終幕 ーエピローグー
後半のウルガの不穏な独白で終了。
何かを守るって、遊びじゃないんです。
その日の夜は、砦の中で寝泊まりした。
部屋は狭く、ベッドは固い。
布団にくるまって眠ると、私は疲れから、すぐに眠ることが出来た。もしかすると、目が覚めたら私は元いた世界、日本に戻っているかもしれない。
そんな風に考えていたのかも。
──けれど、そんなことは無かった。夢で見たのは、私が交通事故で死んだ瞬間と、その後の光景。
大きな、大きなトレーラーの前から吹き飛ばされて、道路に転がる私。
腕はあり得ない方向に曲がり、頭から血を流して死んでいる──死んでいることは、一目でそれとわかる。
私は悲鳴を上げようとするが、喉から声を出すことが出来ない。
それはそうだ、私は死んでいるのだから。
目の前には私の死体が転がっている。
虚ろな瞳は何も見てはいない。
そこにあるのはただの肉塊。
アイドルだった私が、多くのファンから見捨てられ、苦悩を抱えて腐っていく前に、私は自ら死を選んだのだろうか?
自分にもわからない。
なぜ私は死んだのだろうか。──夢の中では答えは見つからなかった。
*****
朝になり、目が覚める。
この瞬間に、私がどれだけ現実というものから逃げたくなったか、普通に生活している人には、とても想像がつかないだろう。
例えて言うなら、一夜にして借金を一兆円ばかり押し付けられた挙げ句、職も失い。恋人や家族からも見捨てられ、縁を切られた様な──そんな絶望感。
私は異世界で独りぼっち。
そんな気持ちになったのだ。
孤独に苛まれ、泣きそうになる私。
「コンコン」
そんな時、誰かがドアをノックした。
「お食事です」
起きていますかと、女が入って来た。
慌てて、こぼれ落ちそうになった涙を押さえ込む。
私は「ああ」と応えて、彼女が持ってきた銀のトレーに乗った皿などを見て、小さなテーブルの上に乗せるように言う。
彼女が部屋を出て行くと、私はその温かい料理を口にした。
たぶん、とても良い料理を用意してくれたのだと思う。けど、私には味がしないように感じた。
塩気もダシも感じ無い。
素材の風味が生きている。そう考えることにして、スープや固いパンを口にする。
ああ、現代の日本て、恵まれていたんだな。
そんな風に思うと、それだけで涙が溢れてきた。
ウルガは昨日の戦いの後に、「お前は勇者アーガスとなった。もう弱いままではいられんぞ。強くなれ、リンドウジ・アカサ。もう泣くのは止めて、気高い戦士となるしか、お前に生きる道は無い」そう告げられたのだ。
命の危険に満ちた戦いと、美味しくない料理。明かりも少なく、寒い部屋。質素な質と色の乏しい衣服。
ここには現代にあった良い物が何一つ無い。
私は今まで、なんて恵まれていたのだろう──、それらを失って初めて気づかされる。
今の私は、すかんぴんの勇者様。
ガチムチの身体の大男。
本当の私はただの女、アイドルだった女。
……私は、これからどうすればいいの──
*****
警戒に出ていた兵士──斥候と言うらしい──が、亜人種の軍勢が散り散りになって去って行ったことを確認したと戻って来た。
「よし。我々は一度、王都へ戻り情報を集める。まずは後陣となる街に凱旋に行こう。そうして彼ら民衆を安心させてやろうではないか」
ウルガはそう言うと、馬にまたがって進もうとする。
「おい。お前も馬に乗るんだ、早くしろ」
小声で彼はそう言って、私の隣に来た大きな黒い馬に乗れと顎で指し示す。
だけど私は馬に乗ったことなんて無い。
見よう見まねでウルガがやって見せた様に、鞍から下がった足を掛ける金具に足を入れると、覚悟を決めて馬の背に飛び乗る。
アーガスの身体は、いとも簡単に馬の背中をまたいでどっかと鞍に座り込む。
以前の私では、そんな動きは無理だろう。新しい身体は驚異的な身体能力を持っていて、それを扱うのは──なんというか。
自分が急に、超人的なアスリートになった様な──そんな気分になる。
馬にまたがった騎士団の一部が砦から離れて、森の間や草原の中に続く、踏み固められた道を通って街へと戻って行く。
この一団には比較的若い者が多い様子だ。なんとかいう部隊長は砦に残っているのだろう。
騎士の多くは金属の鎧では無く、革の鎧を身に着けていた。帰り道に重い武装を着込んでいるのは、先頭を行く数人と、後方──殿を守る騎士たちのみだ。
私と並んで馬を進めるウルガに、街を通りすぎてから王都までの道程などについて説明を受ける。
ゆっくりと進む馬の移動速度からすると、王都までは一時間以上は掛かるだろうということだった。
周囲の風景を見ながら、馬の背に揺られて街道を行く。
ウルガはその間も、この世界について説明をしてくれていたが──あまり耳に入ってこなかった。
この世界は魔王の復活で混乱のただ中にある、ということだけは、なんとなく理解できた。
各地に戦乱が巻き起こっている。
争いに次ぐ争い。
一昔前は、人間同士であらそい、領土の奪い合いをしていた連中だったが。今はそれどころでは無いらしい。
ウルガはそんな風に辛辣に語っていた。
正直、この世界のことなんてどうでもいい。でも……私はたぶん、元の世界には帰れないだろう。──だって向こうで、私は死んだんだから。
けど、けれど。すぐにこちらの生活に慣れるなんて出来っこ無い。
しかも──今の私は男の身体で生活しなくてはならないのだ。
私はウルガの言葉よりも、自分の中に生まれてくる様々な心理的圧迫に苦しみ、懊悩し続けることになった。
これからも戦いに駆り出されることになるだろう。
美味しくない食事を食べることになるだろう。
男の身体で色々と困るだろう。
それでもこの世界で、生きていかなければならない。
前世でのことも思い出し、悔しさで涙が出そうになる。
私はいったい、どこにいるのだろう?
