弱虫侍 其の二
「おい、もう一枚載せろ」
与力は目だけを動かして、傍に立っている下男に指示を出した。
石の重さは、一枚十三貫。
女一人分ほどの重みがある。
そろそろと運ばれた石が罪人の上に載せられた。
途端に、後ろからまた「ひいっ」と声が上がる。
与力はジロリと後ろを振り返った。
与力は、顔を手で覆って指の股から拷問を見ている兵庫を見て、傍に立って申し訳なさそうにしている板倉を見て、それから控えていた部下の同心に目配せをした。
同心はそれを受けて板倉の所へ歩み寄る。
「板倉殿。ちょっといいですかな。あの若造を何とかしてもらえませんか。雰囲気がぶち壊されて、あれじゃあ吐くものも吐きませんよ。そうでなくても、あいつは強情でうちでも手を焼いてるんですよ」
「申し訳ない。すぐ黙らせますゆえ、もう少し見させてはいただけませんか」
板倉は哀願をこめて頼んだ。
しかし同心は首を振る。
「だいぶうちの与力様もお怒りだ。今日は他の見物者もおりますしこれ以上恥をかかないほうがいいでしょう。また日を改めてお連れください」
板倉はため息をついて、兵庫を見るとあごで外をさした。
腰が抜けた兵庫は這いつくばるようにして部屋を出る。
襖を閉めるとき誰かが、弱虫侍め、と嘲るように言った。
その後、くすくすと見習いたちの笑い声が起きた。
兵庫の背中がカッと熱くなった。
何がおかしい、と与力が叱責する声が続いてまたシン、と静まり返る。
牢奉行所からの帰り道、兵庫は小さくなって板倉の背中についていった。
「お前の父は、それは優秀な吟味方だったぞ。緩めるところはとことん緩め、締めるところはとことん締める。その手腕をこぞって皆盗もうとしたものさ。南町の同心からも果ては与力様からも相談を持ちかけられて吟味方の羨望の的だったんだ。この俺もそうだった。なのにお前ときたら」
板倉は歩みをとめて、がっかりしたふうに兵庫を振り向いた。
「情けない」
そういった後、振り返ることなく歩いた。
兵庫はうつむいた。
泣きたいのに涙がでなかった。
自分にびっくりするくらいあきれると、涙もあきれて出てこないものだと思った。
そのまま、板倉と別れた後、とぼとぼと家に帰る。
お鳥が、その足音を聞きつけたようでガラリと戸をあけた。
「お帰りなさい」
お鳥の満面の笑みに、あいまいに答えると畳に腰掛け、雪駄を脱ごうとした。
お鳥がちょっとまって、と盥に水を張った。
「外から帰ったら足をちゃんと洗わないと」
そういいながら、足袋を脱がせて兵庫の足を洗ってやる。
うわあ、お嫁さんみたいだ、兵庫は思わずどきどきとした。
「あまり、元気がないようですけれど、お仕事うまくいかなかったのかしら」
足を拭きながらお鳥は、心配そうに兵庫の顔を覗き込んだ。
「う、うん。お鳥さんにいっても怖がらせるだけだろうけど、今日は拷問の見物だったんだ」
お鳥は素早く飯のしたくに移っており、味噌汁をよそいながら「まあ」と相槌を打った。
さくさくと用意された飯を食べながら、兵庫は自分の失態を嘆いた。
「自分が意気地なしで、臆病だってことは知っているつもりだったけど、あんなに臆病だとは思わなかったよ。板倉様にも恥をかかせたし、情けないってあきれられたよ」
お鳥は自分のことのように熱心に聞いてくれる。
親身になってくれるその気持ちが兵庫にはありがたかった。
「俺、同心辞めようかな」
兵庫はポツリと言った。