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風薫る君  作者: 天海六花
銀色の双眸
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銀色の双眸 四

     四


 お山に帰ることもできず、どこへ行けばいいのかも分からず、途方に暮れて、訳も分からないまま連れてこられたのは、今まで見たことも聞いたこともない、知らない大きな町。

 数えきれないくらいたくさんの建物がひしめいていて、前が見えないくらい大勢の人が行き交っていて、何もかもがあたしの理解を超えていて、圧倒され、呆然と立ち尽くしていた。

 町の名前は“陽ノ都”っていうらしい。

 あたしの住んでたお山に一番近かった里より、何倍も何十倍も、もしかしたらもっと大きな都で、人の数もめまいしそうなほど多くて、あたしはすごく場違いなところにいるんじゃないかって、そんな気持ちになっちゃったの。

「深咲。こっちだ」

 お姉さんがあたしの手を引っ張る。そのちょっと前を、お兄さんが歩いている。時々、あたしのほうへ冷たい視線を投げかけてくる。

 やっぱりこのお兄さんはあたしを嫌がってて……何かあってもなくても、鋭く向けられる視線や、冷ややかな態度が怖い……。

「ひとまず御國(みくに)の所へ行こう。まずは仕事の完了報告をしなくちゃならないし、それに御國なら深咲ができそうな仕事も見つけてくれるさ」

「……あの……」

 お姉さんに手を引かれたまま、あたしは遠慮気味に問いかける。お姉さんが振り返ると、あたしは彼女の顔色を伺いながら、ずっとわだかまっていた意見を口にした。

「……あたし……やっぱりおうちに帰る。ここ、すごく怖い……から」

 お姉さんの顔から笑顔が消えた。お、怒られちゃう! 思わずぎゅっと目を閉じて身構える。

「深咲。何度も言うように、お前一人であの山へ帰ったって誰もいない。チビ一人で生きてけるほど、山の暮らしは簡単じゃねぇんだよ」

「でも……」

 言いかけて、やめる。だってお姉さんの向こうで、お兄さんがあたしを睨んでいたから。これ以上ワガママ言ったら、お兄さんにまたキツい皮肉をぶつけられて、怒られちゃうかもしれないって怖くなったの。

「御國はいい奴なんだ。俺も眞昼も、ガキん時からずっと世話になってる。きっと深咲の事もよくしてくれるさ。だから行こう。な?」

 本当は知らない人のところへなんて、怖いから行きたくない……でも、あたしはうんと、ぎこちなく頷いた。


 大きな通りから少し細い横道にそれて、右に、左にって何度か曲がった先に、こぢんまりしたお店があった。暖簾には大きく何か書かれているけど……あたしは文字が読めないから、なんのお店か分からない。

 お姉さんは迷わずあたしの手を引いてお店に入ろうとしたんだけど、スッとお兄さんが行く手を制した。

「彼女を店に上げるのですか?」

「当然だろ。ここに放り出しておく訳にはいかねぇじゃんよ。それにここまで連れてきたんなら、上げようが上げまいが同じだろ」

 お兄さんが不服そうに手を引っ込め、ふいっとあたしから顔を背けると、さっさとお店に入ってしまう。やっぱり、あたしがここにいること自体がイヤなのかな?

「遠慮しなくていいぞ。御國は堅っ苦しい奴じゃねぇから」

 暖簾を避けてお店に入り、お姉さんは蹴飛ばすように草履を脱ぐ。あたしは一瞬迷ってから、玄関のたたきで脱いだ草履を揃え、奥へと連なるお部屋を見る。

「御國ー! 帰ったぞー!」

「はいはい、おかえり宙夜。眞昼が先に上がってるんだから、君も一緒なのは分かってるよ」

 奥のお部屋からやってきたおじさ……お兄さん? が、あたしの姿を見て目を丸くする。

「おや? 小さなお客さんだね。宙夜の知り合いかい?」

「いや、そうじゃない。このチビは……あー、説明するにはちょっと時間かかるから、とりあえず飯な。チビは昨夜から何も食ってねぇから、なんか適当に食わせてやってくれ」

 言われて初めて、あたしはおなかが空いてることに気が付いた。昨日からなにも食べてなかったのを思い出したの。

 お姉さんに連れてこられてから、ずっと緊張してて、自分のことなのにすっかり忘れてた。そう気付いちゃうと、急におなかがぐうぐう鳴り出して、恥ずかしくなってあたしは両手で頬を押さえる。

