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      弱虫侍 其の三

兵庫の言葉にお鳥が目を見張る。


兵庫は自嘲するように笑った。

「適役じゃないもの。こういうのは一真みたいな冷静な奴が向いているんだ。俺は優秀だった親父の子かもしれないけど、蛙の子供が全部蛙になれるわけじゃない。弱くて駄目な奴だって生まれるんだ」


「兵庫さんは、駄目なんかじゃありません!」

急にお鳥が声を大きくしていった。


「私、お役目のことはよく分からないけど、人を痛めるだけがお仕事ではないのでしょう。兵庫さんはお優しい。優しさをなくして人を吟味したところできっと本当のことなんて喋ってくれないわ。冷たい人には心を開きにくいけど、優しい人には心を開きたくなるもの」

お鳥の言葉の優しい言葉に、堰を切ったように涙が溢れ出した。


持っていた飯椀を置くと、涙を隠すように目をごしごしとこすってごまかした。

「みんながみんな、お鳥さんみたいに優しければいいのになあ」

ハハハ、と笑ってごまかした。


不意にお鳥が兵庫の傍によってきて頭を抱きこんだ。

「我慢せずにお泣きなさいな。兵庫さんはまだ若い。これからたくさんの経験を積んで、それから一流の男になるのですよ。一度や二度の失敗がなんですか、これから挽回すればいいんですよ」


お鳥の体に身をうずめるようにして、兵庫は隠れるように涙を流していた。


そんな兵庫の背中をさすってやりながら、ふと、吟味のことについて聞いてきた。

「ところで、拷問をされるほどの罪って一体なんだったのかしら」


「忍び込みさ。江戸城の中に侵入したらしい。お庭番に追われて、外に出たところを町方が捕らえたんだ。旅の薬種売りだったから、町方でそのまま預かりってわけさ」


「旅の者、城への侵入、お庭番・・・」

お鳥は何か考え込んだ。


兵庫はガバッと起き上がった。

「何か。何か思い出しそうなの?捕まった男は、喜助って名乗っていたけど」


お鳥は、ハッとした顔をした。

「喜助!思い出しました。・・・でも、名前だけ」


兵庫は、がっかりした顔をした。


江戸だけでも、どれだけの喜助がいるかという話である。

兵庫は他に思い出したことはないかと、お鳥に聞いてみるがお鳥は首を振った。


しかし、お鳥の目には怯えのような色が見えていた。

何か恐ろしい過去を思い出すことに怯えるような、そんな目だった。



相変わらず夜は、一真の家に間借りしている。

おまけに今日は安次郎まで一真の家にいた。


「お前、美人を家に囲ってるらしいな」

どこからその情報を仕入れてきたのか、安次郎は兵庫をみるなり食いついてきた。


「まあ、相手は記憶がないんだけどね」

さっき抱きしめられた余韻にまだ少しぼうっとなりながら、兵庫がふやけた声で言った。


そんな兵庫を見て、一真は安心したように言った。

「その様子じゃお鳥さんに慰められたな。板倉様が心配していたぞ。同心を辞めるなんて言い出すかもしれないから様子を見といてくれってな」

「そうだ。お前、さんざんだったらしいな。拷問見て腰抜かしたって」


兵庫は愕然とした。

「そ、そんなに早く、一真たちの耳にも入ってるの?」


二人はうなずいた。


「俺は板倉様から直接聞いたが、その時点で番所中に広まっていたぞ」

一真は言った。


兵庫は身が縮こまる思いがした。


「大丈夫さ。これから挽回すればいい。その罪人はまだ吐いてないらしいぞ。お前が、そいつをはかせることができれば一気に表彰物だ」

パン、と安次郎が背中を叩いた。


「人事と思って。大体、拷問で吐かなかった奴をどうやって吐かせるのさ」

いいながら、兵庫はふとお鳥のことを思い出した。


あの男にお鳥のことを聞いてみたらどうだろうか。

江戸の何十人、何百人もいる喜助の一人だが、何か知っているのであればお鳥のことを聞き出せるかもしれない。

逆にお鳥が記憶を取り戻したら、その喜助のことだって分かるかもしれない。

確率は低いが、聞いてみる価値はありそうだった。



「ところで、そのお鳥さんは何か、思い出したか」

晩酌を3人で酌み交わしながら、お鳥の按配について話した。

「人の名前を思い出したけど、手掛かりなし。何も思い出さないよ」


「このまま記憶が戻らなかったら、所帯を持ってもいいんじゃないか?よく働くいいご婦人らしいじゃないか。お前が、だらしないからちょうどいいんじゃないのか」

冗談交じりに安次郎が冷やかした。


兵庫は、びっくりしたように安次郎を見た。

そんな考えはこれまで微塵も浮かばなかったのだ。


けれど、兵庫の中に何だか暖かいものが懐に芽生えたような感覚がした。

少し歳は離れているであろうが、お鳥は申し分ないほどいい女だった。


自分なんかには勿体無いという気持ちももちろんどこかに残っている。

それに、もしかしたら夫や子供もどこかで待っているかもしれない。


そうは思うが、このままお鳥と暮らせればいいという気持ちがどんどん膨らんでいく。

お鳥に甘えて、お鳥に優しくされて、一緒に笑える時間をたくさん持って。

つらいお役目だってお鳥に慰めてもらえればきっと耐えることができる。


兵庫は、決心したように意気込んだ。

「決めたっ!俺、お鳥さんに一緒になってくれるように頼んでみるよ」

一気に酒を飲み込んだ兵庫は、誰に言うでもなく宙を見ていった。


「お、おい。兵庫やい。本気で、所帯持つのかい?」

自分の言葉が引き金になったことに気付いて、安次郎が引きつった笑顔でたしなめた。


一真が小声で「馬鹿ッ。煽るからだ」と安次郎を睨んだ。


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