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特等席な僕  作者: 佐久間
3/4

3 僕と××

 イベントは順調に進んだ。


 客足は多い。グッズのみ目当ての客も多い。会場の中の様子は見られなかったが、笑い声や歓声がよく飛んできた。

 彼女は終始笑顔で、働いていた。

 最初こそ、緊張で彼女と一緒にいる幸せをしぼませていたものの、しばらくすると、子どもと接する合間に彼女を盗み見するぐらいの余裕ができてきた。


 その度に思った。


 なんで。


 どうして。


 彼女は、バイト仲間とも非常に上手くやっているようだった。明るくて笑顔の絶えない彼女。きっと、人気者に違いない。


 なんで。


 どうして。


 イベントが終了して客がどっと会場から出てくる。たくさんの子どもに体当たりされたり、たくさんの親御さんにシャッターを向けられたりした。彼女の方を見る余裕は、なくなった。代わりに、彼女の手から買ったのであろう、ぬいぐるみを抱きしめたたくさんの子の背中を見送った。


 なんで。どうして。


 日が、傾いてきた。


  *


「おつかれさまーっ!」


 彼女が朝と変わらぬ笑顔で声をかけてきた。イベントが終了し、販売ブースも片づけの段階に入ったところだった。


「うまくできてたじゃん。主催者さんの印象もよかったよ。初めてにしては、上出来!」


 僕は何も言えなかった。


 夕刻が迫っている。もうこんな風に彼女と目を合わすことも、できなくなる。胸を埋める重さのせいで、今目の前にいる彼女のこともロクに認識できないほどだった。

 彼女が帽子を脱いだ。


「このバイト、現地解散なの。あっちのロッカールームにぽーんって着ぐるみおいとけばおっけー! 杜撰な管理だなあって思うんだけどね。

 それじゃあ、今日は本当にありがとうございました! おつかれさま」


 手を振って、彼女が何処かへ行こうとする。


 反射的に、彼女の腕をつかんでいた。


 正確には、太く丸い腕で彼女の指をはさんだだけだった。なんだか悲しくなった。こんな風にしか、触れられないのか。

 彼女がきょとんとした顔で僕を見ている。僕はメモと鉛筆を取り出した。何が言いたいのかも分からなかった。

 ただ、もうすぐこの彼女と離れなければいけないことと、結局僕との関係について何を思っているのか、突き止めることができなかったこと。分かっているのは、そんなどうしようもない事実だけだった。

 まるまるとした指で鉛筆を持つ。ぎこちなく紡ぎだした線は、弱虫な、助けを求める声だった。


『これから、どこへいくの』


 彼女は、下手くそな僕の字を読んだ。


「え、これから? んーと、仕事が終わったら大学に行ってちょっと友達と課題の話し合いをして、それから彼氏とデートかなー。ふふ、だからお誘いだったらごめんね。それじゃ!」


