追記”理心 馬鹿度60→80
「人影のようなものですかねー…」
「……」
藤野が言った影と言う言葉に理心の神経が張り詰める。あの影と関係があるのかもしれない。
心情の同様を周りに気取られる前に口が開く。
「…ほかには覚えてない?」
「んー。残念ながら…」
藤野は悩ましげに考え、苦笑いしながら首を横に振った。理心は確認すると朱達の方に目を向けた。
「なにかある?」
朱と綾平が顔を見合わせる。綾平は小さく首を横に振る。その隣の澪羅は終始食べるのに集中している。彼女も何もないだろう。
朱は顔を前に戻す。
「みんな特に……」
「は~い。ありまーす」
意に反し言葉ともに澪羅が元気よく右手を上げる。
話の中で疑問に思うところはない。そもそも澪羅は話を聞いていたのだろうか。もしそうならばこの堕落した態度は偽物。相手に気取られないようにする作戦。
勝手な理論が出来上がり朱は思わず横目で澪羅の横顔を見る。どことなく澪羅の表情に奥深さが感じられる。
沈黙する生徒長室。誰もが澪羅の言葉を待ち何も言わない。この沈黙が朱にとっては緊張に変わっている。
当の本人の澪羅は、食べ物を飲み込んだ後に手を降ろし、やがて澪羅の口が開く。
「…この学校の近所でおいしい食べ物あるところしらない?」
「……え?」
しんと静まり返った生徒長室に朱の声が無情に響く。次いで予想がついていたような綾平の欠伸も、後を追うように漏れた。
ただの馬鹿だ。しかもとても理心に近い馬鹿だと朱は断定する。国語総合で習った『羅生門』の言葉を引用すれば、朱の心には冷ややかな侮蔑が今まさに入っている。
「…えーっと、ここから東に三分行った所に鯛焼きがあるよ~…」
「ん~。ありがとう」
困惑しながら答えた藤野に向けて、とても満足そうな表情でにこっと笑う。
無意識に朱は額に右手の平をつける行為をした。
*
―たった今藤野が生徒長室から去った。
「綾平」
藤野が出て行った途端に、理心は背伸びしながら話しかける。
よほど体が凝ったらしく首を右に左に曲げてぽきぽきと鳴らし、ソファーの背もたれを使って体を後ろに反らしている。
「…どうした?」
空になった茶色い袋をゴミ箱に捨て、反応する。理心はそのまま肺がつぶされ上ずった声で話す。
「今から駅員さんに頼んでその時間の監視カメラの映像持ってきてくれないかな?」
「……はぁ!?」
カップにコーヒーを注いでいた朱が異をそのまま口にする。
「ついに理心が壊れたか」
「うん多分」
「勝手に俺を壊すな」
先ほどまで使っていたペンを朱に軽く投げつける。
「だってよー。人影を見たんだよ。映像見れば直ぐ解決するんじゃね?」
「簡単に渡してくれるとは思えないな」
「多少、脅してもいいよ」
「………」
うっすらと笑いながら言った理心に綾平は少し驚いた表情をする。
「得意でしょ?」
こちらを見て理心が付け足す。確かに不得意ではない。荒れた西の学校では日常茶飯事のため脅すなど造作もない。
綾平は感情と思考を表に出さず、理心の目を見つめなおした。
「ど、どうした?」
目の色が少し曇り戸惑う。綾平はそれを確認すると無表情で出口の方に歩き出した。
「え、いくの?」
「言ってなかったか?東の副長に従うって」
「綾平が行くなら私も行く~」
「来るな。大人しく待ってろ」
振り向かずに綾平は突き放す。珍しく語気が強い言い方に澪羅もしょげた顔をして俯く。
当然といえば当然だ。彼女はただの西の生徒であり、生徒会ではないためだ。綾平の気遣いなのだろう。
「う~…」
不服そうに頬を膨らませる澪羅。気にせずに進んでいた綾平の足が止まり、ぼさぼさの後頭部を掻く。
「……土産にさっきの鯛焼き買ってくるから」
大きく欠伸をした後にぼそっと言い残す。
瞬時に澪羅の表情が明るく晴れ渡り、朱から自然と安堵のため息が漏れる。綾平は手を下ろし、再び足を進める。
「…じゃ行って来る」
「いってこーい」
