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今日という日  作者: 誓約者
人でないもののはなし
21/30

ヨルはいつも眠れないのだ

 茜色はついさっきまで私の全天を覆っていたはずなのに、深い夜闇が連れ込んだ宵がいつの間にか大空を侵していた。

 …なんて思ってみたりする。

 暇を持て余した朱は帰途をただ一人でとぼとぼと歩いていた。

 ふと鞄を見れば口の開いたチャックから当然のように教科書の帯が見える。気付けば今日は一度も教科書を開いてはいなかった。

 歩きながらぱらぱらと国語総合の教科書を開く。ページの隅は折れていて、文間に多くの傍線が引かれており自分の授業風景が思い出される。よくこれだけ勉強したものだ。 全部の内容を記憶していないとはいえ、自分自身を称えたい。

「…?」

 住宅地に入ると珍しく数人の人だかりが出来ている。人々は皆、下の何かを見下ろしている。教科書を鞄の中に押し込み、人だかりに近づいていく。

 数歩して、心底後悔した。

「………」

「……だ…れ……か…」

「……」

 居たのは地面にうつぶせに倒れている澪羅だった。顔に手をあて、侮蔑に満ちた目を隠す。関与したくない。しかし朱は生徒会の書記だったことを思い出してしまう。

 はぁ、と一息つく。

「…なにしてるの?」

 かなりはばかったが朱は最大限の勇気を振り絞り声をかける。周りの聴衆者は朱が声をかけた途端、こそこそと何かを言いながら三々五々に散っていく。

 澪羅が朱の声に反応して顔を上げて、口を動かす。

「……」

 おそらく何か言っているのだろうが声が小さすぎて聞こえない。

 胸で渦巻く黒い感情を見せずに、朱はしゃがんで耳を傾ける。蚊の鳴くような声だったが今度ははっきりと聞こえた。

「…たべ…もの……を…」

「………」

 それだけ言うとぱたりと澪羅は顔を再びコンクリートの中にうずめた。誰もいなくなった道端。吹き抜ける風。

 朱は暫時そこで澪羅を侮蔑するのであった。


 *


「…ん~。おいし~」

 大きな一口で一度に頭から腹までを食した澪羅が、満足そうに鳴く。

「あ~あ…。すっからかん……」

 財布を逆さにして中身がないことを確認する。今週の小遣いは全額鯛焼きにつぎ込むとは思わなかった。

 朱は財布をポケットに入れてから自分も鯛焼きを一つ手にする。

 一口小さく食べる。口の中で餡子の甘さが朱の落胆を埋めていく。

「ありがとう朱ちゃん。いや~危うく死ぬところだったよ~」

「そう…」

 既に一匹目を食べ終え、二匹目を手にした澪羅を気のない返事で流す。

「そういや、なんであんなところにいたの?」

 朱が何気なく問いかける。

「ほぉふぇわふぇ…」

「食べてから話し……」

「ねえねえ君達」

 突然前の方から声をかけられ、朱は姿勢を正す。

 見上げれば耳にピアスをつけた二十代前半の男が見下ろしていたのであった。

「…何のよう?」

 何かを察し口調が変わる。澪羅を助けたときとは違う嫌な予感がそうさせたのである。

 男の髪は赤く染まっており、明らかに社会のはみ出し者って風貌だ。

「ちょっとバイトしてみない?」

 朱の思考をよそに、男はふざけた口調で話を続ける。

「いやだ」

「なーに。痛い目にはあわせないよ。それに……」

 男が言いよどんだ瞬間に物陰から多数の男たちが現れ、朱たちを包囲する。

「君らに拒否権はないんだよ」

「へぇ~…」

 朱は目だけを左右に動かし状況を感知する。そこそこの体格した人間が多いが鉄パイプだとか大型の武器を持った人間は見当たらない。さしずめ商品には手を出さないって寸法か。

