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§020 「私にもいつか大切な人ができたらいいな」

 今日は梅雨入りが近くなってきたのか、昼頃から雨が降り出し生憎の空模様。

 しとしとと降り続く雨は、校庭を大きな水たまりへと変えていた。


 俺はカバンから折り畳み傘を取り出すと、ふと、下駄箱のところに立っている女の子がいることに気付いた。


「ああ、更科か。何してるんだ?」


 彼女は、俺のことを一瞥すると、いかにいも機嫌が悪そうに、


「見ればわかるでしょ」


 とぶっきらぼうな声を出す。


 確かに野暮な質問だったな。

 今日の雨は予想外だった。

 俺も国分からのLINEがなければ、確実に傘を忘れていたと思う。 


「雨止まなそうだな……」


「…………」


「…………」


 彼女は空を睨みつけるかのように、雨が降りしきる外を見つめる。


「あのさ~傘を持ってない女の子が、ひとり昇降口で雨が降りしきる空を眺めてます。紳士の取るべき行動はなんでしょうか?」


「知らないのかい? 英国紳士は傘は差さないんだ。それが最高にオシャレってやつさ」


「なによその雑学」


「ということで、ここはお先に失礼するよ。お嬢さん」


「ちょ……ちょっと待ちなさいよ! 純和風的な顔して何が英国紳士よ!」


「メルシー」


「それフランス語だからね。傘を持ってない女の子を置いて帰るつもり?」


 俺ははぁ~と大きな溜め息をつく。


「それなら最初からそう言えばいいじゃねーか。ほら、傘入れてやるからこっち来いよ」


「は?」


「ええ……?」


「『この傘をお使いください』でしょ」


 本当に性格がねじまがってると思わずにはいられないな、これは。

 赤梨の指摘もあながち間違いじゃない気がしてきた。

 小さい子のアイスクリームの件とか、髪を切ってくれた件とか魅力的なところもたくさんあるのに。


「英国紳士は帰ってシェスタしなきゃいけないので、ここで失礼させていただくよ。アディオス」


 そう言って傘を広げようとする俺の前に立ちはだかる更科。


「ちょっと待ちなさいって!」


「なんですか? お姫様」


「いや、仕方ないから譲歩してあげるわ。その代わり、傘はあなたが持ちなさいよね」


「お願いするときは、どうやってお願いするのが正解でしたっけ?」


「――っ!」


「さ~て、シェスタシェスタ。お昼寝だ~」


「わかったわよ」


 彼女は、いままでの強気な態度とは打って変わって、恥ずかしそうにもじもじする。

 目線は伏し目がちだが、頬が少し赤らんでるのがわかる。


「あの……よかったら傘に入れてくれませんか?」


 あれ? 想像以上にしおらしい。

 急激に俺の方が恥ずかしくなってしまってるぞ。


「やっ……やればできるじゃん。ほら、俺の相合傘童貞をくれてやるよ」


「あのさ、私の気持ち返してもらえるかな?」


 俺は折り畳み傘を広げて、彼女の方に差し出すと、「失礼します」と言ってちょこんと傘の下に入ってくる。

 こういう仕草が反則的に可愛いのは許しがたい。

 マジでもうちょっと性格さえよければ、完全に“美少女認定”してもいいのに。


 それにしても相合傘って近いな。

 肌と肌が触れ合ってしまいそうな距離だ。


 はぁ……。仕方ない。

 俺は自分の左肩を犠牲にして、彼女の方に傘を寄せる。

 これで少しは距離を保てるだろう。

 あーあ、英国紳士のジャケットが台無しだ。 


「想像以上に小さい傘ね。これが噂に聞く“ぼっち専用の傘”というやつかしら」


 そんなことを宣いながら、俺の領域を少しずつ浸食してくる更科。

 距離をとったはずなのに、傘を持つ二の腕ら辺には彼女の温もりが感じられる。


「あー定員オーバーですので“ぼっち”じゃない方は速やかに御退出いただけると」


「意地悪ね。それに私も最近は“ぼっち”の世界に足を踏み込んできてるかもしれないわ」


「そういえば最近は男と話してるの見かけないな……。あんまり友達とうまくいってないのか?」


「誰のせいかしらね。責任とってもらわなきゃね」


 更科はいたずらな笑顔を浮かべる。

 責任って……おいおいまさか俺のせいかよ。

 もしかして、ヤンキーの俺が更科と絡んでるから、他の男どもが更科に声をかけづらくなってるとかそういうことか……?


