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親友ポジのタイムリーパーは、転生ヒロインのハーレムを阻止したい 〜台本を閉じる方法〜  作者: 月乃ふくや
二年目〜ソフィアside〜

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2-28.聖夜の礼拝堂



 零時、鐘の紐がわずかに鳴った。


 礼拝堂は息をひとつ置くたび温度が落ち着いていく。古い壁、蝋の匂い、低い天井。床に薄くチョークで描かれた式の線は、ディーンに教わったとおりの楕円。


 逃し口は、地とアンの肩口。


 私は、アンの鎖骨下を円くひと撫で。衣越しに爪先ほどの薄い光が灯る。


「ありがとう。準備はいい?」


 アンが短く確認する。


 私は頷き、指を組み直した。心臓が早い。けれど、怖さは“やめない理由”の方を強くしてくれる。


 フィンは長いベンチの端に腰をかけてこちらを見ていた。整えた髪、薄い色の唇。笑ってはいるが息が浅い。けど、わざとだろう、軽い声で言う。


「約束は覚えてるよね? 君たちが自分を捨てるなら、ここでやめる」


「捨てません」


 自分でも驚くほど、声は真っ直ぐ出た。


「でも、助けたいから多少の無茶はします。」


 そう言った私の横で、小さく笑いながらアンがメリッサの小袋を開き、指先で揉む。


 柑橘と土の香りが、わたしの胸にも届く。呼吸が広がった。


「じゃ、始めよう。——手」


 フィンと私は向かい合って左手を重ね、私の後ろにアンが立つ。祈りの言葉は短く、相手を縛らない文で——誓灯の夜に学んだとおり。


「……守るために、渡す」


 吐息の長さに合わせ、足元の楕円の縁が、ほんのり淡く光る——


 最初の波は、小さな温度差から来た。


 繋いだ掌で、フィンの脈拍と、私のそれが“当たって”渋滞する。胸の奥が、音の出ない違和感で詰まったところで、アンが言った。


「大丈夫」


 その声で、アンの鎖骨に続く逃がし道がひとつ開く。私の手から胸に向かう圧が、ほどけて通り抜けていく動きに変わる。


 ——ふと、入り口近くの受信機が橙に二度、点滅した。外の見張り鈴が拾った“接近”の合図だ。

 直後に、外の石を踏む靴音が微かに耳に届く。


「どうする?」


 アンが聞いてくる。


 私は首を横に振った。余裕がない。


 すると、アンは式を乱さず、闇色の丸すぎる魔石を片手に取り出して、口はつけずに、その上からふっと息をふきかけた。


 石の表面を撫でるように霧が起こり、足元にふわりと広がって礼拝堂の入り口へ。扉の隙間から外に染み出す——“用はない”と思わせる幻惑の結界が敷かれ、扉の向こうの足音は、ためらいもなく遠ざかった。


 橙が消える。礼拝堂の呼吸が、また静かに戻る。


 私はひとつ息を吐くと、手を離さず、ただ、迎える形に意識を落とした。押し返さない。掴まない。通す。



 二度目の波。今度ははっきりと“来た”。


 すぐに分かった。


 フィンの体の奥から、微細で、でも確かな“余剰”の奔流。冷えるように熱い——矛盾した形容がぴったりの、妖精由来の“はみ出し”が来る。


 触れた瞬間、それは私の掌と手首から腕へ、胸へ、喉へ、目の裏へまで薄く満ちていく。甘く痺れる感覚。


 同時に、楕円の線がわずかに明滅した。


「……っ、く……!」


「先輩!?」


 フィンの息が詰まった。

 私の中でも何かが跳ねた。


 ピシッと体のどこかが音を立てる。内側からヒビが“溢れる”感覚。手と頬に痛みが一瞬走る。手の甲に赤い線がうっすらと開くのを見て、寒気が背筋を走った。


(や……)


