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一の甘 「甘党に悪い奴はいない」

 「スイーツ男児(笑)に明日はあるのか?」

                                  

 


一の甘「甘党に悪い奴はいない」



《ある日、オレはスイーツ男児になった》



 断っておくが、オレは頭が春っちまったカワイソーな奴ってわけじゃないし、厨ニ病をこじらせちまった救いようのねー馬鹿野郎でもない。


 だとしたら、一体全体オレは何者なのか?  


 禅問答でもなんでもない。哲学的な意味も、青春ど真ん中なこっ恥ずかしい自問自答でもない。


 オレは、そう…被害者だ。単なる被害者。正真正銘の被害者。


 偽善、受け身、無力。どれもオレの嫌いな言葉。だがあえて、オレは言いたい。むしろ声を大にしていいたい。


「オレは被害者だ」と。


 だってそうだろ? ある日突然、こんな身体になっちまったら、だれだってそう訴えたくなるっつーもんだぜ。当然、オレだってそうだ。


 答えはいつだってシンプルだし、そもそもオレはメンドクセー事が嫌いだ。大嫌いだ。


 流されるだけの受身な人生ってやつも、面倒事も大嫌い。だが、非常に残念極まりねーことに、どうやらその二つは同時に成り立たないものらしい。

 

 あーあ。世の中ってやつは、本当、良く出来てやがるよな。

だがな、そんなもんはまだまだ序の口。結局のところ、オレが何より誰より一番嫌いなもの、それは…。



          ◆ ◆ ◆



「おい。いい加減起きたまえよ。寝る子は育つと言うが、少年、君はそれ以上まだ大きくなろうというのかい? それだけの身長を持ちながらまだ高みを目指そうと言うのかい? それともそれは、私に起こしてほしかったという遠回りなアピールかな? 君らしくも無い謙虚で大胆なアピールなのかい? ふふっ、本当に君らしくも無い。だが、悪く無いぞ。むしろ良い。それが良い」


 嫌な夢を見た。


 らしくもねー、何の得も無い自分語りをドヤ顔でしてるっていう悪夢。

 何がオレは被害者、だよ。しかもこのオレが、スイーツ? 甘党? その、あまりに自分と縁遠い言葉に対し、苛立ちと軽いめまいを感じながらも、ただ黙々と夢の続きを反芻する。


「なーに、心配する事は無い。君がどれだけ不機嫌そうな顔をしていても、それがただの照れ隠しだという事を、私はよーく知っている。ふふっ、みなまで言うなよ? 君が大のおねーちゃんっ子だってことくらい、私は当然理解しているさ。すべからく、姉は弟の事を愛し、弟は姉を愛する。そういうものなのさ、世の理なのさ、世界の秩序なのさ。むしろ、それこそが全てなのさ」


 あー、駄目だ。これ以上は思い出せねー。

 夢って奴は、どこから来てどこに消えていくんだろうな。なんて、恥ずかしい自問自答をしちまうあたり、やっぱり今もまだ夢の中っつー証拠かね? こりゃ。


「加えて、私達は姉弟と言えど、あくまで義理の、だからね。それって、最大にして最高の幸運だと思わないか? これはもう運命が私達を祝福してくれているに違いない。つまりは天恵、もしくは天啓さ」


 …違う。

 夢じゃない。こいつは夢なんかじゃ断じてない。だってそうだろ? アイツの声がして、アイツの顔がオレの至近距離まで近づいてるんだからな。むしろ悪夢だぜ、この現実って奴は。アイツ…オレが目を開けない限り、延々と独り言をやめないつもりじゃねーだろうか。

 

