Ⅲ 東岸英吾(8)
8
粉雪が舞い、外はあの時以上に冷え込んでいた。空には、寒さで震えるかのように輝く星が無作為に並べられている。
「ねえ……英吾。何であんなこと……」
警察署の前で麻都香は立ち止まり、純粋な瞳を英吾に向けた。
「燃やされたんだ」
「え?」
「せっかく作ってくれた手袋を燃やされたから。だから……」
英吾は、悔しそうに拳を握る。
「そうなの……。分かったわ、また作ってあげる」
その言葉が、ひどく英吾の心に染み渡り、思わず泣いてしまいそうだった。しかし、今はまだ泣く時ではない。
「ありがとう、麻都香さん」
必死に笑顔の仮面を被り、感情を偽った。
「いい加減、私のことお母さんって呼んでくれないかな?」
「……ありがとう、お母さん」
英吾の言葉に、麻都香が屈託のない笑みを浮かべる。
もう限界だった。仮面に罅が入り、端からぼろぼろと崩れ落ちていく。その崩壊は、もはや誰にも止められない。
「どうしたの?」
麻都香が心配そうに英吾の顔を覗き見る。
「ごめんなさい……」
「どうしたのよ」
麻都香は英吾の肩を持ち、崩れ落ちそうになる彼を支えた。
「僕が……僕が瑛二を殺したんだ」
英吾は口ごもり、時に咽こみ(むせ)ながら、すべて、包み隠さずに麻都香に語った。五年前、川原に誘い込んだことも、瑛二に嫉妬していたことも、手袋を奪ったことも、麻都香のことを愛していたことも、母親の愛が欲しかったことも、燃やされたのは瑛二の手袋だったことも、すべて……。
「謝って許してもらえるとは思ってないんです……。でも、僕はもう耐えられないんですよ! ずっと、麻都香さんの悲しい顔を見続けることなんて、僕にはできない……」
完全に崩壊した仮面の下から出てきたのは、悲しみをモチーフにした、道化師の顔だった。涙は、薄く積もった雪の上に流れ落ち、少しずつ足元の雪を溶かしていく。
麻都香に、今すぐ殴り殺されても、何も文句は言えない。ぐっと力み、来る暴力に備えた。しかし、それは無意味な行動だった。
「知ってたわ」
まったく予想もしていなかった言葉が、麻都香の口から飛び出してきた。てっきり、呪いの言葉が囁かれるとばかり思っていたのに――。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、麻都香を見上げる。涙で視界が霞み、彼女の表情が読みとれない。
「私ね、今日英吾君の部屋で日記を読んだわ。あの時、瑛二は手袋を燃やされたって言ってたけど、違ったのね。本当は英吾君が持って帰っていたのね」
すべて、見通されていた。
「全部読んだの?」
「ええ、五年分、全部読んだわ」
日記には、冬廣瑛二が死んでから五年間の間に起ったこと、自分が感じたことなどを一切合財書き記していた。これを読んだということは、英吾のすべてを知ったということに等しいのだ。しかし、すべてを知った上でも、麻都香は英吾を責めようとはしなかった。
「だったら、何で――」
「英吾君を今さら見捨てられるわけないじゃない!」
声を荒げ、麻都香は目に涙を溜めている。
「私たちは……間違っても親子なのよ? 日記を読んだ今だからこそ、親として、あなたを救わなきゃいけない」
それと、と麻都香が続ける。
「死んでしまった人を生き返らせるなんて不可能なんだから。子供のあなたを恨んでも仕方ないって思ったの。それに、実際に手を下したのは、私の元夫なんだから」
「じゃあ……許してくれるの?」
麻都香は、ゆっくりと顔を左右に振る。
「ううん、許せない。私は、死ぬまであなたを許せない」
「やっぱり……」
英吾は肩を落とし、その場に崩れ落ちた。
「ねえ、英吾君。ここで話し続けるのも良くないわ。ほら、警察の人が見てる……」
二人の数十メートル後ろでは、若い警察官が二人をさっきからじっと見つめている。明らかに不審者として見ている。
「場所を変えましょう。そうだ、あの公園がいいわ。この時間なら、人はそんなにいないでしょうし」
麻都香は英吾の手を取り、歩を進める。