天の河混ぜたら危険
時々月に誘われ、夜の散歩をする。
丘の上の新興住宅街を抜け、昔ながらの森の側の道を、薄い影を共に歩くだけなのだけど。
ここが好きだが、『ド』とか『ローカル』とかが、ダブルでつくぐらい、田舎だ。
それでも、不思議とあんな風に、家が建つ。
グルリと森の端をまわって、隅っこの公園に出た。
沢を挟んで、古い霊園があるのだが、月明かりぐらいでは、黒い森の影に囲まれていて、ここからは、見えない。
月と月の作る影と共に、沢沿いの急な坂を下る。
湿った落ち葉があちこちに落ちていて、踏むと滑るので、黒っぽい物は、避けて降りる。
半分も降りると、影の色が変わる。
月の勢力圏から抜けて、街灯の明かりだけが辺りを照らすからだ。
沢沿いの坂を抜けると、遮っていた木の枝が消え、又、空が広がる。
向かいの山の上に、ポッカリと月が現れた。
下の辺りは古い家が多い。
こんな時間では、起きてる家は、数えるくらいだ。
影の濃さに、ふと頭を上げた。
月が、2つになっていた。
白い月の前に青白い月が現れたのだ。
闇の中の流れる雲と、明るくなった2つの月の共演だった。
偽物の月に、気づかれたのだろうか。
青白い月は直ぐに、絞った様に明かりを弱め、重なる月の中にその姿を消したのだった。
本の一瞬だけの2つの月。
家の玄関に入ってから、ゾッとした。
見てる事に気がついたからこそ、隠れたのだろうか、と。
思わず、鍵をかけた扉を確認してしまった。
で、その後、笑いがこみ上げてきた。
夏の月の幻だろうと。
明け方の薄明かりの中、白々と明け出した薄い青と暗い青の空の向こうに、月は傾きその姿を山に呑まれ出している。
いつもの野鳥が鳴き出し、カラスも鳴く。
台所の冷蔵庫から、水を出して飲むその後ろに、窓越しに覗くものがいたのを、気づかなかった。
どうにも眠られないので、二階に上がり、身支度をする。
夜中の散歩のスタイルは、まあまあ適当だ。
でも、自転車に乗るなら別。
好きなシャツやストレッチのパンツを探す。
縞のシャツに黒いパンツ。
サングラスと財布を持ち、ブラッと外に出た。
田舎だけあって、昔の単線の電車の跡が、サイクリングコースになっている。
市道とぶつかりながらも、車の来ない川沿いのこのコースは、ジョギングやサイクリングに人気だ。
カーポートにくくりつけておいた愛車にまたがり、軽く坂を下っていくと、直ぐにサイクリングロードが現れる。
ここなら、新聞配達の邪魔にはならない。
帰りの楽な登りを選んで、自転車を走らせた。
緑の中を抜けて、小さな児童公園や小学校の側を駆け抜けていく。
さすがに、すれ違う人も自転車もまだいない。
独り占めの気分を味わおう。
小さな段差が、川に水の音を作っている、お気に入りの場所に出た。
その辺りは、公園としても整備されていて、ベンチや自販機や子供の遊具なんかがある。
小さな落差でも、幾つも重なると、それなりに滝の様な音に聞こえる。
傍に自転車を立て、自販機で飲み物を買い、川を眺めるのが好きだ。
小さな段になった滝を眺めていると、ジリジリと、登ったばかりなのに、熱い太陽が背中を炙り出した。
朝からこれでは、今日1日の気温が思い遣られる。
リサイクルボックスに、空のペットボトルを入れると、そろそろ引き返す事にした。
ボチボチ犬の散歩や早朝ジョギングの人が現れて、気ままにスピードを上げて突っ走るなんて、出来なくなくなるだろう。
来た道を、水の落ちる音を背にしながら、下る事にした。
風が起き、軽快に自転車は走った。
大きなカーブや三叉路の無い道を、時々横切る道路を頭の上に通して支えている、短いトンネルを抜けながら、何も考えず走り続けたのだった。
少し長めのトンネルに入った時、違和感が襲って来た。
トンネルの向こうに出口が見ないのだ。
緩やかな下りと上りを繰り返すトンネル内の道は、どれも本当に短かったのだ。
上を走る道路の幅より大きなトンネルは、存在していないはずだった。
思わず、ブレーキをかけると、後ろを振り向いた。
そこには、星が瞬いていたのだ。
声も出ずに立ちすくんでいると、一陣の風が吹き抜けた。
その風は、自転車ごと、星の世界を渦巻き流れ、全てを持ち上げてしまったのだ。
気を失う事もなく、自転車にまたがったまま、流れる星の風に巻き込まれて行った。
自分自身が青白く光り、足元の無限の星空を見つめていた。
ペダルに張り付いている両足は、漕ぐことを忘れていたが、自転車は星の風に乗っていた。
瞬く星の間を、自転車は滑って行く様だった。
止まる事も降りる事も出来ない。
薔薇色に煙る銀河の流れが、やがて現れた。
美しい天の河が、直ぐ側を流れる。
何処まで流されるのだろう。
始めて恐怖が襲って来た。
