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おしゃべり犬と天国の問題  作者: 夜霧ランプ
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1.早々な再会

 片脚が不自由になった亜麻色の髪の夫人は、名をローベと言う。彼女は、椅子に掛けたまま新居でボーッとしていた。ギプスに覆われた脚に負荷をかける事は許されていないが、両脚が鈍る事を恐れて松葉杖が支給された。

 脚が不自由になったと言っても、骨は綺麗に折れていて、事故後の緊急手術により、骨折はぴったりとつなぎ合わされている。今は、それが治癒するのを待っている状態だ。

 それにしても、なんでこんなことになったんだろうと、ローベは物思いに沈んでみた。深い海のような青い瞳を瞬かせ、椅子の背もたれにもたれかかる。

 一頻り気分を沈めてみたが、沈んでいても「おいたわしい事だ」なんて言ってくれる人は居ないので、松葉杖を頼りにしながら苦心してお茶を淹れた。

 お腹も空いたので、買い置きのパンの紙袋をつかんで、一歩一歩とふらふら歩く。

 もし、今、実家に居たら、きちんと家の者達が面倒を看てくれただろう。面倒くさそうな顔はしただろうが。ローベの家はそこそこの財産を持っており、社会的には資産階級に属した。

 ローベの家は社交界への扉を開けるため、そして夫の家は傾きかけている財政を回復するために、お互いの家は二人の結婚を機に協力して世間を生き延びようとしていた。

 結婚式も契約の儀式も滞りなく進み、夫の運転する車に乗って新居に移動していた。

 夫は安全運転を心がけていたが、目の前で交通事故が起こり、その時に吹き飛んできた事故車が、ローベ達の乗っていた車の運転席を直撃した。

 事故の時の様子はローベも覚えていないのだが、凹んだ車体の中から夫の遺体を引っ張り出すのは一苦労だったと言う事は、意地の悪い業者によってローベの耳に入っていた。

 ウキウキワクワクと考えていた新居での暮らしは、ローベには辛いものになった。実家からメイドを呼び寄せようなんて事は、他家の夫人になったローベには無理な話だ。今まで、家にいても誰もお茶ひとつ淹れてくれないし、自力でお茶を淹れようとすると、メイド達から咳ばらいをされた。

 メイド達はローベに仕えているのではなく、家の当主である老父に仕えており、彼の判断で「ローベの行動」は制限されていたのだ。

 これから、自由と安心が手に入ると思っていたのに。

 ローベはそう考えて、亡き夫の写真を見る。写真立ての中で、夫は愛犬と一緒に朗らかに笑っている。

 愛犬は白い毛並みが美しい、大型犬だ。名はエースと言う。犬に詳しくないローベは、犬種まで覚えていなかった。しかし、非常に人懐っこく、躾もしっかりできていて、ペットとしては優良な子だった。

 せめて、エースが居たらな…と、ローベは考えた。そこで、駄目もとで夫の実家に手紙を出した。


 数日後、エースは彼の生活に必要な物を添えて、ローベの家に連れられて来た。貧しさ故に何も支えることは出来ないが、せめてエースを日常のパートナーとしてほしいと言う手紙が、エースを連れて来た使用人によってローベに手渡された。

 エースは非常に賢い犬だった。新聞や手紙を郵便受けからから取って来ることが出来て、お腹が空いたら自分でドックフードの袋を持って来てねだる。「待て」と「よし」が出来て、無駄に吠える事も無い。自分の体が重い事を知っていて、寝室まで付き添う時は、ベッドの横の床で眠った。

 そんな風に一人と一匹の暮らしをしている間に、ローベはエースに話しかけるようになった。

 毎日の天気の事や、脚がしっかり治ったらたくさん散歩に行こうと言う事。「その時にはボールを投げてあげるから、ちゃんととってくるのよ?」と言った、ごくありきたりな事だ。

「ねぇ、エース。あなたのご主人は今、天国って言う所でしっかり暮してるのかしら。貴族が天国に逝ったら、ちゃんと貴族として扱ってもらえるのかしら」

 そんな事を話しかけた時、エースが急にワンワンと鳴き始めた。その鳴き声は、段々と抑揚を持ち、変化して行く。人間の言語に。

「いやー、チューナーを合わせるのって大変だね」と、エースの口から夫の声がした。「もしもし。ローベ。聞こえてるかい?」

 ローベは二つの仮説を持った。慣れない一人暮らしのせいで、幻聴が聞こえるようになってしまったのか。それとも…。

「天国から話しかけてきてるの?」と、ローベは聞いてみた。

「そうだよ。飲み込みが早くて助かる」と、のほほんとした様子で夫は言う。「なんとか君と連絡が取りたかったんだ。でも、天国って言う所は色々規則が厳しくてね」

「あら。天国にも規則があるの」

「うん。散歩をしたり雲を食べたりするのは自由なんだけど、好き勝手に下界に影響しちゃならないとか、色々細かい決まりがあるんだ。それで、色んな人が天使の資格を取るために訓練したり勉強したり、資格取得のための試験を受けたりしてる。僕も一度、天使の資格を取ってみようと思ったんだけど、一回の試験を受けられる人数も限られててさ。地上の時間で計算してみたら、順番待ちしてる間に君の寿命が来ちゃうなって思って、通信使の資格を取ったんだ。こっちのほうは、比較的、短時間で取れる資格だったから」

「え、ええ…。そうなの」と、ローベは言って、なんと返そうか考えた。それから、「でも、なんでエースがあなたの言葉を喋ってるの?」

「うん。普通の場合は、『霊感』って言う現象として、人間そのものに通信を送ることが多いんだけど、それだと一人暮らしの寂しさは紛れないだろう? それで、エースを介して君と連絡を取る事にしたんだ。だけど、唯の日報のために通信機を使っちゃならなくてね。君とエースに、ちょっとした仕事を任せたいんだ」

 夫はサクサクと事情を話して行くが、ローベは「これは病気とは違う現象なのよね」と言う思いのせいで頭の整頓が追い付いていない。その間も、夫は次々情報を伝えてくる。

「エースの鳴き声が僕の声に聞こえるのは、今の所、君だけに限定してある。だから、外でエースが僕の声で話しても、気を付けなくて良い。唯、君は直接エースに話しかける事になるから、周りに人がいる時は変な目で見られないような喋り方を心がけてほしい。それで、君達に任せたい仕事の事なんだけど…」

 夫の通信がそこまで言ったときに、急にエースが口元を歪め、くしゃみをした。その途端、エースは鳴かなくなり、夫の声も消えた。

 ローベは少しぼんやりしてから、「エース?」と声をかけた。愛犬は鳴き声を発さずに、きょとんとした顔でローベを見つめ返した。

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