壱章 覚醒
男は夢を見ていた。
幸せな夢であった。
摺河を治める大名に仕える者として、これまで自分なりに奉公を重ねた日々。
民の安全を守るお役人から始まり、地道な努力を積み重ねた結果、26歳という若さで武士団を纏める立場にまで出世。
当時の領主は執務をサボりがちだったため、領主代行者の補佐役も行い、民と国を守る事に貢献してきた。
自分で思うのもアレかもしれないが、男は自分の仕事を誇りに感じていた。
男たる者、何かを守るために知恵を絞り、時には刃を振るわなければならない。
無論、刃を振るうのは盗賊等の世間一般から見る『悪者』だけではあるものの血を流すのは主義では無いし、気分の良いものでもない。
だが、そうする事で民が安全に過ごす事が出来、摺河という国の名前、そこを治める領主の名に傷はつかない。
それが自分のやるべき仕事であり、奉公だと思っていた。
しかし、1人の男がやってきた事によって全てが狂った。
最初は好事家だった領主が、ある1人の人物を招き入れた事が切欠である。
その者は、元湯宿の店主で遊び上手だったから自分の遊び相手として招き入れたと説明を受けた。
だが、男は白粉を塗った馬鹿殿を思わせる風貌だったため信じる事が出来なかった。
そして、自分の考えは現実となった……ただし自分が思っていた事とは遥か斜め上として。
彼が元従業員達を連れて、邸に上り込んでから数日後、領主が白粉店主の事を紹介した。
彼の家柄は摺河を所有していた大名の血を引く者であると同時に、かつて日野本全土を支配していた 藤原将軍家の分家にあたる足川家の末裔だというのだ。
最初は本当かどうか疑った。
しかし、その者の亡き母が書き残した遺書が見つかった事によって、どこの馬の骨も分からなかった男が今後、摺河を統治する次期当主として君臨する事が決定付けられる。
男としては、さすがに承服致しかねる内容だった。
ある程度、地位のある者ならまだしも、規模があまりにも大きすぎる。
何処かの小さな部隊長に就任とかならまだしも、将軍家出身……しかも1度は途絶えた足川家の末裔が、ひょいと現れて『今度から自分が摺河を統治します。今後、君達は私に従うように』と言われれば、10人中8~9人は『えっ?』とか『はぁっ?』思うのが普通だ。
おまけに、その白粉男は邸に居る間、奉公や執務というものを知らず、ずっと領主の遊び相手で気に入られている。
領主も領主で、自分から執務をする事なく専ら自分達のような部下任せにして放蕩三昧を繰り返す。
だから男は自分の上司にして領主代行者をしていた男を次期当主にさせようと反乱を企てた。
だが反乱は悉く失敗し、あと1歩の所で白粉男を追い詰めたものの、反乱を起こすまでは全て自分が敬愛する領主代行者の計画だったと知る。
しかも話を聞けば代行者も、領主をしていた男も、白粉男が連れて来た従業員の半分は、自分が摺河に奉公に来る前から仕官していた者達だという。
さすがに空いた口が塞がらず、自分はそのまま診療所に運ばれて治療を受けた。
それから騒動が落ち着いた後、正式に白粉男は摺河の領主にして足川家当主として御家を復興する事を宣言。
まずは国力を増やす事を重点に置くため、新たに刷新した足川家に仕える者達の役所配置を見直した。
自分は反乱を起こしたという事もあり、男は極刑を言い渡される事を覚悟したが、情勢が不安定という事もあり恩赦が出され、自分も改めて足川家家臣として仕官……今までと同様、武士団を束ねる隊長になる事を許されたのだ。
しかし男は素直に喜べなかった。
自分は反乱を犯した……故に後ろめたい気が多いにあるのに、死罪を言い渡さず重宝する。
まるで『敗者の烙印を押されたまま生き恥を晒せ』と遠回しに言われているのかと思ったからだ。
