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第3話 魔草学者と魔導省

 


 一年後、日本・東京


 一般の路線図には決して記されない深度300メートル地点。

 そこに、巨大な官僚機構『人界魔導省・日本支部』が存在する。


 吹き抜けの巨大空間を無数の『連絡用折り鶴』が渡り鳥の群れのように飛び交い、旧式の鉄格子エレベーターが蒸気を吐きながら行き来している。

 その最奥、重厚なマホガニーの扉で閉ざされた『魔導省、法務執行部』、部長室。



「――お断りします。お言葉ですが、管轄違いも甚だしいかと」


 川場アキラは、デスクに置かれた羊皮紙をそっと机に戻した。

 着古した白衣からは、微かに薬品と土の匂いが漂う。



「ぼ、僕は魔草学者です。荒事は戦闘専門の『戦闘魔導官』の仕事ですよね。

 僕は『月光草』の株分け実験で一分一秒が惜しいんです。目を離すとすぐに枯れるんですよ、あの子たちは――」


 アキラは心底嫌そうに眼鏡の位置を直した。 だが、対峙する部長は動じない。 背後の暖炉では、緑色の炎が不吉に揺らめいている。



「そう言うな、川場博士。事態は一刻を争うのだ。……これを見たまえ」

 部長が杖を振ると、デスク上の『地球儀』が回転し、空中に幻影を投影した。


 それは異世界『ヴェイル』の地図だった。

 だが、ただの地図ではない。

 3つの地点から、どす黒いインクのようなしみが広がり、地図を浸食しようとしている。


「……一年前、君が立ち会った『分霊の儀式』を覚えているか?」

 部長の声が低く響く。



「……えぇ、もちろん」

(シュナと出会うキッカケとなった日だ。忘れるわけがない)



「奴らの目的は『闇の魔導士ナフェルの完全復活』だ。老いた肉体と魂を切り離し、世界各地の『特異点』を触媒に、完全なる不老不死での復活を目論んでいる」


 部長は引き出しから、一枚の写真が入った報告書の写本をデスクに滑らせた。



「その事前準備が、あの『分霊の儀式』だったわけだ」


 その瞬間だった。 アキラの背後でピクリと空気が凍りついた。

 シュナの美貌から表情が消え、ただ純粋な殺気だけが部屋の温度を急激に下げていく。

 かつて自分を地獄へ落とした張本人への、どす黒い憎悪。


「……落ち着いて、シュナ」


 アキラは背中で彼女を制しつつ、部長を睨み返した。

 その気配に部長は一瞬、シュナに目を向けるが、またすぐにアキラに向き直った。


「こう聞けば、自分らも無関係とは言えまい?」

「……で、その儀式とこの地図、何の関係が?」


 アキラはあえて関係性には触れず、本題を促した。



「儀式の完成には10個の『指定封印物アーティファクト』が必要となる」


 部長が杖で地図をトン、と叩く。 すると、地図上の黒いインクのシミが、まるで生き物のように脈打ち、じわりと広がった。


「3つは既に奪われた。……見ての通りだ。この黒いシミは、奴らが打ち込んだ『呪いの座標鋲』による汚染拡大の跡だ」


「残り7つ……、ですか」

 アキラの声色が、研究者のそれに変わる。


「そうだ。奴らが全てを揃えれば、ナフェルは不老不死の肉体を持って復活し、世界の理は崩壊する。……この世は地獄絵図となるだろうな」


 アキラはため息をついた。

 国家の存亡や 境界の崩壊より、温室の温度管理の方が彼には重要だ。

 そもそも、戦闘員でも諜報員でもない、「ただの魔草学者」がなぜ、そんな世界の救世主みたいな事をしなければならないのか、彼には理解できなかった。


「……そもそも、なぜ僕なんですか」


「ヴェイルの魔導省から人界の魔導士をもっと補充せよとのお達しがあってな。とはいえ、ただでさえ人手不足な魔導省でな。今、動けるのは君たちしかいないんだよ。――それに……」