 な? 悪夢だろ? とどのつまり、そんな悪夢の地続きがこの現実ってわけだ。


「おい、姉貴」

「おやおや? 我らが王子様のお目覚めか。だが可笑しいな? 私はまだ情熱的な目覚めのチッスを施した覚えが無いが」

 何がチッスだ。あー、糞。突っ込む気にもなりゃしない。

「一応、言っておくが。可笑しいのはアンタの頭でありこの状況であって、断じてオレじゃない」

「この状況? 私の頭?」

 オレの目の前の半裸女は、四つんばいで我がベッドとオレの身体をこれでもかと言わんばかりに固定、いや、支配している。

「なぁ、姉貴。この状況のどこが可笑しいのか検討もつかないわ。って不思議顔、いい加減やめてくんねーかな」

「おおっ、我が愛すべき弟はエスパーであらせられたか!」

「なぁ、姉貴。どこの世界に半裸で弟のベッドにのしかかる姉がいるんだ? 二次元か? それとも四次元か?」

「ふふっ。ここに居ては、駄目かい? それに、私が半裸なのは君への愛を込めたサービスのつもりだったのだが。これも駄目?」

 オレは、受身な人生ってやつが大嫌いだが、朝一番から声を上げて不実を律する事が出来るほど、できた人間ってわけでもない。

「…いーからどけ。何のつもりかしらねーが、朝一からオレに構うな。アンタの事は許しもしねーし、別段断罪するつもりもねーんだからな」

「いけずだな、君と言う男は」


 だが、それが良い。

 そんなことをのたまう姉貴を無視し、オレはベッドから飛び起きると、そのままの格好で部屋から出て階段を下りていく。


「お早う、ゆー君」

「ああ。おはよーさん、ヨルシー」


 オレは、健気にも一人で朝飯の用意をしている妹に声をかけつつ、キッチンを通り抜け洗面所へと向かう。鏡の前に立ち、自分の腑抜け切った顔面とご対面。どうやら、《なにがどう転んでも、例え自分に何があったとしても》この低血圧な体質だけは変わってくれないらしい。

 まぁ、ぐだぐだ言ったって仕方ねー。世の中、なるようにしかならねーんだからな。おっと、今のセリフはオレの流儀に反するな。いかんいかん。

オレは、バシャバシャと盛大に音を立てながら顔を洗い終えた後、来た路を戻り妹が待つキッチンへと向かう。

「ヨルシー、昨日は良く眠れたか? 悪い夢は見なかったか?」

「途中までゆー君が添い寝してくれたから。ヨルシーちゃん、良く眠れた」

「そうかよ。そいつはなによりだ」

 その名に違わぬ金髪碧眼の我が妹は、小学生らしからぬ手際でスクランブルエッグとシーザーサラダを作り上げていく。

 オレは、いつもの如くそんな妹の作った料理を手馴れた手つきでテーブルへと運んでいく。

 時刻は午前7時過ぎの、そんないつもの風景。


「ところで親父は? 姿が見えねーようだが」

「出かけた」

「おいおいまたかよ。んな朝早くからご苦労なこった」

「ゆー君、食べよ?」

 料理を総て運び終えたオレは、そうだなと返事をしようとしたものの、階段を降り現れた人物を前にし、思わず口をつぐむ。 

「んー、相変らずつれないな。仮にも私は君達の姉だぞ? そんな偉大なるおねーーさまの登場ってやつをもう少しだけ待ってくれていてもいいんじゃないか? 特に少年。君を起こしてやったのは一体誰だったかな? もう一度良く考えてみてほしい」

 自分の名誉のために断っておくが、オレは断じてアイツに朝一番の我が身を委ねた覚えはないし、アイツをただの姉だと思った事もない。

「あぁ? 朝からうっせーぞ姉貴。いいから座れ、ヨルシーが作ってくれたメシが冷めちまうじゃねーか」

「うむうむ。そうだったな」


 食器達が奏でる無機質な音だけが支配する空間。

 元々、妹は口数が多いほうじゃねーし、オレも騒がしいのは嫌いな性質だ。だからこれは、別段気まずいとか険悪な雰囲気ってわけじゃない。

 所謂いつも通りの、いつもと同じ朝の風景ってやつさ。静かで優雅な早朝のワンシーン。悪くないだろ? 