「……ふうむ」

 お兄さんは不思議そうにあたしを見つめ、わずかに首を傾げる。なんだか全身をしげしげ眺められて……ちょっと居心地悪い。

「ふふ。よし、分かった。それじゃあ、お嬢ちゃんの名前は?」

「え、あ……み、深咲……」

「よしよし、深咲ちゃん。こっちにおいで。来客があるなんて思ってなかったから、あいにく大したご飯じゃないけど、いいかな?」

 こくんと頷くと、そのお兄さんは柔和な笑顔を浮かべてあたしを手招きする。

「あ、俺も」

「はいはい、宙夜もいつも通り腹ぺこなんだね。でも荷物を無くした分、反省の意味も込めておかわりは自重するように」

「くそっ……眞昼の奴、もう告げ口しやがったのか」

「どうせ後で分かるんだから、隠そうとしても無意味だよ。はい、素直に反省しようね」

 お兄さんはおかしそうに笑い、お姉さんは不満顔で腕を組んだ。

 お兄さん、ふわっとした優しそうな雰囲気なのに、あの豪胆なお姉さんを簡単にやり込めちゃった……。


 ご飯を食べさせてもらった後、あたしはお姉さんに連れられて、お店の更に奥の部屋に入った。そこにはすでに、お姉さんときょうだいの方のお兄さんがいて、やっぱりあたしの顔を見つけると、無視するように顔を背ける。

 お兄さんの態度とか、すごく居心地が悪くて、あたしは体を小さくして俯く。やっぱり……イヤだ、ここ……。

「深咲ちゃん、適当に座ってて。ちょっと退屈な話を先に済ませちゃうからね」

 優しいお兄さんが自分の隣を指差す。あたしはちょっと迷って、お兄さんの隣には座らず壁の方へ寄って、正座した膝の上でぎゅっと両手を重ねあわせた。

 ……居心地が悪い。ここから出て行きたい。でも……行くところなんてないんだよね。あたし、ひとりぼっちだから。

「御國さん、こちらが完了報告書です。簡単にですが纏めておきました。紛失分の積荷に関しては、御國さんの手を煩わせてしまいますが、代替品か保証金をお支払いするという事で、先方に了解をいただいてください」

「ふむ。話を聞くに、こっちの不注意だしね。弁償するのは当然か」

 お兄さんから受け取った紙の束を読みながら頷くお兄さ……えと、御國お兄さん。でも……何だか不思議。御國お兄さんとお話しする時のお兄さんの顔、すごく穏やかな顔になるの。

 あたしの視線に気付くと、すぐまた怖い顔に戻ったけど。


 あたしには分からないお仕事の話が終わって、お姉さんはあたしのこれからのことを、御國お兄さんに話し始める。その間もお兄さんはずっと押し黙ったまま。時々視線を感じるけど、きっとあたしを睨んでるんだと思う。あたしは不安で怖くて、ずっと下を向いてたからよく分かんないけど。

