人間でないものども
なんで…俺は戦ってんだ…。
「ふん」
ヒディアスにいとも簡単に弾かれ、背中から壁に激突する。
京の体は窓ガラスにぶつかった小鳥のように重く鈍い音を立て落ちる。
辛い。痛い。もう嫌だ。逃げたい。なんで俺ばっかりこんな目に合わなきゃ…!
……たすけて……。
瀕死の京の体は瓦礫を押しのけるように起き上がっていく。
ふらふらと体が不安定に揺れる。大剣を引きずる音が遠く反響している。
光がない。目を開けているはずなのに途方もない暗闇が果てしなく広がっている。
なんで…戦うんだ。
暗闇の中にたたずむ自身に問いかける。
光なき世界に京はしっかりと足をつき、大剣の感触を確かめる。足の震えはもうなかった。
ぐああああああ!
真空…!?
意識の皮がより鮮やかさを増し、現実に近づく。
……壊れていく所を見るがいい…
京はべっとりと血がついた手で大剣を構える。
見えなくなった目がしっかりとヒディアスを見つめ、ヒディアスも気付いたようにこちらにつかつかと歩み寄ってくる。
―下界を救うため。
違う。
―英雄になるため。
違う。
―人を殺すため。
違うっ!
「…」
ぼろぼろの両足がヒディアスの元に駆け出す。いつもより重い大剣を三度持ち上げ、ヒディアスに襲い掛かる。
パリッと足元から薄氷が割れる音がする。ほおを切る冷たい風。
…ふん。まだ戦うか……
しわがれた低い声が歪んで聞こえる。京は大剣をあらん限りの力で振り下ろした。
っ!?
弱いことを自覚しろ!
大きな金属同士が激しくぶつかる音がして大剣が弾かれる。
ふわりと体全体が浮き上がる。不安定な暗闇の中に体が放り出される。
そして、細い氷が左肩をつうっと滑った。
「………」
世界から音が消えた。同時に京を引きとめていた何かが崩れる音が聞こえ出していた。
遠くで真空の絶叫をしているのが見える。仮面の穴から涙を流し、悲しむように泣いている。
カランッと大剣が落ちて、大剣に刻まれた文字に赤い絵の具が満ちる。視界がすべて斜めに傾く。いや、自分が倒れているのだと脳内で気付く。
「!」
…腕が……ない…!?
宙を舞う腕を見ながら、鋭痛を確かめる。確かめざるをえない。切り落とされたと判断するにそう時間はかからなかった。
脳内で言葉にならない叫びをする。
眼球の黒点を小さくしながら、支えを失った体は床に寝た。
…体が……動かない。
意外にも落ち着いていた。どくどくと流れ出る血の流れも、速くなる心臓の鼓動も手に取るように分かる。
鋭痛が意識をすり減らす。
これが死?
目の前の闇が深く濃い血と混じり合う。指先の感覚が薄れゆく。
嫌だ……死にたくない。…まだ……終われない……!
俺は…何も………!
『………』
…。
誰かが目の前に立っていた。深い暗闇の中で、革靴の白さが一層際立ってそこにあった。
………だれ…だ……。
消えゆく意識が力無く問いかける。
気付けばその誰かは静かに京を見下だしていた。いつから居たかは分からない。今の京にはどうでもいい。
誰かの革靴が闇を吸っていく。
『…いいのか?』
誰かはそう問いかけた。
主語は無いが、反射的に京の口は動いた。
…いいわけ……ないだろう…。
京は半ば諦めたように返答する。
なおも誰かは見下す。
『……なら…抗え…』
だからもう無理なんだよ!
