ゆっくりとただ…ゆっくりと…
日付的には二度目の起床をした朱はすぐさま、時計の時刻を見て飛び起きるのであった。眠りの深い澪羅を叩き起こし、予備の制服をタンスの奥から引っ張り出す。少し胸のところが朱より苦しそうだが今日のところはそれで我慢してもらおう。ってか我慢しろ。
嘘みたいに平穏な朝だった。ただ澪羅の髪を梳いてあげているときに昨日と同じ擦り傷を見て、現実だと痛感させられる朝であった。
「…って、おかしいだろおおおおおおおおお!」
朱が机を叩き絶叫する。さほど広くはない生徒長室から音と声が失われる。
「カン!」
「ロン。チャンカン。二千ぐらいだな」
「おい、意図的に可愛い私を無視するな」
「何でチャンカンなんだよ~」
「そこも無視か…」
心からの怒りの鉄拳がトランプを使って麻雀をしている理心の後頭部に直撃する。粉雪のようにスペードのエースとジョーカーがひらひらと舞う。
「どこかおかしいところあったか?」
ジョーカーを空中で掴んだ綾平が言う。一度は収まった怒りの炭が再燃する。
「何で私があの子の髪を梳かなきゃいけないのよ…」
怒りを無理に押し殺した声で言う朱。見る限り綾平は自覚がないようだ。
今朝見た限りで澪羅はかなり生活に関して難がある。別にどうでもいいのだが、毎日朝髪の毛を梳かす習慣ぐらいつけなければ完全に浮く。それなりに可愛い顔なのにそれはあんまりだ。
どういう教育を綾平はしてきたのだろうか。他人に教育するというのも変だが今日まで見ていると恋人同士であり保護者のような関係に見える。だが綾平はストーカーと言い切るので朱は口にしない。
「…あ、そうだ理心、これ」
「んあ…?」
朱の思考を知らずに綾平は頭をさする理心に手を差し伸べると同時に一枚のディスクを手渡す。
「なにこれ?」
「昨日言ってた、藤野の時の映像」
「あ…」
「忘れてたか…」
あからさまに綾平は呆れる。そして欠伸。目を点にしてぽかんとする副長に朱の心はとても痛くなった。
*
「………」
真昼間から生徒長室のテレビを朱たちは凝視していた。ちなむと昼休みです。
短い砂嵐の後、駅のホームの中に電車が進入する様が映し出されている。音声はないが右の階段を降りてきた藤野と未稀の姿が克明に映っている。二人が出会って、藤野が未稀の手を引っ張り電車に飛び乗った。数秒後、突然藤野が転げるように電車から出てきて、手首を残したまま扉が閉まった。
「っ…」
そのまま電車は徐々に加速を始め、そしてホームを出ないうちに減速、停車した。
ここで映像は途切れ、砂嵐の画面になった。暫く誰も何も言わずに、ざー、という雑音が生徒長室を満たしていった。
「だれも…いなかった…」
無音にぽつりと言い、朱は絶句する。DVDプレーヤーはディスクを回す音を立て、もう一度駅のホームに電車が停車する所から再生する。
「これだけなら、何で帰ってこなかったんだ?昨日」
ソファーに体重を乗せた理心が綾平の方を見て問う。
綾平はDVDプレーヤーのリモコンをテーブルに置いてから答えるのであった。
「盗まれてたんだよ。これ」
「!?」
「へぇ~…」
彼の答えに理心は興味深そうに呼応する。
「誰に?」
手を頭の後ろで絡ませ、続けて問う。眠そうな綾平は静かに息を吐いてから口を開く。
「赤い髪の男」
「それって…!」
唐突に朱が驚いた顔をしながら振り向く。欠伸しながらうなずく綾平はテレビの映像に目を戻す。
「多分、昨日朱と澪羅を襲った奴かもな…」
「……」
朱の目線が床に落ちる。
「けど、すんなりと俺には渡してくれたな。悪い奴には見えなかったし」
「?」
おかしなことを言う綾平に朱は首をかしげ耳たぶを指差す。
「耳にピアスは?」
「?…してなかったが?」
初めて聞く証言みたいに眉をひそめる。そして神妙な顔で思い出すように話す。
「年齢は俺等と同じくらいでかなり落ち着いていたぞ。髪色も駅員が言ってた赤というよりは紅色に近かったな」
「紅色…」
「…別人かにゃ?」
横で話を聞いていた理心が一言横槍を入れる。理心の言うとおりその可能性がある。
でも誰がそんなことをするのだろうか。朱の脳内で学校の生徒を参照するが紅髪の少年は誰も見当たらない。
床を見つめたまま朱は思考をめぐらせる。
「…あ、ねずみ」
「?朱、今のところ戻して」
「あ、はい…」
綾平に言われ目の前のテーブルにあるリモコンを手にし、少し時間を戻し再生する。
「……ここ」
少しして澪羅が言う。丁度二人が電車に乗ったところだが、止めてみても朱にはどこにいるか判らない。困惑する澪羅は四つんばいになってテレビの右端を指差す。凝視する朱。何秒見つめたところで澪羅が指指していると思われるものはただの黒い点にしか見えない。
「こ、これは……」
