2-30.二年終幕のバレンタイン
当日の朝。
孤児院の台所。
湯気と砂糖の匂い。
エプロン姿のアンが粉をふるって、私は泡立て器を回す。台の端では子どもたちが型を並べて順番待ち。
「星の型、貸して」「順番ね。三つ抜いたら交代」
ふと、ミラが寄ってくる。
「わたしもつくらせて」
「もちろん。渡す相手、もう決めてる?」
こくん。頬が桜色。
アンが目だけで笑って、小袋と短いリボンを差し出した。
焼き上がった生地に、すり蜜と細いピールを少しだけ。飾りは最小限。包みは丁寧に。
「できた」
「上手。——自分で渡しに行ける?」
「いけるよ」
当然みたいに言って、包みを胸に抱きしめたミラはシスターのところに走っていった。
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配る小景(午後~夕)
エルヴィス(生徒会室)
チョコレートクッキーの小箱と、小さな無香料の指先用バーム。
「指先、気になるときに」
「ありがとう。友達として最高の贈り物だ。嬉しいよ」
「届くように選びましたから」
ちょっと胸を張ると、笑ってくれた。
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フィン(迷路の中庭前)
砂糖控えめのメリッサピールと、週次の予定メモ栞。
「“生きる計画”、手触りをつけたくて」
「うん、見やすくなる。ありがとね。それと、こっちも」
先輩から渡されたのは、金平糖と……手と顔に塗れる保湿クリーム。聖夜の後にも、実はもらっていたやつ。
「そろそろ無くなるかと思って。前はどっちかというと医療用、今日のはオシャレ用」
「ぷっ。ありがとうございます」
「どういたしまして。——傷、綺麗に治って良かった」
フィンは柔らかく目を細めた。
「それと——来年度、専門院に進むことにした。出席単位ギリギリだったけど、日頃の行いが良かったね。一応、健診も院の医務と連携して続けるつもり」
「おめでとうございます。じゃあ栞に、“院”の時間割と点検欄も作っておきます?」
「そうだね。“生きる計画”に、予定がひとつ増えた印」
良かったですよね、って笑い合った。
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サーチェス(訓練場の脇)
隊箱に塩チョコの包み、本人にはポケット小袋。
「訓練後に棚へ。こっちは移動用」
「助かる。列に回す」
ふっと肩の力が抜ける顔——“隊で回す”が板についた顔。
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ブルーノ&サシャ(図書塔の裏庭)
しおり型の板チョコ。ほんのり桜の香り。
ブルーノ「……いいね」
サシャ「これで、ブルーノくん用に何か作ってもいい?」
うなずくと、サシャの耳がほんのり赤かった。
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ディーン(講義後・廊下)
ほろ苦チョコ一欠片と、動物用フード小袋。短いメモ「式は楕円が助かりました」。
先生は目だけで読む。
「……参考になったならそれでいい」
それだけ言って歩き去る。匂いはチョークと紙とほんの少し動物たちの毛のまま。
(……相変わらずの鉄仮面。だけど、先生は“ソフィア”が選ばなくても大丈夫な人だ。
——なんだか救われる)
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アレス(資料室前の廊下・夕)
冬越え仕様のビター。——それと、出納帳の付箋紙。『税・工事・福祉』の三色。
アレスは一瞬だけ眉を上げ、その場で三色を分けて、出納帳の見出しに差し込む。
「ふん、悪くない」
チョコを受け取りながら、低く付け足す。
「甘さは少しでいい。判断まで甘くなると困るからな」
「知ってます。だから“苦いやつ”。ぴったり」
ほんのわずか、口端がゆるんだのを見た。
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ローゼリア(大階段の踊り場)
薄紅の落雁と、一筆箋。香りは淡くしてある。「……ありがとう。静かな甘さ、好きだわ」
「言葉はあなたの言葉で」
「ええ」
包みを胸の前で一度だけ傾け、髪の紅が揺れた。
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アン
寮の裏庭のグラスハウスで、薄い桜紙の包みを差し出す。改めてってすると照れるけど、一応、ちゃんと。
「これは……」
「“支えのお礼”。返さなくていい」
アンは受け取り、包みの角を人差し指でなぞった。
「返さなくていいの?」
「だって、もうずっと前から貰ってる」
そう言うと、アンは片眉を上げる。