 全てをお姉さんから聞き終え、ふいに御國お兄さんが人懐っこい笑みをお兄さんに向ける。

「なるほどねぇ。うーん……こういうのはどうだろうか? 君たちの下で働いてもらうんだ」

 あたしはびっくりして顔を上げる。当然、お姉さんもお兄さんも目を白黒させて、御國お兄さんを見てるの。

「は、はい?」

「おい、御國。それ本気で言ってんのか?」

「冗談で言ってるように聞こえたかな?」

 お姉さんもお兄さんも、びっくり顔で御國お兄さんを凝視している。

「突然何をふざけた事をおっしゃるのです? わたしたちは、人一人を食べさせていけるような貯えなどありませんよ?」

 お兄さんが難しそうに眉を寄せる。

「うん。だから働いてもらう。最初は手伝いくらいでいいじゃないか。最初から完璧にやってもらおうなんて、無理は言ってないよ」

「俺たちの仕事がどんなに大変か、しかもどれだけ特殊なものか、御國だって知ってるだろ?」

 呆れた様子でお姉さんが首を振る。だけど御國お兄さんは、表情を変えないまま言葉を続ける。

「それも考慮した上での提案だよ。君たちが深咲ちゃんを、一人前にしてあげればいいと思うんだ」

 あ、あたしが……二人のお仕事を手伝うの? 確かに全然知らない人のところで働くよりはいいかもしれないけど……と、あたしはこっそりお兄さんを見る。案の定、お兄さんはむっとした表情で御國お兄さんを睨んでて。

 ……ううっ……やっぱり……この人が怖い。どうしてこんなに怖い顔ばっかりしてるのかしら?

「御國、ちょっと来い」

 お姉さんが御國お兄さんを引っ張って、部屋の隅でこそこそ耳打ちしている。

 あたしは俯き加減で上目使いにもう一度お兄さんを見る。お兄さんは正座した膝の上に両手を重ね、すっかり平常心を取り戻したのか、ツンとした無表情のまま、部屋の隅の二人を見ている。

 表情に乏しいっていうか、仏頂面っていうか、ツンと澄ましてることが多いから、全然考えてることが分かんない。だからすごく怖い。

「深咲ちゃんなら大丈夫だと思うんだけどなぁ。可愛いし」

「おいこら、御國! 可愛いだとか見た目は関係ないだろ! このチビに運び屋の手伝いなんかできるはずがねぇ! それに俺たちの“船”の事はどう説明するんだよ?」

「そんなの、他のみんなにしてるような、今まで通りの説明で充分だろう? 詳しく説明したって、彼女の歳じゃまだ理解できないだろうし」

 お姉さんが額に手を置いて、呆れたように首を振る。

 お船……? そうだ。お姉さんたちが乗ってたお船、空に浮かんでた。あたしそこから落ちそうになって、お姉さんに助けられたんだったわ。空に浮かぶお船なんて不思議。今の今までそれどころじゃなくて、考えてもいなかったけど……どうやって浮かんでるのかしら?

 ちょっと気になるけど、今は質問できる空気じゃないよね。

「俺は反対だ。運び屋って仕事はきついし、深咲みたいな子供がやるような仕事じゃない。船の事もあるし、別の仕事を探してやるべきだ」

「ふむ。眞昼の意見は?」

「わたしも反対ですね。もっとも、宙夜とは理由が違いますが」

 お兄さんが冷やかな視線であたしを射抜く。あたしはビクッと体を強張らせて、胸元を強く抑えた。

 やだ……怖い怖い怖い。どうしてそんなにあたしを睨むの?  あたしの何がお兄さんの神経を逆撫でしてるっていうの?

「……子供とはいえ、こんな素性の知れない者と、寝食を共にしたくはありません。今すぐ、この場を出て行っていただきたいくらいです。至極不愉快です」

 じわっと、あたしの目元に涙が滲む。

 あたし、悪いことなんて何もしてないのに……どうしてお兄さんはこんなにも、あたしに対して敵意剥き出しで批難するの? お姉さんも御國お兄さんも凄く優しいのに、どうしてお兄さんだけ……。

 ふるふると体が震えてきて、あたしはまた逃げ出したくなってきた。やっぱり帰りたいよぅ……。


「眞昼」

 御國お兄さんがお兄さんの正面に膝をついて、彼の頭に手を乗せる。あっ! そんなことしたらお兄さん、怒っちゃうんじゃ……。

 だけどお兄さんは一瞬怯えるように御國お兄さんを見上げ、小さく唇を噛んで黙っている。あ、あれ?