 だが、ここにその優雅な空間をぶち壊す空気の読めねー駄目人間が一人。 


「なぁなぁ、弟よ。いつも思うのだが、君のその態度…私と妹ちゃんで露骨に違くないか? それって、かなり可笑しいことだと思わないか?」

「当然だろ。むしろ今更そんな疑問を持った事に驚きだよ、オレは」

「こんなに君の事を愛しているのに?」

「反吐が出るな」

「ふふふ。見た目に反して、相変らず恥ずかしがり屋なんだな、君は」

 

 殴りたい。

 

 そんな衝動に駆られながらも必死にその衝動を押さえつける。

 オレがどんなツラをしてよーと、んなことは誰にも関係ない。オレだって、なりたくてこんな強面になったわけじゃない。こんな目つきになったわけじゃない。

 まぁ、年がら年中こんなやりとりをしてれば、そこそこの耐性くらいはついちまうもんさ。悲しいかな。糞忌々しくも、それが人間って生きもんのサガってやつだ。慣れというやつだ。むしろ成れの果てというやつだ。


「ゆー君。食事中」

「あぁ、スマン。言葉が悪かったな」

「ほらみろやっぱり! 露骨に態度が違うじゃないか。君はアレか? ロリコンなのか? よーじょにしか愛を見出す事が出来ない悲しくも卑しい現代社会という名の闇が生んだ歪んだ性癖の持ち主なのか?」

「それが、仮にも姉の言うセリフかよ。悲しいぜ、オレは。ちっとでもオレの態度を変えてほしーんなら、胸に手を当ててよーく考えてみな。己のこれまでの行動ってやつをな…んじゃ、オレはそろそろ行くぜ」

 ごちそーさん。

 そう妹に告げ、優雅とは程遠い朝の風景に若干辟易しながらもをそそくさと席を立つオレ。


 階段を上り自室へと戻ろうとした、そんなオレの背中から語りかけてくるしつこい人物が一人。

「まぁまぁ。待ちたまえよ少年」

「あぁ? まだ何かあるのか? こう見えてオレも忙しいんだぜ。年がら年中自由人であらせられるアンタと違ってな」  

「ふふん。言うじゃないか」

 ま、ただ単に学園に行くだけだが。つーか俺は、こいつと家で顔を合わせていたくない。むしろ顔も見たくない。

それだけが、俺の足を学園へと運ばせているという事実。それでも、よーわからんニートすれすれな自称姉より小忙しいのは確かだ。

「ほら、こいつを持ってけ。なーに、いつものお薬さ」

 そう言って階段の下から姉貴が投げてよこした小さな包み紙。オレは、中身を確認する事無く、黙ってそれをポケットへと突っ込む。

「おいおい。そう睨むなよ、少年。君だって分かってるはずだろ? それでも今日は少ないほうなんだぞ」

「…昼姉。オレにも漢としてのプライドくらいあんだぜ」

 姉貴は、その長い黒髪をかき上げながら、じぃーっとオレの顔を見つめる。

総てを見通すかのような、その黒い瞳。女性のわりに長身でさながらモデル体型な姉貴は、言いたくはねーが、そして断じて認めたくはねーが…黙っていればそこそこの美人だ。そう、あくまで黙っていりゃーの話。そしてそれは、オテントウ様が逆から昇るくらいにはありえねー話。

「プライドか死か。A litlelitle pulide or die ふふっ。選択の余地なんて、果たして君にあるのかな?」

「無いな。当然無い。分かってるよ、んなことは。ただ、ちょっと言ってみたかっただけだ」

「らしくないぞ、少年」

 今更。文句も糞も無い。うじうじ悩んだりすんのも性に合わない。かといって無気力に、ただ現状に流されるだけってのもすこぶる気分が悪い。

 ったく、我ながら難儀な性格だぜ。こいつは。

「誰のせいだよ、誰の」

 それだけを告げたオレは、学園へと向かうため二階の自室へと戻る。

 重要なのは、思考の落とし所と切り替えの早さ。手早く準備を済ませたオレは、玄関で妹が来るのを待つ。

 ちなみに、妹は十一歳。現在ミッション系の小中高一環の女学園へと通っている。毎朝登校の途中で、彼女を学園まで送り届けるのも兄であるオレの役目なのだ。

 シスコン? 過保護? 馬鹿言っちゃいけない。あくまでオレは、《良い兄貴》でいたいだけだ。なんつっても、近くにあんな反面教師がいるからな。嫌でもそうなっちまうってわけ。ただそれだけだ。

 

