君と僕。夜、空に舞う
真冬の夜風が頬を撫でた。
かすかな汐の香り。
僕は君の手を握り直した。
背を手すりに預けた君は、チラッとこちらに微笑んだ。
初めて会った時とは違って、君はコートを着て真っ赤なマフラーを巻いていた。
でも、初めて会った時とおんなじ、イタズラっぽい瞳で僕を見ていた。
ほうっと吐いた息が白くたなびいて、夜に消えた。
僕たちはその吐息が消えていくのを見つめ続けた。
眼下には漆黒に沈んだ緑と海と、ポツリポツリと灯る静けさがちらばってた。
「うん」
と君が言った。
「いつも通りに3つ、数えるよ」
と僕が言った。
そこに相手がいることを確かめるように、僕たちは目を合わせて頷きあった。
頭の中で3つ数えた。
3、のカウントとともに、僕はコンクリートを踏み締め、歩みを進めた。君も僕と歩調を合わせた。
2、のカウントとともに、君はいつものようにすうっと息を吸い込んだ。僕もいつものように胸がキュッと閉まるのを感じた。
1、のカウントとともに、僕と君は、地面を蹴って宙に飛び出した。
ヒュワッと高い風の音が耳元を過ぎる。ぐらりと傾いた世界が僕の息を詰める。目の前にはどんどんと近づいてくる固い地面が見える。
死。
いつものように慌てる理性を僕は押さえつけて。僕は君に顔を向けた。なんでもないような顔をして、君の方を見た。
そして初めて君と僕が出会った時みたいに———少し潤んだ目をした君は、僕の心を覗き込んだ。
「ほら、飛べたでしょ?」
君はとっておきのイタズラが成功した小学生みたいに笑っていた。
ふっと風向きが変わる。下から顔に叩きつけるように吹きつけていた風が、頭を軽く押すように前から吹き始める。
僕はバクバク言っている心臓をなんとか押し留めて、ちょびっと無理矢理に笑顔を作った。
「うーん。ちょっと低いかもね」
すいっと、ほんの20センチくらい前を木の先端が通り過ぎる。
「………久々だから感覚が怪しいかも」
「………さっきは余裕みたいなこと言ってなかった?」
君は少し首を傾けて「うーんと」と呟いた。
「言ったっけね」
「言ってたじゃん」
「そっか」
「そう」
僕は胸のドキドキを隠すように、帰り道で仲のいい友達とする中身のない会話みたいなのをした。
なんとなく2人に間に沈黙が降りる。僕は襟元を首筋に寄せた。
「そうだ。もうちょっと高度を上げるって話ね」
君が「よいしょー」と言うと、仰向けだった僕たちの姿勢がだんだんと上に向き始める。
じわりじわりと地表から離れていく未確認飛行物体Xこと僕たちは、一軒家が消しゴムくらいの大きさに見えるまで高度を上げ、巡航体制に入った。
君は少し口を突き出して目の前に広がる夜の住宅街を眺める。
君の鼻の頭は寒さで赤くなっていた。
僕はマフラーの赤とお揃いだな、と思ったけど、君は怒りそうだったから口には出さなかった。
「なんかさ。冬って寒いよね」
「………あー、夏って暑いよね」
「えっとね。アイスって冬と夏だとさ」
「冬のが美味しいね?」
「いや、ここは一周回って夏だね」
「………普通だね」
「………そう、普通なの」
僕は左利きでもないのにわざわざ右手に巻いている腕時計を目の前に近づける。
この時計は蛍光塗料が黄緑に光って綺麗なのがお気に入りだ。あと計器類が充実してるところ。
「現在、高度70m。気温は………氷点下だね」
「冬だからね」
「ね」
「………なんかアイス食べたくなってきた」
「一周回って?」
「一周回って」
そして僕たちは再び黙り込んだ。
街を照らす明かりは、ほとんどが蛍光灯の白っぽい光だ。たまにハロゲンライトの橙。
一度君とどっちが多く橙色の明かりを見つけられるかで競走したことがあった。———当たり前だけど結果は引き分け。
2人で一緒に飛んでるんだから見える範囲も一緒だったのだ。
あの時は僕も君も笑いが止まらなくなって、困った。
「寒いね」
なんでもないかのように君が言った。
「夏ってあったかかったんだね」
僕は君と繋いでる手に、汗が滲んでいないかを気にしながら答えた。
「あの時は夏なのに涼しい、で済んだのにね」
「無料のエアコンだーってね」
「うーん、そろそろ戻る?ちょっと寒いかも」
困ったような顔をして君がそう溢した。
「………戻ろっか」
僕はそんなふうに答えた。
君はおどけたようにポッと口で音を鳴らした。
すすすーっと僕たちは高度を下げてゆく。
大きく旋回して飛び始めた高台の方へ戻っていく。
非現実から現実へ戻る時間だ。
「ほいっと」
僕たちはなにを言うこともなく地にもう一度降り立った。
「寒いね」
と君が言った。
「そうかも」
と僕が言った。
僕と君はそうしていつものように別れた。
名前も知らない君との秘密の遊覧飛行。
僕はまだ君に名前を聞けていない。
あの日初めて会った時からずっと。




