第二章 目覚めからの会話
そうして柄本巴は目を覚ました。
○ ○ ○
巴の身体はバネ仕掛けの如き勢いで掛け布団を跳ね飛ばしながら起きた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
呼吸が荒く、動悸も激しい。
座り込んだような体勢の巴は脂汗をかきながら、胸を服の上から握りしめる。
胸が痛い。まるで心臓が爆発しそうなほど動いている。
巴は上半身を前に倒し、足にかかっている布団に顔を擦りつけるようにしながら、二、三小さくつぶやいた。
どのくらいの時間そうしていただろうか。
巴は、詳しくは分からなかったが少なくても数十分以上たっているだろうと予測した。
今更ながら、巴は自分がいる場所の確認を始めた。
辺りを見渡す。
部屋はベッドルームなのだろう。自分が寝ている品のいいセミダブルベッド。備え付けの大きめのクローゼット。
どれもこれも、何一つ見知った物はなかった。というか自分が使っていた物よりもセンスもいいし、値段も高そうだ。
(こういうところで値段云々が出る辺りが育ちの差が見えるわね)
自分のことをまるで他人事のような口振りで思いながら巴はため息をつき、視線を下に向けた。
寝間着が見えた。
「…………?」
二、三目を瞬かせ、目をつむり、きっかり五秒後、再び目を開けて、自身の格好を見る。
寝間着だった。
しかもフリルをふんだんに使用しているネグリジェだった。
「……ォゥ」
額に手をやり、そう呻くことしかできない巴。
それもそうだ。着替えた覚えのない服を着ているのだ。
つまり、誰かがこれに着替えさせたということだ。
「あ~、……だれでもいいけど、贅沢いうなら女性であってほしいわね」
そうつぶやいた直後、ベッドルームのドアが開かれ、
「よう、起きたか?」
そう声をかけてきた人物の顔には見覚えがあった。
「あなたは……、さっきの」
「上代修助だ。……取るに足らないただの学生だよ」
学生という言葉にも驚いたが、巴が気になったのはその頭に付いていた、
「……ただの? とてもそうとは思えないんだけど」
「あんたが俺のことをどう思おうと、あんたの勝手だ。けどな俺が俺のことをどう思おうと俺の勝手だ」
違うかい? と修助はおどけながらいった。
苦笑しつつ、巴は肯定する。
「くく……、いえ、そうね。……確かに誰がどう思おうとも、自分が自分のことをどう思うと自分の勝手よね」
その返答を聞いた修助は、上を向きながら首をかしげ、
「…………なあ、分けわかんなくね?」
「……実際、私もいっててちょっと分からなくなってきたわ」
自分という単語を使いすぎて最早、二人は何が何だか分からないようになっていた。
「しっかしな、肝っ玉が据わっているな。お前」
「お前って言い方、止めてくれない? それに名前は教えたはずよ」
「……ああ、そいつは失敬」
全く反省してなさそうな声色で謝ってくる修助。
巴はそんな目の前の男に眉を顰めながらも、埒が明かないので取り合えず話を進めた。
「それで、あんな醜態を晒したのに何で私の肝が据わっているのよ」
だってなあ、と修助は呟きながら真っ直ぐに腕を伸ばし、巴を指差した。
「……何よ」
そう言いながらも巴は指を差された個所に視線をやる。
ネグリジェが見えた。
「…………」
「…………」
しかもこのネグリジェ、フリルをふんだんに使用されいる割に、要所要所が丸見えになる様に作られており、
そして、
「すけすけでいい感じだぜ」
という感じなのである。
サムズアップしながらいう台詞がそれか、と思いながら取り合えず巴は近くにあったティッシュペーパーの箱をその顔面にへと投げつけた。
とりあえず一言。
私は悪くない。
○ ○ ○
すったもんだで代わりの服となる紫のジャージ上下を手に入れた巴は、修助を追い出してそれに着替えた始めた。
着替えようとした途中で下着類も自分が身につけていた物とは違うことが判明したが、取り合えず棚上げにした。
後でキッチリと追求することを決意して。
「さてっと、着替えちゃいますか」
そうつぶやきながら巴は身に纏うネグリジェに手をかけ、ややぎこちない動きで脱ごうとするが、何処かしらが破けそうで戸惑い、なかなか脱げない。
「ん、や……ふっ」
そうして、ようやくネグリジェの形がワンピースに近いものだと気付いた巴は肩紐を持ち上げ、頭を通してネグリジェをようやく脱いだ。
脱いだネグリジェを目の前で広げてみる。
デザインはフリルが全体的に施されて可愛いといえる。
しかし、派手だ。
しかも、エロい。
「私……、こんなの着てたの?」
思わず赤面する。
この部屋に姿見がなくてよかった。あったら、今以上に顔を赤く染め、恥ずかしくて動けなくなるだろう。
(男に見られたけど……)
そう考えた次の瞬間、修助の顔が浮かんできた。
(えーい! 忘れなさい柄本巴! あれはノーカンよノーカン! 犬にでも噛まれたと思って……)
そこまで考えて、
「でも、命の恩人……、なのよね」
命を助けられたんだから、お礼をするならそれ相応の物を差し出さなきゃ……、いけないわよね?
命に匹敵するもの……?