周囲の同僚達も、そんなに気にするなよ、と言うものの気にしないのが無理というものだ。
だから男は自分から何か言う事もせず、遠慮がちに発言したり行動する事が多くなった。
そんな多忙な日々を送っていたある日、男は新しい主にして反乱の被害者だった白粉の男から、自分の部屋に来るよう呼び出される。
「失礼します。何か……お呼びですか?」
男は遠慮がちに言いながら、主の部屋に入ると一瞬、眉を顰めた。
白粉男は右手に持っていた風呂敷を見せる。
「そなた、疲れてはおらぬか?」
「い、いえ。自分は疲れてなど……」
一瞬、怪訝そうな表情を浮かべるも平静を装って首を横に振ってから答える。
「じゃが、顔はそうは言うとらんぞ? 医師に診て貰った方が良くはないかの?」
「で、ですから自分は……大丈夫ですから……」
反乱を起こした者が、反乱の被害を受けた主から気遣われるのは非常に心が痛む。
心配してくれているのだろうが、男から見れば腫物を扱うような、どこか哀れみを受けているような感じだ。
一言で言えば屈辱、恥辱といった辱めを受けている行為に等しい。
耐えられなかった。
早く用件が終わってくれないか、と切に願ってしまう。
それが相手にも伝わってしまったのか、目の前に居る白粉男は残念そうな表情を浮かべて風呂敷を手渡す。
「今から荷造りをするが良い」
「……えっ?」
何を言われているのか一瞬、分からなかった。
男は今、自分が間の抜けた声を発した事に気付かない。
対峙している白粉当主は続ける。
「やはり疲れておるのじゃろう。しばし暇をやるから、何処か旅行にでも行くが良い。これは当主命令でおじゃ」
「…………っ」
男は苦虫を噛み潰したような気分になった。
表向きは心配しているその口調だが、その裏には厄介払いする考えに思えたからだ。
(過去の事は赦す、と口では言っていたが……結局のところ……俺はまだ赦されてなかったのか……そりゃ、そうだよな。命を奪おうとしたような奴が……簡単に許されるわけじゃないだろうな……俺は、必要とされてなかったんだな……)
その瞬間、男は全てを失った感覚に見舞われた。
今まで積み上げてきた武将生活の実績、奉公する事への誇りや喜び……それが瞬く間にして瓦解の音を立てて崩壊していくのが分かった。
「分かりました……暇を頂きます」
「しばらく休むが良い。麻呂が連絡するまで帰ってくるでないぞ?」
やはり自分は追い出される、と感じた男は失意を纏い、今にも悲しそうな笑顔を見せて、
「はい。連絡があるまでは、戻ってきません。行って参ります」
そう言い残して当主の部屋から出て、喪失感に暮れながら自分の部屋に戻る。
手渡された風呂敷を部屋の真ん中に力無く投げ捨てると、荷造りもしないまま退室、そのまま摺河を出た。
「俺は……もう全てを失ったのだ……」
今にも消えそうな細い声を漏らし、男はひたすら当てのない道を歩いた。
夢は……そこで突然、溶けた。
☆
「なんだ……ここは?」
瞼を開けて、まず視界に入ったのは木製の古ぼけた天井だった。
顔から下は白くて薄い毛布に、寝台も白い布団だった。
男は今、自分がどのような状況に置かれているのか、まったく把握できなかった。
取り敢えず上半身を起こし、若干寝ぼけたまま自分の身体を見る。
普段、鍛錬を重ねた結果、鋼のような筋肉質の肉体を覆う様に包帯が巻かれている。
胴体だけでなく、腕や足にも丁寧に巻かれている事を確認した男は、次に周りを見回す。
といってもあるのは質素な机や椅子、小さな囲炉裏まである。
男はようやく自分は、どこかの室内で寝ていたのだと理解した。
しかし男は首を捻った。
(俺は……川に落ちたはず……なんで布団の中に居るんだ?)
