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今日という日  作者: 誓約者
京のおはなし
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1、うたかたが覚めるとき

「頼む!京!国語のノートを貸してくれ!」

 今日はこの定例行事を告げる言葉から始まった。

「…なんでだ?納得する答えを言え」

 なんとなく絶対的予感はするが、生徒長の椅子に深く腰掛けたまま、自分は問いかけた。日焼けした両手を合わせ懇願する同級生は、ゆっくりと顔を上げ口を開いた。

 答えはその通りだった。

「今日テストだから」

「………」

 自分はこの答えにすがすがしさを覚えた。同時に、深いため息が自然と漏れ出した。

「…だってよ。朱、貸してやれ」

 さも他人事かのごとく、向こう側でソファーに座っている女子生徒に声をかける。

「私に頼んでないでしょ。何とかして下さい」

 あやと呼ばれた生徒は振り向かずに正論で答えた。もともと本気で頼むつもりでないので不満は沸いてこない。

「頼むよ~。生徒長だろ?」

 何の理由にもならない。だが、こいつは俺が貸さない限り帰らないだろう。

 帰った経験がない。

 自分は本日二度目となる深いため息をついた。

「……俺の机に入ってるから、好きに使え」

「きゃ~!生徒長かっこいい!」

 それだけ言うと、同級生は急いで生徒長室を飛び出し昼休みの喧騒の中へとまぎれていった。

「…毎度毎度。理心りしんは成長しませんね」

 暫くして、判りきった愚問が朱から自分に向けられる。

「いいじゃないか。テストだってのに勉強しない生徒よりかは」

 完全にテスト直前まで勉強していない理心のことを馬鹿にする口調で言う。自分はより深く生徒長の椅子に座りなおし、机にひじを突く。

「適材適所。あいつに勉強は合わないんだよ」

「……」

 これは傍から見てもわかる事実であり、朱も言葉を返さない。

「…そういう京くんは?」

 朱が思い出されたように自分の名前が呼ばれる。

 浮刃京うきはけいは気づかぬ振りをして、窓の外を傍観した。徐々に深まる秋の気配がこの大銀杏おおいちょうから伝わってくる。

 なぜ伝わるのだろうか。

 京が思想を巡らせようとした瞬間、後頭部に朱の握り拳が入り込んだ。

 

 *

 

 ―テスト終わりの感想。

 

 散々な結果だった。特に数学が。

 

 中間テストでこれほど解けなかった問題は無かっただろう。まさかテスト範囲の式や関数をすべて出題するとは思わなかった。

 追試と赤点は覚悟しなければならないであろう。

 

 …と、クラスの皆は思っているに違いない。

 

「………」

 後悔と絶望に満ち満ちた生徒の中に、傍観する立場に京はいた。

 異常なほどまでに多い問題数。復習をしてこなかった者は元より、問題を解ける学力があったにしても、数に圧倒され最後の問題までたどり着けなかった者がおおよそだ。きっと最後の問題に取り掛かれたかどうかだ。

 しかし、京は前者でも後者でもない所に属していた。

 別に言葉遊びをしているわけではない。最も単純な答えになるが、京はすべての問題を解いたのだ。正否は別として。

 具体的に言えば、200の計算と50の関数のグラフの問題を。

 この事実は悔恨の檻に捕らわれた教室では言い出し難いことであり、同時にこの教室に居心地の悪さを招いた。

 

 よって彼は部室へと向かっている。

 

 堕落に引きずり込まんとする皆の無念と不満を背に、廊下をすたすたと歩いていく。

 部室とは言っても京は生徒長室に向かっていた。京が所属する剣道部は部員数がたった一人しかいない。つまりは自分だけだ。

 そんな部活に部室が割り当てられる訳もなく、ほそぼそと活動していた。

 幸いにも、生徒長室自体は生徒長の私物のようなものであり、そこそこ広いため素振りをするのに何の不自由もない。逆に言えば他の場所がない。

 すっかり担ぎなれてしまった竹刀が体の上下運動に合わせて揺れている。

「………」

 ふと京の足が止まる。

 教室を出てからこの生徒玄関まで、誰一人としてすれ違っていない。

 いくらテストの余韻に浸っているとは言え、先生すらも出歩いてないのはおかしい。

 教室から遠く離れた所に居るせいだろうか。辺りは無音に近いほど静かだった。

 不気味に感じるほどの静寂が京の体を包み込む。

「………」

 そして、再び歩を進め始める。

 気になったからといって確かめる手段が分からない。というか、気力がない。

 今日は初めてのテストだった。

 京はすべての問題を解いたにしろ、その影響は十分に受けていた。

 極限まですり減らされた気力をそんな憶測に使うのは、選択肢としては最悪だ。

 何もなかったように靴底を床に擦る音が玄関に響き始める。

 その時だった。

 自分の背後に、何か蠢く気配がした。

 即座に振り向こうと体を反転させる。そして―――。

「!」

 それは京の腹部を貫いた。

 瞬く間に痛みが意識を埋め尽くし、操舵を失った肉体は大きくよろめく。

 何とか踏みとどまった四肢の視覚機能は、犯人をはっきり捕らえていた。

 