 澪羅は状況に動じずに三匹目の頭を口に運ぶ。

「早くしなよ。車は待たせているし、暴力は好きじゃないんだ」

 男は言う。確かに男の後ろには一台の白色のステップワゴンが停車している。

「ま、論争で片付きそうにないね」

 目を閉じて食べかけの鯛焼きを澪羅に渡し、ベンチから立ち上がる。

「そうか、残念だよ」

 全然そうは思っていない表情で笑う。

 笑いが消えると目を鋭く尖らせ首をくいっと動かした。

「やれ」

 同時に聞こえた合図で囲んでいた男達が一斉に襲い掛かる。

「……」

 ベンチから立ち上がると朱は鞄を手にし、一撃真横の顔面を殴った。

 ごんっという鈍い音に紛れ、鼻の骨が折れる音がしっかりと聞こえる。

 白目を剥いた男を見て戦慄がその場に広がる。朱は何もなかったように鞄を肩に乗せ澪羅から食べかけの鯛焼きを口にくわえる。

「私が柳川朱ってことは知らなかった?」

 鯛焼きを食べ終え、にこりと笑ってみたりする。ピアスを開けたリーダー格の男は慌てて怒号をとどろかせる。

「何してる!早く仕留めろ!」

「…仕留める…?」

 一言が引っかかったが考える間もなく真横から拳が迫る。引き付けてから身を引いて避け、足を引っ掛けて転ばす。

 間髪いれずに鞄を後ろに振り上げ、背後の男を鈍い音を立てて倒す。

「さてっ、次は?」

 スカートをはらりと翻し、周りの男達を見回す。完全に戦意を喪失している姿を見て、呆れたように朱は息を吐く。

「……塵は積もっても所詮は塵か…」

「おい、図に乗るなよ」

「…事実でしょ」

 リーダー格の言葉に対等な立場から物を言う。初めからこいつを潰せば事態の収拾ははやかったのではないだろうか。

 朱は大きく息を吸い込み、体の隅々に冷たい空気を染み渡らせる。

 澄ました朱の右手がぎゅっと鞄の持ち手を握り締める。

「…ごみが……」

「…っ!?」

 瞬間、男の姿が残像のようにぶれた。朱の神経が危機を感じ取り、全身の筋肉を硬直させる。

 だが手遅れだった。

「ぐ…っ!?」

 首筋に鈍い痛みが発生する。まるで手刀を背後から首に当てられたように神経が分断される。

 意思を失った体は重力に逆らえずに倒れていく。

「……言ってたな。柳川朱って知ってるのかって…」

 体と意識が引き剥がされていく中、ぼんやりと背後から男の声が聞こえる。

「俺の狙いは柳川と澪羅の存在なんだよ」


 *


「…ん…?」

 薄暗い部屋の中で朱は深い闇から目を覚ました。見覚えのある天井から自宅の部屋であることにはすぐ気付いた。

 なぜ。

 何か大切なことを忘れている気がする。自分が制服のままで布団をかぶった覚えはない。

 不思議に思いながら掛け布団を静かに退かし、のそりと上体を起こす。その時、ぐっと制服の裾が引っかかったように引っ張られた。

 眠たい目でおもむろに目をやる。裾をたどると澪羅の歯が裾を噛んでいた。

「!?」

 思わず声を上げそうになる。だが頭の中で夜だということを認識し、飛び出そうになった口を両手で押さえる。

「なんで…」

「そいつがここまで連れてきたみたいだ」

「えっ…?」

 声がした窓際に朱は目をやる。

「………」

 月光を取り入れている窓。その手前にある小物を置ける程度の段差に綾平は座っていたのであった。

「きゃ……!」

「静かにしてろ」

 絶叫しそうになった朱の口を手で塞ぐ綾平。鼻と鼻がくっつきそうになるくらい接近する。

「っー!っー!」

「とにかく落ち着け…澪羅以外に興味はない」

「……」

 最後の一言で朱の心は褪めきった。綾平は確認すると、手を退かし離れていく。

「どこから沸いてきた…」

 冷静になった朱が一番の疑問を口にする。

「俺に不可能はない」

「犯罪ですよ……あっ!?」

 自分が言った言葉で何があったかを偶発的に思い出す。確か不良みたいな奴に絡まれ、自分が気を失った。その後…。

 徐々に思い出すにつれ、事態の深刻さに顔が青ざめていく。

「…多分何もされてないと思うがな」

「見たの!?」

 顔が赤くなり制服の胸元とスカートを隠す。綾平はあきれたように欠伸をする。

「澪羅がここまで疲労してるんだ。お前を助けたんだろう」

