第二幕 弱虫侍 其の一
伝馬町の牢屋敷までの道すがら、付き添いの板倉は機嫌よさげに兵庫に言った。
「お前は運がいいぞ。うちの奉行所は非番だというのに南町奉行所に頼んだら見物を許されたのだ。こんなことはめったにないぞ。しっかり見てそのやり口を学ぶのだぞ」
お通夜のような暗い声で兵庫は「はい」と答えた。
少し痩せているが、人のよさそうな柔らかい顔立ちの板倉は、四十歳を越えた熟練だ。
吟味方の同心の中でも信頼が厚く、兵庫にとっては憧れの上司であったが、この日ばかりは鬼に見えた。
拷問はしょっちゅう行われるものではなかった。
大抵はその前に行われる吟味で吐かせるものであり、拷問を行うということはその吟味方の力量不足とされていた。
それに拷問を行うには一旦老中にまで報告をしてその許可を得なくてはならない。
吟味方が行き過ぎた拷問をしないように見張る為、徒目付も小人目付も派遣される。
手間がかかるし、神経も使う。
よって多くは行われないが、それでも全くないわけではなかった。
板倉はなるべく若いうちから拷問に慣れさせて、兵庫を一流の吟見方に仕込もうと考えていたのだ。
兵庫の臆病な性格もあり慣れるまでは時間がかかるであろうという目論見ももちろんあった。
しかし、兵庫の臆病は板倉が考えているよりももっとひどかったのである。
「ここより先は心してかかれよ」
それまで柔和だった板倉は穿鑿所を前にするときつい目つきをして、唇にたたえていた笑みを消した。
襖を開けるとムワッとした熱気と臭気がした。
丁度、与力が詰問をしている最中であった。
緊迫した空気に兵庫の顔も引きつる。
薄暗く一段低い土間の筵に、男が座らされていた。
その真向かいの畳に鎮座する与力が強い口調で詰め寄っている。
兵庫達は部屋の奥に座り、その様子を見学する。
この日は兵庫の他にも南町の与力同心の見習い達が数人見学をしていた。
「城に忍び込んだこと、まだ認めぬか」
与力の叱声が部屋の中に響いた。
その言葉に着崩れをした男が与力をギッと睨みつけた。
既に何度か石抱きや鞭打ちを受けた後のようで、着物を下男達につかまれてやっと体を支えられているようなぼろぼろの状態だった。
しかし、男は何も言葉を告げることはなかった。
「強情な男め。もう一度石抱きをするぞ」
下男たちはその言葉を聞くと着物を引っ張り三角形に尖らされた木材の上に正座をさせた。
そして二人掛りで抱えてきた石をじわじわと男の膝の上に載せる。
その重みと木材の刺すような痛みで男の顔が苦痛でゆがんだ。
「ぎゃあああ」
悲鳴のような声が上がった。
しかし、その声は罪人のものではなかった。
与力を始め、全員が後を振り返った。
その視線の先には、腰を抜かして口をまだパクパクさせている兵庫がいた。
「こ、こらっ。大堀!なんて声をだすんだ」
板倉が顔色を変えてたしなめた。
「め、めんぼくない。も、もう落ち着きましたゆえ・・」
板倉は、兵庫を後ろ手に隠して与力達に謝った。
ムッとした顔をして与力はまた罪人に向き合う。
「旅の薬種売、喜助。その方に今一度問う。何ゆえ城に忍び込んだのか。証拠はそろっておるのだ。言い逃れはできないぞ。認めねば、石をもう一枚載せるぞ」
男の顔色は土色をしていたが、それでもギラギラ光る目を与力に向けたまま、唇を開くことはなかった。