2-29.エルヴィスとソフィアの着地
講堂脇のテラス。
午後の礼拝が終わったあと、講堂の横の小さなテラスに、人の流れがふっと途切れる時間がある。
石畳の隙間に残る雪は薄く、手すりの上で光が砕けている。
「ソフィア」
背後から呼ばれて振り返ると、エルヴィスがいた。儀礼の笑み。けれど目はやわらかい。
「殿下。呼び出してすみません——あの、少しだけ。これ」
私は胸元のリボンの下から、小箱を差し出した。淡い桜色の紙に、細い紐。
「みんなに配ってる簡単なものです。聖夜用のプレゼント。クッキーです。一日遅れたけど……殿下の分も、よかったら」
「喜んで。甘いものは、考え事の燃料になるからね」
冗談めかして受け取り、ふたりで手すりに並ぶ。静けさが一呼吸分だけ落ちたとき、殿下が横顔のまま言った。
「顔が変わったね。目の焦点が“遠く”から“手の届くところ”に戻って、今はもう揺れない。そんな目をしてる」
小さく笑った。
「殿下は最初から——私を、わかっていましたよね」
「ふふ、似たもの同士だからね。同じ匂いには気づく」
「殿下は私とは違います。殿下は周りの人のために仮面を被るけど、私はずっと自分のためでした」
私は息を吸い、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。
「欲しかったんです。愛される、という結果だけ。でも、それじゃ足りないって思えるようになって。——渡して返ってくるものもあるって、やっと分かりました」
「うん。でも君は、わかっていなかった時でもずっと頑張ってた。努力を怠らないところ、仮面には映してなくても僕らには見えていた」
エルヴィスの視線が、講堂の向こう、研究棟の屋根の先へと流れる。空の色が、すこしだけ濃くなる。
「——フィンのこと、ありがとう」
思わず瞬きした。「殿下……?」
「彼は、ずっと良い顔をしていたけれど、無理が混じっていた。会議の合間に医務棟へ寄る姿も、何度か見た。君とアンジェリク嬢が関わりはじめてから、表情の“力み”が減った。医務から『経過は良好』との報せも受けている」
「……私、できることをしただけです」
「それがいちばん難しい。結果が“恋の報い”じゃなくても、差し出す側でいられることが」
エルヴィスが手すりに置いた指を、石の冷たさを確かめるように滑らせた。
それを見ていて、はっと気づく。
「殿下は、ずっと見ていたんですね——フィン先輩が休みがちでも噂があまり立たなかったのも……」
エルヴィスは困ったように笑った。
「王太子は、誰か一人にだけ優しくなるのがいちばん下手な役目だけどね。その代わり、裏回しは割と得意だったりする」
冗談のかたちで真実を言う。その言い方が、彼らしい。
素直に尊敬できる人だと思う。
「ねえ、殿下」
「うん」
「“ちゃんと友だちに”なってくれますか。立場とかじゃなくて」
エルヴィスは正面に向き直り、ふっと目尻を和らげた。手袋を外して、手を差し出す。
「こちらこそ。——友だちに」
私も手袋を外し、そっと指を重ねる。握手というより、確認するみたいな、短い触れ合い。
「困ったら、呼んで。直接助けられない場面でも“道”は作れる。さっきも言ったけど、僕の仕事はだいたいそれだ」
「頼りにします。私も、できることを返し続けますね」
手を離すと、エルヴィスは受け取った小箱を胸ポケットにしまいながら、少しだけ照れくさそうに言った。
「……と言いながら、去年のことは少し反省してるんだけどね」
「去年?」
「うん。食堂とか。ちょっと悪目立ちさせてしまったなって……君を魔女呼ばわりさせる一因になってしまった」
「あ……あれは、その、私もなんというか……下心的なの、あったので」
「でも、その下心が、君のはちょっと変わってた。王子にとって危ないものには見えなかったんだよ。それで、つい気になって近づきすぎた」
私は目を見開く。けれど大袈裟にはしなかった。
「そう言われると少し恥ずかしいですね……。でも、今はもう、ちゃんと友人ですから」
「そうだね、気にしなくていい」
エルヴィスは小さく笑って、肩の力を抜く。「じゃあ、この“燃料”で、もうひと働きしてくる」
「食べ過ぎに注意です」
「約束はしない。甘いものに弱いから」
軽口を交わして、エルヴィスは踵を返す。歩き出して三歩目で振り返り、もう一度だけ、真顔で言った。
「本当に——ありがとう」
私は深く頭を下げた。「こちらこそ」
テラスに残ると、ポケットの中の予備の小箱を指先で確かめる。
ただ渡したい相手が増えた。
今日はそれだけで十分に甘い。
次回【二年終幕のバレンタイン】




