五年前――
飛鳥は暗闇の中のジェットコースターを見上げ、思い出していた。
初めて、羽田と会った日のことを。
閉園前から、この遊園地にはいろんな噂があった。
このジェットコースターでもだ。
此処で事故があったせいだというが、どんな事故だったのか、誰に聞いても違うことを言う。
だから、本当はそんな事故なんてなかったのだと飛鳥は思っていた。
だが、五年前、みんなで此処へ来たとき、まゆが言っていた。
「このジェットコースターから、昔、人が落下したことがあるらしいよ。
身体を抑えるバーがきちんと下りてなくて。
その人、今も死んだことに気づいてなくて、いつもジェットコースターに乗ってるんだって。
ひとりで乗ってる人の横に――」
これからそのジェットコースターに乗ろうというのに、なんて話をしやがりますか、まゆさん、と思いながら、飛鳥が係員の人が下ろしてくれたバーをガッチリつかんでいると、隣に座っていた由真が行こうとした係りの人を呼び止めた。
「すみません。
やっぱり降ります」
バーが上がると、飛鳥を乗り越えるようにして、ジェットコースターから降りた由真は、飛鳥を振り返り、
「おい。
絶対、手を離すなよ」
と言ってきた。
「えっ?
由真が降りるのなら、私も降りるっ」
と叫んだが、由真は、
「いや、危ないから降りるな」
と言って、ひとりが降りていってしまった。
係員の若い男の人は、
「はいっ。
では、もう一度、バー下ろしますね。
しっかりつかんでてくださいねー」
と言い、さっさとバーを下ろしてしまう。
こんなことで時間を取られるわけにはいかないからだろう。
しかし、危ないからってなんだ。
此処にひとりで乗ってる方が危ない気がするんだが。
いろんな意味で……と思っている間に、ジェットコースターは動き出した。
最初はスローだったのだが、まゆたちは、既に盛り上がり、なにも怖くない状態で楽しげな悲鳴を上げていた。
由真は白く塗られた鉄の階段のところで、一度、こちらを振り返ったが、そのまま行ってしまった。
飛鳥は、ひー、と固まったまま、バーをつかんでいた。
そもそも、ジェットコースターが苦手なのだ。
みんなの勢いにつられて、うっかり乗ってしまったが。
小学校最後の夏休みだし。
そうだ。
目、目を閉じてみよう。
と閉じてみると、風を切る感じや、急降下する場所で、身体がふわっと浮く感じが余計に伝わってきた。
ひーっ、と思って目を開けた瞬間、横に人が居るのが見えた。
「……楽しいね」
ぼそりと聞こえた男の声に、
私は楽しくないーっ!
と飛鳥は絶叫していた。
「なあなあ。
この下に居ると、なにかが降ってくるってウワサがあるんだぞ」
と五年前のことを思い出していた飛鳥に、ジェットコースターを見上げた羽田が少し楽しそうに言ってくる。
はいはい、と相槌を打ちながら、飛鳥はかつてスタッフがチケットを確認していた建物のカウンターに近づく。
そこにスタンプはあった。
よし、さっさと押して去ろう、と思いながら、まだジェットコースターの怪談を語っている羽田をチラと見る。
羽田が此処の怪現象について語るのは不思議な感じだった。
何故なら、このジェットコースターの数あるウワサのひとつは、羽田に寄るものだったからだ。
此処から落下した人の霊が、ひとりで乗っている人の横に座ってくる。
でも、そのウワサは間違っている、と飛鳥は思っていた。
ひとりで乗っている人の横に座った挙句に、ついて来るのだ。
こんな感じにっ、と今も自分に憑いている羽田を見た。
だが、ジェットコースターで出会った霊にとり憑かれた、というウワサは聞かないから、たまたま自分と羽田の相性が良くてついて来てしまったのだろう。
しかし、此処に居ると、なにかが降ってくるって。
それ、ご自分が降ってきてるんじゃないんですか? 羽田さん、と飛鳥が思っている間、由真はジェットコースターを見上げていた。
そんな由真を見ながら、羽田が言う。
「あれが一番の怪談だよな」
と。
「なんで最後、あんなところで止まってるんだろうな」
客はどうした? と由真と同じように上を見上げて、羽田は言った。
ジェットコースターはこれから、一番の急勾配のところに差し掛かる、という頂点のところで止まっていた。
飛鳥はそれを見上げ、
「……いや、客は下ろしてから、あそこまで走らせたんじゃないんですか?」
と言ってみたのだが、羽田は、
「なんのために?」
と言う。
「……点検?」
「もう閉園なのにか?」
いやいや。
貴方、もともとは此処についてた霊でしょう?
何故、私に尋ねてきますか、と思いながら、頂点から少し落ちかけたところにある先頭車両を見ていて、おや? と思った。
そこに白い人影が乗っているのが見えた気がしたからだ。
霊が乗ってる? と目を細め、見ようとすると、由真が、
「そろそろ行かないと、次のカッ……
次の組が来るぞ」
と言ってくる。
由真は今来た道を見ていた。
いや、何処から回ってもいいから、次の人たちが此処に来るかとは限らないんだけど。
まあ、スタート地点の案内所から、此処が一番、近いのは確かだが。
それにしても、今、カップルと言いかけ、やめたのは何故だ……と思う。
向こうをカップルと呼ぶなら、自分たちもカップルになってしまうからか。
不愉快ナリ、と飛鳥が、勝手に由真の思考を推察し、腹を立てていると、
「押したか? スタンプ」
と自分たちから距離を置いて、園内を見ている由真が言ってきた。
うん、と飛鳥は今押したカードを見た。
スタンプは女子に人気のキャラものだった。
これ、妹さんのじゃないのか、島田、神崎。
勝手に持ち出したんじゃないのか、怒られるぞ、と思っているうちに、由真も羽田も歩き出していた。
おい、こら、そこの私の背後霊。
何故、私の前を行く、と羽田を追いかけようとしたとき、後ろで悲鳴が聞こえた。
振り返ると、ジェットコースターの一番上から、白く、やせた人が落下してくる。
男のようだ、とよく見えないのにわかった。
霊というのは不思議なもので、脳に勝手に情報が入ってきたりするのだ。
ドーンッと地面に人が落ち、足許のアスファルトが揺れる感じがあった。
だが、由真はまったく気にしておらず、羽田もチラと振り返っただけだった。
今の霊の人。
ずっと落ちてんのかな、此処が廃園になっても。
いや、今日は我々が来たから、張り切って落ちてみたのかもしれないな、と思いながら、飛鳥は落ちた霊も既に居ない地面を見た。
ジェットコースターの下、むき出しの地面には草がはびこり、しっとりと夜露に濡れていた。