『…………』
誰かは沈黙して、また暫くして口を開く。
『…その剣は何だ?』
京は何かに気付いたように息を飲む。
やがて、口角が自然と上がった。
まだ方法は残っていた。方法というにはあまりに絵空事だが不思議と意思は揺らがなかった。ヒディアスがしたこと。
ここにも『自称制約者』は『存在』していた。
『………決まったな』
誰かは溜め息混じりに言う。
お前は………。
『意味など無い。ただお前には意味がある戦いだろ……』
…この戦いは―。
『………』
*
「…ふん。造作も無い」
動きを止めた人形を眺め、ヒディアスが感情を排して口にする。
トンファーの刃についた血が滴る。
「…許さない……!」
真空は怒りを詰め込んだ声で言う。あざ笑うようにヒディアスは鼻で笑う。
「とはいえ、汝に何が出来る?」
「っ……!」
つかつかと京の血を垂らしながら、ヒディアスは真空に歩み寄る。
「威勢だけは衰えんか」
完全に真空の生死を把握し、ヒディアスの心の中でも僅かばかりの優越感が生まれていた。
これを殺せば、あの小僧の計画も崩れ去る。我は人知れぬ英雄となりえるのだ。誰も知らないのはもったいない気がするが、上界を守るため、そんなことを言ってられない。
真空の前でヒディアスはしゃがみ込み、捕らわれたか弱い番犬に手を伸ばす。
「次は汝が…」
「触るな…!」
「………」
背後からの少年の一言にヒディアスは眉をひそめ、伸ばした右手をしまう。
振り返らずとも誰かは判っている。やれやれといった様子で肩を竦めてみせる。
「君…!」
「……よほどの死にたがりに見えるな」
立ち上がり、振り返ると間もなく、ずたずたな制服を身に纏う少年が立っていた。
「………」
床にある大剣を手にし、左半身引いた体勢で剣先を向ける。
「…その体で戦うのか?」
「………」
京は返答しない。虚空を臨むような褪めた目でヒディアスを眺めている。
おかしい。ヒディアスは違和感を抱いた。
「……」
せわしなく両目を動かし相違点を探し当てる。
「そうか………」
なんと簡単なことか。ヒディアスは直ぐ気付けない自分自身が滑稽で笑えて来た。京は左腕の血を止めていたのだ。我のモノマネを彼はやっているだけだ。
それだけで勝てると?本当に笑えてくる。
血を止めているのに膨大な魔力が使われる。影の魔力を吸収した我ならば造作もないのだが、一般人にとっては体のほとんどの魔力を注いでいるに違いない。
もう一箇所切り裂けば…。
ヒディアスはトンファーを胸の前で交差させ、小さく唇を舐めた。
「逃げて!君!」
「……」
真空の絶叫がする。背後の真空も勝敗を理解したようだ。
だが京は真空の意に反し無言で対峙し続ける。
「………」
「貴様が望むなら……」
次の瞬間、傷を負った老人とは思えない速さで、一瞬京との間合いが失われる。
「…」
「殺してやる!」
怒号とともに襲い来る高速の斬撃。幾度となく金属の甲高い音が響き渡る。組み込まれた鋭い蹴りが無感情な京の顔の横を掠める。
なるほど。ヒディアスは理解する。我の動きを読むことに専念し、被弾を避け隙あらば私に攻撃しようというのか。
「だが隙があるのは汝だ!」
重なった大剣を強引に押しのけ、京の腰元に飛び込む。
左手のない左半身に隙がありすぎる。この柔らかいわき腹を突けば今度こそ死ぬ。
もらった…!
ヒディアスは勝利を確信する。
「っ!?」
突然、ヒディアスの右手が強い力で掴まれ動かなくなる。
すぐさま目をやる。瞬間に視界は黒一色に染まった。
「!?」
ありえない…。ついさっき我は―!
「……」
「っ!?」
不意を突く京の一撃をトンファーで防ぎ、小さく後ろに飛び退く。
未だに自分でもわかるほどに驚愕している。
あの一撃で京の左腕は切り落とした。足元に血を流している腕もある。だが―。
「なぜ汝に左腕がついている!?」
ヒディアスは京の左肩から生えたおどろおどろしい黒い腕を凝視して叫ぶ。
「……俺はずっと聞こえていたんだよ」
「なに…」
京は憂い気に目を伏せ、黒い左手を胸の上に置く。
「影はずっと助けを求めている。ずっと苦しんで…」
「…!」
「俺はただその声にこたえたかっただけだ」
言葉が繋がれる度に京の魔力が跳ね上がっていくのを感じる。同調するように空気が清らかに変化を起こし、京の黒髪から黒い液が流れ出す。
「………これは俺が選んだ答えだ」
親を睨みつける子供の目に黒い雫が入り白目を黒く染め上げる。
「すべてはそこに存在する!」
「!」
最後の一滴が床に落ちると、京の髪は血のような紅髪に変貌した。
「…ば、ばかな……!」
ヒディアスは空いた口がふさがらないまま、後ろに後ずさりする。
