第5話 30秒攻防戦
「シュナ、30秒だ! それだけあれば調合できる!」
6本の脚が爆発的な加速を生み、5メートルの巨体が砲弾となって迫る。
全身から突き出した黒い茨が触手のようにうねり、制止させることすらも困難にさせていた。
呪いによって自我を見失ったガーディアンは耳を裂くような咆哮を上げながら襲い掛かる。
「……分かったわ、アキラ」
シュナが前に出る。
彼女は武器を持たない。
華奢なその身一つが、最大の盾であり矛だ。
激突の刹那、 衝撃波が周囲の大木をなぎ倒し、土煙が舞い上がる。
拮抗。
それはまるで巨木を細枝が押し返すような光景だった。
シュナは、突進してきた巨大狼の鼻先を部分的に竜の鱗に覆われた片手の掌だけで受け止めていた。
ギチチ、と嫌な音が響く。
圧倒的な質量の差に、シュナの腕を覆う真紅の鱗に亀裂が走り、鮮血が滲む。
それでも彼女は一歩も引かない。
「30秒」という主の命令だけが、彼女を支えていた。
「……まったく。殺さずに制圧しろなんて、アキラはいつも無茶を言う……!」
シュナが苦悶の声を漏らす。
相手はSランク相当の魔獣。
本気で殴れば粉砕してしまうが、手加減をして抑え込むには、相手の質量が大きすぎる。
狼は理性を失った瞳で吠え猛り、黒い茨をシュナの体に巻き付けようとする。
その背後でアキラは戦場に似つかわしくない精密作業を行っていた。
リュックから取り出したのは、小瓶に入った『強酸性の溶解液』と乾燥させた『腐食花』の粉末だった。
胸ポケットから取り出した配合を片手でめくりながら、トランクから取り出した小さな天秤で分量を計る。
「大きさからして重さはゾウと同じくらい、10mlもあれば十分だな。神経系に癒着した『闇の根』だけを枯らしつつ、宿主の肉体は傷つけない調合比率は……1対1.5くらいか。」
アキラの試験管を持つ手が微かに震える。
しかし、それは恐怖によるものではなく、ミリグラム単位の調合ミスが森の主の脳を溶かしてしまうという緊張感だ。
背後では、アキラの30秒を死守するシュナの戦いが続く。
戦場の土煙が舞う中、アキラはまるで実験室にいるかのように淡々と作業を続けた。
「あと10秒!」
アキラは杖を取り出し、試験管に魔力を掛ける。
「来い、来い来い来い……紫になれば完成だ……」
透明だった液体は試験管の底から、蛍光色の青から緑、そして紫へと変化した。
「よし、反応完了。――シュナ、顎を上げさせて!」
アキラが試験管を握りしめ、駆け出した。
魔法使いのように後衛から撃つのではない。
対象に直接狙い撃つ必要がある。
「ハァァァァッ!!」
シュナが気合いと共に、狼の下顎をアッパーカット気味に押し上げる。
巨大な首がのけぞり、暴走の原因である『黒い水晶』が埋め込まれた喉元が露出した。
狼の鋭い爪がアキラを切り裂こうと迫るが、アキラは止まらない。
シュナが、自分の身を盾にしてその爪を受け止めたからだ。
「――今ですッ!!」
龍鱗が輝く片腕でガーディアンの腕を止めたシュナが叫ぶ。
アキラは迷わず、露出した水晶の根元へ試験管を突き刺した。
「悪いね、少し染みるよ」
親指で封を弾き飛ばし、中身の劇薬を患部へ直接流し込む。
ジュワアアアアアアッ!!
急激に植物が枯れる音がした。
アキラが調合したのは、特定の魔力配列を持つ植物細胞だけを瞬時に壊死させる『除草剤』だ。
「ギャ、ア、ガ、ギ……ッ!?」
「シュナ、ガーディアンを抑え込んで!痛みで暴れる!」
アキラの叫ぶ声にシュナはガーディアンの頭を地に抑えつけた。
強い力の抵抗も次第に弱まり、最後に狼は弱々しく痙攣を始めていた。
埋め込まれていた黒い水晶が光を失い、ボロボロと崩れ落ちていく。
同時に、全身を覆っていた黒い茨が急速に干からびて灰になる。
そして、ガーディアンを蝕んでいた呪いはアキラたちによって、取り除かれた。
「……ふぅ。よしよし、暴れるなよ、まだ根っこが残ってる」
アキラは膝をついた狼の首元に手を添え、残った根の残骸をピンセットで丁寧に引き抜いた。
狼の赤い瞳から狂気が消え、本来の知性ある金色の瞳が戻ってくる。
◇◇◇
数分後。
森の主は、大人しくその場に伏せ、粗い息を吐いていた。
アキラは傷ついたシュナの腕に治療薬を塗る。
竜族の再生力は高く、傷はすぐに塞がるが、それでも彼は塗らずにはいられなかった。
「無理させてごめんね。大丈夫かい?」
「えぇ。でも、この時間が私は好きですから」
手当を終えた二人は狼を見上げた。
「……正気には戻ったようだが、ひどい衰弱だ。生命力をごっそり吸われている」
狼が低く唸り、何かを訴えるようにアキラを見た。
言語は通じない。
だが、竜であるシュナには理解できた。
「アキラ……。彼は礼を言っています。そして……警告も」
「警告?」
「『我は時間稼ぎに使われた』と」
シュナが狼の言葉を翻訳する。
その内容は、アキラの想定よりも遥かに深刻だった。
「奴ら――『使徒』たちは、『結界』を破り、更に奥へと進んで行ったそうです。ですが、遺跡へ辿り着くには、この広大な樹海を抜け、さらに『嘆きの渓谷』を越えねばならない」
シュナの表情が曇る。
「奴らは、通過するすべての要所に同じような『楔』を打ち込み、森の番人たちを狂わせているようです。追手を阻む防壁として」
アキラは深く息を吐いた。
「……彼らに罪はないというのに」
これから先、賢者の遺跡に辿り着くまでの数百キロ。
その道中に存在するすべての「脅威」が、人為的に暴走させられ、アキラたちを殺す罠に変えられていると事実が空気を重くした。
「……ハイキングコースが全部、地雷原に変わったってことだね」
アキラはリュックを背負い直すと、自分に言い聞かすように呟いた。
「全部引っこ抜いていこう。森を荒らすことも、そこに住む生き物を苦しめることも許せない」
アキラは森の奥、黒く焼かれた道を睨みつけた。
「シュナ、森の主に聞いてくれ。遺跡までの最短ルートと、奴らが仕掛けそうな『次』のポイントを」
アキラは優しくガーディアンの鬣を擦った。
「……追いかけよう。これ以上、森を好き勝手させたくない」
森の主が、力を振り絞って立ち上がり、長い遠吠えを上げた。
それに呼応するように、森の奥から無数の獣たちの声が響く。
それは、魔草学者と竜姫の長く過酷な旅路の開幕を告げるファンファーレのようだった。




