2-01.ソフィア・テレーゼの足踏み
ひとつぶのあかり
(私はヒロイン——十二歳で前世を思い出したときに思った。ここは私のための世界だって。
“学園まで行けば報われる”——それを合言葉にしてきた)
でも、去年の踊り場で落とされかけたとき、分かった。ここはゲームじゃない。アンにも言われた。「みんな現実の人間だ」って。
けど、心はまだごねてる。
(じゃあ私は誰に愛されるの、って)
そんな五月、課外活動の選択票。
【孤児院での読み聞かせ・手遊び補助】
私はそれを“見ていて”別の欄に印を付けようとした。
他の攻略対象のいる活動——図書分類や、レストランの職場体験、街の美化活動……こっちに行く方が、私の目的には合ってる。
だけど、ペンを持って“誰”にするか迷っていた時、アンが「こっち、人手が足りないみたい」と言って、軽く記入用紙を引っ張った。その小さな力のぶんだけ、私の印はずれてしまって、気が付けば私は受付へ提出していた。
雨が降っていた。
町の小さな教会。その横の家みたいな施設。
年季を感じる床は綺麗に磨かれ、窓のカーテンには不揃いの花のアップリケ。
私は入口で靴の砂を払って、深呼吸を一つした。
「まあまあ、可愛らしいお嬢さん! あなたがソフィア・テレーゼさん? 来てくれてありがとうね!」
子どもたちに囲まれたシスターの声は明るく柔らかい。背丈は私より低いのに、体温のある手が私の手をぎゅっと握ってから、すぐに背中の真ん中を支えるように誘導する。
「今日は読み聞かせの補助をお願いしたいのよ。こちらが赤組、四歳から六歳。あちらは青組、七歳から十歳くらい。交流の日の最後には劇をするんだけど、大きい子の練習を手伝ってくれると助かるわ」
午前の読み聞かせは無事に終わった。子どもたちは笑いながら聞いていた。私は声の高さを少しだけ上げて、ページをめくる手をゆっくりにして、拍手をもらった。
(思ってたよりは楽ね)
そう思った。
問題は午後だった。
「やだ。わたし、やらない」
青組の端っこ、窓辺の椅子の背にもたれて、腕を組んでそっぽを向いている子がいた。
短く刈った黒髪、頬には薄い痣がひとつ。
名前はミラといった。台本を膝に乗せたまま、足で椅子の脚をとんとんと打っている。
「ミラ、今日は通し稽古よ。みんなが待ってるわ」
シスターの声は変わらず柔らかい。でも、ミラは眉間を寄せたまま、窓の外の曇り空を指さした。
「雨じゃん。外の音、きらい。うるさい。だからやらない」
(何をいまさら)
私は鼻を鳴らした。
雨は午前からずっと降っていた。さっきの読み聞かせのときも、屋根を叩く音は聞こえていたはずだった。(その時は大人しく聞いていたじゃないの)と。
でもため息は見せない。苛立ちもしない。
「じゃあ、お姉ちゃんと練習しない?」
私は膝を折って視線を合わせた。
それが“子供”への正解の態度だと見越して。
「ここで、小さな声で。みんなに見られないところで」
でも——
「やだ」
すこん、と頭に刺さった。
「……どうして?」
シンプルな拒否が地味にきた。けど——
「……やだから」
その声で気づく。ミラは、わがまま、というより、何かを閉ざしているみたいだった。
椅子の上に座ったまま両膝を立てて抱える。
「ミラ」
言い方を変える。
(子供騙しじゃないほうで)
私は台本を指先でちょんと叩いた。
「ねえ、ここ、ミラの台詞、とても大事なの。妖精王さまに火を灯してもらうお願いをする役、できるのはミラだけよ」
ミラの目が、ほんのすこしだけこちらに滑って、またすぐに外へ向いた。
その態度を(頑固……)なんて思えたのはそこまでだった。
「……お願いなんて、したくない」
「どうして?」
「だって」
ミラの膝を抱く腕に力が入る。
「お願いしても、くれないことのほうが多い」