意識が飛ばされそうな魔力でわかる。彼も我と同じように制約者の魂を喰らった。しかもそこらにあるノーマルではない。
『存在』の名を冠した大剣を持ち、自らの髪を血で染めたとされる制約者軍の王。
シル・キョウ。
「…!」
ヒディアスは自分の足が竦んでいるのに気付く。
この我が怯えている。そんなはずは無い。別に勝ち目がないわけではない。
自身を説き伏せた厳しい表情に汗がつうっと伝う。
一瞬で京に飛び掛る。
「な…!」
絶句するヒディアス。京が一撃目をよけた。
直ぐに足に力を入れ、裏拳のごとくトンファーを切り返す。
しかし鋭い氷刃が突き刺さったのは肌が見えた脇腹ではなく大剣に刻まれた文字のくぼみだった。
「っ…!」
小さく舌打ちをし、絶え間なく打撃を続ける。
偶然ではない。京はさっきまで及ばなかったヒディアスの速さに順応している。いや、ヒディアスの手を読み、凌駕している。
「!」
不意に京が宙返りして、空中に舞う。そして、黒い左手で大剣の文字を撫でて、呟く。
「風憑依。虚空断回裂!」
着地と共に振り下ろされた斬撃は、幾多の鎌鼬に分裂し、暴風に乗ってヒディアスを襲う。
「くっ…!」
反射的にトンファーを目前で交差し、顔を守る。体中の筋肉が強張った。
「………」
何も起こらない。ヒディアスの頬を一瞬強風が通り過ぎただけで、鎌鼬が身を切り裂いた様子も、トンファーにも何の手ごたえもない。
ゆっくりとトンファーを下ろし、恐る恐る瞼を開ける。
真っ先に入ってきたのは圧倒的な存在感を放つ浮刃京の苦しそうな表情だった。
「まだ……戦いたいか?」
「!?」
問いにヒディアスは困惑する。理解に苦しんだが床を見て察することが出来た。
京の元から数本の傷跡が延びている。途中までヒディアスに向かい、直前でヒディアスを避けるように散っている。
見るや否や頭を垂れるヒディアス。
「……くっくっく。あーっはっはっは!」
突然表を上げ、気が狂ったように大きく高笑いする。断末魔を思わせる声は自然と京を包む。
やがて声は収束し、恐怖で引きつっていた顔で満面の笑みを作りこちらを見た。
「汝よ。恐いのか?」
勢いに任せヒディアスは間を空けずに問いかけた。滲む余裕に京も察したようにため息をつく。
ヒディアスは壊れたように罵倒する。
「人殺しはしたことないよなあ!人として犯してはいけない一線だからなあ!」
「……」
唾が飛ぶ問いに、京はただ見据える。無表情でどこか待つようにヒディアスを見透かす。
虚ろな夜風が穴だらけの制服をそっと撫でる。
「……それが答えだな」
京は残念そうに呟き、大剣を目の前で構える。
「ならばどうする。我を殺すか?だが汝に殺せるのか」
ヒディアスは足を止め、両手足を大の字に広げる。辛うじて形を保っていたトンファーは手から離れ、風船のように砕ける。
「汝に我を…」
まさに瞬間だった。目にも止まらぬ速さでヒディアスの懐に飛び込む。そして―。
―どすっという重い音が老人の体を貫いた。
「…ば…かな……」
絞り出したような声で絶句する。
遅れて激痛が胸元から全身に広がり、気管に入り込んできた鮮血を口から吐き出す。血はべっとりと京の紅髪に纏わり付き、なじむ。
ゆっくりとヒディアスの目が胸元の大剣を見つける。刃は半身しか確認できない。湧き水のごとくあふれる血がその刃に刻まれたくぼみを満たす。
ヒディアスの思考は完全に停止していた。突きつけられた現実が信じられない。
少年が我を突き刺した。
ヒディアスは目を丸くし、石像のように凍り付いていた。
ふーっ、ふーっ、と荒い京の呼吸が顔の下で行われている。
「そんな……汝が…ひ…とを………」
ごぽっと音を立て血が喉を逆流する。
「…なん…じ…は…」
「人を殺したくはない」
黙っていた京が口を開く。
自然と老人の目が少年の顔を見る。
「…!」
老人は思わず息を呑んだ。
少年は大剣の柄をぎゅっと握り直し、潤んだ声で問いに答えた。
「…でも殺せる…」
ぽとりと雫の音が静寂に広がる。
京は一思いに大剣を引き抜き、床に赤い斑点を撒き散らす。
支えを失った老人の形をした肉塊はうつぶせに倒れこんだ。
「……」
京は無感情で足元に迫る血を見下ろす。
「…終わった……」
呆然と呟く。髪の毛は元の黒髪に戻っている。
京は目元をぬぐい、開いたヒディアスの瞼をそっと閉じると大剣を消滅させる。
『………とう…』
視界の隅を通った黒い霧が去り際に何か言っていた気がする。上手くは聞き取れなかった。
聞き取るどころか、再び左肩から広がった激痛に京の意識は持たなかった。
*
―いつものように生徒長室の扉を朱は開けた。
「おはよう。理心」
顔に開いたままの教科書をかぶせ、ソファーで寝ている。なんの反応もない様子から本当に寝ているものだと想像つく。