 待つこと数分。

 学園の制服である清楚な黒衣を身に纏った妹が、相変らずの無表情でオレの前に現れる。

 その黒衣に、妹の金髪ツインテが良く映える。そして、陶器のように新雪のように白いその肌と、左右で違うオッドアイが妹に神秘性すら与えてくれる。その神々しい姿はまるで一級美術品のようで。

「お待たせ、ゆー君」

「ああ。忘れもんはねーかよ。なけりゃ出発するぜ」

 

 時刻は7時過ぎ。オレ達は揃って「朝鳥家」の門を後にする。


 妹の通う聖ピエール学園の登校時間は、オレの通う学園よりもずっと早い。だからこそ、多少遠回りになろうとも、どれだけ朝が早かろうとも、妹を無事学園に送り届ける事から、オレの一日は始まる。

繰り返すが、オレは《良い兄貴》でいたい。それだけだ。

「どうだ? ヨルシー。新しい学年には慣れたかよ」

「うん。元々、クラス替え無いし」

「ん? ああ、そういやそうだったな。確かエスカレーター式だもんな、ヨルシーんとこは」

「うん」

「授業とかついていけてるか? って、ヨルシーは利口だもんな。オレなんかが心配するまでもねーか。じゃあ、あれだ、虐めとか……ねーよな? 女学園って場所は、オレみてーな不良には想像もできねー世界だが、もし、万が一、ヨルシーに不埒を働くような輩がいるなら、すぐオレに言えよ? んな奴ら、相手がクラスメイトだろーが教師だろうが関係ない。このオレの手でじきじきに、今後一生シェイクしか飲めねー身体にしてやるからよ」

「ゆー君、暴力はもう駄目。それに、ヨルシーちゃんなら大丈夫。クラスメイトも皆優しい」

「お、おお、そうか。なら良いんだ。うん」

「…ゆー君。お父さんみたい」 

 

 なん、だと?


 オレが、親父みたい…だと? あの、品がなくて、声がでかくて、テキトーで、大人気なくて、精神年齢の低い、あの親父みたい、だと?

 

 オレは、オレはあくまで《良い兄貴》でいたかっただけなのに。どうして、一体全体どうしてこうなっちまったんだ? オレは、どこでどう路を誤ったんだ?


 そんな、世界の終焉の如き、終わりの無い自問自答でオーバーフローに陥ったオレの負荷熱を、優しく撫でる一吹きの涼風。


「お早う御座います、朝鳥君にヨルシーちゃん」


 振り返るまでも無い。確認するまでも無い。この声の持ち主は、そう。

「おう。今日も早いな、水尻」

「はい。だって、朝鳥君と一緒に登校したかったから…きゃっ、言っちゃった言っちゃった♪」

「涼ちゃん。今日も全力?」

「そうですよー、ヨルシーちゃん。私はいつだって全力ですから。な・に・ご・と・も、ね?」

 短いスカートを際どく揺らし、こんな朝っぱらから全力スマイルを振りまくショートカットの良く似合う、そんなオレのクラスメイトがこの《水尻涼》という人間だ。 

「おい、水尻。朝からそんな目でオレを睨むな」

「んもぅ、分かってるくせにぃ。これは、睨んでるんじゃなくて、見つめてるって言うんですよ?」

「ああ、そうかよ」

 一見すると、絵に描いたような美少女。こんな奴にそんなセリフを言われた日には、そうだな、普通は嬉しいもんなのだろう。普通は。だが、えてして世の中っつーのはこーゆーもんだと、神様が実に嫌味な顔でほくそえんでるのが見えるレベルで、こいつもオレも普通じゃなかった。


 つまり、こいつは《男》だった。それはもう、深刻なレベルで。生物学レベルで。染色体レベルで。残念なレベルで。


「そう言えば。ねぇ、ヨルシーちゃん。昨日の魔女っ子姐御ブランチちゃん、ご覧になりました?」

「うん。見た」

 だが、例え相手が何者だろーと、女装癖のある変態野朗だろーと、オレは相手を否定しないし拒絶もしない。そりゃそうだ。こっちは、あんなクイーンオブ変態と一緒に住んでんだぜ? 暮らしてんだぜ? 毎日顔を突き合わせてんだぜ? アイツに比べれりゃ、それこそ水尻なんて可愛いもんだ。