両手のブレーキを、硬く握り締めると、自転車は音も無く、止まった。
が、両足はペダルの上だ。
推進力の無くなった車輪が、空回りして静かに止まった。
倒れる、と、思った時、ペダルから足を離したが、何処にこの足は着くのだろうか。
頭が何かに触り、ユックリとひっくり返って行った。
気づくと、平たい石の上に自転車ごと、横になっていた。
見えるのは、その石と、遥かな星空。
藍色の中に瞬く星々が視界の半分を埋めていた。
起きる事も出来ず、暫く自転車と共に寝ていた。
「どうなさいましたか。」
唐突に声をかけられた。
みっともない姿を見られた恥ずかしさで、ゴソゴソと自転車の下から這い出した。
立ち上がり、自転車も、起こすと、ひとりの青年が立っていた。
柔らかな金色の髪が立ち上がり、目元は涼やかで、声は優しかったが、テラテラとしたその服は、アルミホイルとビニールでできてる様で、昔見た3流SFの登場人物の、服そっくりだった。
「さあ、こちらへ。
その乗り物もご一緒に。」
促されたその先には、光の漏れる穴がポッカリと口を開けいた。
情けないが、自転車に寄り掛かりながら、青年の後をついて行った。
中は広く、椅子とテーブルがあった。
その全てに、模様が刻まれていた。
渦巻きや三角の羅列。
丸や四角を色とりどりに彩色してある。
床はツルツルの金属で、全てを映し二重にこの部屋を騒がしていた。
呆気に取られていると、青年に椅子を勧められた。
唐草紋様に埋められた落ち着きのない椅子は、座ると心地よい気分にしてくれた。
壁に立て掛けた自転車が気になる。
壁に寄りかかった姿で、いつの間にか半分埋まってるように見えた。
「大丈夫ですよ。
あの乗り物は、お返ししますから。」
見透かされたような言葉をかけられた。
「私は、エデリと申します。
急なお呼びたてを、してしまいまして驚かれた事でしょうね。」
こちらを見ながら、ニッコリとされては、頷くしかない。
「さあ、どうぞ、お茶です。
美味しいですよ。」
人懐っこい笑くぼが、青年の片頬に浮かでいる。
勧められた、そのカップは、どうなっているのだ。
椅子よりも緻密な模様で彩られ、底のある場所が三角錐で、とんがった部分を下にして、立っているのだ。
軽く揺れて見えるが、倒れずに立っている。
なんだか回り続けている駒を見てる気分がしてきた。
飲み口も、ギザギザであちこちから中の液体が漏れてきそうだった。
怪訝な顔をしていたのだろう。
青年がもう1つの不思議なカップを呼んだ。
そうとしか言いようがない。
呼ばれたカップは、1つ目の横にスッと来て、立った。
「どうぞ、美味しいですから、お飲みください。
この部屋にいらっしゃるのですから、飲まれた方が、お身体に良いですよ。
直ぐに萎びて、来ますから。
シナシナになったら、戻るのが大変なんですよ。」
そう言うと、手のひらに三角錐を乗せて、広げた手のひらを斜めにして、中のお茶を飲んだのだ。
お茶は、堰き止められているのか、表面張力なのか、一滴も溢れることもなく、そのランダムな高さの飲み口から、すんなりエデリの口に入って行った。
なんだか、縄文時代の火炎土器そっくりなのに、やっと気がついた。
三角のカップは、ここでは倒れないし、溢れないのだろう。
手を伸ばすと、開いた手のひらにそのカップは自ら乗って来た。
塩気の少ないスープの様な飲み物だったが、身体が暖まる。
寒かったのか、今更ながら、自問自答してみた。
テーブルの上に手を出してやると、カップはスルスルとその上に移動した。
何かの合図に応えるように、2つのカップはスーツと、何処かに行ってしまった。
「ご覧ください。
あれが、貴方の星です。」
テーブルの中に、暗い空が現れ、星の瞬きに埋められ出した。
「あれとあれが、問題なのです。」
意外と端っこにあった我が太陽系から、ほぼ反対側の煌く恒星をエデリが指さした。
「仲が良くないんです。
で、最近回りの他の恒星を巻き込み出しちゃって、困ってたんです。」
何のこっちゃ。
言葉が頭に入って来ない。
「恒星が喧嘩、ですか。」
「そうなんですよ。
惑星同士なら、まあほって置いても、ね。
恒星では、そうもいかないのです。
ほら、親分が喧嘩したら子分も巻き込まれちゃうでしょう。」
って、言われても。
「話し合いは。」
こんなのに返答なんて、馬鹿みたいだ。
「しました。
で、仲裁者を探してたのです。
どうでしょうか。
この喧嘩、仲だちしては頂けませんか。」
何を、何で、誰がですか、と言いたい。
「待って下さい。
恒星ですよね、あの瞬く。」
青年はニッコリと笑くぼで、笑った。
「はい、そうです。
恒星でなければ、瞬きません。
惑星は自ら光ったりしませんからね。
反射はしますよ。