胸の奥に、小さな針が刺さった。
私は一瞬言葉を探して——黙った。
(わかる)
私だって、お願いをして、くれなかったものを並べられる。
前世の両親の顔。誕生日のケーキ。運動会の午前と午後。勉強して褒められたかった日の、空っぽな居間。
(わかる)
今世の奨学金の受領通知も、振込通知だけで親の直筆のない封筒も。「おこづかい」なんて無かった。
(わかってる)
ぎゅっと結んだ口のなかに、鉄の味が広がる。
(わかるわよ——だから私は“お願い”の代わりに“攻略”を先に思い出した)
「お願いしてもくれないなら、お願いしない。わたしは自分でとれるの」
ミラの目は残酷なまでに真っ直ぐ——私と同じだった。
「……わかった。今日は、見てるだけでもいい」
気付いたら、そう言っていた。
ミラの腕がほんの少しだけ緩んだ。
✳︎
二日目。雨。
ミラは窓辺にいながら、目だけで私を追っていた。
私はそれを感じながら赤組の子供たちへの絵本の読み聞かせをして、終わり際、ふと気づいた。
ミラは、台本を手放してはない。
横に置いたままの台本は、微かだけどちゃんと開いた跡があった。
三日目。まだ雨。
ミラはまた窓辺にいた。私は近づく前に、彼女の膝の上の台本に目を落とす。角が少し丸くなっていた。昨日より、触られた紙の気配。
「ねえ、ミラ。“お願いしたくない”って話、覚えてる?」
「……覚えてる」
「私も、お願いが苦手。聞いてくれる人なんて、いないと思ってるから」
ミラの黒い目が、私を見た。私は笑わずにそれを受ける。
「でも、昨日の台本、読んだの。お願いは、魔法じゃない。『ください』って言ったら、光が降ってくる話じゃなかった。でも——」
「知ってる」
ミラは頷いた。
「妖精の王さま、くれるけど、くれるだけじゃない。分け方を教えてくれる。それで、みんなに渡す」
——渡す。
私はその言葉を、舌の裏で転がした。
「……ミラは、渡したい?」
ミラは唇をぎゅっと結んで、そして、小さく首を振った。
「わかんない」
ほっとした。私も、わからない。誰もくれなかったのに、渡したいなんて。
「……じゃあ」
喉が締まる。
(私、どんな顔で言ってるの)
そう思いながらも、口にする。
「ミラの本当の望みじゃなくてもいい。お芝居の上の女の子として……やるの。それならどう?」
目の奥のどこかが霞む。
ミラは戸惑ったように目を泳がせて、それからおずおずと口を開いた
「……ずるく、ない?」
「ずるくないわ」
ミラの表情がほんの少しほっとしたように見えた。
四日目。雨。午前は手遊び。赤組の子たちと指を絡めて笑う合間に、過去の居間を思い出しそうになって飲み込んだ。午後、青組の稽古。ミラは端にいた。みんなと混ざるまではいかないけど、台本を開いて、指を這わせて、小さく口を動かしていた。
五日目
「ソフィアちゃん、これ、お願いできる?」
シスターが紙袋を差し出した。中身は、厚紙で作られた小さなランタン。窓から透ける色セロファンに、糸で結ばれた持ち手。
「綺麗ですね」
そう言うとシスターは朗らかに笑う。
「子どもたちが昼寝の合間に、少しずつ作ったのよ。劇の最後で客席に配るの。あなたにやってもらいたくて」
「……」
私は紙袋を受け取った。
✳︎
六日目、最終日。
空はまだ灰色だけれど、雨は糸みたいに斜めに落ちるだけの細さになっていた。
ホールに簡易の舞台。
私は客席の端に立って、ランタンの入った紙袋を抱えていた。
子どもたちの劇が始まった。
舞台の上。最初に出てきたのは、冬の村。絵の具で塗った夜空に、紙で作った雪が降る中で、ぼろの衣装の子どもたちが息を吐く真似をする。
