2-05.フェイ・マーケット〜ソフィアの妖精市〜
その日は朝から——正確には、もう何日も前から学園の話題だったけど——賑やかだった。
授業中でも、みんなどこか上の空。当てられても一拍遅れの返答。いよいよ終礼の時、ディーンが呆れた顔で、浮かれすぎだ、とため息をついた。
「羽目を外しすぎるなよ」と言われた言葉を何人が真面目に受け止めたかはしらない。まあ、たぶん、みんなあまり聞いてなかったと思う。
数人の女子はキャッキャと楽しげに先生を誘いに行っていたほどだった。「君たちだけで行きなさい」と一蹴されてたけど。
廊下では、友達グループとか恋人同士がそれぞれくっついて話しているのを見かけた。
夕刻の鐘が鳴った。賑やかに、静かに、人の流れが動き出す。
私は、窓から外を見た。正門が開いたみたいで、王都の一般の人たちも列を作って入りだしている。
学園の正門通りの石畳から脇の小道に、いつもない緑や青、金銀の灯がいくつも点った。
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涼やかな色の灯を辿っていくと、“いつもはそこにない”小道に合流した。
地面に続くのは縁が銀色の小さな石の畳。そのタイルは、踏めば軽く沈むのに弾むみたいに柔らかい。マットみたい。けれど、外で踏む道としては違和感があった。
(……ふわふわ、夢みたいな場所ね)
——フェイ・マーケット。通称・妖精市。
数年に一度、文字通り妖精の市場が開かれる日で、人も混ざれる——“ソフィア”の学園生活ではこの年限りのイベント。
子供のバタバタする足音、人のざわめきの中に、ゲームで見た“幻想的な背景”が、目の前で、匂いと体温をもって流れていく。
甘い飴の気配、焼いた種子の香ばしさ、銀のテープみたいな飾りがごく小さく重なる音。
綺麗だと思った。
けれど、視界の端で小さな影が跳ねた気がして、私は思わず肩をすくめた。
(見えない何かが確かにそこにいるって……ちょっと……)
怖い、と言葉にしかけて首を振る。
(大丈夫。わかってる。ここは、ただのお祭り。デート&ボーナスイベントの会場)
薄い紙の札に願いを書いて、屋台の並びのあちこちにある小木に吊るすと叶うのだというお祭り——前世でいう七夕みたいなもの。
——そう、そっと自分を宥める。
通りの真ん中から両脇の屋台へ通すみたいに吊られた結界布に、砂糖みたいな妖精の粉が降って、光った。
その時。
屋台のひとつに「願い札」の看板を見つけて、足を止めた。
ゲームで対象者を誘って立ち寄る屋台と同じ構え。
そこで彼と仲良くなりたいとか、優秀になりたいとか。選択肢から一つ選ぶやつ。
要は、恋の成就のために足りないステータスを上げられる救済イベ。
(実物は、こんな感じだったのね)
札を一枚手に取った。
指でなぞると、白に葉脈の線がうっすら。生きているみたいに温かい。
「願い……」
ふと呟いて、次が出ない。
(私……私は“渡し方”を覚えたい——でもそれは手段。願いそのものは、その先にある)
「お嬢さん、迷ってるね」
隣の屋台の奥から、低い声がした。
腰丈ほどの煤けたフードが現れて——のれんみたいにかかった「囁き屋」の札が揺れる。
誰、と思うより前に、フードが言う。
「言葉を少し直してあげよう。叶いやすい言い方ってのがあるのさ。たとえば——」
ふわりと開いた手が、強く、空気を掴むみたいな仕草をした。
「“愛されたい”より“周囲の好意を最大化する”。ぐっと効く」
心が、ほんの少し前のめる。
(……そうね。それが欲しかった。ずっと)
だけど同時に、ほんの少し、むかついた。
(——言わないでよ、簡単に)
——私は札を置いた。
「ごめんなさい。今夜は、見てるだけにする」
囁き屋は肩をすくめる。灯の輪の外で、子どもたちが金魚みたいに走っていく。
硬貨の袋を握り直し、結局どの露店にも寄らず、人波をすり抜けるように歩いた。
(焦らない。“すぐ効く”じゃなく“届く”を探す——)
風鈴の澄んだ音に顔を向けた拍子に、通りの反対側で目が止まる。
人混みから離れた柱の影。長い紫の髪。ほとんど表情を動かさず、市全体を眺める横顔。
(フィンだ)
空気が、彼の周りだけ薄く波打つ。私には見えない何か——でも、あの血は感じ取っているのだろう。
胸の高鳴りは攻略の高揚じゃない。少し怖く、少しきれい——矛盾の混ざった音だった。
(話しかけてみる? みない?)
一瞬、選択肢が浮かぶ。
けれど、なんとなくだけど、彼はあそこで“会話をしている”みたいに見える。
(邪魔しちゃ……だめね、きっと)
金の鐘が三度、涼しく鳴る。
行かない、と。そう思った自分の背を、伸ばしてやる。
爽やかな色の灯が、さっきより近くで瞬いた気がした。
次回【アンの妖精市】※今夜のうちに続きます。




