Ⅲ 東岸英吾(1)
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東岸英吾は、公園のベンチで、手袋を片手に薄ら笑いを浮かべている。何も嬉しいことがあったわけではない。ただ、己の愚かさに笑いが止まらなかった。
夕焼けによって、歪んだ顔にはでこぼこの影ができ、そんな彼を馬鹿にするかのように烏が啼いている。
人のいない公園で、過去を思い起こす。
冬廣瑛二が死んだあの日のことを。
そして、まとわりつく罪悪のことを。
「川原に探検でもしに行こうよ」
それが、冬廣瑛二を危険だと再三言われ続けていた川原へと誘いだした言葉である。川原には、数年前より一人の気狂いの男が住んでいると教師からの通達があり、そこには決して近づいてはいけないと言われていた。
「嫌だよ。ずっと前から近づいちゃ駄目だって言われてるし」
冬廣瑛二の返答はもっともなものだった。しかし、英吾は瑛二の心を動かす手段を知っていた。そんなつまらない規則を容易く破ってしまうほどの。
「あそこにさ、綺麗な石があるんだよ。俺、この前内緒で行ったんだけど、宝石っぽいのが沢山あったよ。それにさ、瑛二のお母さんの誕生日ってもうすぐなんだろ? それ、プレゼントしたらどう?」
包含している黒い塊は表に出さず、笑顔で英吾は言う。もちろん、英吾の言ったことは、内緒で行ったという部分以外は嘘だ。宝石なんてひとかけらも落ちているはずがないし、確かに気が狂った男が小屋に住んでいた。試しに近寄ってみたところ、凄まじい怒声で追い返された。あれは危険だ。
「なんで知ってるの? お母さんの誕生日が近いって」
英吾は、この返答に窮した。
「あれ? 前に瑛二が言ってたんだよ?」
嘘だった。
真実はというと、変態的なまでに冬廣麻都香のことを溺愛している、父、敦司に訊いたのである。敦司は以前から冬廣家で出たゴミを漁り、麻都香の私物を物色するほどに麻都香のことを深く愛していた。麻都香の茶色い髪の毛や、化粧品、下着など、敦司の収集癖は過剰さを増し、ついには生理用品にまで手を出したほどだ。
離婚の原因は妻による子への暴力だと、敦司は言い続けているが、実際は変質者の敦司に、妻の方が愛想を尽かしたのだろう、と英吾はずっと考えていた。なぜなら、彼自身には母親から暴力を振るわれた記憶などないからだ。それどころか、英吾は母親から深く愛されていたことを覚えている。記憶にはないが、体がそれをしっかりと覚えていた。今では感じることのできない、母親の愛を冬廣麻都香という一人の女に、英吾の母親は奪われたといっても過言ではないのだ。しかし、英吾は麻都香のことを恨みはしなかった。むしろ、憎しみの矛先は父親である敦司に向けられていた。
そんな英吾のことなど考えもしない敦司は、麻都香が離婚をしたという話を聞いた途端に、アピールを仕掛けた。金銭的な援助をし、相談にも乗り、仕事場までの送り迎えまでした。もちろん、その間もゴミ収集は欠かさなかったし、情報もしっかり仕入れていた。我が子である英吾を使って、だ。
しかし、今のところその恋が実るということはなく、せいぜい、親切なご近所さんというレベルの話だった。麻都香が真実を知れば、一体敦司はどういう目で見られるだろう、と想像するだけで背筋がぞくぞくした。英吾もまた、父と同じくして変質者なのかもしれなかった。
「そうだっけ……」
怪訝そうな顔をして、瑛二が戸惑う。
「そうだよ。で、どうする? 行く?」
「んー……英吾も来てくれるんだよね?」
「もちろん。俺たち、親友だろ?」
親友だろ? そんな言葉を口にする奴ほど相手のことを親友だなんて思ってはいない。英吾にとって瑛二は、麻都香を手に入れるための道具でしかなかった。少なくとも、瑛二の家庭が崩壊した後からは。
「じゃあ、行く!」
ぱっと明るい表情になり、無垢な笑みを浮かべる。英吾も一緒に笑うが、その笑顔は時間の経過した血液のようにどす黒かった。
「じゃあ、今日授業が終わったら行こう。ちょっと家で準備があるから、先に川原へ行っててくれよ。それと、このことは誰にも内緒だからな!」
「うん、分かった!」
時刻は十五時と少し。