劇の題材は《ひとつぶのあかり》。この国では有名な子どもの寝物語で——冬、村じゅうの火種が風で弱り、人々が妖精王に火を貰いに尋ねにいく。けれど王は火そのものを配らず、三つだけ教える、という穏やかな話。
その三つは
——ひとつ、外套で覆うこと。
——ふたつ、灯を分けること。
——みっつ、受けた灯を別の誰かに返すこと。
舞台で、風役の子が「ふー」と息を吹き、家の灯が一段落ちる。
寒がり役の子が小さな外套を広げ、そっとランタンを覆う。袖の内側でふわりと明るみが強くなる。
別の子は二つの灯を寄せて分け、もらった子は隣の列へと手振りで返す。
台詞は少ないけど、身振りで物語が進んでいくのがわかる。みんな上手い。
紙の冠と枝の杖——妖精王の役の子がそれを見守っている。
そのとき、舞台の端のミラが一歩出た。胸に紐で提げた小さなランタンは空。
台本の、お願いの台詞を言うシーン。
ミラの唇が開く——けど、声は、最初、出なかった。
それを見て、私の手がぎゅっとなる。
シスターが袖で軽く合図し、ミラがそちらを見てもう一度息を吸う。
そして——それから出た声は、驚くほどまっすぐだった。
「わたしに、火をください」
王役の子が「どうして?」と受ける。
ミラの目が、客席ではなく、天井のどこかを見てから言った。
「王様は、火を守れば強くなるって言う。分けられるって言う。けど、その火がわたしには、ないから——でも、私も、誰かに渡したい」
王は一拍おいてから微笑んだ。「大丈夫」
「あるよ、君の中に」
ミラが両手を前に差し出して、空気を抱きしめるみたいに、胸のランタンに当てた。
そして、そのまま、指先を伸ばし、隣の子のランタンへ添える。その子のランタンがふっと明るみ、合わせて、ミラのランタンにも灯が宿った。
ミラが息を呑む。
「あった」
舞台の上で子どもたちが輪に並ぶ。ミラから灯をもらった子がまた隣の子へ、そしてまた隣へと渡す仕草をつなぐ。
私は客席の端から小さなランタンを配りだした。
セロファンの色は、赤、橙、金。温かい色ばかりでホールが満ちる。
舞台の列が一巡し、最後の子がミラへ小さく頷いてランタンをそっと触れ合わせる。
ミラの灯がもう一度、ふっと強まる。ミラがまた息をのんで、指を胸に当てた。小さく言う。
「渡したら戻ってきた。減らない……」
終盤、語り手の子がまとめる。「風が来ても覆い・分け・返す。灯は輪になって、ぐるりと戻ってきました。そうして村はあたたかくなりました」
照明が落ち、客席の色だけが残る。
子どもたちは手をつなぎ、深く礼をする。ミラも隣の子と指を絡めて、頭を下げた。
外に出るとまた雨が強くなっていた。
玄関で立ち止まると、赤組の子が二人、靴ひもに手こずっていた。
私は傘をその子たちの頭上に差し出し、片膝をついてひもを結ぶ。傘の外側で濡れる肩に、外套をかける。
「ありがとう!」走っていく背中。
頭の中にミラの声がこだましていた。
——ください
——私も、誰かに渡したい
——戻ってきた。減らない……
寮に戻って、机の引き出しを開ける。
紙とペン。ちらりと目に入った奨学金の振込通知書は見ない振りをして引き出しを閉じる。
それから、いつものように、今日のことを記録しながら、過去にメモしたページを振り返る。ルート分岐。好感度。使えるアイテム。イベント発火条件——そこまでなぞってペン先が止まる。
硝子の向こう、庭を挟んで向かいの棟の灯りが雨粒でにじむ。目を閉じる。
答えはまだ出せない。
ノートの端に、小さく書き添えた。
——渡す=何を/誰に/どうやって
ペンを置き、両手を膝に置く。舞台で灯りを分け、外套を掛け、返していった手つき。あれで胸が熱くなった理由を考える。
ひとつぶのあかり——もらう話じゃなく、渡す話。それで、あたたかくなる話。
それだけを、胸に置く。
次回【運動場端・騎士隊訓練場を通る】