「……」

 朱は澪羅の頬を弱くつまむ。へらへらとにやけているこれが私を助けたのだ。うっすらと頬に擦り傷のような線が引かれている。

 綾平は眠そうに欠伸をして、窓の外を見始める。

「…明日も学校だ。さっさと寝てろ」

「いや、眠気は綾平の存在で吹き飛んだんですけど」

 誰が見ても当然であろう。一応、言われて朱は掛け布団を手にし、澪羅の隣に入る。むにゃむにゃと可愛らしい寝息が朱の耳元で聞こえ、優しく朱は微笑む。

「……」

 それでも眠気はやってこない。ものの見事に綾平がそこにいた驚きで眠気が吹っ飛んでしまった。というか男子がいる前で眠れるわけがない。

 布団の中に不快なぬくもりが溜まっていく。

「…寝れません」

 天井に向かって朱がぼやく。静まり返った空気はいつもより自分の声が通っていた。

「…おとぎ話でもしようか」

「…はぁ?」

 小ばかにする口調で綾平に口を利く。何気なく彼の方をみると綺麗な三日月が彼の顔の目の前にあった。

「いいから聞いてろ」

「……」


 月の国に少年がいました。名前はヨル。ヨルが住んでいたのは小さな村でした。何もない村でしたが村中はいつも穏やかな空気に包まれ、ヨルはそんな村が好きでした。

 ヨルはとてもよく働いていました。今日も山の湧き水を汲む手伝いに行きました。その日の道端、おもちゃの剣を拾いました。とても汚れていましたが、ヨルもそういうものにあこがれる年齢です。なんとなく腰におもちゃの剣を差しました。

 水汲みを終え帰ろうとすると村の方からお母さんと裏のおじさんの叫び声がしました。

 ヨルが走って村に着くと、たくさんの人がそこらじゅうに倒れていました。

 そのとき、ヨルに近所の優しかったおじさんが声をかけました。

「まだ生き残りがいたのか」

 ヨルは驚きました。おじさんの手には赤い水がついた包丁があり、おじさんの後ろには銃を持ったおとうさんが笑っていたのです。二人は村を自分の物にしようとしていたのです。

 ヨルは腰に差していた剣を抜きました。そしてヨルは無我夢中で二人に立ち向かったのです。

 暫くして、ヨルは赤い水にまみれた剣を片手に歩き始めました。遠い遠い場所を目指してただひたすらに歩き続けました。

 しかし何も食べていないヨルは途中で力尽きました。

 次に目を覚ましたのは知らないベッドの上です。見知らぬ部屋には一人の少女がいました。

「やっと起きたね」

 少女が話しかけました。少女はアサと言いました。そして、ここは太陽の国であることを教えてくれました。

 ヨルはそこで働き始めました。自分が何者かは言わずにただひたすらに。直ぐにみんなヨルに笑ってくれるようになりました。ヨルの胸はとてもあったかくなりました。

 そこに月の国の兵隊がやってきました。そして次々と人を殺し始めました。

 アサは戦争が始まったといいました。アサがいうには、人が人を殺すとても悲しいことらしいです。ヨルは月の兵隊の目の前に飛び出しました。

 月の国はヨルが一つの村を滅ぼしたといいました。

「うそ…」

 アサが言いました。周りの皆もヨルを見る目が変わりました。

 ヨルは太陽を見て笑います。目からしょっぱい水を流しながら笑います。笑いながらヨルは赤い水がうっすらのこった剣を構えます。

 彼は泣きながら月の兵隊に向かっていきました。


「―月の兵隊を倒したヨルはそのままどこかに…」

 綾平はここまで言うと視線がなくなったことに気付く。見れば澪羅と向かい合ってすやすやと健康な寝息を立てる朱の横顔があった。

「やっと聴いたか…」

 大きな欠伸をする。目じりに溜まった涙を手の甲で拭い、外の三日月を眺める。

「…ちなみにヨルは初めて太陽を見た時、目を焼かれて眠れなくなったとさ…」

 一人思慮深げに呟く。その日の三日月は夜空に一人取り残されたように浮かんでいた。

読んでいただき真にありがとうございます


ヨルはいつも眠れないのです


―次回―


理心「狙いは澪羅と朱ねぇ」


綾平「…」


理心「どうした?」


綾平「…なんでもない」

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