 …当然、今のは言葉の綾ってやつだが。

 それはそれとしても、水尻は妹が心を開いている数少ない人間でもあるからな。妹が心を開く奴に、悪い奴はいない。断じて居ない。少なくともオレはそう信じている。それだけの話だ。

「とにもかくにも、仲良き事は素晴らしきかな、だぜ」

「はい? 何か仰いましたか?」

「いーや、別に。んな事よりちっと急ぐぜ、ヨルシーを遅刻なんてさせちまったら、正に一生の不覚ってやつだからな」


          ◆

 

 確かにオレは言ったはずだ。ついさっき、数分前、ほんの数分前。

 急ぐと。

 妹に遅刻はさせねーと。

 一生の不覚になっちまうと。

 二人もそれに同意してくれたし、オレ達は先を急いでいたはずだった。妹の通う聖ピエール女学園へと急いでいたはずだった。

「だったら、何でオレ達はこんなところにいるんだ? あ?」 

「やだなー、朝鳥君。こんなところじゃないですよぉ。ただのコンビニじゃないですかー」

「そうだな、ただのコンビニだな。何の変哲もねー、ただのコンビニだ。昨今、現代生活にはなくちゃならねー街の便利スポット。コンビニエンスストア。略してコンビニ。けどオレが言いてーのは、んなことじゃない。断じて」

 そんなオレの気持ちを知ってかしらずか、水尻はヨルシーと楽しそうに新発売のすいーつやら、ファッション雑誌やらを漁っている。その様子は、さながら仲の良い姉妹のように見える。

 国籍も性別も年齢も髪の色も肌の色も瞳の色も違うというのに。

 …あー、うむ。

 あれだな、まぁ、たまにはいいか。ってか怒る気も失せたっつーか、毒気を抜かれたっつーか。

「んで? 用件は済んだのか?」

「へ? あ、はい。勿論です。今日の私のお昼はサンドイッチにサラダですよー、朝鳥君」

「そうかよ」

「朝鳥君は…今日もヨルシーちゃんの手作りお弁当ですか?」

「ああ、当然だな。オレの生きがいの一つだし」

「うわぁー、清清しいまでのシスコ…ごほん。相変らず、朝鳥君は大変妹さん想いなんですね」

 まただ。

 どいつもこいつも、愉快な勘違いばっかりしやがって。このオレがシスコン? 馬鹿言っちゃいけねーよ。何度でも、何度だって言ってやる。オレは、単に、《良い兄貴》でいたいだけ。それだけだっつーの。

 噂をすれば影。

 そんな会話を繰り広げていたオレと水尻の隣に、いつの間にやら一通りコンビニ巡回を終えた妹がちょこんと寄り添っていた。

「ゆー君。これ、買って?」

 その小さな手に、ちゃっかりお菓子を携えて。

 だからこそ、だからこそだ。オレは顔色一つ表情一つ変えず、妹に対してびしっとこう言ってやった。

「無論だ。他に必要なもんがなけりゃ、レジに並びな」

 そう即答するオレの顔を、物凄く何かいいたげな表情を浮かべつつ、じぃーっと見つめる水尻の姿。

「何だよ、水尻。オレの顔に何かついてるか?」

「い、いえいえいえ。別に」

「ん? あぁ。わーったよ。水尻、オレが奢ってやる。お前も何か一つ選んで来いよ」

「え? えぇえええ!? す、みませんすみません。そういったつもりはまったく無かったのですが」

「遠慮するこたぁーねーぜ。水尻にはヨルシーも世話になってるからな。よーするに、ただの気まぐれだ。気にすんな」

「そ、そんな、お世話だなんて。えへ、えへへ。あの、そういうことでしたら、お言葉に甘えさせていただきます」

 そんなオレの一言に対し、一瞬だけ先ほどと同じような物凄く何かいいたそうな表情を浮かべたものの、嬉々としてお菓子売り場へと消える水尻。その満面の笑みにつられて、オレも後に続く。