「あ~あと責任といえば、私も相合傘は初めてなんだよね。まさか初めてがこんな“ぼっち専用の傘”だなんて地味にショックだけど」


「初めて? お前って恋愛経験豊富なんじゃないのか?」


「初めてよ。だって、本物の英国紳士は私に傘を差し出してくれるから。あなたとは違ってね」


 彼女は俺のことを一瞬睨みつけるような目をしたが、すぐに表情を戻す。

 そして、道路にできた水たまりを蹴り上げながらピチピチ・チャプチャプ・ランランランといかにも機嫌が良さそうに歌いだした。


「おい濡れるぞ」


「平気よ」


「なんだよその歌」


「『おじさんのかさ』を知らないの?」


 更科がクルっと俺の方に向き直り、興味深々な目で俺を見つめてくる。


「お前、おじさんにまで傘を貢がしてるのか? 見境ねーな」


「素敵な雨の夕暮れが台無しね」


「さっきまで空を睨んでたやつが、言う台詞じゃないけどな」


 『おじさんのかさ』は、国語の授業で習ったから当然知ってる。

 確か、立派な傘が濡れるのが嫌で傘を差そうとしないおじさんが、ある雨の日に、子供たちの歌を聞いて、初めて傘を……


「思い切って広げてみたら、そこには、傘を広げなきゃ知らなかった新しい世界が広がっていた。もし、子供の歌がなかったら、知ることもなかった新しい世界。傘を思い切って広げなかったら、知ることもなかった新しい世界」


 そこで、更科は言葉を切ると、まるで独り言のように問いかける。


「ねえ、新しい世界に飛び出すきっかけってなんだと思う?」


 俺は自分に問いかけられているのかがわからず、ほんの少しだけ首を傾げる。


「私はね……『大切な人』の存在だと思うな。この人のためなら死ねる、この人の言うことなら信じられる、この人にならすべてを任せられるという尊い存在。それはね誰でもいいと思うの、親でも先生でも彼氏でもなんでも」


 そこで、一度コクリと唾を飲みこむと、消え入りそうな声で言う。


「私にもいつか『大切な人』ができたらいいな」


 そう言って更科は雨空を眺める。


 『大切な人』……か……。

 俺はふと、いつぞやの更科との帰り道を思い出す。

 もしかしたら彼女は俺が思ってるよりも、ずっと弱い人間なのかもしれない。


「ねえ、私の考えは他力本願だと思う? もっと自分で頑張れよって思う?」


「……思わないよ。人はひとりでは生きられないからな」


「……そっか」


「そう思うよ」


「じゃあ……ひとりで生きていくしかない人はどんな気持ちなんだろうね」


 更科が寂しそうな、切ないような表情を浮かべる。

 その表情を見ていると、なんだか胸がぎゅーっと締め付けられる想いになる。

 彼女の心の奥底にある鬱々としたものが伝わってくるような気がした。


「……更科は何か助けが必要なのか?」


 俺は意を決して更科に言葉を投げかける。

 その言葉を聞いた更科がこちらに目を向けて、「助けが必要?」と反芻する。


「それはちょっと違うかな……」


 彼女は言葉を選ぶように、間を取りながら、言葉を紡ぐ。


「『助けが必要』なんじゃなくて、いつか王子様が現れて私を助けてくれるのを待ってるんだと思う」


「更科から王子様って言葉が出るとは思わなかったな」


「比喩表現よ。『お金持ち』に置き換えてもいいわ」


「……ああ、納得したよ。お前って本当に素直じゃないよな」


「……女の子は複雑なのよ」


 その後は、しばらく無言が続いた。

 彼女は何か考え事をするように、俯きがちに、歩みを進めている。


 なんだろう……言葉にするのは難しいけど、俺は確信してしまった。

 更科はきっと何か大きな悩みを抱えているんだろうということに……。


 そして……同時に自分の気持ちにも気付いてしまった。


 この間の赤梨の言葉が脳裏によぎる。

 赤梨……ごめんな。

 やっぱり俺は噂だけで友達と思ってるやつのことを裏切りたくない。


 俺は……更科のことを守ってあげたいんだ……。


「ねえ、未知人くん……」


 更科の呼びかけに、ハッと我に返る。

 そして、彼女に目をやると、いつになく神妙な面持ちの彼女がいた。

 どうしたんだろう。そんな真剣な顔して。


「どうした? そんな顔して」


「……変なこと聞くかもしれないけどいい?」


「……ん?」


「未知人くんは、私のこと……」




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