「君が宙夜と僕以外の人間を、極端に拒絶して遠ざけてしまうのは知ってるけど、でも……相手をよく見て。自分を守るためでも、強い言葉は場合によっては意識的に控えるべきだよ。見てごらん。深咲ちゃんは随分、君に対して萎縮してしまって怖がってるじゃないか。彼女が君の癇に障るような事でもしたのかい? それとも軽蔑や侮辱でもされた?」

「……そういう、訳では……」

 お兄さんは叱られた子供みたいにしゅんとしている。こんなお兄さんの姿、初めて見たわ。御國お兄さんって温和で物腰柔らかで、お兄さんと言い争っても簡単に負けちゃいそうなのに、お兄さんは御國お兄さんの前では随分しおらしい。

「御國。眞昼が深咲に強く当たってるのを諌めてくれんのはありがたいけど、今はそういう事を言ってるんじゃないだろ」

「眞昼の次は宙夜だ」

「俺?」

 御國お兄さんは腰に手を当てて、お姉さんを見る。

「僕は君たちに“誰かを妬まず、ヒトの心を持ちなさい”と教えてきた。深咲ちゃんを保護して助けた事は褒めるべき行動だと思うけど、その後がいけない。君は行く宛もなく困っているこんな小さな子を、本人の意思を無視して連れてくるだけ連れてきて、あとは知らないからと放り出しても平気だっていうのかい? 僕はこういう事が、ヒトの心を持つ事だって教えたかな?」

「御國の言いたい事は分かるさ。けど……」

 お姉さんが言い淀む。

 御國お兄さんって……不思議な人。お姉さんもお兄さんも、御國お兄さんにはまるで頭が上がらないみたいなんだもの。こんな温厚そうな人が、気の強い二人を簡単に言い負かしちゃうなんて。


 ふいに、御國お兄さんが笑った。ちょっと含みのある、変な笑い方。

 人差し指を立て、それを顔の横に持ってくる。

「深咲ちゃん。聞いてもいいかな?」

「は、はい」

 急に呼び掛けられ、あたしの声が跳ね上がる。

「君は口が堅い方かな? 絶対喋っちゃダメだよって言われた事を、他の人に言い触らさないって約束はできる?」

 あたしはそもそも、知らない人や親しくない人と話すこと自体が得意じゃないもの。それにお父さんやお母さんの言い付けを破ったことも、今まで一度もない。約束は守れると思うから、あたしは小さく頷いて見せた。

 でも……なんだろう? 約束って。

 ……あ! あのお船のことかな? 空に浮かぶ珍しいお船だもん。あれに乗ったことがあるって、他の人に言っちゃダメとか?

「宙夜、眞昼。いっその事、“あの事”を深咲ちゃんに話してしまったらどうだろう? 共通する秘密を持つ事によって、互いに信頼関係が築かれるだろう?」

「ばっ……莫迦言え! そんな事したら、深咲が余計に怯えるじゃないか!」

「あの事を教えるだなんてとんでもない! 勝手にそんな真似をしたら、わたしは御國さんを軽蔑しますよ!」

 お姉さんとお兄さんが、ものすごい剣幕で御國お兄さんに詰め寄っていく。あたしはなんの事か分からなくて、つい怯んで逃げ腰になってしまった。

「でももう実際、彼女を船に乗せてしまっているんだろう?」

「そ、それは……妙な場所で倒れてるのを見つけて、見捨てておけなくて、仕方なく……」

「じゃあその後の事も、責任もって面倒を見てあげればいいんじゃないかな。どうだろう? 君たちがちゃんと更生したんだという証拠を、僕に見せてくれないか?」

 お兄さんは眉尻を吊り上げ、胸に片手を置いて身を乗り出す。

「妙な事をおっしゃらないでください。わたしたちはもう真っ当な職を持って働いています。それで充分ではありませんか? 御國さんは今のわたしたちの事を、ちゃんとご覧になっていないのですか?」