朱は向かい合うソファーに腰を落ち着かせる。
「…」
視線は生徒長の椅子に向いた。
暫く生徒長―浮刃は見かけていない。
理心に聞いてみても知らんの一点張りで相手にしない。本当に知っているかも知れないが、理心の性格上問いただすのは少し気が引ける。
いつか帰ってくるさ。
理心に問うたびに帰ってくる一言。何も出来ない朱はただその言葉にうなずくしかない。
二人の生徒長室は、がらんとしている。
「いつ帰ってくるのかな……」
ぽつりと口にする。
だが朱の問いには誰も答えることなく、虚ろな空気に拡散し消えていった。
*
新緑の森。
穏やかな場所にあわただしい彼女の息切れが存在していた。
「…撒けたか」
手ごろな木に身を潜め、今来た道を警戒する。
人気がないことを確認すると、太ももから細い棒を取り出し背後の木に突き刺す。
「巡れ。霧消の壁」
鳥が鳴くような甲高い音が一瞬響き、エイルは細い棒を太ももに戻す。
「これでよしと…」
小さく安堵の息を漏らし、木の元にへたり込む。
見ればいたるところに擦り傷や切り傷がついており追撃の激しさを物語っている。
「影を殺した私たちが…なんで逃げなきゃいけないんだろう……」
苦笑いを浮かべながら木の葉を見る。
我々が王を殺したことは事実だ。現状としてエイル達のグループは反逆者として追い掛け回されている。
それほど前の王が良かったのも判らなくはない。
絵に書いたような平和な世界。それをぶち壊したんだ。
でもみんなは影が王のせいだと知らない。言う前に新たな国家が我々の人殺しだけを取り上げ、反逆者にした。もう皆は話を聞いてくれるわけもない。
さらに新たな国家はぐだぐだだ。前の王の方が良かったとエイルも心底思っている。
「これでよかったのかな……」
青々とした木の葉に呟いてみる。
「良かったんじゃないの」
「……?」
左側から誰かが答えた。
エイルは逃げなかった。政府の人間だとしてももう走り回る気力はない。
ただ目をやったその先に、体より一回り大きな上着を着た彼女にいてエイルは驚きの声を上げるのだった。
「リヴァンス!」
「久しぶりだね。迎えにきたよ」
*
―重い扉が開く音に気付いて窓際の彼は口を開いた。
「お帰り。怪我はどう?」
視線をやった先にはひょっとこの仮面をつけた黒い長髪の少女が歩いてきていた。
「一応傷はふさがりましたけど…いたいです」
そういって包帯をぐるぐるに巻かれた両手の甲を見せる。
円形に赤褐色の跡が残っており、窓際の少年は口笛を吹いた。
「かなり痛そうだね」
「誓約していれば怪我しませんでしたよ~」
「ごめんごめん」
小さく頬を膨らませる彼女に彼は笑いながら謝る。
「おかげで京は誓約者になれただろ?良かったじゃないか」
「結果論は好きじゃないです」
「計画が頓挫しなくて良かっただろ」
「あの子が生きていたらですけどね」
「その心配はない」
再びが開き、少年が一人入ってくる。
「期待していいのか?」
「ああ」
今入ってきた少年が素っ気無く答える。
「真空の応急処置のおかげで左肩からの出血は予想以上に少なかった」
「当然だぬ~」
「切り落とされた左腕についてだが、右腕の鏡面複製で楽に作れる。体の方は直ぐに直るだろう」
「……体の方?」
窓際の少年は引っかかった箇所を口にする。
二人目の少年はため息混じりに、鼻を鳴らす。
「問題は精神状態だ。予定よりキョウと京が混じっていたようだ。現に制約者同士でしか聞けない会話も聞こえていたようだ」
「やっかいだな。出来るのか?」
「可能だ。だが時間が必要になる。最低でも半年の見込みだ」
「任せるよ」
会話が終わると二人目の少年はくるりと振り向き、窓に背を向ける。
「やっぱ君でも親が死ぬと悲しい?」
黄昏た窓際の少年の一言に二人目は足を止める。
「ヒディアス・ベルンはただの標的であり、過去の人物だ。そもそもここにクルーエル・ベルンはいないはずだがな」
振り向かずにそう言うと、扉の取っ手に手をかける。
窓際の彼は満足そうに笑うと、その冷酷な背中を頼もしそうに見つめた。
「頼んだよ。来葉真一」
今度は反応せずに扉が来葉の背中を閉ざした。
第一章 完結
―ふう、おわった。
含みを持たせた最後から分かるとおり、含みは第三章に続きます。
新キャラもいたりいなかったり……。
とにかく予告はこんな感じ。
*
理心「……くそ…」
来葉「諦めろ。貴様じゃ勝てない。狙いは京だ」
理心「あいつは…やらせねぇ……」
来葉「残念だ…。京も悲しむだろうな」
*
窓際に居た彼「…きたのか」
京「……最後の忠告だ。やめておけ」
*
キョウ『…なぜ戦う?』
???『泊制戦争でも言ったはずだろ?俺は俺が守りたいもののためにしか動かないって』
ってかんじですかね