瞬きを2、3度してみても目の前の景色が変わる事がないと認識した男は更に訝しむ。
「まさか夢……あるいは、あの世っていうオチか……?」
怪訝そうな顔をしながら考え込むも、川に落ちた時の衝撃や水の冷たさは今でも身体が覚えている感覚が残っている。
もし、この世界が夢やあの世だとしたら身体に染みついている感覚は恐らく無い方が高い。
ということは今、自分が居るのは紛れも無く現実世界だと言える。
だとしたら更なる疑問が出てきた。
「結局、ここは一体何処だ?」
次第に寝ぼけが薄れてきたのか、男は再度観察しようと周囲を注意深く見ようとした。
その際、ふと足元に若干の重みがある事に男は気付き、男は重みの正体が何なのか見ようと視線を下げる。
そこには男の子らしき少年が、上半身を預けて眠っていた。
「スーッ……スーッ……」
少し厚めの布団に身を包ませ、静かに寝息をたてている。
「…………」
男は思った。
どうやら自分は、目の前で寝ている男の子に看病されたのだろう、と。
この男にしてみれば、それは喜ぶべきか、悲しむべきか複雑な心境だった。
自分には、もう何も残ってないのに、それを助ける者が居る。
しかし、どうあれ、こんな自分を助けようとした者の気持ちを無下するほど男は、そこまで人間性は腐っていない。
ただ一言、表面上だけでも礼を言おうと男は寝ている少年の背中に手をやり、ゆさゆさと揺さ振る。
「もし……もしっ」
「ん~っ……」
揺さぶられた男の子は一瞬、モゾモゾ動くも目を覚ます気配はない。
「すまぬが、起きてくれ」
男は先程より強く揺さ振る。
「んぅ~~っ……んぁ?」
寝ぼけ特有の呆けた声をあげ、男の子はようやく重い瞼をうっすらと開ける。
半目ながらも瞳は綺麗で、どこか子犬を思わせるような可愛らしい少年は、自分を見ている者の正体が何なのか知ろうと両目を手でゴシゴシ擦って改めて男の顔を見る。
「…………」
時が止まったかの様に、動く事なく男の顔を凝視する。
一方、見られている男はどうかと言うと何故、自分はこんなに凝視されているのか分からず、同じく少年の顔を見ている。
やがて、
「う……」
2人を包み込んでいた静寂は、瞬間的に崩壊した。
「うわあぁぁぁ~~~~~~っ!!」
少年は驚愕の声を上げながら飛び起き、ズササーッと部屋の隅っこにまで一気に後退りする。
「うわっ!」
男も少年の叫び声に驚く。
少年は何処か警戒しているのか、敵意に似た目をしながら男をじっと見ている。
さながら外敵に怯える子犬のようにも見えた。
「怖がる事はない。君が俺を治療してくれたのか?」
男は少年が怯えているのかと思い、宥めるよう優しく声を掛ける。
しかし少年は目を吊り上げ、
「う、うるさいッス、人間っ! あんたは、まだ怪我人なんだから動くんじゃないッス!」
何故か吠えるように怒鳴った。
「す、すまぬ……」
無意識に謝るも疑問に思った。
男は何故自分が怒られるのか、敵意を抱いているのか分からなかった。
少年は続ける。
「謝る暇があるなら、さっさと寝るッス! あんた、まだ完全に回復してないんスから、体力回復させて元気になったら、とっとと村から出て行けッス! それまで、オイラがキチッと面倒見てやるから何か用があるならオイラに一声掛けるッス! 掃除から入浴の世話まで責任もってやるから安心するッス!」
口では怒鳴っているものの、声のトーンには何処かしら相手を気遣ってる口調にも聞こえる。
(怒ってるのか、励ましてるのか分からんな……)
男は困惑した表情を浮かべながら少年の顔を見ると、何か違和感を覚えた。
よく見ると少年の耳は人間特有のものではなく、フサフサした毛に包まれた三角形――犬や猫を思わせる獣特有――の耳をしている。
「な、なんスか?」
不思議な耳をした少年が、自分を凝視している男の様子に眉を顰める。
「いや、君……その耳は……」
男は思った事を口にしようとした瞬間、少年は再び吠えるように怒った。
「何なんスか! オイラの耳がどうかしたんスか!」
「いや、その耳は何かと……」
「あんたの目は節穴ッスか!? 耳ッスよ、耳っ! 誰にでもついてる音を察知する部分ッスよ! あんた、耳っていうものを知らないんスか!」
「いや、知ってはいるが……その、どうしたのかな、と……」
「生まれつき、こんな耳してるんスよっ! 文句あるんスか!?」
あまりにも鬼気迫る迫力に男は、たじろぐ。
「い、いや、文句などない。す、すまぬ……」
「謝るくらいなら最初から聞くなッス! まったく、これだから人間は……」
(人間? お前は、人間じゃないのか?)