 大きく手を振って、今度こそ、彼女は行ってしまった。


 僕は立ち尽くしていた。息も、できなかった。


 本当に、声が枯れてしまっていればいいのに。


 そうすれば――僕は――


「……ちょっと、こっちへおいで」


 ハイドの声がした。足元からだった。僕は黙したまま、そのぼやけた色の姿を追って、歩いた。どこを歩いたのか、どこへ行くつもりなのかは意識していなかった。


 気がつくと、暗くて狭い場所で、ハイドと向き合って座っていた。


「……あの子は、どうだった?」


 静かな声が、からからになった心の表面を滑り落ちる。


「何も、おかしなところは、なかっただろう」


 からから。に、なった、

 心を。


「ねえ、そろそろちゃんと理解しないといけないよ。彼女はおまえを無視するかもしれない。でも彼女は何も変わっていないままだろう。だって、それは当たり前なんだ――」


 ああ、息ができない。声も出ない。


「――おまえは、あの子のぬいぐるみなんだから」




 ――僕だけの、ものだった。

 一緒に過ごす時間。くれる言葉。陽だまりと同じぐらいの、温かさ。

 世界を知る、心。

 独りで無言の陳列棚に並んでいた時には、夢見ることさえなかったもの。決して、手には入らなかったもの。


 だから、決めていたのに。


 あの重く沈んだ綿の中から僕を見つけ出してくれた時。その小さな腕で、ぎゅっと抱きしめてくれた時。


「はじめまして」


 そう、言ってくれた時。


 僕はずっとこの子と一緒にいよう、絶対に守ってみせようと。


 ――いつからだったろうか。

 どこへ行くにも一緒だった彼女が、僕を家に置いていくようになったのは。僕じゃない、違うものの方を向いて、笑ったり、怒ったりし始めたのは。

 彼女と僕は、よく旅に出た。大冒険へ。畳の草原や、布団の上の航海、置物の多いお父さんの部屋にはドラゴンがいて、台所はお菓子の国だったっけ。でも彼女は、本当の旅を、冒険を、「外の世界」でするようになった。

 悩み事を聞くのは、すべて僕の役目だった。お母さんにも相談できないの、そう言って彼女は、僕の上に涙をこぼした。やがて彼女は、僕ではなく、小さな四角い機械に向かって、悩みを打ち明けるようになった。声も、言葉も、涙も、無機質なあの物体は、吸い込んではくれないのに。


 ……いつからだったのだろう。

 目が、合わなくなったのは。


「……っ……僕だけ、だったんだ……」


 くるしい。でも、どこがどうくるしいのかはわからない。りかいが、できない。


「僕が……僕だけが、彼女を幸せにできるはずだったんだあ……っ……!」


 体が軽くなっていた。

 といっても、いつも僕の体は重い。着ぐるみの姿になって重いと感じたのは、それが動き回れる上での実体を伴っていたからだった。


 息ができる訳なかった。ましてや声が出るはずなかった。悲しみの底でなくたって動くことはできないし、ハイドに何を言われても泣くことはできない。


 だって、僕はただの人形だから。


 元の小さなぬいぐるみの姿に戻った僕を、ハイドは感情の読み取れない目で見下ろした。


「時間の流れも、出来事の考え方も、おまえとあの子じゃ違いすぎる。ひどいことを言うようだけどね、あの子にとって、おまえの側を離れることは大したことじゃないのさ」


 彼女には、彼女の世界がある。

 バイトをして、大学に行って、友達がいて、彼氏がいて、そんな、目まぐるしいような日常がある。知っている。分かっている。

 でも、願ってしまった。彼女と目が合う度、バレてしまえばいいと思っていた。ここにいるのがあの僕だと、思い出してほしかった。


「でもねえ、違いがあるっていうのは、悪いことばっかりでもないんだよ」


 ハイドが、自分の頭を僕のそれにすりつけた。ひげが、くすぐったかった。


「世の中に違いっていうものがあるから、あの子はおまえを選べたんだ。たくさんいる、おんなじ顔の『テディ・テディ』の中から、おまえをね」


 僕は目を開けた。驚いて、自分の手足を見た。


「僕は……」


「だからあの子もこのバイトをやっているんだろうし、毎日新聞のテレビ欄を見てるのさ。たまにドジやらかすからねえ、ぼんやりしてアニメの放送日を間違えたりしないように」


 自分の姿を見たことがないから、知らなかった。


 ――ぐちゃぐちゃになる。心が、彼女がくれた心が、色々考えすぎて、ぐちゃぐちゃになる。


 ああ。

 もう、なんだかさ……


「――ハイド」

「なんだい?」

「家に帰りたい。いつも彼女を見ていられる、あの棚の上に、帰りたい」

「……じゃあ、ちょっと失礼」

「首根っこをくわえる以外の方法ってないの?」

「ない。おまえの首にひもをつけて引っ張って行ってもいいけど、そっちの方が余計シュールだろう?」


 僕は笑った。最初からの、笑顔で。

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