私は、ポケットから布袋を出して見せた。手の上で紐を緩めると、色とりどりの魔石が溢れそうになる。
「これ。一年の文化祭の時、倒れた私の枕元に置いてた。アンだったんでしょ。石の癖が同じ」
面取りしすぎて丸い縁。あの時はまだわからなかったけど、全属性に適性があることと、この前の礼拝堂で出した石を見て、ようやく私の中で辻褄があった。
「本当は、ずっと、言わなきゃって思ってた」
私はひとつだけ息を吸う。
それから、言葉を置いた。
「——ありがとう」
アンが目を見開いた。包みをひっかく爪が一瞬だけ止まる。
「あの時も、その後の階段でも、助けてくれて。今年もずっと見守っててくれたのよね。ずっと言えなくてごめん。……悪かったわ」
アンが包みに目を落としながら、ふっと、笑った。
「——最初のあなたなら言わなかった台詞ね」
「最初の私は、ちょっと“ばか”だったから」
アンが小さく息を笑いに変える。
「ううん、まっすぐだった。……ありがと、受け取るわ」
「ね、アン」
「なに」
「友だちでいてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。……ねえ、やっぱり返したくなったらどうしたらいい?」
「その時は、受け取る。そのたびに、私も返すようにする」
ガラス越しに、夕方の色が葉へ薄く落ちる。私は肩の力がほどけるのを自覚して、息をひとつ吐いた。
アンの目が柔らかい。
「——で、ソフィア、リックにも用意してるのよね?」
「うん、次の休みにでも行こうかなって」
「預かろうか?」
「うーん……ううん、自分でいく」
「じゃあ、どうせ工房だけど、連絡だけ入れとく」
「お願い」
アンはうなずき、自分のマフラーの端をそっと整えた。
「まだ寒いから、気をつけて」
「ありがと」
二人で並んで歩き出す。歩幅は同じだった。
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それから数日後
学園から出て、門の前で『何かあったらいけないから』とアンが声をかけてくれていたマークス印の荷馬車に、私は乗り込んだ(ちょっと過保護じゃない?と言ったけど、アンは「わざわざ呼んだわけじゃなくて、ちょうど工房の近くまで行く馬車があるからお願いしてみただけ」って……いやいや。まあでもありがたく使う)。
降りて、少し進んで、道具屋通りのいちばん奥。
店というより本当に工房の構えで、看板は低めだった。近づくと、油と金属と革の匂い。作業台には真鍮の粉がうっすら光り、万力の口が半開きで止まっていた。
「よぉ。」
奥からリックが出てきた。革エプロンはいつもの。寒くないのか、袖は肘まで捲っている。
私は片手をあげた。
「遅れてるけどバレンタイン」
そう言いながら、リックの手に袋を押し付ける。
「聖の魔石、少ないって言ってたから。——私の“聖”、結晶にしたやつ。小さいけど、ちゃんと澄んでるはず」
中には米粒大の石が二つと、指が汚れないつまみ菓子を入れていた。
リックは一瞬だけ目を細めて、それから無言で工房の奥へ腕を伸ばす。
戻ってきた手の中に、革と真鍮の細い輪——ブレスレットとアンクレット。真鍮の座に、乳白色の細い芯が二本、糸みたいに通っている。
思わず目を見開く。
「かき集めて、もう作ってある。流路は二重。手首と足首、両方で回る。いらんもん体に溜まらせずに外に流すやつな——あの先輩に、やっとけ」
「あ、ありがとう」
「礼は、効けばいい。あと、お前の石はストックに入れない。別腹」
「別腹?」
「ん、まぁ、工房の言い回しだ。常用の棚とは別に“手前の引き出し”に入れとくやつ」
言いながら、リックはパイプ椅子を私の方に寄越してくる。もうひとつ。そのまま作業台を挟んで座り、私たちは、つまみ菓子を一つずつ。リックは台を汚さないままに食べて頷いた。
「……うまい」
「やった」
目を瞬かせるリックに、私は笑って小さく拳を握った。
それから、ふっと、その手をほどいて膝の上に乗せた。
「……あのさ」
私の声は小さかったのに、リックはちゃんと顔を上げてこっちを見た。
私は唾を飲み込み、一息に言った。
「ありがとう。——一年の文化祭で庇ってくれた時からずっと。特に、最後のキャンドル。あれ、素敵だった」
「……っ別に。思ったように動いて、思ったこと言ってるだけだ、こっちは」
とたんに、ぶっきらぼうな言い方になる。けど、意地悪じゃないのはわかっていた。彼の“届かせる”は、言葉じゃなくて彼の道具と行動でするものだから。たぶん、照れてるだけ。
顔を背けて、また、一つまみ。
そうしながら。
「ま、良かったな」
とぼそり。それで十分。
「うん、良かった」
休息の時間はゆっくり更けて行った。
二年目ソフィアの段、これにて終幕です。
次回【二年オマケ・聞かなきゃよかったアンの鍛錬話】