「うん、そうだね。その仕上げとして、深咲ちゃんを一人前に育ててあげてほしいんだ。深咲ちゃんが君たちの下で一人前になったら、僕は肩の荷がやっと降ろせる気がするんだよ」

 更生って……どういう意味? お姉さんもお兄さんも大人だし、お仕事もしてるし、それならもう子供じゃないよね?

「ふぅむ。納得できない? じゃあこうしよう。僕が個人的に深咲ちゃんを雇う。それで僕は深咲ちゃんに仕事を頼む。宙夜と眞昼を見ててくれってね」

「なっ……」

 お姉さんが声をあげ、お兄さんが眉を寄せて唇を噛む。

「チビの深咲に、俺たちの監視をさせようっていうのか? それこそ無茶苦茶じゃないか!」

「それが嫌なら、君たちが深咲ちゃんの面倒を見てやればいいじゃないか。さぁ、二つに一つ。どっちを選ぶ?」

 名案だとばかりに小さく手を叩いて、おかしそうに笑う御國お兄さん。

 御國お兄さんって……ちょっと食えない人? すごく頭の回転が速いのか、次々とお姉さんやお兄さんの反論をひっくり返しちゃう。それに二人も、御國お兄さんには全然頭が上がらないでいる。不満を口にしても、どこか遠慮してるみたい。

「眞昼……どうする?」

 お姉さんがすっかり困り果てた様子で、お兄さんに問い掛ける。

「勝手になさい。わたしは知りません」

 お兄さんは拗ねるように、ふいと顔を背けてしまった。お姉さんは長いため息を吐き、くしゃくしゃと髪を掻き乱す。

「はぁ……分かった。俺たちで深咲の面倒を見る。俺たちの仕事を手伝わせりゃいいんだろ」

「やぁ、よくできました。深咲ちゃん、良かったね。お仕事先が決まったよ」

「え、あ、はい。あの……えと……」

 こういう時、何て言えばいいんだろう?

「そうだ。身を置く場所も頼る先もないって言ってたよね? じゃあついでに、宙夜と眞昼の妹になっちゃえばいいよ。三人揃っていてくれる方が、僕も面倒見やすいしね。あはは、これから“きょうだい”仲良くね。宙夜と眞昼もいいね? もう文句は言わせないけども」

「ああもう面倒くせぇ! 好きにしてくれ」

 お姉さんは胡座を掻いて膝の上に肘を付き、やれやれと首を振った。

 よく分からないけど……たぶん、お礼を言えばいいのよね? 助けてもらったことのお礼も、まだちゃんと言ってなかったし。

「あの……あの……あ、ありがとう。い、一生懸命がんばる、から。だから……えっと……お姉さん、お兄さん、これからよろしくお願いします」

 あたしは不安で胸が押し潰されちゃいそうになりながらも、頼れる人は他にいないんだ、この人たちに頼るしかないんだ、と、自分に言い聞かせてぺこりと頭を下げた。

「うん。深咲ちゃん、頑張ってね。でもできない事を無理にしようとしなくていいから、少しずつ仕事を覚えるといいよ。それじゃあ、仕事を引き受けてくれる頭数も増えたから……お給料も少し上げてあげよう。どうだい、悪い話じゃないだろう、宙夜、眞昼?」

 お給料という言葉を聞いた瞬間、お姉さんとお兄さんは目を見開いて顔を見合わせる。

 え、あ……うふふっ! どこか不満そうだったお姉さんとお兄さんの様子が、お給料って言葉で一気に変わっちゃった。おかしいんだ!