と少年の放った言葉に、男は再度疑問を持ったが追及しても今みたいに何故か自分が怒られると思い、敢えて質問しなかった。
(どうしたものか……これじゃ状況を知ろうにも……)
目の前の出来事にどう対処しようか迷っていた時、
「失礼しますよ」
と扉を叩く音と同時に若干低い声がすると、扉が開いて男性が入って来た。
ツルピカ光る禿頭、白く光る眼鏡、目から下は白い衛星用具を付けている。
いかにも怪しげな風貌をしているが、治療家が着る事を許される白衣を着ているため医療関係の人間だという事は認識出来る。
白衣を着ているため、衛星用具をつけているのは頷けるが仮に着ていなかったら完全に怪しさ爆発、奇人変人な人に見えるだろう。
それはともかく。
その白衣を着た禿頭医師は、犬の耳をしている少年に向いて、こう言った。
「戌亥くん。何を怒っていたのです?」
「お、怒ってなんかいないッス……ただ、ちょっと耳の事で……」
「貴方が、どんな境遇に遭ったのかは理解しています。ですが、相手は怪我人です。いかなる時でも騒がないのが常識ですよ?」
諭すように言う医師に、戌亥と呼ばれた犬の耳を持った少年は、さっきまでの怒りを消して項垂れた。
「も、申し訳ないッス……先生……」
「いつもの事とは言え、気をつけて下さいね? では戌亥くん、私は、この怪我人とお話がありますので裏山で薬草を摘んできて頂けますかな?」
「お、オスッ! 行ってきまッス!」
戌亥と呼ばれた少年は『ピン』と愛らしく逆立てて部屋から出て行こうとした際、振り返り、
「そこの人間っ! 必ず大人しくして待ってるんスよ!?」
やはり、どこか怒った口調で釘を刺すように言ってから、ドタドタと足音をたてながら退室する。
「…………はぁ」
足音と気配が完全に消えた事を確認してから、男は軽く溜息をついて白衣を着た禿頭医師に視線を向ける。
すると医師は申し訳なさそうに後頭部を掻きながら頭を下げた。
「申し訳ありません。あの子……戌亥くんの口の悪さは、私が代わってお詫びを申し上げます」
「いや、それは気にしてない。それより、幾つか聞きたい事があるのだが」
「何なりと」
禿頭医師は淡々と応じる。
「俺を手当てしてくれたのは、貴殿か?」
「正確には手当ての指示を出した、と申しましょうか」
「指示を出した、というのは?」
「実際の治療は、先程までここに居た戌亥くんです。私の助手みたいな事をしております」
「そうなのか……後で礼を言わないとな。貴殿にも」
男は、そう言って軽く頭を下げた。
「いやぁ、実際、危ない所でしたよ。身体も冷えていましたし、身体の数ヶ所に軽い打撲痕がありました。恐らく川に落ちた際についたものでしょう」
医師は真摯的な態度で状況を説明した質問する。
「食欲はありますかな?」
「あぁ……少しは」
「それは良い事です」
男の答えに医師は小さな手押し車の上にある布を取る。
そこには玄米と粟を混ぜたお粥、野菜の漬物、小さな焼魚など簡単な食事が載っていた。
質素な食事だが、出来立てなのか美味しそうな匂いが男の鼻腔をくすぐり食欲を誘う。
「余り物で申し訳ありませんが……」
「いや、忝い」
正直、今の自分にとって食事すら大した意味をもたらさないが相手の善意を拒むのは武士道に反すると思って表面上、礼を言って箸を手にする。
まず粟の入った玄米のお粥を摂取すると、適度な空腹感だったのか味が渾然一体となって口腔内に浸透していく。
その美味しさが生きている事を実感させるのだが、それと同時に生きる事を諦めた男にとっては内心、
(現金なものだな……)
と苦笑した。
人に限らず、この世に生を授かる者は誰しも、餓えれば食べ物を、渇けば飲み物を求める。
そうでないと生命は死に耐えるため、本能はそれを阻止しようと懸命に生かそうと何かしら信号を送り続ける。
今の自分にとって、それは有難迷惑にも等しいが、こうしてお粥の味を美味しく思った時、一瞬ながら自分は『生』を渇望しているのだと思い知らされる。
