Ⅳ 東岸敦司
午前八時。東岸敦司は目を覚ました。
ベッドの横に手を伸ばし、愛しい妻の体に触れようとする。しかし、既に彼女は起床しているようで、そこからは少しのぬくもりすら感じられなかった。
昨夜夜遅くに麻都香と英吾は手を繋ぎ、肩を並べて帰ってきた。二人は傍から見れば歳の差カップルに見えたことだろう。敦司は、彼女らがここまで幸せそうな顔を見たことがなかった。一体何があったのだろうかと勘ぐってみたが、何も思いつかなかった。
「なんだ、あいつは休みだっていうのに早起きだな」
寝ぼけ眼をこすりながら、敦司は階下へと降りていく。
家は、異常なまでに静かだった。
普段であれば、麻都香が起きていれば朝食の支度をしているだろうし、英吾は朝早くから部屋でゲームをしているはずだ。しかし、そのどちらの音も聞こえてはこない。
あまりに静かすぎる空間に、敦司は身震いした。
居間を覗いてみるが、やはり誰もいなかった。
「なんだよ、二人揃って出掛けてるのか?」
自分の声がやけに反響する。
ふと玄関の方に目をやると、鍵が開いていた。昨晩、麻都香と英吾が帰ってきた時に締め忘れたのだろうか、それとも、今朝出掛けた時に締め忘れたのか。
玄関の戸を開けてみると、外は清々しい、良い天気だった。こんな日には、家族で出掛けるに限る。
「最近、ずっと家族サービスをしていなかったし、今日は出掛けるかな……。そうだ、近所に最近できた公園にでも行こうか」
思えば、敦司はここ数年、家族サービスというものをしていなかったし、麻都香にも迷惑をかけっぱなしだった。英吾にいたっては、ほとんど会話すら交わしていなかった。きっと、二人ともいい加減に愛想を尽かしていることだろう。崩壊が訪れる前に、それに気づくことができたのは上出来だと、敦司は思う。今日は、一日を家族の為に使おうと思った。
ふと、足元を見てみると、そこには英吾の右手の手袋と、麻都香の左手の手袋、そして、英吾の手袋と同じ型をした小さな手袋が、丁度手を繋ぐようにして重なって落ちていた。
「なんで、こんなところに……」
敦司は三つの手袋を拾い上げ、ポケットへとしまいこんだ。そして、もやもやとした気持ちを払拭するかのように笑った。
「早くあいつら、帰ってこないかな。さっさと出掛けないと、人でいっぱいになるぞ。一体どこに行ってるんだ」
敦司は、ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、家の中へと戻っていった。彼の頭の中には、二人が喜ぶ姿以外の不純物が一切含有されていなかった。
自分自身の記憶に、己が殺人犯になったという不純物が入り込んだことなど、彼は永久に気づかなかったのである。