エミ
はじめての、しかも憧れの海外出張の最終日、部屋に戻ると幽霊がいた。
彼女はエミと名乗った。最初こそ恐怖でパニックになったけど、そんな私を彼女が小一時間そばにいてなだめてくれた。
「落ち着いたかしら?」
「うん、ありがとう」
彼女は確かに幽霊だけれど、妙に人間臭いというか何か危害を加えたりとか驚かそうということろがなくて、私はつい「ありがとう」と言ってしまった。
「ごめんね、驚いたでしょ。部屋に入ったらいきなり知らない人がいるんだもんね。しかも幽霊だもんね」
「う、うん。びっくりした。知らない人がいるから、最初は部屋を間違えたかと思っちゃった」
自然に幽霊と受け答えしている自分に私は驚いていた。
「ねえ、あなたの名前を教えてよ。私はエミって教えたよ」
この場合、教えていいものかどうなのか悩んだけれど、冷静に考えると幽霊なら個人情報がどうのこうの考える必要ないし、嘘を教えてもし、「あなたのことは全部知ってるんだ」と襲われても怖いから、私は素直に自分の名前を名乗った。
「へえ、いい名前だね。あなたはどこから来たの?」
「私は日本から来たんだよ。日本ってどこにあるか知ってる?」
「日本は知ってるよ。でも行ったことはない。どこにあるかもわからない。ここからずっとあっちにいったほう?」
エミは言いながら窓のほうを指差した。
「うん、そうそう。そっちのほうにずっと行けば日本だね。エミはどこか外国に行ったことはあるの?」
「私はずっとこの国にいる。外国に行くなんて考えたことは無いよ」
「行きたい思ったことはない?」
「行きたいと思ったことはないよ」
「もったいないなあ。外国ってすごく楽しいよ。はじめて行く国はすごくドキドキするけれど、その国の人と触れ合うと何だか嬉しくなるんだよ」
「そうなんだ、外国、行ってみたいな」
そう言うとエミは少し寂しそうな顔をした。
そんなエミの顔を見て私はなんてことを聞いてしまったんだろうと自分のデリカシーの無さに後悔したのと同時にエミに対して申し訳なく思った。私は思わず違う話をしてエミの様子を窺った。
「なんでここにいるのかって聞かれても、私も気がついたらここにいたからわからないんだよね」
「そうなんだ」と返事をしたまま、それから何かを聞くのも悪い気がして私はそれっきり黙ってしまった。エミもその間、じっとベッドの端に座っていた。
エミが悲しい顔をしている気がする。顔は見ていないけれど、そばにいるだけでなんとなく伝わってくる。少しの間こうして一緒にいるだけなのに、なぜだろう。ずっと前から知っているような気がしてくる。エミは本当に幽霊なんだろうか。私は彼女のことを本当は知っているんじゃないだろうか。そんな気さえしてくる。
黙ってしまってからどのくらい経ったんだろうか。エミを傷つけてしまったんだろうか。
私はそんな沈黙に耐え切れなくなってしまった。
「エミ、ごめんね」
「え、なんで?」
「私、何もあなたのこと知らなくて嫌なこと聞いちゃったなと思って」
エミは笑顔で「ううん、大丈夫だよ」と言ってくれた。それから、エミは家族のことや好きな食べ物の話を聞かせてくれた。私もエミが話してくれたお礼も込めて家族のことや日本の食べ物のことを話した。エミは寿司に興味があるようで「食べてみたかったな」と言ったとき、私は思わず泣いてしまった。
「どうして、泣いているの?」
「なんでもないの、大丈夫。ごめんね」
「どこか痛いの?」
「大丈夫。ありがとね」
私は目を手で拭って、少し無理矢理に笑顔を作った。エミはもしかしたらそんな私の作り笑顔に気づいたのかもしれない。
「あのね、私、殺されたんだ」
エミが突然立ち上がって言ったので私は驚いて体がビクッとしてしまった。
「あのね、私、付き合っていた人に殺されたんだ。その人とは結婚の約束もしてたんだけど、急に首を絞められて無理やり乱暴されて死んじゃった。私が死んだ後も彼は私を抱いていた。そして、全部済んだら持っていたナイフでお腹を刺した。何度も何度も。私、もう死んでいるのにね」
私はエミの言っていることを受け入れられなかった。ほんの少しの間一緒にいてもエミの優しさは伝わってきた。こんなに優しくて可愛らしい女の子がなんでそんな酷い殺され方をされなきゃいけなかったんだ。私はその殺した男に対して怒りを感じた。
「エミ、その男はその後どうなったの? ちゃんと警察に捕まったの?」
「ううん、まだ捕まってないよ」
「どこかに逃げたの?」
「うん、どこかに逃げちゃったみたい。でも……」
エミはそう言うと少し怯えた顔をして私の顔を見つめた。
「でも、何?」
「さっき、何でここにいるのって聞いたでしょ? 何で私がここに来たのかがわかったよ」
「うん、何で?」
「私を殺した彼、ベッドの下に隠れてるよ」
―了―