心では生きたくないと願うも、身体は正直だ。
もっとも男にとって自分の心境以上に、自分は今どうなっているのかが気になる。
お粥を摂取する合間に男は医師に尋ねてみた。
「結局、何がどうなっているのか分からん」
「そうでしょうね。しかし、どこから話せば良いのか……」
禿頭医師は腕を組んで考え込むも、すぐに男を見据えて言葉にした。
「まずは自己紹介から始めましょうか」
白衣の男はそう言って、自分の胸に軽く右手を添えて説明する。
「私は白井竹庵と申します。見ての通り、どこにでも居る普通の医師です。私は、この村から離れた因心町という所で診療所を開いています」
「俺は赤尾一磨。摺河の領主に仕えていた武士だが、暇を頂いた流れ者だ」
「ほうほう」
一磨の言葉を聞いた竹庵という禿頭医師は表情を変えずに――眼鏡は常に光っており、口許も衛星器具で覆われているため判別しにくいが――相槌を打った。
この態度に一磨は少し驚いた。
流れ者や流浪人などと言うと他者は、見下したり近付かない傾向が強い。
山賊や強盗、あるいは根無し草の浪人やヤクザと認識されたり、最悪な場合は乞食と同列だと見られる事がある。
もっとも浪人の場合、一磨のように大名から暇を頂いたりする者が大半で雇われ用心棒をやったり、傭兵まがいのような事をするのだが全員が全員そうではなく、やはり盗賊に身を落としたり、あるいは本物の乞食に落ちぶれる者もいるため、やはり平民から一段下に見られたり、社会的規格から外れた者と思われる事が多いのが現実だ。
しかし、この竹庵という怪しげな医師は一磨を偏見な目で見る事もなく従来の医師通りの対応をしている。
よほどの人格者か、自分の偏見を表に出さないのかは分からないが、竹庵の雰囲気や練斗という犬のような耳を持った者に対しても普通に接しているから前者の線が濃いだろう。
「白井先生。それで、ここは何処なのだ?」
「私の居る因心町から離れた所に位置する分貝村といいます。貴方は川で溺れたまま村に流れ着いたのですよ。因心町や分貝村は位置で言えば、ちょうど相神領と摺河領の国境に位置していますが、どちらかと言うと摺河寄りです」
「国境か……」
状況を聞かれて一磨は、自分があてもなく相神への国境に足を向けていた事を理解した。
「あの少年は白井先生の助手みたいなものだと言ったが……何者なんだ?」
「その方の名前は戌亥練斗といいます。時折、私のお手伝いをしています。再度、申しますが彼の悪態は私がお詫びします。何せ私を除く何名かの人間以外には心を開いていますので。まったく初対面の人間には必ず警戒してしまうのです。まぁ、無理もありませんが……」
「その戌亥殿も俺の事を『人間』と言ってたし、耳の形も人とは違う感じが……それは一体……」
「それは、この部屋から出て分貝村を見れば分かります。ちなみに、この部屋は戌亥くんの家です」
「見れば分かるって、どういう事だ?」
「そのままの意味です。赤尾さん、と言いましたね。貴方は幸い、激しい運動は出来ませんが歩き回る事は可能ですので実際に、その目で確かめてみては如何ですかな?」
「あ、あぁ……そうする」
明確な答えを得られず困惑する一磨だが、見れば分かると言われたため頷く事しか出来ない。
「では御大事になさって下さい。私は町に戻って診療の続きをしないといけませんので」
そう言って竹庵は軽く御辞儀をしてから練斗の部屋から退室した。
一磨は病床から禿頭医師を見送った後、残った食事を全て平らげてから仰向けに寝転ぶ。
(まずは体を休めよう……何はどうあれ、こうして生かされてる訳だし……あの戌亥殿の正体を知ってから、黙って村を出て行くのも遅くはないだろう)
そう判断した一磨は、ゆっくりと瞼を下ろすと食後特有の眠気が現れ、そのまま意識の闇に引きずられ、しばしの眠りについた。