「しっかしまぁ、女子供ってのはどうしてこうも、お菓子やら甘いもんってのが好きなのかね?」

「朝鳥君。女の子の甘いもの好きに理由は無いんです。理屈じゃなくて、これはもう本能なんですよ!」

 水尻は、実に良いドヤ顔でそう言い放った。

 そもそもてめーは、女ですらねーだろが。なんてセリフが喉元まで出かかったものの、オレはそいつを飲み下し、水尻にならい目線の高さに陳列された色とりどりのパッケージに視線を移す。

「お生憎様、オレは甘いもンが苦手なんだよ。一生掛かったって、んな気持ちは理解出来ねーだろうな」

 そんなセリフを吐きつつ、朝、姉貴から受け取った《例のアレ》の感触を確かめつつ、ポケット内で弄ぶ。

「そうなんですか? 勿体無い。甘いものが苦手だ何て、人生の半分は損しちゃってますよ? 朝鳥君」

 そんな水尻の言葉に対し、肯定を示すようにうんうんと無言で頷く妹。

「おいおい、男なんて皆そんなもんだろ?」

「何言ってるんですか、それはとんでもない誤解ですよ朝鳥君。今の時代、甘いものが好きって言う殿方も増えてるんですよ? スイーツ男子って言葉、聞いた事ありません?」

「…スイーツか。まぁ、オレには一生縁遠い言葉だな。虫唾が走るぜ」


 目下。それが一番の問題であり、オレに纏わりつく呪いでもあるわけだが。


「ほらほら、朝鳥君。こうやって綺麗なパッケージを見ているだけでも幸せな気分になりませんか? ね? ね?」

「いや、全然。言ったろ? オレには全く理解出来ねー世界だってな」

「んふふっ。好き嫌いは良くありませんよぉ?」

「知るかっ。だいたいよ、こんなツラして風呂上りにプリン食ってたら引くだろ? クッキー焼いてたらドン引きだろ? 笑うだろ? 馬鹿にすんだろ?」

「いいえ。素敵だと思います」

 力強い眼差しと共に、きっぱりとそう言い切る水尻。


 こっちの事情も、オレの心情も知らねーくせに、こいつはどうしてこうも核心ってやつを突いてくれるのか?

 本当、何も知らねーくせしやがって。やれやれってやつだぜ。


「ふん。そうかよ。ま、考えとく。一応な。んな事より、とっとと会計済ませて学園に向かおうぜ。今度こそ本気で遅刻しちまう」

 と、その時、くいくいとオレの服を引っ張る小さな手。

「ゆー君」

「ん? どうしたヨルシー」

「ヨルシーちゃんも、笑わないよ?」

「…勘弁してくれ」


          ◆

 

 そんなこんなで、結局遅刻ギリギリになっちまったオレ達は、慌しくもまずは妹を学園へと送り届けるべく、聖ピエール女学園へと走る。


「だから言わんこっちゃねー。こうならねーように、オレがあれだけ釘を刺してやったってのによぅ。オレは幾ら遅刻したって一行に構わねーが、ヨルシーが遅刻する事だけは絶対に駄目だ。絶対に有り得ねぇ。あっちゃならん。何より、んなことになったら、自分で自分を許しておけねぇぜ」

「はぁ、はぁ、そう、ならないように、こうして、は、は、走ってるじゃない、ですか。それに、少しは、私の、事も、気にしてくれると、嬉しい、です」

「あん? 自業自得だろ? そんなの知るかよ。んなことより、荷物貸せ…持ってやる」

「だからカッコイイんですよね~、朝鳥君ってば♪」

「言ってろ」

 水尻とそんな不毛なやりとりをしつつも、オレ達は必死に走る。走る。走る。そう、総ては我が妹のために。

「ねぇ、ゆー君」

 そんな緊急事態の最中にありながらも、件の妹はそのクリクリとした大きな瞳で、つまり、いつもながらの無垢なポーカーフェイスでオレを見上げる。

「この格好、恥ずかしい」

「我慢しろ。学園までの辛抱だ」

 こんな格好。恥ずかしい格好。

 つまりオレは、妹を、俗に言うお姫様抱っこしていた。ちなみにオレは、全く恥ずかしくない。そもそも、妹をお姫様抱っこする事の、どこに恥ずかしい要素があるのか検討すらつかない。

