2-09.夏の林間合宿
夏が深まった頃——やってきた行事はこれ。
林間合宿。
合宿の要項はシンプル。二年生だけで山へ入り、同級生と協調して、火・水・土・風——魔法の源流を体で知るというもの。いかにも学校らしい。
ただし、それは、行事として。
ゲームでは、妖精市とか恋向けの行事が多いこの学年では、ここだけが“本当に足元が危ない”イベントだった。
——出発前、アンが、真鍮の輪に細い糸のブレスレットを渡してきた。
「監視具と似た原理よ。落ちたら魔力を流して。位置がわかるから。……それと、足元」
「……うん。気をつける」
私は頷いて手首にはめた。ちらりと見たアンの目は静かだ。それを見て、胸の奥がチリ、と鳴る。
(心配……されてるのよね)
手首を曲げ伸ばししてみると、紐は緩くもきつくもなかった。
(だって、この行事だったわよね)
少し目線を横にずらすと、サーチェスが点呼をとっている。
(攻略しようとしていた時、彼がソフィアを庇って初めて死んだの)
画面越しだった昔はクソ〜って言いながらやり直してきた。けれど、ここには、リセットボタンもリロードもない。
一年生の時、目の前まで迫った猫又の爪や、階段から落とされそうになったときの恐怖をまだ体が覚えている。
ぶるりと体が震えたのを宥めた。
「足元、足元……」
それから馬車に乗り、山の入り口まで到着したあと、先生の号令で、班ごとに列が並んだ。
メンバーは、サーチェスを筆頭に、アレス、ローゼリア、ブルーノ、サシャ、アンと、私に、あと数人。
サーチェスを先頭に、班のみんなで一本のロープを持ち、縦に並んで山に入った。
朝の山は少しひんやりしていた。空気も地面も。湿った土が、歩幅ごとに形を変えた。
「前後の間隔を保って歩け。視線は二歩先」
サーチェスの低い声はよく通って、列の空気を一瞬でぴしっと整える。『これは遠足のお遊びじゃなくて鍛錬の一貫だ』って、言われてないのに言われたみたいに感じるの、地味にすごいと思う。
沢を渡ろうとした時に一度、ぬめった丸石でひとりが「わっ」と声を上げることがあったけど、サーチェスがバックパックの肩紐を掴んで重心を戻した。
「焦らない」
安定した声色。それだけで、全員の息が抜けた。
✳︎
正午前、山の中腹の炊事場に到着した。休憩。それぞれの班が炊事を始めだす中で、私は、一瞬だけ足を止めた。
(どこに入れば邪魔にならない?)
——我ながら考えすぎているとは思う。
一年生の頃の方がまだ上手く立ち回れてた。キャラクター表を頭に、どう言えば近づけるか、ヒロインらしいか、って考えて動けばよかった。攻略対象以外にも当たり障りなく可愛いこぶって……って。
(でも今日は、そういう“正解”じゃなく、ただ、入ってみたい)
それは、足元の心配とはまた別に、今日の私の課題として立てていたことだった。
鍋、まな板、薪、ボウル。音が多い。みんなの手はもう動いている。
——まずは、見る。
「ふふん、私たちの出番だね」
サシャが腕まくりをして、野菜を洗い、ボウルと鍋を並べ、包丁をトントン始める。
横でブルーノが淡々と配合を立てる。
「米→スープ→肉。順番を逆にすると火が暴れる。調味は粒子の細かい順——糖→塩→酸」
ローゼリアが目を輝かせる。
「料理は科学の応用、ということですわね」
包丁を持つ手つきはサシャと比べると速くはないけど、丁寧だった。
(私は——)
ここ、と見つけて動きだしたのは、まず水場。
列を見て、空いた瞬間に鍋をすすいで戻し、布を絞り、転がりそうなボウルの下に敷いてぐらつきを止める。
「うん……よし」
かまどの前を通ると、アレスが鍋の音を聞き分けながら、薪を一本抜くところに遭う。
「ここで強めると焦げる。持久戦だ」
ぐらぐらしていた鍋の煮え方が少し落ち着く。
サーチェスは、音を立てずにみんなの間を歩いていたかと思うと、通路の邪魔になりそうな小石を片足で払って、テントの緩んだ結び目を直していた。
(……ああいうのも、場の役に立つってことよね)
きょろきょろ。私はテーブルを拭き、周りの椅子の葉っぱや砂を祓った。
それから器を持ってきて、縁を指先で確かめる。
棘や欠けはないか、滑らないか。
声は出さずに、でも手を回す。意識するのは、“場に届かせる”こと。それだけを。
けれど。
(えっと、次は——)
ふっと顔を上げた時だった。
「味見」
かまどの前でアレスが小皿を差し出し、ローゼリアが受け取って——なぜか私のところへ、来た。
「ソフィア様」
ずい、と鼻先に小皿。
(——私に?)
指で自分を指すと、にっこり笑顔で頷かれる。
おずおずと口を開いて、ひとくち。こくん、と鶏と野菜のスープが舌の上を撫で、喉を通る。
——塩は足りてる。
——甘みも出た。
——ただ付け加えるなら……
「……っ……酸、ほんの数滴だけ……ほしいかも」
思わず出た声に、ローゼリアが細く笑った。
「賛成ですわ」
ブルーノが果実酢を渡し、アレスが頷く。スッと入って、鍋の香りが一段立ち上がる。
「仕上げに……アン、そのスパイスを少量お借りしても?」
パッと、声が返る。
「さすがローゼリア様、お目がたかい」
見ると、アンはバックパックから出していた瓶をずらりと並べていた。
「あ、そこは“商人の娘”出すんだ」
うっかり呟くと、アンがハッと瞬き。それから、間を置いて——ニコッと笑った。
(誤魔化したわね)と思っていたら、ブルーノが噴き出し、釣られるみたいにみんなも揃って笑い出した。
なんだか急に顔が熱くなる。
「う、器、準備できてるから」
今度は私が誤魔化した。
ふちをもう一度確かめながら差し出す。
「ありがと」「助かる!」
返ってくる声が、やわらかい。耳がふわりとする。
そのあともアレスは絶えず薪の腹を整え、サーチェスは他の子達を見回った。
サシャが器に注ぎ、受け取ったアンが溢れた汁を拭いてテーブルの一角へ。他の子が来て配膳。
しばらくして、準備が整うと、誰かの「いただきます」を皮切りに食事の音と笑いが広がった。
ローゼリアの最後のひと振りは効いていた。
「士気があがる」とブルーノとサーチェスが唸ると、アレスがなぜかいちばん得意げな顔をし、サシャとローゼリアと私は目を合わせて笑い、アンが穏やかな顔で視線を落とした。
(あ——いる)
ゲームにはいなかったサシャとローゼリアが、当たり前みたいに輪の芯に。
私は、最初は輪の“外側”に手を置いたつもりだった。けど、気づけば名前を呼ばれて、意見が通って、返されている。
(ここ、私の席がある)
器から指先と胃に移った熱が、胸の奥まで沁み込んだ気がした。
次回【合宿の続き・霧の行軍】