「ねずみだもん!この後の動きから見てねずみだもん!」
苦笑いをする朱に詰め寄る澪羅。ほほえましい光景に綾平は安堵したように息をつく。
「狙いは澪羅と朱ねぇ…」
仲良くなった二人を見て理心が呟く。
「……」
「どうしたんだ?綾平」
「…いや、なんでも…」
珍しく理心に対し口ごもる綾平。多少の違和感から小首を傾げたが、それほどの疑念を理心は抱くことがなかった。
「そういや、駅の構内でこんなものを拾ったんだ、ほい」
思い出したようにそう言ってポケットから丸められた紙くずを取り出し、こちらに投げつける。左手で受け取った理心は直ぐに紙くずを広げていく。
瞬間、視界が赤い模様で埋め尽くされた。
「……」
無言で見つめる。驚いた理心だったが模様を理解していくにつれ、心の中は違う驚きに摩り替わっていった。
赤い色鉛筆で書かれた直線が五芒星の形をかたどっている。五芒星とは魔法陣の一種だ。アニメやゲームではなく、現実世界でも魔法陣は存在する。陰陽師が使っていた結界ともとれる代物だ。
真ん中に大きく空白が空いている。おそらく何かここに書くのだろう。
「問題は右下に書かれた名前、かな」
面倒くさく言う綾平に従い、両目が滑るように右下に向かう。そこにはこの魔法陣の持ち主だったと思われる人の名前が書かれていた。
檜山未稀。
「…ぷっ」
名前を見た途端、思わず吹き出す理心。そして口角が嘲るように上がった。
「あー、そういうことね。なんか分かった気がするわ~」
「?」
困惑する綾平を置いてけぼりにし、理心は一人納得する。
「朱。未稀ちゃんを呼び出せる?」
「たまには自分でやったら?」
文句を一言言ってから立ち上がり、廊下に続く扉に向かう。
理心は静かに目線を紙の五芒星に戻す。まさか五芒星とまためぐり合うとは思っても見なかった。笑みはニヒルなものに変化していて、脳内では星空の下の公園を思い出す。
「あれっ?」
朱の頓狂な声で意識が現実に引き戻される。見れば廊下に出るはずの朱がドアの手前で疑念の声を上げて立ち止まっている。
横目でそちらを見ると、開けられたドアの向こうで不服そうな表情をする藤野と未稀が立っていた。
見た理心はつい手にした五芒星で口と鼻を隠し、褪めた目で彼女達を見てしまうのであった。
*
「…ちゃんと依頼について取り組んでます?」
藤野は開口一番にこう言ってきた。未稀も同意見らしく無言で隣に座っている。横から見ている朱は面倒そうに欠伸をするのであった。
「取り組んでるよ。いろいろ分かってきたから、教えよっか?」
「ぜひお願いします」
きつい藤野の眼光を気にせずに理心は先ほどまで鑑賞していたディスクをテーブルの上に差し出す。
「これは藤野さんが腕を挟まれたときの映像ね。さっき見てたよ」
「それで…?」
「だれも映ってなかったよ」
「そんな…」
顔色が蒼白に変わっていく。理心はどこか楽しそうに続ける。
「私は誰かに…!」
「多分ね。引っ張られたように電車から出てきてる」
「でも誰もいないよ」
横で静かにしていた澪羅が小さく手を上げ進言し、理心がそうだよねー、と相槌を打つ。
流れで理心が上目遣いになりながらこちらを横目で見た。
「問題はこの映像が盗まれていて、その犯人らしき男がここに居るか弱き澪羅と頑丈な朱を襲ったらしいんだよね」
「……」
もう怒るのにも疲れた。朱は冷ややかな目をするだけに止め、無言で見返す。意図が伝わったように理心の目線は前に戻った。
「生徒長。どう思います~?」
「…完全な妨害行為、だよな」
「だよねー」
癪に障る口調で理心は続ける。
「論としては生徒会に、もしくは他人の目に触れてもらいたくない人間が存在しているってことだね」
「…何が言いたいんです?」
一段と藤野の目つきが悪くなる。対峙する理心がどこかうっすらと笑みを貼ったように見えた。
「よって、気をつけて生活してねーってこと」
「………」
呆れたような疲れたような、言葉にならぬため息を藤野は鼻から吐き出す。
「私達は―!」
「悪魔とか天使とか、おまじないとかね」
声を荒げようと藤野が立ち上がった途端、理心の声色が一瞬鋭さを持った。朱は思わず小さく目を見開いて、理心の横顔を望む。
「…え?」
あらぶった心のまま、藤野が問う。理心は褪めた笑顔を貼り付けてポケットから紙くずを取り出し始める。
「二人は最近、おまじないとか占いとかやった?」
取り出しながら理心が言う。その途端、未稀の両手の拳がよりきつく握り締められたのを朱は見逃すわけがなかった。
そろそろ話の主軸に入ると思われます。多分…きっと…
―次回―
理心「こっくりさんやキューピッド、全部がそうなんだよねー」
未稀「…あれは……姉が……教えて…くれ…たんです…」
朱「姉?」
―おたのしみに―