アクアツアーの影
由真と羽田が並んで歩いているので、飛鳥はなんとなく二人から遅れて歩いていた。
ちょっと気になっていることがあったからだ。
今、羽田が此処に居るのに、ジェットコースターから人が落ちてきた。
落ちた人間と羽田は別人なのか?
やはり、あそこでは幾つかの事故があって、それでいろいろな怪現象が起きていたのだろうか。
でも、そんなにいろいろあったのなら、もっと早くに閉園になっていそうだが、とも思う。
少なくとも、問題のジェットコースターは閉園まであった気がするし。
霊現象も人に寄って見え方違うからなあ。
同じものを見ても感じ方が違って、それで話が分かれてしまったのかも、と飛鳥が思っていたとき、水の匂いがしてきた。
「お、アクアツアーだ。
此処もスタンプがあるんじゃないか?」
と羽田が言ってくる。
なんかこの人が一番肝試し、楽しんでるなあ、と思う飛鳥の前で、羽田は、
「由真、此処の噂ってなんだったっけ?」
と訊いていた。
由真は、草が生い茂っている向こうの水面を見ている。
広い人工の池に、動かない水上の乗り物が幾つも点在していた。
「……水の中になにか居るって話じゃなかったですか?」
そう由真は答える。
そのとき、後ろで、カタン、カタン、カタン……となにかが音がした。
遠くからのようだが、よく響く。
何処かで聞いた音だ。
遊園地でよく聞く音。
振り返ったとき、既にその音は止んでいたが、飛鳥は、あれ? と思った。
暗闇にそびえるジェットコースター。
乗り物の位置がずいぶん下に降りているような……。
羽田たちも音に気づいたのか、振り返っていた。
月を背にしたジェットコースターを見ながら、
「誰かがふざけて動かしたんじゃないか?」
と羽田が言う。
「電気通ってるんですか? 此処」
「通ってないと思うけどねー」
「ですよね」
誰も電気代払ってないだろうし、と思ったあとで、ん? と思い、飛鳥は横を見た。
今の声は、羽田ではない。
ひっ、と息を飲む。
禿げて小柄なおじさんが真横に立っていたからだ。
おじさんの足許には犬まで居るが、まったく気配を感じなかったし、犬も吠えなかった。
飛鳥が口を開きかけた瞬間、そのセリフがなにかを察しているかのように、
「生きてるよ」
と苦笑いして、おじさんは言ってきた。
「いやー、よく霊と間違われるんだよね」
肝試しの人たちに、と言う。
おじさんは、ジェットコースターの向こうを指差し、
「あそこに明かりがあるでしょ。
あれ、うちの家。
壊れてる金網のところから入って、いつも犬の散歩してるんだよね。
本当はいけないんだけど」
と言って笑っていた。
犬……、とその犬を見下ろす。
小型犬なのに、全然吠えないから、霊かと思ってた……。
だが、飛鳥がその黒いつやつやの瞳を見つめると、可愛らしいトイプードルは、わん、と鳴いた。
霊よりも、この中を平気で明かりも持たずに歩いてくるこの人が怖いな……、と飛鳥が思っていると、おじさんは後ろを振り返りながら言っていた。
「あのジェットコースター、ときどき勝手に動くんだよねー。
だいたい、この間まで、あんな高い位置に居なかったし」
と不自然な位置で止まっているジェットコースターを指差し、言う。
「草は、ぼうぼうだし、蚊は大量発生してるし。
どうにかして欲しいよねー」
とおじさんは、この廃墟に対しての現実的な不満を述べたあとで、草の向こうの水の中を覗き込むと、
「この中、なにか居るって言われてるけど、水草だと思うけどね。
じゃあ、蚊に気をつけて。
早く帰りなよー」
と言って、おじさんは去っていった。
三人は立ち尽くしたまま、おじさんと静かな犬を見送る。
よく見ると、おじさんの手には、犬のフンを入れるためのスコップとビニール袋があった。
廃墟なのに、きちんとそういう配慮はしているようだ。
「……なんか、一気に現実に引き戻されたわ」
羽田という霊が真横に居るのに、そういうことを言うのもおかしいかもしれないが。
これはこれで自分たちにとっては、日常の風景だ。
「すごく幻想的な光景だったのに」
と飛鳥は廃墟となっている遊園地を見渡す。
人が居なくなった場所というのは、何故、こんなにも美しいのだろうか。
荒廃具合は容赦のない時の流れを感じさせ、なんだか人を切なくさせる。
どんな風に生きていても、必ず訪れる死というものを予感させるからだろうか。
……まあ、死んだあとも陽気な人も居るんだけど、と羽田を見る。
あれっ? とそのとき、気がついた。
「羽田さん、いつもより、はっきり見えますね」
いつもぼんやりした白い影にしか見えない羽田が黒っぽいスーツを着ているのが見えたのだ。
「五年ぶりに本拠地に近づいたからかな」
と羽田は笑う。
いや、ジェットコースターは通り過ぎましたけどね、と思いながら、黙って水面を見ている由真の視線を追った。
さっきのおじさんが言っていたように、黒っぽい水草が見える。
よどんだ水の中でゆらめく水草。
塊になっているところもあって、水の中をたゆたう黒いその塊を見ていると、なにかが居るように錯覚してしまいそうだ。
「やっぱ、これかな?
アクアツアーの怪物。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花って奴だろ」
とじゃあ、あんたも枯れ尾花だろ、と思う羽田がそう言い、笑う。
そのとき、
「あっ、出会っちまったな。
遅いぞ、お前ら」
と声がした。
浴衣姿のまゆが、どう見てもヤンキーな神崎と現れる。
さすがは、くじ引き。
普段、一緒に動くことはなさそうな、ちょっと不思議な組み合わせのカップルだ。
「椎名。
此処がネッシーが居るというアクアツアーだ!」
と幻想的な人工の湖を見ながら神崎がまゆに言う。
いや……ネッシーがいるのは、ネス湖。
此処はアクアツアーだから、アッシーか。
裏野遊園地だから、ウッシーか。
……可愛すぎて怖くもなければ、神秘性もないな、と思っていると、神崎が、
「おい、椎名。
スタンプを探せ」
とまゆに言っていた。
「ええっ? また、私っ?」
とまゆが文句を言っている。
「しょうがねえだろ。
俺、スタンプの位置、知ってんだから」
あ、そうだ、と思い出し、飛鳥は一応、この肝試しの責任者の一人である神崎に言った。
「此処、私たち以外の人も居るんだね」
「そうなのか?」
「今、犬の散歩のおじさんに会ったよ」
と二人が来た方を見ながら言うと、その視線を追った神崎が、
「おじさんなんて見てねえぞ」
と言い出す。
……まあ、このメンツだ。
霊であっても気づかない可能性もあるな、と思ったとき、ぽちゃん……と水音がした。