5.秘密の話
ミイラになった遺体を盗まれた家…ローベの右隣の家には、門前に毎日メディアの者達が集まっている。どうやら、ミイラ化した遺体があったと言う割には、誰か住んでいて、メディアはその住んでいる者に詳しい話を聞こうとしているらしい。
ローベがその屋敷の者に普通に話を聞こうとしても、野次馬だと思われてしまうだろう。遠目から家を観察していると、メディアが集まっている表玄関を避けて、誰かが裏口から逃げるように屋敷の外に出て行った。
ローベはエースを連れて、走らないようにその人物を追った。
事件の在った家から逃げるように出て来た人物は、エプロン姿の中年の女性だった。清潔そうな真っ白なエプロンを付けているが、木綿の衣服を着ていて、身なりは良いとは言い難い。片手に買い物籠を持ち、市場のほうに歩いて行く。
ああ、あの家のお手伝いさんかしら…。どうあっても、ご飯のために買い物には行かなきゃならないものね。と、ローベは思いながら後をついて行く。
中年の女性は、思った通りに市場で肉と魚と野菜と林檎、それから小麦粉を買った。
だいぶ大荷物になったため、女中は両腕に重たい荷物をかけ、野菜と林檎を入れた紙袋を肩に寄りかけて抱きしめるように持っている。
危なそうだなぁと思っていたら、やはり紙袋から林檎が四個か五個転がり出して、女性は両手に荷物を持ったまま、それを何とか拾おうとした。
ローベと、その他に大荷物を持った女性を気に掛けていた人々が、一緒に林檎を拾い集め、紙袋に収めた。
「大丈夫ですか?」と、ローベは女性に声をかけた。「はい。ありがとうございます」と、女性は言って、バランスの悪い紙袋を片手に抱えたままフラフラと歩いて行こうとする。
「もし、良かったら、どれか荷物をお持ちしましょうか?」と、ローベは申し出た。
「でも、そんな…悪いですよ…」と、女性が言葉を濁すので、「大丈夫です。あなた、私の家の隣の方ですもの。帰る方向も同じだから」とローベは明るく言う。
「家の者ではなく、唯のメイドです。でも、隣の家って言うと、確か旦那さんが亡くなった家の?」と、この女中も訳知りそうに述べた。
魚が四匹入った買い物籠をローベに持ってもらい、女中は大きな紙袋を両手で抱える。その片手にかけられた布の袋の中には、肉の塊が入っているようだ。
「大変ですね。毎日、これだけの買い物をするんですか?」と、ローベは聞いた。
「いいえ、これで二日分です」と、女中さんは答える。「肉と魚は日持ちがしないから、半分は下ごしらえをした後に冷蔵庫に入れておきます。それから、残りの半分は今日の分の料理の材料にして、野菜はスープに。林檎は旦那様の好物なんです」
「お隣には旦那様がいらっしゃる」と、ローベは聞きただした。
「はい。あの…先日の事件、もうご存知だとは思いますが…」と言って、田園地帯を歩く間、女中がぽつりぽつりと話したところによると、奥様は病気で臥せっていて、家では旦那様の指示に従ってメイドである自分が働いているのみである。
元は七人の子供に恵まれた大所帯で、毎日とても賑やかだった。しかし、長子から順に流行病にかかり、六人の子供達は入院した後、病死したと告げられた。
先日ミイラと化して「発見」されたのは、末のご子息である。元々、あまり活発な子ではなかったが、何日も「やけに静か」だと思っていて、その事を旦那様に尋ねた。
すると、旦那様には「あれは今、伯母の家に行っている」と言われたと言う。
確かに数日前、旦那様の姉にあたる方が屋敷を出入りしていて、その折からご子息の気配がしなくなったので、旦那様の言葉の通りであると察された。
実際にご子息の部屋を掃除してみても、何もおかしなものはない。ベッドのシーツも取り換えたが、その時はご子息の姿など影も形も無かった。
「でも、甘い油のにおいがしたんです」と、女中は言い出した。「何処かでお菓子でも作ってるような、仄かなにおいでした。坊ちゃんは自分の好きなおやつを部屋に隠す癖があったから、きっとその名残なんだろうと思いました。だけど、その…クローゼットを開けたら…」
そこまで言いかけた所で、女中は表通りからそれて屋敷の裏口の方に足を進めた。「話し過ぎましたね。この事は、どうか秘密にして下さい」と言って、屋敷に近づく前に、「此処までで、もう大丈夫です。ありがとうございました」と言って、ローベから買い物籠を受け取った。
ローベは日記を書きながら、今日知った事のあらましを整頓した。ミイラになったのは左隣の家のご子息。その家の旦那様の話では、何日間か伯母の家に行っていた。その後、ご子息はミイラになって発見され、そしてその遺体は葬儀の時に盗まれた。
「甘い油のにおい…」と、ローベは呟いた。子供が部屋にお菓子を隠して置いたら、確かに甘い油のにおいくらいするだろう。しかし、なんで隣の家のご子息の遺体はミイラ化してしまったのか。夏が近いのだから、普通の状態で遺体になるんだったら腐敗したり、死体を放っておかれたなら悪臭がしたりするだろう。
人間をミイラにする方法…と考えて、ローベは傍らで床に寝そべっていたエースを見た。
「エース。あなたの飼い主さんから、人間をミイラにする方法は教えてもらえないかしら?」
ローベはそう声をかけた。もし、正しい回答を得られれば、犬が人間の言葉を話すと言う事の状態も「現実の事」なのだと信じられると考えた。
エースは困ったように少し黙り、それから口を開いた。
「ミイラとは少し違うけど、外国の偉いお坊さんが、即身仏って言うのになる方法があるらしい。腐敗しない遺体を残すために、何日も飲食をしないで餓死するって言う方法だね」
「餓死…」と呟いて、ローベは考え込んだ。
お菓子を隠す癖を持つくらいだから、亡くなったご子息はまだ幼さの残る年頃だろう。もし、左隣の家で、その子供を餓死するような状態においてあったとしたら? 子供部屋のベッドの上は綺麗だった。それなら、部屋の何処かに子供が閉じ込められていて…。
そんな風に考えて行くうちに、背筋がぞわぞわして来た。
「何か思いついた顔だね」と、エースは飼い主の声で言う。「仮説でも何でも良いから、教えてくれないか」
そこで、ローベは自分が考えついた怖い話をエースに聞かせた。
「ミイラになったのは、子供か…。それは調べて無かったな」と、夫の声は言う。「大体の場合、子供の魂なんて、するっと天国に来ちゃうもんだからさ。見落としてた。僕達の方でも少し調べるから、君はその情報も反映して調査を続けてくれ」
「達って誰?」と、ローベが聞くと、夫の声は「通信使達と、調査役の天使だよ。調査のための天使は、なるべく、無理が無い状態で現地に送り込むから」
ローベは、また頭がいっぱいになりそうな予感を感じながら、「分かったわ」と応えた。