で、なければ星座は、寂しくなってしまいますからね。」
それはそうだ。
光らない月や宵の明星とか、紅い火星なんかが、燃えてなければならないとしたら、宇宙は沸騰してしまうかもしれない。
第一、生き物が存在できないだろう。
核融合の熔鉱炉の中で育まれる命なんてのは、想像できやしない。
「失礼でしょうが、科学的な解決方法は、試されましたか。」
「喧嘩にですか。」
エデリが本当に楽しそうに笑い、その後眉間に皺を寄せた。
「喧嘩自体が感情的すぎますから、科学が入り込む隙間は、ありませんでした。」
もっともだ。
どうしょう。
「わける、のは、無理でしょうか。」
エデリの眉がピクンと上がった。
返答を聞かなくても、無理そうだ。
「昔の人は、昼間の太陽が神の口に入って、星が出ると、思っていましたから、神に呑み込んで貰ったりなんかは、無茶でしょうか。」
「それは、惑星から見た恒星の昼夜の事でしょうね。
ですから、惑星や衛星では、ないんです。
相手は恒星なんです、それも6個の。」
三つ巴の2倍で喧嘩してるらしい。
「そもそもなんで、喧嘩になったんでしょうか。」
「連れてる惑星の数です。
大きな恒星に5個、中ぐらいのに5個、小さなのにも5個、それより小さなのにも5個。
恒星の大きさに関係無く、同じ数の惑星が回ってるんです。
各々(おのおの)、衛星さえも、それぞれ1個か2個惑星に回っていて、結局6個なんですよ、これが。」
おやおや、別に喧嘩にならないと思えるのだが。
ある意味、平等だが、大きな方は、沢山の星を従えたいのだろうか。
「離すことは出来ないんですか。」
「かなり端にあるのですか、無理なんです。」
「じゃ、いっそ、まとめたらどうでしょうか。」
やけくそだよ、こんな返答。
「まとめる。
恒星をですか。
太陽全てで、グルグル回らせるって事ですか。」
頷くしかない。
「互いに引き合えば、ぶつかる事も無いでしょうし、全ての惑星は回る恒星の物になるでしょう。
誰が多く持つとかも、なくなるし。」
エデリの顔が明るくなった。
「グルグル回る太陽に全ての星が、グルグルって、事ですね。
太陽の大きさに関係無く。」
「大変でしょうか。」
言ってみたけれど、かなり無茶苦茶な話だが、元々太陽同士が喧嘩するのが悪い。
全ての惑星と衛星が回るのなら、文句の持って行き場も無いだろう。
「ありがとうございました。
その方向で、仲裁してみます。
あれらが、いつまでも喧嘩して、万が一、爆発なんてしたら、バランスが崩れて、この銀河に、デッカい穴が開くところでした。」
「そうなんですか。
それって、ブラックホール、でしょうか。」
「いえ、あれは、そんな物ではありません。
そうですね、ブラックホールがゴミ箱だとしたら、銀河のバランスが崩れて出来るのは、クラッシュホールとでも言いましょうか。
グチャグチャに潰して混ぜて、吐き出すらしいです。
今の秩序は永遠に失われる事でしょうね。」
ニッコリ片笑くぼされても、ゾッとするだけだった。
「双子の恒星や惑星はいましたが、これ程の多重恒星系は今から産まれます。
御礼に、何か願い事を叶えてあげたいのですが。」
うっ、思いつかない。
世界平和か。
沈黙が流れる。
クルクル眼が回る。
何を願ったのだろう。
自転車と共に、遊歩道の脇のベンチに寝ていて、眼が覚めた。
疲れて、うたた寝でもしたのだろうか。
横に立っている自転車のハンドルを掴むと、左が普通で、右が氷の様に冷たかった。
あの壁に埋もれていた方だ。
で、あれは、夢か幻、狸か狐に、化かされた。
冷たいハンドルを握って、帰路に着いた。
下り坂の道は、スイスイと進む。
走ってるうちに、ハンドルの冷たさは消えていった。
自宅に着くと、お腹がペコペコだった。
もう、夕方だ。
いったい、何をしていたのだろう。
ヤッパリ、化かされたのだろうか、例えば妖怪とか、幽霊とかに。
昨夜のカレーを温めて食べた。
テレビなんか見てるうちに、忘れてしまっていたが、次の日、全てを思い出したのだった。
駅まで乗るつもりの自転車で、電車で6駅の会社まで来てしまったのだ。
ペダルを漕いでも、疲れないどころか、踏んでる感覚が無い。
つまり、自転車にまたがってると、目的地に着くのだ。
それも、安全に適正な速さで、だ。
願ってしまったのだろう。
世界平和より、自転車の事を。
苦笑いが1日中、片頬から、離れず、エデリの片笑くぼが、乗り移った様な気分がする。
挨拶も出来なかったし、お礼も出来なかった事を後悔したが、約束を守ってくれたエデリには、もう一度、会いたいものだ。
今度の休みには、あの自転車に乗って、遠出をしょう。
もしかしたら、ヒョッコリあの2つ目の月が現れるかも知れないな、と。
今は、ここまで。




