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風薫る君  作者: 天海六花
雷切
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雷切 三

     三


 準備のための二日間、あたしは御國さんのお店を離れて、御國さんが管理してる、町外れの荷物置き用の納屋に隠れていた。本当に荷物を置くためだけの場所なのか、すごく埃っぽくて狭くて、とても人が住めるような場所じゃない。でもあのままお店で隠れていて、もし領主さまの追手がきたら、町中じゃ逃げ場がないからって、一時的に避難して隠れてたの。

 ご飯や着替えなんかは、宙夜と眞昼が交代でこっそり持ってきてくれるから、特に不便を感じてはいなかったんだけど……でも毎日することがなくて、すごく暇だった。

 この短期間で、すごくいろんなことが起こったものね。息吐く暇もなかったっていうか。だからこの虚無ともいえる時間がすごく退屈で、あたしはダラダラと寝て過ごすくらいしかできなかったの。

 西の大陸へ渡るための準備。あたしの荷物は全くない。だってあたしは自分の体一つで、あのお山から陽ノ都まで連れてきてもらったから。

 ひとつだけあるとすれば……お父さんに買ってもらった櫛。今となっては形見になっちゃったけど、あたしとお父さん、お母さんを繋ぐ、たった一つの思い出の宝物。

 お父さんは……結局最後の最後で……あたしに嘘を吐いた。約束、守ってくれなかった。絶対に迎えにいくからって、言ってたのに。

 お母さんとは話せなかったけど、お母さんは最後にどんなことを思ったのかなぁ? あたしのことだったら……嬉しいんだけど。

 寝てるのも飽きてしまって、あたしはこっそり納屋を出た。遠くには行けないけど、すぐ近くを散歩するくらいなら。


 紅い空。

 夕焼け。

 

 宙夜と初めて会った日も、こんな夕焼け空だったよね。銀色の瞳に夕日が写り込んでいて、すごく不思議できれいな色だった。

 あたしはお父さんとの約束を守って、あの滝の裏の秘密の場所で、たった一人でお父さんを待ってた。そこへ宙夜がやってきて、一人じゃ危険だからって、陽ノ都まで連れてきてくれた。宙夜はすごく面倒見がよくて、あたしはすぐ好きになった。

 眞昼は、最初はすごく怖くて意地悪で、だけどそれは全部あたしを思うがゆえの裏返しの言動だって分かって。御國さんは最初からほんわかしてて優しくて。

 だけど今は、みんなが大好き。

 三人との出会いを思い返し、あたしは夕日に染まる中を一人ゆっくりと歩く。

 ぼんやりと空を見上げていたら、ふっと背後に人の気配を感じた。誰かに見つかったのかと、体を強張らせて振り返ると、予想もしてなかった人がそこにいた。

 大きい体。赤みがかった髪を結い、手織りの素朴な着物はちょっと大きさが合ってない。顔には大きな火傷の痕があって、少し辛そうに、体を僅かに傾けている。

「……お、父さん?」

 お父さんは今にも泣き出しそうな顔になって、無言であたしを抱き締めた。訳が分からず、あたしはお父さんの腕の中で硬直してしまう。

「深咲。遅くなってすまない。約束通り、迎えにきたよ」

「お父さん……お父さん生きて、たの? でも怪我……火傷とか……」

 まだ心が現実に追いつかない。見えて感じたままの疑問を、お父さんにぶつけてみる。

 前は顔に火傷なんてなかった。体が傾いてなんかなかった。たぶんそれは全部、妖狩りに加担した人たちから受けた傷跡。こんなたくさんの怪我をしてまで、お父さんはあたしを守って逃してくれたのね。

「心配させてすまないね。まだ怪我は全部治ってないんだ。怪我をしてしまったから、深咲を迎えにくるのが遅れてしまって……ずっと捜していたんだよ。無事で良かった」

 お父さんの温もりと、におい。鼻の奥がつんと痛くなってきて、ようやくあたしは現実を受け入れることができた。感情が追いついてきた。

 ぎゅっとお父さんにしがみつき、ぐすぐすと鼻を鳴らす。

「会いたかった。会いたかったよぉ。あたしはお父さんをずっと待ってたんだから! なのにおうちも無くなって、お父さんもお母さんも死んじゃったって言われて、あたしすごく悲しくて、寂しくて……」

