そこにあるなど勝手に人間はきめてしまう
理心が手にしていた五芒星を見て藤野と未稀は膠着する。
「これ…おまじないの魔法陣だよね」
テーブルの上を滑らせ、理心は差し出す。気のせいか珍しく理心の語意に鋭さがある。朱は心の中で驚き、その目は別人のような理心の横顔を見た。
―京はこの理心を知っていたのだろうか。
無意識に朱は腕を組んだ。
「………」
押し黙ったままの二人。理心はそれを見て膝の上で指を組む。朱はこの陣が何なのか分からないが、先ほどまで威勢のよかった藤野が黙っていることから何かを藤野は隠している。
外の喧騒が聞こえるほど静かになった。途端、理心が口を開いた。
「そのおまじないを教えてください」
……は?
「………」
空気を読まぬ一言で、ここに居る誰もが同じ気持ちを共有した。明らかに先ほどとは違う戦慄が走る。出来ることなら珍しく理心の語意に鋭さがあると思ってしまった自分をぶん殴りたい。今そんな気分だ。
聞いた藤野は目を閉じ、何ともいえないため息をついた。そして、立ち上がる。
「…ああ。そうですか生徒会は生徒一人の生徒の依頼にもしっかり答えないんですね……」
とても暗い声だった。心の中に藤野に対する同情の気持ちが無限に広がっていく。
「失望しました」
「藤野ちゃ……」
「あんたは黙ってて!」
「っ!」
未稀の抑制を一言で一蹴する。
「自分に合う源担ぎってあるみたいだから今それ探してたから」
「知りませんよ!大体なぜそこにいる生徒長ではなく副長が事件を進めてるんですか!」
申し訳ないです。隣の綾平が欠伸をしている風景を想像しながら心の中で土下座する。
「こっくりさんやキューピッド、全部そうだったんだよねー…」
「人の話を…!」
「それは…姉に教えてもらいました」
「ここで答えるのかい!」
丁度、朱と藤野の声が同調する。目先の未稀はびくっと体を竦ませ、申し訳なさそうに俯いた。
およそ十八行遅れの返答は間が抜けているとかの域ではない。この空気はいわば放送事故の類だ。ふつふつと藤野のこみ上げる怒りが今の朱には手に取るように分かる。
綾平が気付かないところで大銀杏に目をやる。
「姉?」
「はい…。檜山有稀…って言います…」
「あ、あの人か」
頭の中で思い出し、朱は口にする。確か弓道の大会で講堂で表彰されている姿が浮かぶ。手足が細く、凛とした線の太い印象がある。
考えてみるとこの姉妹は対照的だ。言われなければ姉妹と分からない。つまりは似ていない。
「こいつらはちゃんと未稀のこと本気にしてないんだよ!?」
「……」
藤野の一言に朱は眉をぴくりと動かす。澪羅がそれに気付いたかは分からないが小さく欠伸をするのが聞こえ、拳を緩める。
未稀は怯えながらも顔を見上げ、鬼面の藤野と目を合わせる。
「……困っているのは…ほっとけない……から……」
「!」
何とも辛そうに未稀は笑っていた。彼女なりに藤野を傷つけないための努力なのだろう。藤野はそれを聞き俯き呟く。
「…そう…」
そしてまるで裏切り者を見るような目で未稀を見下した。
「…!」
未稀の顔面から血の気が一瞬にして消え去る。藤野は気に留める様子も無く生徒長室から出て行った。
「ちょっと…!」
「ほっとけ…面倒だ…」
後を追おうとした朱に綾平が呟く。
「面倒って…!」
「今あいつが書記さんの話は聞くと思うのか?」
「……そうだけど…!」
彼女は何かを隠している。朱はそう言いかけ、はっとした。
未稀はまだ彼女と友達でいる。友達の悪口を言えば今の未稀をもっと苦しませることになる。彼女は更に傷つく。
そもそも隠しているという証拠はない。
我に返った朱は強い嫌悪感に胸が苦しくなった。
「そうだけど?」
綾平が訝しげに問い返す。
「…いや…何でもない……」
胸を押さえながら朱は綾平の隣に戻る。
「……」
「………で、どうやるの?」
「あ……はい……」
理心に呼ばれ、未稀は藤野が出ていった扉から目を離し、前を向く。おもむろにテーブルの上に置かれていた五芒星を引き寄せる。
「…まず…この図形を赤で描いて…隅に…書いた人の名前を……」
口ごもりながら、人差し指をペンに見立て説明する。微かに震えている未稀の指先に朱が気付く。
「……次に、真ん中の空いたところに願い事を………」
「ふんふん…」
「書いたら…四つ折にして……焼却炉の中に入れるん…です…」
「焼却炉って、裏庭の使われてないアレ?」
理心の問いにこくりと頷く。説明が終わったようで間が開く。嫌な静寂に包まれる生徒長室で朱は行き詰る感覚を覚える。その中恐る恐る未稀は口を開く。
「…用事は……もう…」
「あ、他にも…」
理心が発言しようとした瞬間、朱の右手がテーブルを強く叩く。
「察しろ馬鹿理心!…未稀行っていいよ」
「……でも…」
「さっさと藤野の後を追いなさい!」
おどおどとたじろぐ未稀を睨みつけ、大声で叱る。
「は……はい……」