 手の甲のヒビが、手首のほうにまで広がってくる。思わず、空いた手でそれを押し留めようと手首を掴みかけたその時。


「ソフィア!」名前を呼ばれる声でハッとした。


「堪えないで! 私に流して!」


 ハッとして、私はすぐさま橋をかける。左手から受けた奔流を、アンへ。

 アンの体が受けた瞬間、礼拝堂の空気が一段、静かになった。私の鎖骨の下でもちいさく“ふう”と風が抜ける。逃げ道が働いた合図。


「っ……ソフィアちゃん」


 私の顔を見てフィンが表情をほんの少し歪める。たぶん、手と同じように傷ができてるんだろう。流れてくる“余剰”と同じ拍で、ほんの少しだけじんじんする。


「大丈夫です」


 私はそう言って、目を見る。


「それより……どうですか?」


「……楽になったよ」


 フィンの声は、ほんの少し低くなっていた。「効いてる。嘘じゃない」


「良かった……」


 私はほっと息を吐いた。




 三度目——式の最後の山が来る。ここで欲を出すと失敗すると分かっている。私は目を閉じ、言葉を一つだけ胸の中で転がした。


(渡して、分ける)


 そして。


「——受けて、通す。」


 波は、驚くほど静かに越えた。

 フィンの呼吸が深くなり、私の背中の強張りがほどけていく。アンが床へと、肩口へと、ごく微細に力を流し替えるたび、圧は均一の薄い布みたいに広がる。


「……ッ」


 フィンが、再度、喉の奥で小さく声を飲んだ。指先かすかに震えるのが伝わってくる。

 私はゆっくり、呼吸を合わせる。大丈夫、と言い聞かせるように。

 

 アンが低く言う。


「ソフィア、右へ半歩。——そう。体の“前”じゃなく“背中”で受けて」


「——うん」


 立ち位置をわずかにずらす。足の下で石が少し鳴った。

 背中を、器にする。

 そうすると、胸の痛みが嘘みたいに軽くなり、代わりに、背骨の一本一本に、温い灯りがとまっていくような、不思議な感覚が広がった。


 そのとき、礼拝堂の炎がふっと強まって——

 天窓の光が、雪明かりみたいに白くなった。


 眩しくて、目を細める。

 楕円の式がいちどだけ満点の星みたいに瞬き、それから、静かに、静かに、沈んでいく。


 ——和らいだ。


 私以外の二人も同時に肩の力を落とす。


 蝕んでいた“はみ出し”が、薄皮を剝ぐみたいに弱まって、体の奥の脈が、やっと、自分のテンポに戻っていく。

 アンが自分の鎖骨下を反時計にひと撫で。薄い光がすうっと消え、分け道が閉じた。


 手をつないだまま、しばらく、ただ呼吸をした。


 それからフィンが、そっと、手を外す。手のひらに残る熱が——冬の礼拝堂ではありえない種類の温かさが、名残みたいに残った。


 長い、ゆっくりした吐息。


「……生きて、いいんだね」


 そのかすれた声を聞いた瞬間、思った。


(ああ、助けられた)


 強がりでも軽口でもない、本当の声。

 紫の瞳に、光が溜まっていく。


 胸が熱くなる。言葉を選びもしないで、ただ頷いた。


「……はい」


 アンも、目を伏せて笑う。


「生きてください。長く。——約束」


 礼拝堂の石壁が冷たいのに、ここだけ、春みたいに温かかった。

 鐘の音が、遠くで一度、また一度。外では雪が降っている。


「……ねえ、ソフィアちゃん」


「はい」


「君、ほんとに“好き”じゃないんだよね。僕を」


「恋としては、はい」


 先輩は、肩で小さく笑って、首を振った。


「最悪だ。そこまできっぱり正直に言われるとは」


「ごめんなさい」


「でも、いいよ。一番嬉しい」


 ふわりと笑ったフィンの顔を真正面から受けると一瞬だけ頬が熱くなった。


(このひと本当に綺麗なのね)


 場違いだけど、初めて、ちゃんと向き合えたような実感が胸に落ちた。


 アンが床のチョークを消しながら一瞬だけこっちを見て、ふっと鼻で笑うような吐息を漏らしたあと、また作業に戻った。


「ソフィアちゃん」


「はい?」


「ありがとう。——君に返せるもの、探しておく」


「えっ、いりません」


 反射で首を振ると、先輩は肩を竦めた。


「だめ、探しておく。僕のわがままだよ」


 私も肩を竦め返した。


「——さて、凍える前に」


 チョークの粉を払うように手を叩いたアンが、外への出入り口とは違う、別の扉を親指で示した。




「打ち上げしましょ」




 


