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おしゃべり犬と天国の問題  作者: 夜霧ランプ
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2.白昼夢を見ないように

 周りに小麦畑しかない田舎にある新居の周りには、人間の好む木々を植えた「人工自然」が存在する。ローベの家の周りもそんな様子だった。

 屋敷と呼んで良い広さの家の周りには、ずっと昔に作られた「人工自然」の木陰があり、踏み固められた土は雑草も生えず、ブロックで作られた遊歩道と、草花の咲く花壇がある。

 むき出しの土なのに雑草が生えないと言う事は、強力な除草剤を撒いてあるか、もしくは木陰で生きられる草の類の種が、幸いにも侵入してきていないと言う事だろう。

「良い庭ね。此処にテーブルと椅子を置いて、外でお茶を飲みたいわね」と、屋敷の窓から外を眺め、松葉杖をつきながら、ローベは声に出してエースに話しかけた。エースは、返事をするようにワオンと鳴く。

 天国にいるはずの夫の言葉を、エースが話すようになった…なんて言う覚えが、うっすらとある。天国での暮らしの一部と何かの約束事を話した後、エースは一切夫の声で話をしなくなった。だから、ローベはあの現象は一時的な白昼夢だったのだと解釈していた。

 エースに留守を任せて、タクシーを呼んで病院に通う。広い庭は快適そうだが、松葉杖で門の前までを歩くのは一苦労だった。

 一ヶ月もする頃には、ギプスが外れ、医者から歩行訓練をしても良いと言われていた。そこで、約束通りにローベはエースを連れて近所をぶらぶらしてみる事にした。

 念のために甘い酢水の入ったボトルと、エースに投げてあげるためのテニスボールも用意した。このテニスボールは、エースが屋敷に来た時に彼の身の周りの品として持って来てもらったものである。

 ローベは白いストローハットを被り、エースの首輪にリードを備える。エースは気性の大人しい犬なので、一匹で何処かに行ってしまったりはしない。しかし、社会の礼儀として犬にはリードを付けなければ、と。

 空の広い田舎の風景の中に、ぽつりぽつりと家が見える。右隣の家までは、広い小麦畑を三つ挟んで居た。左隣はもっと遠くて、小麦畑を六つ挟んで居た。まだ青色の麦達は、鮮やかな色でサラサラと風に揺れている。

「本当、素敵な所よね…」と言って、ローベは隣を見る。其処に夫の姿はなく、居るのは白い犬だ。だけど、誰も居ないわけではないと言うのは、心が落ち着くものである。ローベはエースに聞いた。「あなたは、お屋敷よりこっちのほうが好き?」

「気分に因るかな」と、エースが夫の声でしゃべった。

 ローベの顔から一気に血の気が失せる。よく分からない白昼夢がまた発症してしまった、と思ったのだ。頭を抱えて、へなへなとしゃがみ込む。

「気をしっかり持って。エースも心配してるよ」と、犬は夫の声でしゃべりながら、ローベの近くに来くると、頭を抱えている彼女の手を舐めた。それからまた夫の声で言う。「あれから何回か通信を送ろうと思ったんだけど、中々チューニングが合わなくてね。それに、他の仕事も入っちゃったから、細かいケアが出来なくてさ。それで」

 ローベは夫の声で喋りつづけようとするエースの口を、手でふさいだ。青ざめた顔で、エースを睨みながら言う。

「エース。分かるわね? 貴方は、人間、ではない」と。ローベは自分にも言い聞かせるように続ける。「言葉なんて、喋れ、無い。夫の、話し声なんて、聞こえ、無い。これは、私の抱えてる、ストレスが生んだ、白昼夢。さぁ、ストレスを無くすために、お散歩に、行きましょう」

 そう言って、ローベはゆっくり立ち上がり、リードを引いて歩く。エースは黙ったまま、大人しく女主人に従った。

 小麦畑の所々にある一軒家を眺めて行くと、決まって周りには「人工自然」が存在した。雑草を寄せ付けない草を植えて、定期的に短くカットしている家もあれば、野の花畑に似せた形状の庭園を造っている家もある。

 ローベの家から数えて「お隣さん」にあたる右隣の家は、鬱蒼とした古い木々の集まる、まるで小さな森のような庭に囲まれていた。

 好奇心を持って木々の隙間を覗いてみると、木漏れ日の当たっている窓が見えた。その窓はカギがかけられており、重厚そうなカーテンに包まれている。

 こんなに良い風の吹く日に、窓を開けないなんて…と、ローベは不思議に思った。もしかしたら、家の中に日光を嫌う貴重な絵や日焼けしてしまうタイプの樹脂の家具でも置いているのかも知れない。

 みんながみんな、日光と涼しい風が好きなわけじゃないのよね、と思って、ローベは森のような家をじろじろ見るのをやめて、散歩を続けた。


 散歩から帰ってくると、久しぶりに運動をしたためか、とてもお腹が空いた。ここの所、パンとミルクと果物しか食べていなかったので、久しぶりに料理がしたくなった。でも、家にあるのはパンとミルクと果物だけだ。

 さぁて、これで何が作れるか? とローベは考えた。「卵があれば、甘いトーストを作れるけど…」

「卵があれば良いんだね」と、エースが夫の声で喋った。

 ローベは肩をびくっとすくませて、ゆっくりとエースのほうを振り返る。エースは引き続き夫の声で言う。「エースに『卵一パック』って書いたメモと、お金を入れた買い物籠を持たせて」と。

 前回よりファンタジックな内容じゃない事を確認しながら、ローベは恐る恐ると夫の声に返事をした。「それは…エースが買い物に行けるって事?」

「もちろんだよ。エースは僕の家の優秀な小間使いさんだったんだから」

 そう返事が返ってきたので、ローベは買い物籠と代金を用意して、メモ帳の白いページに「卵一パック」と書くと、それ等をエースに持たせて家から送り出した。

 エースは買い物籠を持たされた時に自分がどのように行動すれば良いかを覚えていて、しっかりとした足取りで家を後にした。

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