ソファーの理心が右の拳を勢いよく天井に向けて突き出す。
綾平は見ることなく進みドアの向こうに消えた。
*
現在、最後の事情聴取を未稀からしていた。
未稀自身からもその日は寝坊していたことを確認できた。正確にはその日も寝坊していたのだ。
本人には自覚がないが藤野が言うには極度の低血圧らしい。修学旅行で一緒の部屋になったときに出発時間の五分前まで布団から出ようとはしなかったという話があるみたいだ。
その日から藤野は早起きするように、とは言わなくなり、未稀の行動に合わせてくれるようになったらしい。話を聞く限りその日見た景色が酷すぎたのであろう。
とはいえ驚くことに遅刻はしていないのである。朱が管理している出席状況用紙には一度も遅刻の印がない。
よほど運がいいのか。もしくは担任が見過ごしているか。可能性として、担任がロリコンで甘やかしていることも考えられる。個人的には最後の可能性を推したい。
状況を聴取しているのにこういうことを考える自分はすごいのだろうか。少なくとも朱自身はそれほど誇りたくはない。
「……」
そうだ。今は未稀の事情を聴取している最中だった。
「…藤野ちゃんの腕が挟まれたとき誰かいた?」
「いいえ…だれもいなかったと……思います………」
自信がない答えを返してくる。といっても昨日よりはましになっている。自分の言葉で理心の聴取に応じている。
なぜ。
答えは今私がいる場所です。
目前には壁。右を見ても壁。左を見ても壁。そして背中にはそこそこの厚さがあるカーテンがあります。とても狭いです。
荷物を置く台の上に座り、狭い個室の中かれこれ十分は経過しただろう。抑えきれない苛立ちが無意識に貧乏ゆすりを起こさせている。
正解は生徒長室内の更衣室だ。
藤野から始まった聴取は最後の未稀に回ってきたのだ。だが綾平がいない事実に気付く。
当然、綾平がいない未稀はうんともすんとも言わず、聴取を開始できなかった。
『困ったな……』
理心は半笑いで考える。そして暫くすると理心は朱の顔を見るなり、名案が浮かんだ表情をした。結論は思いも依らぬものだが予感はしていた。
『朱。話が聞き終わるまで、そこの更衣室に入っとけ』
当時、とっても嫌そうな顔をしたのを自分でも鮮明に覚えている。
結果私は今ここに居る所存である。
理心の結論は朱がいるから恐くて話せなくなっているのであり、朱さえいなくなれば何とかなるだろうということを暗示していた。
結果すらすらと問答が進むのを聞いていると理心の考えが正当だったと思われる。だがその分余計に理心が腹立たしい。別に負けたなんて思ってないが何か腹立たしい。
腹立たしさが巡り巡って情報からロリコンの可能性を考えてしまうのも仕方ないと思う。情報しか与えられない状況では妄想も仕方がない。
朱は一人で壁に向かってうなずく。
「……そうか」
「!?」
心を読まれたかと思い、びくりと朱の体が反応する。おそるおそる後ろを見るが理心が覗いた様子がなく朱は胸をなでおろす。
その時、カーテン越しに理心が手にしていたノートが閉じられる音が聞こえた。
「りーしーん。いつまで入っていればいいの~?」
「えっ!?好きでそこにいるんじゃないんですか!?」
「なぜに敬語……」
朱は息を吐く。どうやらもう出ていい様子だ。
しゃっという軽い音を立てて、カーテンを端に寄せる。眩しい極光に思わず腕を上げ、顔をかばう。
数秒後、目が慣れ腕を下ろす。白くぼやけた景色の中、理心と向かい合い顔を紅潮させている未稀。そして彼女の隣に澪羅と思しき背中が見える。
「あ……ぅ…」
「……」
朱と目を合わせるなり、未稀は怖気づき下を向く。
朱は少々の苛立ちを寛大な心で押さえ込み、コーヒーメーカーに足を進める。
「ん~♪おいしー♪」
そばを通った澪羅から幸せそうな声が聞こえる。
