64.今年のおわり
年の末の廊下は、少し冷えていた。
踊り場では、庭師さんが飾り付けのリボンを直している。
革と土と草——いつもの匂いが、動きに合わせて淡く揺れる。私は結び目をひとつ摘んで確かめ、手を離した。
ふと差し掛かった掲示板の前に薄い人垣。白紙に黒字の通達が一枚、貼られていた。
【階段踊り場での安全阻害行為に関与した生徒三名に対し、式典参加停止・奉仕活動・保護者同伴面談を科す。氏名は掲示しない。再発防止を最優先とする】
ざわめき。「何があったの」「さあ、わからんけど」「大事にならなくて良かった」——軽口なのは、誰も落ちなかったから。噂は長く尾を引かない。
掲示の下段には小さく付記がある。〈併せて、文化祭期間中の展示破損(魔石廃棄)の関与も確認〉。
胸の上に手を置き、軽く押さえる。
当番の教師が巡回の上級生だけに短く伝えていたことも耳に入った。「事情聴取で本人たちが言ったそうだ——『だって、あの子、魔女だって……』『(踊り場で)切れ目ができたとき、今だって思った』と」。
掲示板から離れて角を曲がったところで、今度は、サーチェスと正面から出くわした。
短く会釈すると、すれ違いざまではなく、立ち止まって言われる。
「伝え忘れていた。文化祭の導線を整えてくれていた件、騎士隊は随分と助かった。あと、階段の話も、色々と耳に入った」
「文化祭は互いに持ち場を守っただけで、階段は噂です」
私が粛々と返すと、彼は口元を緩めてほんの少し目を伏せる。
「ふっ、そうだな。……ただ、俺は“剣と名で応える”つもりでいたが——結局は君の段取りに助けられるほうが多かったなと」
そして、ひとつ息を整えてから続けた。
「冬のうちに巡回表を詰め直す。君の目で見て意見を聞かせてくれ」
「えっ、サーチェス様……」
「様は要らない。同級生だろう」
さらりと距離を詰める許可。喉の奥が一度だけごくりと鳴って…それから——仕方なく頷いた。
「……じゃあ、サーチェス。聞くけど、私が騎士隊の仕事に口出ししても?」
黙って頷いてから、目は真っ直ぐに私を見た。
「自分が前に出るのではなく、道を均して安全を確保する、そういう守り方もあるのだと教えてもらった。その視点が知りたい」
思わず息を呑んだ。ソフィアも私も、彼にはほとんど何もしていないはずだ。(え、してないよね?)けれど、この口ぶり……“変わって”いる。
「……そういうことなら、わかった」
「助かる」
それだけ告げて、彼はいつもの歩幅で去っていった。足音は一定、軽くも重くもない。
廊下を一本外れて、飼育室の前で足を止めると、ディーン先生が元の普通猫サイズに戻った猫又を膝にのせ、喉のあたりを指の腹でゆっくり撫でていた。
毛並みはもう落ち着き、瞳は刺を失っている。先生が低く何かを囁くと、猫は「くるる」と短く鳴いて、尻尾の先だけをぱたん、と揺らした。
(よかった。——ちゃんと帰ってきた)
渡り廊下に出ると、列に並んだ柱の陰にフィンがいた。手を振るでもなく、目だけでこちらを見る。
「アンちゃんってさ」
「はい?」
「なんでも知ってそう。不思議だよね」
ほんの一瞬、息を呑む。
(ほんとうにこの人はよく見てくる)
「準備をするのが好きなだけです」
なんとかそれだけの台詞を喉の奥から絞り出す。
「そっか。——種は要らないよ。驚きは、春にとっておく」
それだけ言って、彼もまた去っていった。軽い靴音。
日が傾く。氷灯に火が入る前の、いちばん静かな時間。私は回廊を歩きながら、今年の出来事を頭の中でひとつずつ畳んでいく。
ふと遠くを見る。灰を広げたような白い空。指先で冷たい欄干を一度だけ叩く。
来年度は“妖精の盛り”。境界が混ざる。人の心が軽く跳ねて——“恋”が進みやすい年。
(彼女が本当はどうしたいのか、私も見極めないと)
私は胸の中でだけ頷き、年越しの静けさへ歩を移した。
一年目はここであがりです。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
明日からは、二年目に入ります。
二年目はソフィアが中心です。