✳︎ ✳︎ ✳︎



 儀式の光が引いて、静けさだけが残った。

 礼拝堂の脇部屋。ぺちん、とアンが薬布を私の頬と手の甲に貼った。


「痛……っ。ちょっと大袈裟じゃない?」


「中からひび割れてるのよ。感染症でも起こしたらどうするの」


 小さく文句を言ったら、真面目に怒られた。


 足元の石の床に小さな敷物。アンは応急セットをしまい、もうひとつの籠を開ける。


「改めて、チキンね。で——これ。預かってきた」


 アンが紙箱を掲げる。


「リックからの差し入れ。ケーキと、リックの試作《星降りの蝋燭(キャンドル)(Projection No.2)》。『燃やしすぎんなよ』ってメモ付き」


「なにそれ?」


「壁に星の粒をばら撒く投影炎の魔道具」


「随分ロマンチックだ」


 フィンが苦笑する。「彼、気が利くね。口はツンツンしてるけど。監視具の見張り鈴も助かったし」


 木の皿のうえに、チキンと温野菜、小さな苺のケーキが並ぶ。


 アンが差し入れの細身の蝋燭に火を点けた——見た目は普通のキャンドルに見えたのに、炎が、壁に星の粒をばら撒く。


 淡い光の屑が天井を走り、部屋全体が夜空へ塗り替わる。


 壁も天井も境目を失い、頭上には無数の星。


 そして、白い雪がふんわりと舞い降りた。冷たさはなく、指先に触れると、しずかにほどけて消える。本物じゃない。……温かい。

 

 ふうんと私は心の中で言う。


(……さすが。言葉より、こういう“演出”の方が効くこと、ちゃんとわかってるんだ)


 胸の奥が、ふっとほどける。肩肘に残っていた緊張が、星屑と一緒に溶けていくようで、思わず息をこぼす。


 三人して呆けたように天井を見上げ、同時に笑い声が漏れた。


「……終わった、のよね」


 ぽつりとつぶやく。


「ええ、終わった。成功」


 アンが短く頷く。


「ただ定期点検はしてください」


「うん」


 フィンはしばし黙り、深く息を吐いた。


「ありがとう。ふたりとも」


 それから少し気遣うように、私を見て、頬の湿布に指の背で触れた。


「これ、ごめんね」


「だ、大丈夫です。傷の治りは早い方ですから」


 距離が近い。恥ずかしくなって私が目を逸らすと、フィンは「失敬」と軽く笑ってすぐに退いた。


 横目でアンがぼそり。


「ソフィア、明らかに耐性落ちたわよね……」


「……っさい」


「だよねぇ、一年生の時の方が近づいても触っても“どんと来い”って感じしてた」


「い、いいんですそれは! ほら! もう乾杯しましょ!」


 小さな杯に葡萄ジュースを注いで、三人でグラスを軽く合わせる。


「じゃあ、これからの未来に」私

「……長く」アン。

「そして、君たちの選んだ道にも」フィンが返す。


 小さな音が、星屑と雪の部屋に心地よく響いた。


 そのあとは、骨から身がほろりと外れる音と、皿をこする音。しばらくは、ただ食べる。


 フィンがケーキの苺をフォークで割りながら、視線だけ上げる。


「これから、どうしようか——“生きる計画”ってやつ」


「いくらでもたてられますよ。時間はできました」


 私は簡潔に。アンは柔らかな目を静かに向け、フィンは素直に笑った。


 投影の雪がまた短くきらめいて、落ち着く。外では本物の雪がまだ細かく降っている。けれど、ここはあたたかい。


「リック君にお礼、伝えといて」


 フィンが箱のリボンを指で弾く。


「言っときます。“燃やさず食べました”って」


 アンが肩をすくめた。


 私は小さく頷くだけ。


「……美味しかった。キャンドルも良かった。全部」


「ええ。——ソフィア」


「なに?」


「お疲れさま」


 まっすぐな目に、私はほんの一度だけ泣きそうになって、笑い返した。

 

 

次回【エルヴィスとソフィア】

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