「ごめんよ、深咲。ごめんよ」

 大きな手があたしの頭を撫でる。うん、この手でいつも頭、撫でてくれたの。お父さんの手、あったかくて大好き。

「深咲。もう一つ謝らないと」

「?」

 顔を上げると、お父さんの顔がくしゃりと歪んだ。あたしを抱いたまま、辛そうに声を絞り出す。

「母さんを守ってやれなかったんだ……深咲を助け出すのに精一杯で、父さんは母さんを見殺しにしてしまった。深咲から母さんを奪ってしまった。すまない。本当にすまない」

 お父さんの着物をきゅっと掴み、あたしは額を、お父さんの胸に押し付ける。

「……お母さん、最後に何か言ってた?」

「深咲を愛している、と。どうか無事でいてくれ、と……」

「うん。それなら、平気。あたしの心の中に、お母さんはずっといるから。お父さんは、こうしてあたしと一緒にいてくれるから」

 悲しくないって言えば嘘になる。でもお母さんは最後まであたしのこと、考えててくれた。それを教えてもらったから、大丈夫。泣いたりしない。

 大好きなお父さん。もう会えないと思ってたお父さん。こうしてあたしを捜して、会いに来てくれただけでも満足だもん。

 お父さんの着物を掴んだまま、あたしはお父さんの顔を見上げた。

「ねぇ、お父さんはどうして嘘を吐いてたの? お父さんは……妖だって、あたしに教えてくれなかったのはどうして?」

「そ、れは……」

 お父さんは言いよどみ、唾を飲み込む。だけど決心したように、あたしを真っ直ぐ見下ろしてきた。

「深咲に話すのは、まだ早いと思ってたんだ。折を見てちゃんと話す気でいたけれど、深咲はとても怖がりだろう? 父さんが妖だなんて知ったら、深咲は怖がって泣いてしまうと思ったんだ。父さんも母さんも、深咲にはずっと笑顔でいてもらいたかったんだ。どんな顔をしていても、深咲は父さんと母さんの宝物だけど、特に笑っている顔が一番愛しいからね」

 妖でも、あたしはお父さんが大好き。だって妖とか、そんなの関係ない。お父さんはあたしにとってお父さん以外の何者でもないし、お父さんだってあたしをたくさん愛してくれてるの。それが分かったから、あたしはとびっきりの笑顔をお父さんに見せる。

「平気! あたしはもう泣かないよ。だって宙夜と眞昼に約束したもん。いい子でいるからって。あたしはもう、怖がりの深咲じゃないの。変わるって決めたから」

 あたしの言葉を聞いて、お父さんが不思議そうに首を傾げる。

「誰だい? その二人は」

「あたしを助けてくれた人。これからも、あたしと一緒にいてくれるって約束してくれたの。だからあたしもいい子でいて、二人をもっと信頼して、大好きになろうって決めたの」

「そうか。父さんの知らない間に、いい人たちと出会えたんだね」

 目を細めてお父さんはあたしの頭を撫でる。

「あ、そうだ! お父さんもあたしたちと一緒に行こうよ! あたし、この都にはもういられないから、宙夜と眞昼と一緒に西の大陸に行くんだよ。お父さんも一緒なら、あたしすごく嬉しい!」

 お父さんだって妖だから、きっとこの国でいるのは大変だと思うの。だから一緒に西の大陸へ行けば。

「……そうか、大変だったみたいだね。でもね、深咲。父さんはね……」

「深咲!」

 お父さんの言葉を遮り、切羽詰まった宙夜の声が響き渡る。あたしは驚いて振り返った。すると宙夜と眞昼がすごい形相でこっちを睨んでる。え? え?

「あんたは誰だ!」

「深咲さん、お怪我はありませんか?」

 あ! 宙夜と眞昼は、お父さんのことを知らないんだ。だから二人には、あたしが知らない人に捕まってるように見えたんだ、きっと。

 あたしは慌てて両手を広げて、お父さんの前に立つ。

「違うの! この人、お父さんなの! ずっとあたしを捜してくれてて、あたしもついさっき会えたの!」

「深咲の、親父さん?」

 宙夜が目を丸くする。眞昼も口元に手を当てて目をパチパチしてる。

「深咲。彼らが……宙夜くんと眞昼くんか?」

「うん。あたしの恩人で、新しい家族なの。お兄ちゃんとお姉ちゃんだよ」

 手短に説明すると、お父さんはあたしの肩に手を置いて立ち上がった。そして二人に対して深々と頭を下げる。

「深咲を救ってくださって、心より感謝します。私は雷切。深咲の父です」

「へ? あ、ああ……どうも……」

「はじめまして。わたしは眞昼、こちらは宙夜です」

 あたしのお父さんだからか、眞昼は礼儀正しく頭を下げて自己紹介する。素性の分からない人だったら、眞昼は口を利かないどころか、視線も合わせようとしないものね。

「深咲を助けていただいたばかりか、この先も深咲の傍にいてやってくださるとか」

 お父さんはあたしの頭に手を置いて、優しい目であたしを見つめる。あたしは満面の笑みで、きゅっとお父さんの袖を握った。

「ねぇ、宙夜、眞昼。お父さんも一緒に西の大陸へ行ってもいいでしょ? お父さんだって、もうこれからずっと、あたしと一緒にいてくれるんでしょ?」

 二人にお願いするあたし。だけどふいに、お父さんがあたしの頭から手を離し、伏目がちな表情で、あたしの顔を覗き込んできた。

「……ごめんよ、深咲。父さんは……一緒に行けないんだ」

 お父さんの言葉を聞き、あたしの笑みが消える。それから言葉もなく、ただ呆けたように、お父さんを見つめていた。

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