者は三様の動きを始めた。