 黒い影だった。

 

 その他に形容する言葉が思いつかない。異形であり単純な細胞体の塊。

 しかし、それから鋭利な棘が生えて京の腹部を貫いている。

 黒いゲル状の表面が一箇所、横に裂けていく。

 

「ウコケケケケケエケケエッケエ!」

 

 口のように開いた亀裂から、甲高い奇声が発せられる。

 まったく事態の把握が出来ない。未知の生物がそこにある。状況からそれが敵だということは脳が認識していた。

 腹部から赤黒い絵の具が流れ落ちる。床には同じ色の赤い斑点が大小と点々する。

 おかしく体を震わせ、黒い影は棘を京の体から引き抜く。

「…っ!」

 言葉に出来ないほどの激痛が襲い掛かる。大量の出血が、びちゃ、という音とともに床を汚す。

 計り知れない苦痛だった。

 影はそれ見て、より体を震わせて喜ぶ。滑らかな黒いからだが微振する。

 狂っている。それと対峙している自分が居る。

「ケカカカアカ!!」

「!」

 突如、影が自分の体の一部を剣の形へ変形する。同時に深い殺意が中心部分から放たれ始める。

 鋭利な剣先は自分の肉を鋭く安易に引き裂くであろう。

 逃げなければ………!

 何度も頭の中で繰り返された言葉。

 だが、口から漏れるのはか細い息ばかりで声となることはない。

 金縛りにあったごとく、両足が言うことを聞かない。何度意識してもピクリともしない。

 痛みが他の手段を考える思考を邪魔し、何度も同じ言葉を頭の中で繰り返す。

 

 死にたくない…。死にたくない…。死にたくない…!死にたくない!死にたくない!

 

『どんなことをしてもか?』

「!?」

 

 いきなり脳内に声が叩き込まれる。

『…死にたくないんだろ?』

 知らない少年の、穏やかで凛とした声は確かにそう言う。

 

『なら…願え、そして俺を呼ぶのだ』

「!?」

 

 完全に混乱する京の脳内。

 それを知ってか知らずか、影は焦燥するように黒き剣を振り上げた。

 

「ギュアアアアアアアアアア!」

「!」

 

 考える時間は――選択肢は、ほんのわずかだった。

 

「キョウおおおおおおおおおおおお!」

 

 叫ぶがごとく、京は彼の名を口にした。

 

『…了解』

「っ!」

 

 直後、全身を貫く激痛がほとばしり、京の意識は蔓延した血の生臭さと共に、深い暗闇へと堕ちていった。

 

「―きさま、俺の質問に答えろ」

 

「…!」

 

 撃鉄が起こされる音で意識はこの世に引き戻された。

 気づけば、目前には鋭い眼光を持った少年が、不愉快そうに自分を見下ろしていた。

 ゲル状の生き物などどこにもいない。

 ただ、極めて平凡でない状況は続いている。それは危険を具現した手段の一つとして行われている。

 目前の少年の手には一対の拳銃が握られていた。

 そしてその銃口は、京の額につけられていた。

 

「なぜ、きさまは魔力を持っているのだ?」

「!?」

 

 少年は意味不明な言葉を端的に問う。

 まったくもって訳が分からない。たとえ分かったとしても、受け入れられない予感がする。

 時が止まったかのように京はまったく動けなくなり、ただ少年の殺意を意識が受け止めていた。

読んでいただきありがとうございます。


生徒長―一般的な生徒会長。


数学のテスト―京の通う高校のテストで一番厳しいもの。赤点が8割がた。


大銀杏―この学校のご神木。


生徒長室―20畳はある。大小さまざまな引き出しがあるがほとんどが生徒の私物。先生も来ないので生徒長の第二の家。


黒い影―キーな敵。


浮刃京うきはけい―天才な45代生徒長。スポーツも人並みに出来る。


香理心きょうりしん―気楽な副生徒長。出身は中国。


柳川朱やながわあや―冷静な書記。京と理心とは高校で会った


銃を突きつけた少年―次回明らか


頭に響いた少年の声―これもね。次回

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