「はぁ、ぜぇ、はぁ、いいじゃ、ない、ですか、ヨルシーちゃんってば。正直、う、羨ましい、です」

「水尻。余計な事ばっか言ってねーで走るのに集中しろ。もっとスピード上げねーと置いてくぜ?」

「そ、そ、そんなぁー」

 それでもきっちり付いてくるあたり、やはりこいつは正真正銘男なんだと痛感させられる。

 ようするに、オレが何を言いたいかといえば、誰だって野朗をお姫様抱っこなんてしたくねーって話。誰だってそうだろ? 当然、オレだってそうだ。お姫様抱っこするなら、妹に限る。それだけの話だぜ。

 そして、何とか時間ギリギリで妹の通う学園の門前数メートルの距離にある横断歩道前までやってくる。

 何だかんだで、遅刻だけは回避できたようだ。良かった。本当に良かったぜ。当然、オレと水尻に関しては遅刻確定なわけだが。んなことは実に瑣末でどーだっていいことだった。


「ゆー君。ここで良い」

 流石に、ここらまでくると他の生徒の目もある。これ以上のお姫様抱っこは不必要と悟ったオレは、素直に妹の言葉に従う。オレだって、それくらいの分別も持ってるし、空気だって読める。

 あ? 誰だよ? あれだけ街中をお姫様抱っこで疾走したんだから、今更遅いとか言った奴。チッ。いーだろ、別に。ぶっちゃけると、ただ単に、オレがそうしたかっただけなんだからよぅ。

 …文句あるか?

「ゆー君。ありがと。行って来る、ね」

「おう。頑張って来い。何かあったらすぐ連絡すんだぞ? いいな?」

「はぁはぁ、またねーヨルシーちゃーん」


 そう言って、ぽつりと一人横断歩道で信号待ちする妹を見送るオレと水尻。

 やがて信号が赤から青に変わり、学園の門へと歩み始める妹。


 オレは、この時ほど自分の無能さを呪った事は無かった。 

 オレは、この時ほど自分という人間の完成度の低さを嘆いた事は無かった。


 信号は青。横断歩道には妹以外の人間は無し。


 あるのは、そんな交通法規という見えない壁を鼻で嘲笑うかのような暴走車が一台。


 横断歩道を半分の距離まで進んだ妹と、そんな彼女の存在を無視するが如くありえないスピードで突っ込んでいく暴走車が一台。居眠り運転? 飲酒運転? ヤク中か? だが、今、一番重要な事。それは。


 遠すぎる。


 オレと妹を分かつ距離。

 

 物理的にも精神的にも。

 もしも、神様なんて野朗が存在するならば、間違いなくオレの中のぶん殴りたい奴リスト殿堂入りだろう。むしろ半殺しは確実だろう。

 だが、今じゃない。今すぐじゃない。

 そもそもオレは無神論者だ。神様がいようといまいと関係ない。神頼みもしたことがない。むしろ盆もクリスマスも鼻で笑うような輩だ。そもそも誰かの力を頼る事自体、嫌ってきたような甲斐性無しの屑野郎だ。しかしそれは、オレの事であって、オレの非であって、断じて、断じて、妹に非も落ち度もない。断じてない。あってたまるか!

 だからこそ、今だけは、今だけはどうか。今だけはどうか力を貸してくれよ。


 なぁ、神様!!!!


「いやぁあああああ、ヨルシーちゃん!!」

 

 覚悟は決まった。

 いや、違うな。本当は分かってたんだ。オレが今、この状況で出来る事なんてたった一つしかねーってことくらい。

 だったら、何故らしくもない神頼みなんてしちまったのか?

 答えは簡単だ。

 神様に頼るほうが、《アイツ》を頼るよりよっぽどマシだったから。オレが内包する一握のプライド。最後の矜持。

 分かってる。分かってるさ。オレだって。

 この状況を救えるのは、神様なんかじゃないってことくらいは。


 - ふふっ。ほれ、みたことか。 


 やれやれ。

 《アイツ》が…姉貴が、ほくそえむのが手に取るように分かっちまう。思う壺ってやつだ。

 だが。だがだ。

 結局のところ、アイツに頼る方が万倍マシだろ?


 ………目の前で妹が傷つくより、百万倍はマシだ!!!!!


