2-08.アレスとの雑談
こっちは別日の生徒会室。
外の緑が濃くなって、少し校舎が熱くなってきた時期。午後の光が窓から斜めに差し込んで、机の上に細い影を落としていた。
私は庶務の箱を抱えて入室し、いつものように空いている机へ向か——いかけて、足を止めた。
アレスが、先にいた。
しかも。
机いっぱいに帳簿を広げ、片手で羽ペンを走らせ、もう片方で硬貨袋を量っていた。
(……随分、慣れたつもりだけど)
眉間にしわ。口はへの字。いつもの不機嫌そうな顔のアレスをちらと見る。
(……会計、やってる)
実は、まったくの初めてというわけでもない光景。なのに、相変わらず理解が一拍遅れてやってくるのが不思議で……同時に、「だって仕方ないじゃない」と誰に向けるでもなく思う。
俺様。炎属性。短気。
——そのアレスが、黙々と数字を追っている、その現実に。
(こういうのって基本的に“青”の役割じゃない?)
ちなみにそのブルーノは書記。まあ、あっちはあっちでイメージ通りといえばそうなんだけど。
「……何だ」
視線を上げずに言われ、我に返る。
「あ、ごめんなさい。邪魔だった?」
「邪魔じゃないが、庶務の用なら、そこに置け」
顎で机の端を示され、言われた通りに箱を置く。
それでも、つい視線が帳簿へ滑った。
整った字。
金額ごとに色分けされた印。
支出の横に、短い理由メモ。
(細か……)
「見るな」
「見てないわ」
即答すると、ようやくアレスがこちらを見る。
じっと一秒、二秒。
「……気になるか」
「正直に言うと、うん」
少し迷ってから、付け足す。
「アレスが……こういうの、ちゃんとやる人だって、知らなかったから。最初に会計に手を上げた時もびっくりしたけど」
——本当に真面目にやるとは思ってなくて。
言いかけて口をつぐんだ一瞬、間が空いた。
アレスが鼻で小さく息を吐く。
「家の仕事と同じだ。慣れてる」
「家の……?」
「金と人の流れを見るのは、貴族の基本だろ」
当たり前のように言われて、逆に言葉に詰まった。
(炎とか剣とかじゃなくて、そっち……)
帳簿に視線を戻しながら、アレスは続けた。
「生徒会の会計は楽だ。誤魔化しも、裏もない」
「……楽、なんですか」
「数字は嘘をつかない」
きっぱりと。
その横顔は、鍛錬場で火を操る時とも、誰かと口論している時とも違う。
静かで、集中していて、どこか落ち着いている。
私は思わず言ってしまう。
「意外」
「だろうな」
否定しない。
「……会長になるんだと思ってた」
——少なくとも私の知ってる展開ではそうだったけど。
「エルヴィスがまだいる。“王子様”がいるうちは誰もその役はならんだろ」
「でも、来年引き継ぐつもりで、今は“副会長”とかもあったでしょ。フィン先輩と二人で」
「ほかの三年もいる。それに」
そう言うと、アレスのペン先が一瞬だけ止まった。
「来年は俺じゃない」
目を見開く。
「決まってるの?」
「流れってものがある。王太子の後。学園としては箔を落としたくないだろう。俺でもいいが、おそらく、より望まれるのはローゼリアのほうだ」
「……それって……良いの?」
——流れとか、求められてるとかで決まるなんて……そんな出来レースみたいなの。
貴族のこの人たちには慣れたことなのかもしれないけれど、それが私には少しだけ引っかかった。
すると、アレスが顔を上げ、質問を変える。
「あいつには向かないと思うか?」
「……え」
炎みたいな赤い目が真っ直ぐに私を見る。
探ってるのでも、責めてるのでもない、ただ、信じられるものを知ってる目だった。
無意識のうちに喉が鳴る。
唾を飲み込み、言葉を舌の上で転がした。「ううん。」静かに首を振る。
「向いてる……と思う」
頭の中に、全生徒の前で姿勢良く立ち号令をかけるローゼリアの姿が浮かんだ。
「だったら、問題ないな」
少しだけ、彼の口角が動いた……気がした。
ほんの一瞬で、すぐに元に戻る。
「だが、そうなると、予算も、人も、動きが増えるだろう。だから今のうちに、癖を掴んでおく。そのための“会計”だ」
「……ちゃんと考えての、今なのね」
「当たり前だ」
即答。その一言で、頭の中で何かが静かに噛み合う。
——俺様でも、炎でもなく。
——家を背負ってきたんだ。この男も。
私は庶務箱の中身の整理に戻りながら、ちらりと横目で見る。
(……知らない顔、まだまだ多いわね)
「何だ、まだ何かあるか」
「いえ」
首を振って、仕事の手を動かす。
「それより、無駄話をする暇があるなら、次の林間合宿で持ち出す備品を——」
「リスト化して、状態チェックしておけばいいんでしょ?」
「……わかってるならいい」
ふん、と微かに鼻から抜ける息。それからは無言。
部屋の熱は、窓からの風で外へ抜けていく。その先、校舎の重なる向こうに、学園の裏山の頂点が少し見える。
とん、と箱を置き直す。
ペンが紙を擦る音と硬貨の重なる音が、生徒会室に静かに続いていた。
次回【夏の合宿】




