Ⅲ 東岸英吾(7)
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取調室で、英吾は待機させられていた。
避けられないことだとは分かっていたが、いざ親を呼ばれるとなると緊張した。しかし、ここに訪れるのは敦司であることは分かっていたので、麻都香が来るよりも心は安定していた。
麻都香は、今日、瑛二の墓参りへと行く予定なのだった。墓自体は近所の霊園にあるので時間はかからないが、彼女は墓参りに行くと、決まって夜遅くに帰ってくる。だから、今この時間に麻都香がここへ駆けつけてくる可能性はないと考えた。
電話を終えた甘利が帰ってきた。
「なんであんなことをしたんだ?」
両親のことは一切話をせずに訊ねる。
「大切な手袋を燃やされたんです」
「手袋?」
「現場に落ちていませんでしたか? 今はもう、灰になっちゃってると思いますけどね」
皮肉を込め、英吾が言う。
「たったそれだけのことで、あいつらを――」
「あなたにとっては、たったそれだけのことでしょうね。でも、僕にとっては、命を奪われるよりも重要なことなんです」
「理解しづらい話だな」
「でしょうね」
しばらくの間、冷たい取調室を沈黙が支配する。
「でも……その気持ち、解らないでもないな」
小さくため息をつき、甘利が煙草に火をつける。
「そういえば、俺は、昔おやじに作ってもらった竹馬を壊されたことがあるな。あの時は悔しかったね。今のお前と、似たような感情だったと思うよ」
「あれは、僕のものじゃないんです」
「なに?」
「あれは、僕の親友の手袋なんです。冬廣瑛二って名前を聞いたことがありませんか? 五年前、ホームレスから暴行を受けて、小学生が殺された事件」
「ああ、聞いたことがあるな」
苦虫を噛み潰したかのような顔をして、甘利が答える。
「その被害者の子が持っていた手袋なんです」
甘利が煙を吐き出す。
「なるほど……。その手袋は、形見みたいなもんだったってことか」
「形見、ですか。そう言えばそうかもしれないですね」
「そりゃあ、怒るわな。少しだが、お前に同情するよ。……どうだ? 煙草を一本吸ってみないか? ちょっとは気が紛れるかも知れん」
「貰います」
青い箱から煙草を一本取り出して、英吾に差し出した。英吾はそれを咥え、慣れない手つきで火をつけた。すうっと吸い、そのまま青い煙を吐き出した。肺に入れれば咽る(むせ)ことを英吾は知っていた。
煙草の先で小さく光る赤い塊を見ていると、手袋が燃えていく様を鮮明に思い出すことができた。できることならば、あの時、自分も一緒に燃え尽きてしまいたかった。そうなれば、今頃、すべての罪から解放されていたはずなのに。
英吾の持っていた煙草がすっかり灰になり、甘利が二本目の煙草に火をつけた時、英吾の親が取調室に入ってきた。
英吾の予想は裏切られた。
そこには、墓参りに行っているはずの麻都香がいた。麻都香は、瑛二が死んだ時と、寸分違わぬ表情をしていた。目を真っ赤にして、髪を振り乱し、美しさが完全に枯れ果てた顔。
英吾は、必死になって麻都香から目を逸らした。
そんな英吾を無視して、甘利が経緯を説明している。
ちらり、ちらりと麻都香の様子を横目で窺う。彼女の表情は、どんどん曇っていく一方だった。目の端には涙を溜め、今にも泣きだしそうだった。こんな義理の息子に、ここまで親身になってくれている麻都香に、英吾は心から嬉しさを覚えると同時に、今までに感じたことのないほど巨大な罪悪感に襲われた。
「そういうことなので、今日は帰っていただいて結構です」
「はい、ご迷惑おかけしました……」
説明が終わったようだ。麻都香がぺこりと頭を下げ、礼を言う。
「さ、行きなさい」
甘利が英吾の背中を押す。
「エイちゃん、行こうか」
麻都香が、足早に取調室を去っていく。それに遅れないよう、英吾もついて行く。その時、英吾が見た麻都香の背中は、ひどく寂しげだった。あの時から何も変わらない、あの背中。
何故自分を責めてくれないのか。
何故自分を愛してくれているのか。
いっそのこと、この場で刺殺してくれればどれだけ楽か。
英吾には、何も分からなかった。
もう隠すことはできない。
もう、あの背中を、あの顔を見続けることはできない。
英吾は、真実を話す決意をした。