アイドルから勇者になった。
女から男になった。
もう、わけがわからない。
竜胆寺茜沙はどこへ消えたのか。
アーガス・クェスアードはどうしたのか。
そんなことを悶々と考えていると、道の先に何かが見えてきた。
灰色の大きな壁。
街を囲む防壁だとウルガは言う。
ウルガの騎士団──グリフィア騎士団が帰って来たと、先に街へ戻っていた者が伝えて回っていたらしい。
魔王の送り込んだ亜人種の軍勢を退けたという情報は、街に住む人々を安心させただろう。
私は大きな門をくぐって街の大通りに入ると、大勢の街の人々から歓声を送られた。
大勢の人々の口から感謝と喜びの言葉が聞こえる。
グリフィア騎士団と勇者アーガスの名が、交互に呼ばれる中を進んで行く。
私はなるべく寡黙な勇者を演じるべく、まっすぐに前を向いたまま、どっしりと構えていた──ウルガに、そうするよう言われていたのだ。
人垣の間を通りながら、アイドルだった時のことを思い出す。
私のサイン会にも、大勢の人たちが集まってくれたこともあった。
ファンによっては、別のアイドルユニットに移った後も応援に来てくれていたのだ──
そんな彼らには、もう会うことも無いだろう。
私はアイドル──だった女。
今は……勇者をやっている。
*****
ー もう一つのエピローグ ー
私は勇者アーガスの横に馬を並べ、人々の列なす間を通りすぎて行く。
そうしていながら、昨日の出来事について考えていた……
──時間は少し遡り、アーガスの身体にリンドウジ・アカサが転生した後のこと。
彼女が、自らの股間に生えたモノを見て、気を失って部屋に運ばれた後の頃である──
「英雄ではないのか、呼び出された魂は」
私は魔法使いの老人──宮廷魔法師の中でも召喚魔法に精通する者だという、その魔法使いから──アーガスの身体に呼び出された「英雄の魂」について報告を受けていた。
「は……どうやらあの者は、以前の世界では、偶像として多くの人間から崇拝された者の様です──そのことが、英雄と判断されて、アーガスも身体に呼び出されてしまったらしいのです」
魔法使いは額の汗を拭いながらそう告げた。
起きてしまったことをとやかく言っても始まらない。問題はあれが使い物になるかどうか、ということだ。
「は、……あの身体には、勇者の戦闘の記憶が、技術が、残っております。それをあの新たな魂が扱えれば──あるいは」
私の問いに魔法使いはそう答える。
「ふむ、試してみるか。勇者アーガスの闘争本能とやらを……。それで、その招かれた魂が『偶像』だったという状況について話せ」
すると魔法使いは困った顔をし、しどろもどろになりながら曖昧で、雲を掴むような説明を始めた。
「……よくわからんが、踊り子の様な、そんなことをしていた者。ということだな?」
招かれた者の記憶を読み取った魔法使いの報告は、私には理解に苦しむ内容のものだった。
ともかくその魂の持ち主は、大勢の人間から崇められるみたいに、もてはやされていたらしい。
「なるほど、それは使えるかもしれん」
私は呟く。
大衆から求められることに喜びを感じるというのなら、それは好都合だ。中身が貧弱な女であったとしても、その虚栄心を利用すれば──あるいは勇者としての働きを演じてくれるのではと考えたのだ。
「この際、勇者として使えればなんでもいい。アーガスの奪い去られた魂のありかさえわかれば……それまでは──」
騎士団長として、この国を守る。
その責務があるのだ……!
ー 偶像勇者の鎮魂歌 完 ー
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おお──、評価していただいて嬉しいです。
内容的にかなり斜め上なラインを攻めすぎたかなと、書いてしばらくしてから思っております。
でも、こういった内容もありだと思うんですよね。(アイドルの若干ドロドロした部分は、そういうところもあるだろうな、くらいの見方でよろしくお願いします)