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第6話 ソニック・マンティス

森の主、ガーディアンと別れてから二日が過ぎていた。

狂乱から解放された巨大獣は、礼代わりにと、賢者の遺跡までの道のりと、目的地までを繋ぐ村々の情報を教えてくれた。


浮島の群れが起こす酷い乱気流で空からの道が使えない以上、使徒もアキラたちも、ただひたすらに歩くしかなかった。


今回の仕事を引き受けた理由は予算のことだけではなかった。

普段の仕事では、いつ、どこで、誰と、何を、いつまで、と許可を得なくてはヴェイルに来ることもままならない。

それが、今回は「どこにいるか分からない者を追う仕事」つまり、どこに行くのも自由なのだ。

彼にとって、この過酷なハイキングは少しだけ楽しい旅でもあった。


「……アキラ。足元、気をつけて。根が張っています」

「うん、ありがとう。……おっと、これは珍しいな」


アキラが足を止めたのは、根の隙間に群生している、赤い実をつけた地味な雑草の前だった。


彼は子供のように目を輝かせ、しゃがみ込む。


「また雑草ですか? 先を急ぎましょう」

シュナは呆れたように溜息をつくが、アキラは構わず指先でその赤い実を摘まみ上げた。


「シュナ、これはただの雑草じゃないよ。『火吹草』だ。人界の植物図鑑には載っていないけど、母さんがよく教えてくれたんだ」


「お母様が?」


「ああ。とても不思議な草でね、葉には火属性の魔力が籠って、このちいさなホオズキみたい種子袋にはね、高純度の揮発油が溜め込まれているんだ」

 アキラはポケットから小瓶を二つ取り出して、種子袋と葉を採取する。


「種を遠くに飛ばすために、成熟するとパンッと弾ける仕組みになってる」

 アキラは懐かしそうに、赤い実を指で転がした。


「母さんの森では、これを『森の着火剤』として使っていたんだよ。……ほら、ちょっと油の匂いがするだろ?」

 アキラは実を納めた小瓶をシュナに渡した。


「……確かに。鼻を突く、燃料のような匂いだね」

 シュナが眉をひそめて鼻を覆う。


「危険ですから、あまり触らないでください。アキラの手は、試験管を持つための大事な手なんですから」


「ありがとう。……でも、ここにあるってことは、この一帯の土壌は硫黄分が多いのかな」

アキラは軽く手を払うと、その場を立ち去った。


ただの植生調査の一環と、そのレクチャー。


その時はまだ、その知識が数時間後に自らの命を救うことになるとは、アキラ自身も思っていなかった。



◇◇◇



――さらに数時間歩いた先。


「……そろそろ休憩にしようか」

アキラが立ち止まり、背負っていたリュックを下ろした、その時だった。


ヒュンッ。


音が消えた。

いや、世界が裏返ったような浮遊感をアキラは感じた。


「――ッ!? アキラ!」


シュナの鋭い声が遠く聞こえた。


足元の地面が唐突に黒い穴へと変わっていた。

樹海特有の魔素溜まりが引き起こす、『空間歪曲の亀裂』だ。


「しまった――」

咄嗟にアキラは手を伸ばす。


しかし、その指先はシュナの手を掠めることもなく、彼は重力に従って森の地殻変動が生んだ断層の底へと吸い込まれた。

最後に見えたのは、穴の縁に取り残された自分のトランクとリュックだけだった。


◇◇◇


目が覚めると、そこは灰色の岩肌が露出した谷底だった。


「……生きてる」


木々の隙間に広がる空を見ながら、アキラは呟いた。

湿った空気が肌にまとわりつく。

彼はゆっくりと体を起こし、眼鏡の位置を直しながら呟いた。


「……魔素計を起動させてれば気付けたのに。やっちゃったなァ」


そして、何かを思い出したように、慌てて周囲を見回した彼は、小さく息を吐いた。


あるはずの重みがない。

トランクもリュックもない。

あるのは、懐に入れていた普段使うこともない、魔法の杖が一本だけ。


「……最悪だ、丸腰じゃないか」

アキラは自嘲気味に呟き、周囲を見渡した。


静かだ。

あまりにも静かすぎる。鳥の声も、虫の音もしない。

それはつまり、このエリアに「他の生物を寄せ付けない捕食者」がいることを意味していた。


カサッ。


背後の岩陰から、乾いた音がした。

アキラが振り返ると、そこには三つの影があった。

身の丈2メートルほどの巨大なカマキリ。

その体色は岩肌と同じ灰色をしており、前脚の鎌は超振動によって空気を震わせている。


聴音カマキリ(ソニック・マンティス)


視覚を持たず、音だけで獲物を狩る、魔法耐性の外殻を持った厄介な害虫だ。


「……ハハ、詰んだかな」


アキラは杖を抜き、切っ先をカマキリに向けながら、慎重に立ち上がり、敵との間合いを取り始めたた。そして、震える手で初級攻撃魔術の構成式を脳内で描く。


炎よ(イグニス)!」


杖の先に灯ったのは、本来の小火球を連続して放つイグニスとは程遠い、ライターの種火のような頼りない小さな炎だった。


カマキリたちは、その微弱な魔力に反応すらせず、ただアキラの心臓の鼓動を聞き分け、ジリジリと間合いを詰めてきていた。

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