 部長はアキラの後ろに控えるシュナを覗き込むように頭をずらす。


「シュナ君は、この件の当事者だ。それに彼女には奴らと戦えるだけの強さと……動機もある。違うか?」

 その問いに対して、彼女は部長から目を逸らすことはなかったが、なにひとつ返事を返すことはなかった。


「どちらかといえば、それが本当の理由っぽいですね。――魔導省はシュナを危険に晒せと?」


「そうは言っていない。我々がシュナ君に命令を下せないことは分かっているだろう? 『竜の掟』において、マスターは絶対だ」


 部長は机から少し身を乗り出した。


「――だから、それを判断するのは川場博士……、キミだよ」


 アキラは部長の目に光がないことに気付いた。

 彼が発する言葉は『強制』以外の何物でもなかった。


 しかし、アキラの返答は、部長が思い描いていたソレとは違った。



「――お断りします。他を当たってください」

 迷いのない拒絶。

 この命令の裏で蠢くものが何か、アキラには想像もできなかったが、本能が「受けるべきではない」と叫んでいる事だけは分かった。


 アキラは一礼の後、踵を返し、ドアノブに手をかけた。

 その時、 背後から部長の事務的で、それゆえに絶対的な声が響いた。


「そうか。残念だ」

 羊皮紙に自動筆記の羽根ペンが走る、乾いた音がする。


「ならば、来期の君の魔草研究費は大幅にカットするしかないかもな。――いや、研究室の維持費も計上できないな。君の愛する温室は取り壊し、地下13階の廃棄物処理場へ……ああ、あそこは確か、湿度が常に90%を超えるから、乾燥地帯を好む『月光草』は一日で根腐れするだろうな」


   ドアノブを握る手は宙に放たれたまま、 アキラの背中が凍りついたように硬直した。

 研究者にとって予算の凍結、実験環境の剥奪とは、「死ね」と言われるよりも辛い、学術的死刑宣告だ。



「……部長」

 アキラがゆっくりと、油の切れたブリキ人形のように振り返る。

 その表情からは感情が消え失せ、ただ、予算を人質に取られた社畜の悲哀と静かな怒りが混ざり合っていた。


「その7つの座標。……心当たりはあるんですか」


 部長の口元だけが僅かに吊り上がり、羊皮紙を一枚、アキラの方へ滑らせた。

 そこには、古代ルーン文字で記された最初の目的地が浮かび上がっていた。



「当然、特定してある。……頼んだぞ、魔導省きっての変わり者コンビ。……シュナ君、君のような美しい子を異世界の泥臭いところに行かせるのは忍びないが、まぁ、頼むよ」

 その言葉にシュナの視線はまるで暗殺者のような冷たく鋭い。



「……マスターの頼み以外を聞くつもりは全くありません。」

 無表情のシュナの言葉が部屋中に静かに染み渡って消えた。


 アキラは羊皮紙をひったくるように掴むと、無言で部屋を出た。

 シュナがその後ろに続き、閉まる扉の隙間から、部長へ冷ややかな視線を一瞥させることは忘れなかった。


「……恐ろしいもんだ。あの『雑草係』の何がいいんだか、魔獣の考えることは分からん」

 部長は誰にも聞こえない程の小さいことで呟いた。


 ◇◇◇


 数時間後。 魔導省のさらに最下層。

 次元の裂け目を人工的に固定した『第4ゲート』の前。

 そこは、人界と異世界を繋ぐダンジョン、通称「通勤口」だ。


 アキラとシュナは、異世界行きの旅装を整えて立っていた。

 ゲートの向こうからは、現世とは異なる濃密なマナの風が吹き込んでいる。


「アキラ。本当にいいの? これは実質的な戦争への介入になります」

 シュナが心配そうに問いかける。


 アキラはリュックを背負い、トランクケースを持ち直した。

 その中には回復や解毒など一般的な魔草系のアイテムに混じって、即効性の麻痺毒を持つ『雷鳴花』のドライフラワーや、触れたものを溶解する『消化蔓』の種子など、取扱注意の「魔草兵器」も詰め込まれていた。


「仕方ないだろ。予算がおりなきゃ研究もできない。それに……」

 アキラはゲートの揺らぎを見つめた。

 脳裏に過るのは、かつて見た儀式の惨状と、地図を汚していた黒い染み。


「部長のあの言い方が気になる。シュナと魔導士の関わりが、まだ継続している可能性があるなら、こちらから先に、その不穏の芽は摘んでおきたい」


「優しいのね。……そういうところ好きです」


 シュナの言葉にすこし困ったような複雑な表情を浮かべたまま、アキラがゲートの境界に触れる。すると、空間が水面のように波紋を広げ、二人の姿を飲み込もうとする。


「行こう、シュナ。最初の目的地にむけて、憂鬱な通勤の時間の始まりだ」

「はい、マスター」

 二人は境界を越え、広大な魔法世界へと足を踏み入れた。


 残された7つの鍵を巡る、魔草学者と竜姫の競争レースが始まる。

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