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第7話 火吹草



(やっぱり、ダメか)

 アキラは心の中で、自分自身の血を呪った。


 覚醒者でもない人間の父。 そして、森人エルフの母。

 異なる種族の間に生まれた『混血』である彼は、エルフとしての長命を受け継ぎながら、肝心の「魔力回路」が一部欠損して生まれてきた。

 人間にしては魔力を感じ取れるが、エルフのように魔力を練ることができない。


 ――中途半端な出来損ない。

 だから彼は魔導士にはなれず、学者になった。


『……アキラ。嘆くことはないわ』


 ふと、脳裏に母の声が蘇った。

 もうずいぶん昔に聞いた森の奥での記憶。

 自分が魔法を使えず、周りの子たちにいじめられて、泣いていた幼い日のこと。


『魔法なんて世界にある力のほんの一部。お前には、もっと別の「声」が聞こえているでしょう?』


『魔力がなければ、あるものを使いなさい。森はいつだって、お前の味方をしてくれる』


『それが、私たちの本当の魔法よ』


「……そうだね、母さん」

 アキラの瞳から恐怖の色が消えた。

 学者の目から、森の狩人の目へ。


 彼はゆっくりと視線を落とし、岩の隙間に群生している赤い実をつけた雑草を見つめた。

 数時間前、シュナに「危険だ」と注意された、あの草だ。


「……どうせならシュナに効果を見せたかったけどね」

 アキラは杖を懐にしまい、雑草を鷲掴みにして引きちぎった。


 カマキリとの距離感を保ちながら、両の手のひらで草を猛烈な勢いで揉み込む。

 草の繊維と種子が潰れ、さっき嗅いだあの「鼻を突く揮発性の油」が染み出す。


「……火吹草の種子袋には、高純度の揮発油が含まれていて、しかも、葉には火属性の魔力を見た目では信じられないほどに蓄えているんだ。……知らない人多いけどね」


 アキラは誰に聞かせるでもなく、講義をするように呟いた。

 迫りくる死の刃を前にしても、その手つきは実験室のように正確だった。


「酸素と混ざれば、その爆発力は黒色火薬の12倍……」

 アキラは油と草の汁が混じった、その発火源を筒状に丸めた右手に詰め込んだ。


 キチチチチッ!


 先頭のカマキリが、痺れを切らして跳躍した。


 その鎌が振り下ろされるまで、コンマ数秒。

 その筒口を、飛びかかってきたカマキリの口元へと突き出す。

 カマキリの大顎が、アキラの腕を噛みちぎろうと開かれる。


 その暗い口内へ向けて。

 アキラは左手の指を、右手の筒の前に添えた。


「……僕のシケた種火でも、『着火剤』にはなるだろう?」

 アキラは微弱な魔力を左手の指先に集中させた。


 特別なことはない、いや、出来ない。

 だから、さっきと同じことをやるだけ。


「……イグニス」


 パチンッ。


 指を鳴らす乾いた音が、静寂な谷底に響いた。

 指先から弾けた小さな火花が、筒の中に充満した揮発ガスに触れる。


 一瞬、音が消えた。


 ドゴォォォォォォォン――!!


 刹那、アキラの右手から紅蓮の爆風が一直線に噴出した。


 それは純粋な魔法の炎ではない。

 魔力の補助を受けた油が燃え、酸素を喰らい、物理的に膨張した、ドス黒い現実の炎だ。


 指向性を持った爆炎は火炎放射器のごとくカマキリの口内へ吸い込まれ、その体内を内側から焼き尽くした。


 断末魔すら上げる暇もなく、カマキリは黒焦げの肉塊となって吹き飛んだ。

 残りの二匹は仲間の爆死と漂う強烈な油の臭いに恐れをなしたのか、慌てて岩陰へと逃げ去っていった。


「……ふぅ」

 アキラはその場にへたり込んだ。

 右手は皮膚がめくれ、黒く炭化している、火傷の痛みがジリジリと脳を焼く。


「……やっぱり、無茶な使い方だ。手を砲身にするアイデアは絶対にナシだ」


 アキラは痛む手を庇いながら、空を見上げた。

 谷底の狭い空は、相変わらず極彩色に淀んでいる。 けれど、風の音が戻っていた。


 ズドォォン!!


 直後、谷の壁面が内側から爆砕された。

 土煙の中から、真紅の髪をなびかせたシュナがアキラの荷物を抱えて、飛び出してくる。


「アキラ!!」

 彼女は血相を変えて駆け寄るとアキラの胸ぐらを掴む勢いで抱きつこうとした寸前で止まった。 彼の前に転がる、黒焦げのカマキリの死骸。


 そして、酷く焼けただれたアキラの右手を見て、彼女の瞳が揺れた。


「どうして……ッ! どうして待っていてくれなかったのですか!」


 彼女はアキラの胸に顔を埋め、子供のように叫んだ。

 その瞳には涙が溜まり、竜の縦孔が不安げに揺れている。


「私がいない間に、貴方が死んでしまったら……私は……世界を焼いてしまうところでした」


「ごめんよ、シュナ。時間がなくて思いつきで、手で発火させちゃったよ」

 アキラはシュナの背中をポンポンと軽く叩く。


「……さっきの草、ほんの少しにしたのに、とんでもなく危険だったね。シュナの言うことを聞いておけばよかったよ」


 アキラが苦笑すると、シュナは何も言わず、その場にひざまついた。

 そして、アキラの火傷した手を、そっと自分の両手で包み込んだ。

 竜の体温は高いはずなのに、その手はひんやりと冷たく、心地よかった。


「……無事で、よかった」

 震える声で呟くシュナに、アキラは「心配させてごめんね」と短く答えた。


 酷いケガではあるが、魔草治療で十分手当できる。

 アキラはシュナから受け取った荷物から目当ての草花を探し始めた。


 二人の間に再び静寂が戻る。


 アキラはふと、思う。

 この長い旅路も、この痛みも、いつかは思い出になるのだろうか。

 母が教えてくれた森の記憶のように。


 そして、自分よりも遥かに長く生きるであろう、この竜姫にとっても、いつか自分が「懐かしい記憶」になる日が来るのだろうか。


 そんな事を考えながら、アキラは右手に巻いた包帯の裾をシュナに結んでもらった。


「……よし。行こうか、シュナ。まだ、始まったばかりだ」

「……無理はしないでね、アキラ」


 アキラはシュナの手を借りて立ち上がった。


 その背中には、魔法使いのような万能さはない。

 けれど、その掌には、確かな知恵と焦げ付いた草の匂いが残っていた。

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