カップにコーヒーを注ぎながら、後ろの澪羅をちらりと見る。すると彼女の目の前のテーブルには真っ白いケーキが一ホール丸ごと、もとい、澪羅が食べてしまっているのでホールの残り半分が乗ってあった。
「どこから持ってきたんだ……」
凝視して呟き角砂糖を四つ入れたコーヒーをすする。
「食べる?おいしいよ?」
気付いた澪羅がほっぺたに生クリームをつけたまま無邪気に笑ってくる。
あの白い半月は確かにおいしそうだ。
「いいの?」
「うん♪」
朱の問いに元気に答える澪羅。言葉に甘え朱はコーヒーメーカーの横にある食器棚から果物ナイフと手ごろな皿を手にし、半月状のケーキにナイフを入れる。
「…それにしてもわっかんねぇ~な」
「……何が?」
口いっぱいにケーキを頬張りながら理心の呟きに呼応する。
「被害に遭った三人に共通関係がないんだよねー」
「…ふーん」
「仲良しグループを標的にするなら、男子は狙わないだろ。かといってストーカーだとしたら胃に穴を開けるなんて芸当出来ないからなあ…」
ノートをぱらぱらと捲り、真剣な目つきで考える。ストーカーと聞いて朱の脳裏に澪羅の表情がよぎり、頭を振って霧散させる。
「…それだけ偶然の産物って考えない?」
「ああっ!そうか!」
「ばか…」
「ばーか。ばーか」
「おい、澪羅。手前も馬鹿の部類だぞ」
指を差して、苛立ちの言葉をぶつける。
朱はもう一口ケーキを口に運び、フォークを立て言う。
「もしくは超能力かな」
「あー。俺も超能力あればな~」
冗談で言ったのに理心は本気で悩んでいる。今度は口に出さずに心の中でばかだと呟く。
「…ないんですか?」
「?」
思わぬ所から声が聞こえた。朱が反応した先には未稀の姿があった。
「あるの?」
「うぅ……。一応……ボールペンなら……」
かなり怯えながらも回答する未稀。ボールペンと言われ、朱はいつも胸ポケットに差してある赤いボールペンを投げる。
「や……」
「やってみい」
朱が言いそうになった言葉を理心が先に言う。
未稀は困惑した表情を一回見せ、覚悟を決めたように大きく息を吸い込んだ。
「……い…いきます…」
両手でペンの端を持ち、小さな声で言う。
自然と生徒長室に緊張が張り詰める。朱自身もケーキを食べる手を止め、食い入る様に見ている。
数秒後、ペンがまるで粘土のようにたやすく曲がった。
「お…」
「……終わりです」
かちゃと小さな音を立て、控えめにペンをテーブルの上に置く。
暫しの無音。
朱が何も言わずに歩み寄り、曲がったペンを手に取る。
「…本当に曲がってる……」
手触りは何も変わらない普通のペンだ。特に軟らかくもなくこのまま力を加えれば高い音を立てて割れてしまいそうだ。
力技ではない。硬いプラスチックを曲げているのだ。
こういうオカルト関係を朱は信じない方だが目前でこれをやられてしまうと、信じざるを得ない。
「超能力…ね……」
朱は意味深に呟き、未稀の前にペンを戻す。
一言に未稀は驚き、怯えたが、大して意味は含有していない。
「すげー……」
意外にも理心は静かに驚いていた。目をきらきらと輝かせ羨望の眼差しを送っている。
「これが出来れば疎まれる理由も分かるね」
「なにっ!?彼女は疎まれているのか!?」
「もう、うっさいわねこの馬鹿!前にも私はそう言ったでしょ!」
度重なる理心の反応に朱は声を荒げる。
側の未稀が怯えるのを見て直ぐに気持ちを静める。馬鹿は死んでも治らないらしい。
「……にしても綾平遅くね?」
「だねー」
しんとした生徒長室に澪羅の気が抜けた呼応が響く。
苛立ちを抑えるように朱はコーヒーを飲み干し、残っていたケーキを一口でいっぱいに頬張る。
「…?」
視界に違和感を覚えた朱は咀嚼を止める。
それはとても辛そうに左腕を庇う未稀の姿だと気付くのにさほどの時間はかからなかった。
ふう…タイトルほとんど関係ねえ。
―次回―
綾平「………」
澪羅「…………」
綾平「…おとぎ話をしようか」
朱「…?」
―さて綾平は何の話をするでしょう?お楽しみに―