「じゃあ深咲ちゃん。これから宙夜と眞昼は君の新しい家族なんだから、遠慮は一切いらないよ。当然この子たちの保護者である僕にも、遠慮は無用だからね」

 そんなの急に言われても……。

 そっとお兄さんを見ると、相変わらず冷たい視線をあたしに投げ掛けていた。あたしの新しい……家族の……お兄さん……? すごく、不安。

「んー、お姉さんお兄さんっていうのもいいかもしれないけど、外で二人を呼ぶ時に不便だろう? 名前で呼んでみたら? 僕達もそうしてるし。僕は御國、それから宙夜に眞昼。分かるよね?」

 そう、かも? ここに来た時も、お兄さんと御國お兄さんをどうやって呼び分けたらいいのか、一瞬迷っちゃったものね。

 な、名前……で、呼ぶのね。はふぅ……せ、せぇの……!

「えっと、それじゃあ……御國と宙夜と……眞昼、でいいの?」

 ドキドキしながら呼んでみると、みんなが一斉にきょとんとした表情になってしまった。あ、あたしなにか……変なこと言っちゃった? 名前、間違っちゃったっけ?

 一番最初に我に返ったのはお兄さんだった。ばんっと畳を叩いて、目尻を釣り上げてあたしを睨む。ひゃっ! 怒られる!

「なっ、何を無礼でぶしつけな! わたしたちだけならまだしも、御國さんを呼び捨てるとは何ごとですか! 御國さんとおっしゃい、御國さんと! 目上の者を敬うという事を知らないのですか! 教養がないのは仕方ないとして、馴れ馴れしいにも程があります! 最低限の礼儀くらい、わきまえなさい!」

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 あたしは頭を抱えて涙ぐむ。ううっ……御國さんと眞昼さんは、そのまま呼んじゃダメなのね。怒られちゃう。

「へぇ。お前はいいのか。眞昼で」

「……礼儀もろくに知らず、しかも無教養なようですし、致し方ありません。非常に不本意ですが! ふんっ、大変不愉快です。失礼します!」

 そう言い捨て、お兄さん……眞昼さんはピシャリと襖を閉めて出て行ってしまった。一番苦手な人がいなくなって、あたしは内心ほっとする。そんなあたしに、宙夜が擦り寄ってきた。

「深咲は結構図太い神経してるんだなぁ。あの偏屈を黙らせて追い出しちまうなんて。ま、ちょっと頭に血が上ってたみたいだけどさ」

「あたし……変なこと言ったの? だから眞昼、さん……は、怒ったの?」

 恐る恐る聞いてみたけど、宙夜はおかしそうに笑うだけ。そして御國さんは。

「深咲ちゃん。仕事頑張るって言ったよね? じゃあこれから、勉強を教わらないといけないね。読み書きは絶対必要になってくるよ」

「うへぇ。御國ぃ……俺はそういうの勘弁。苦手なんだよ」

「あはは。宙夜、早とちりだよ。誰も宙夜に師事しろとは言っていないじゃないか。深咲ちゃん、しっかり勉強するんだよ。眞昼はちょっと厳しいかもしれないけど、あれでいてなかなか、物の教え方が上手いから」

 さぁっとあたしの頭から血の気が引く。

 眞昼さんにお勉強を教わるだなんて……絶対怒られちゃう。怖いよ。御國さんや宙夜じゃダメなの?

 縋る思いで宙夜を見ると、宙夜は両手をひらひらさせて首を振っていた。

「ああ。俺、そういうの無理な。仕事に必要な程度の読み書きはできるが、眞昼みたいに、人に何か教えられる程の知識はねぇから。あいつにゃ、あんまガミガミ言うなって注意はしてやるから、ま、頑張れよ」

 やだぁ……怖いよぉ。ぐすん……やっぱりお山に帰りたい。

 あたしは眞昼さんにいっぱい怒られる想像をして、一人で震えながら頭を抱えた。

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