未稀は立ち上がると朱に深々と礼をして、足早にドアを開け出て行った。遅れてドアの閉まる音が生徒長室に響き渡る。
白ける空気の中。
「なんだよー朱。もっと聞きたいことあったのにー」
無音の中、理心が口の先をすぼめて言う。朱は無言でつかつかと理心に近づき、理心を見下した。
「…ほんとに馬鹿なんだね理心って」
心底呆れた口調で話す。意味が理解できない表情をする理心。代わりに綾平が理解したようなため息をついた。
「…なにが?」
「あのままだとあの二人は友達じゃなくなるでしょ…」
「え?なんで?」
「………」
朱は沈黙し、頭を抱える。なぜ私はこんな奴の下についているのだろう。思わず心の中で呟き京に問いただしたくなる。
「生徒長。ちょっと散歩してくるね」
「いってらっしゃい」
「なんでだよー」
右手をあげたのを確認し、朱は生徒長を出るのだった。ドアを閉めると馬鹿の質問は、まったく聞こえなくなった。
*
「なんだよー…」
朱が消えていったドアを眺め理心は呟く。
「…白々しいな」
「綾平もなにがいいたいんだよ」
くるりと首を回し、綾平に目をやる。先ほどまで起きていた澪羅がとても眠そうにうとうとしている。
窓を隔てた大銀杏を興味なさ気に見ながら、綾平は呟くように言った。
「藤野が犯人かもな」
静かな声がやけに大きく聞こえた。冷静に理心は言い返す。
「なんで?彼女も被害者でしょ?」
「加害者が被害者を装うなんてよくあるだろ。それにもしそうなら電車の件は説明できるぞ」
単なる一人芝居。綾平がいいたいことは直ぐに判った。
「今日ここに来たことだって、俺らの調査の進行速度を確かめるためかもよ」
「あ。そうか、なるほど…」
「………」
欠伸をして、大銀杏を見ていた綾平がこちらを見る。
「理心……驚いてないな?」
「…え?」
訝しげに問い返す。綾平は察したような、半ば諦めたともとれるため息をつき、再び大銀杏を見る。
「いつからこの可能性に気付いていた?」
「?…今気付かされたけど?」
理心は即答する。数秒、二人に無音が降りしきる。綾平は何かに気付いたように話し出す。
「理心。まさかお前……」
バアアアアアアアアアンッ!!!!!!!!
その時、壁に椅子を叩きつけたような爆音が校舎を揺らした。
「っ!?」
「!?」
「ふえっ……?」
瞬く間に染み渡った戦慄という緊張が、血流を駆け巡るのがはっきりと感じ取れた。
*
自分はまた間違えた。
生徒長室から出てきた藤野は、いきり立った足並みで廊下を歩く。
初見で分かっていたはずだ。あの人達は未稀を助けれない。助けるつもりなどないのだ。
廊下をすれ違う人々怪訝な目でこちらを見る姿が目に入る。
やはり未稀のことを分かっているのは自分しかいない。言ってしまえばあの子が今回の問題を生徒会に相談するのは嫌だった。
PKのせいでまたいじめられるかもしれない。無いとは思うが変な虫が未稀に寄生するかもしれない。あの子を汚されるかもしれない。
あの子は純粋なのだ。おっちょこちょいだけどそこが可愛いのだ。引っ込み思案だが私はそこも好きだ。
だから全部を私が守らなければならない。
ずっと隣で笑ってもらうために。
『自分を…必要するなら……どうでも…いいよ…』
ただ未稀は私を裏切った。今まで私に逆らうことなど無かったのに。
そんなのは未稀じゃない!
「なんでなんでなんで!!!!」
人目を気にせずに大声で絶叫する。行き場のない苛立ちを晴らすように自分の髪の毛を掻き毟る。だが不快な苛立ちはますます膨れ上がり、息遣いを荒くしていく。
あいつらのせいだ…!。
どうやら藤野が危惧していたことが起こってしまったらしい。
あいつらのせいだ。生徒会のやつらに未稀は汚されたらしい。許せない…。私の未稀になんてことを…!
「なら、早くしなきゃ」
「…」
憎悪に満ちた心に低い女の声が語りかけてくる。声がした左の方を向くと一体のクマの人形が窓のサッシの上にちょこんと座っているだけだった。
こいつが私に語りかけている。藤野は引き寄せられるようにクマを手に取る。
その目を見ると自分のすべきことが鮮明に浮かび上がってきた。
「…手遅れになるよ」
これが言う通りだ。まだ間に合う。全部は侵されていない。せめてこのままでいてほしい。
あの声も体も目も性格も笑顔も綺麗なまま守らなきゃいけない。苦しくないように一瞬で終わらせないといけない。
自然と重くなる左手。褪めた目は見覚えの無い剣を睨みつける。その時角を曲がってきた未稀の姿が映りこむ。
迷う暇など無い。これ以上私の未稀が侵されていく前に―。
「藤野ちゃん!」
早くこの世から―!
展開が始まりました。今すっごく楽しいです。ちなみに今回初めて病む人を書いてみました。批判・感想をぜひ待ってます。
―次回―
???「朱さんですよね?妹の未稀が世話になってるようで…」
朱「もしかして…有稀先輩ですか?」
有稀「はい。檜山有稀と申します」
―お楽しみに―