「……身体……?」
思わずこぼしてしまった言葉だが、
「いやいや、落ち着きなさい柄本巴。私はそんな安い女じゃない筈よ」
だがしかし、命に対する対価としては己を差し出すのは自身の安売りとは違う気がする。
「……いやだから、何で私は自分を差し出す事に肯定しようとしているの?」
ぐるぐると思考がループしていたが結局、結論は出ずむしろ深みにはまりそうなので、取り合えず問題を棚上げずることにした。
(そろそろ棚が一杯になりそうだけど……)
そんなことを思いながら、巴は手に持つネグリジェを少し考えたが、ベッドの上に畳んで置いた。
そして、その横に置いてあるジャージの上下の内、ズボンの方に手に取る。
紫を基調としたジャージだ。
「ネグリジェからジャージ」
声に出してみたが、凄い落差だ。
「まあ、私にはこっちの方がお似合いかもね」
容姿的にいえばネグリジェも似合っているのだが、精神的なことを考えれば、ジャージの方が楽だろう。
そんなことを思いながらジャージの下をはいて、上を着ようとして、
「あれ?」
ふと気がつく。
「私、これ、このまま着るの?」
あのネグリジェはショーツの方はスケスケで丸見えだったのだが、上の方はネグリジェ自体が下着の役割を果たしているためか、胸のガードされていた。
つまり今の巴は、ショーツは身に着けていてもブラジャーは着けていないのである。
と、いうことは――
「――素肌にジャージ」
どんな新ジャンルだ。
そう内心で叫びながら巴はどうしようか大いに悩んだ。このままジャージを着るか否かを。
修助にTシャツか何かを持ってきてもらうという考えが浮かばない辺り、相当テンパっていると思われる。
「……よし!」
数分ほど悩んだ結果、着ることを決意したのか、気合いを込めた声を出し、巴はジャージの袖に腕を通し、反対側の腕も通して両腕を左右の袖に入れ、
「ふっ」
ジャージのチャックを閉めた。
もちろん心許ないのでチャックはしっかりと首もとまで閉めている。
しかし、
「……思った以上に擦れるわね」
素肌ジャージなのだから仕方がないのだが、擦れた。
痒みを覚えるほどには。
「まあ、いいわ。……それよりも」
上半身が訴えてくる痒みを無視して巴は扉へと向かっている。
「いくわよ巴」
行った。
○ ○ ○
扉を開けた先はリビングだった。
その中央付近に置かれたテーブルにと四つある椅子の一つに携帯をイジりながら座っている人物がいる。
修助だ。
彼はしばらく携帯をイジり何かをしていたが、ふと、巴に気づき、顔を上げた。
「よう、サイズは合ってたか?」
「お陰様で、上下ともピッタリ。……けど、よく私にピッタリのサイズがあったわね」
いうまでもなく修助は高校生。そして巴は中学生である。
性別差と年齢差により二人のサイズは全く違う。
故の疑問だ。
何故、私にピッタリのサイズがあるのか? という極自然な思いを得た。
多少の勘ぐりもあるので、いぶかしげな思いを顔から漏らしながら。
しかし、
「ああ、それなら起きるまでに代わりとなる服がいると思って、適当に選んだジャージを手直ししたんだよ」
こともなげに告げた。
「……手直し? ジャージの?」
「おう」
「……それって結構面倒臭くない?」
「ジャージの材質的なー。まあ、そこまでの手間かからなかったから気にしなくてもいいよ」
そういわれても、ただでさえ迷惑をかけているのだから、これ以上の迷惑はかけたくないというのが巴の正直なところだ。
「気にし過ぎると持たないよ? 当分は迷惑をかけることになるんだから」
「いえ、だけど……」
と、つぶやいたとことで気がつく。
「当分……?」
ああ。
「あれで終わりってわけじゃあねえからな」
「それは……」
「それともお前はアイツが黒幕で、アイツを倒したから全て終わったと思ってるのか? だとしたら、そいつはちょっと楽観主義が過ぎ――」
「まさか」
巴は修助の言葉にかぶせるように告げる。
「あれで終わり? それこそまさかよ上代修助」
私の――
「私の”父と母と弟を殺して、更に私を狙ってきた”奴らよ? 目的は……」
目的は、
目的は――
「わ、私で! 父さんと母さんと流はわ、私の……、私の……っ!!」
「もういい」
立ち上がった修助はそのまま巴に近づき、彼女を抱きしめた。
優しくはない、力強く荒々しく。しかし、揺るぎなくしっかりと。
抱きしめた衝撃で流れる物があった。
涙だ。
いつの間にか溢れ出そうになっていた雫が、抱きしめるとともにこぼれ落ち、止まらない。
「……」
「何か……言わないの?」
「何も言えねえよ……、例えお前と同じ経験をしてたとしても俺とお前が感じた思いは、全く違うだろうからな」
だから、
「言葉じゃなくて行動で示している」
「都合のいい事を」
「自覚はある」
「スケベ」
「役得だろ」
しばしの間。
そして、巴が語りかける。
「……ねえ」
「あ?」
「もう少し……、もう少しだけ、このままでいさせて。……、そしたら」
そしたら、いつもの私に戻れると思うから。
「好きにしろよ。……けど、いつものお前なんて俺は知らないよ?」
巴はその事実に内心で少し驚き、そして苦笑した。
「それもそうね」
そう言いながら巴は静かに涙を流し、声を押し殺しながら泣いた。
ただ静かに。しかし、子供のように。
泣いた。