 そこからは、総てがスローモーションに感じられた。

 まず、隣で何か叫んでる水尻の脇を走り抜けつつ、ポケットに手を突っ込んで《例のブツ》を探す。

 

 ポケットの中にはビスケットが一つ。ポケットを叩くとビスケットが二つ。も一つ叩くとビスケットが三つ。


 オレは、巾着状の包みを乱雑に破り捨て、その中身を口に放り込み、強引に咀嚼する。


 瞬間、昔懐かしい素朴な甘さが口いっぱいに広がる。


 二十枚百円のそのビスケットは、何を隠そう姉貴の好物であり、オレの大嫌いな味だった。


 だが、今はそんなことはどうだって良い。

 早く。速く。疾く。

 オレの身体が、体内へ取り入れた異物に対し過剰反応を始める。

 我が全身を蹂躙するように、糖分が、我が物顔でオレの体中を循環していく。

 身体が煮えたぎるように熱くなる。



 間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え。



 オレなんぞどうなったっていい。腕をもがれようが、足をちぎられようが、この身を跳ね飛ばされそうが、どてっぱらに穴が開こうが。

 だが、妹だけは、ヨルシーだけは駄目だ。あいつだけは、あいつのことだけは、死んでも守る!!!

 オレはいつだって「良い兄貴」でありたい。

 あり続けたい。

 それだけだ。たった一つの、シンプルな想い。

 それだけが、今のオレの行動原理。

「うぉららあああああああああああああああああああああああ」


 目の前には、為す総べなく立ちすくむ我が最愛の妹と、腐れ暴走車。


 ギリギリだった。本当にギリギリだった。そう、ギリギリだったんだ。

 だから、オレに出来たのは、そんな妹の背中をちょっと押してやる事だけ。糞暴走車のライン上から、そっと押し出してやる事だけだった。

 むしろ、あれだけでかい口を叩いておきながら、あれだけ啖呵を切っておきながら、悲しいかな情けないかな、オレに出来たのは本当にたったそれだけだった。


 つまり、当然といえば当然だが。

 オレは、そんな妹の代わりに……跳ねられた。腐れ暴走車に。思いっきり。其れなりの速度をもって。むしろ清々しいくらいに。


 いつもよりオテント様に近い、そんな距離まで跳ね飛ばされながらオレが考えていた事は、何を隠そう今日の弁当のおかずの事だった。

 自慢じゃないが、いや、むしろ完璧なる自慢話だが、妹の料理は美味い。恥ずかしげも無く、それを毎日食うのが生きがいだ、なんて言えちまう程度には。

 妹は、ヨルシーは無事だろうか? いい訳じゃねーが、力の制御が難しいからな、《こうなっちまうと》ついつい力を入れて押しちまった気がする。勢い余って転んでなきゃいーんだが。例えかすり傷でも負わせちまったら、オレは自分で自分を許す自信ってやつがねーぜ。

 

 これだけの事をあの跳ね飛ばされた一瞬で考えていたなんて、今でも信じられない話だが、事実は事実。きっと、何とかって脳内麻薬が分泌されて一種の走馬灯状態だったんだろうよ。結局、そんな瞬間でさえも妹の事を考えている辺り、オレも大概だなと思うわけだが。


 永遠とも思えたそんな極々短い小旅行を終えたオレは、そのままの勢いで地面へと落下する。


 重力さんありがとう。嬉しすぎて涙が出てくるぜ。 

 やがて、騒ぎを聞きつけ野次馬たちが集まり始める。

 跳ね飛ばされた衝撃と。地面へと叩きつけられた衝撃と。そんな衝撃と傷から立ち直るのに要した時間は、およそ十秒。たったの十秒きっかり。

 十秒きっかり経ったオレの身体には、もはや傷跡一つ残っちゃいなかったとさ、ちゃんちゃん。

 

 …分かってるよ。言うな。何も言うな。


「お、おい、君大丈夫か? 救急車がすぐに来る、それまでの辛抱だぞ」


 救急車? 馬鹿言ってんじゃねーよ。少なくともオレにはそんなもん必要ねーぜ。

 だからこそ、あえてオレはこう言ってやったよ。



「大丈夫だ、問題ない……自分、こう見えて、甘党ですから」




一の甘 END


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